孤高の死神

高柳神羅

第1話 孤高の死神と呼ばれた英雄

 闇と静寂に満ちた森の中。

 迫り来る空腹と死の恐怖に泣く彼に、彼女は笑いながら言った。


「私を……食べなさい。ノエル」


 それは、魔王の手によってひとつの村が地上から消滅した日の出来事。

 僅か三歳だった少年は、その時に知った。何の力もない弱い人間が生きていくには、この世界は何と残酷すぎる場所なのであろうかということを。

 少年は目の前で息絶えた母の体に歯を立てた。震える顎を懸命に動かして、肉を食いちぎり、血を啜って、飲み込んだ。

 そうして、少年はその日の命を繋いだのだった。


 それから、二十五年後。

 成長した元少年は、心を預けた仲間と共に魔王を討ち果たし、英雄となった。

 彼の名は世界中に広められ、誰もが彼のことをこう呼ぶようになる。


 孤高の死神ノエル・ブリューナクと──



「マスター! 狩ってきたぞ、ヘルフットラビット! 見てくれよ!」


 街の中心地にある冒険者ギルド。そこで普段通りに仕事をしているギルドマスター・アンドレの元に、息を弾ませた一人の少年がやって来た。

 髪は赤色、瞳は蒼。簡素な作りの革の胸当てを布の服の上に身に着けた小柄な少年だ。腰に古ぼけた短剣を納めた鞘を下げており、右手には毛皮が血で濡れた体長二十センチほどの兎のような生き物を持っている。

 アンドレは仕分けていた書類をカウンターの上に置いて、少年が自慢げに掲げる兎を見つめた。


「……確かに、ヘルフットラビットだな。随分小さいから、まだ子供か」

「それでも、ヘルフットラビットには違いないだろ? これ、買い取ってくれるよな?」

「ああ、大人じゃないと駄目だとは言ってないからな……ちょっと待っていなさい、今代金を持ってくるから」


 アンドレはカウンターから離れて、後方に置かれている金庫の扉を開けた。

 そこに入っている革袋のひとつから銀貨を三枚取り出して、少年の元へと戻り、カウンターの上にそれを積んで置く。


「それじゃあ、買取代金だ。そいつは貰うよ」


 少年の手から兎を引き取って、アンドレは少年の全身を見つめた。

 少年の体には、おそらく森の中を駆け回った時のものだろう、草の切れ端や蜘蛛の巣が付いている。

 日々魔物を相手に様々な場所を駆け回る冒険者としては何ら珍しくはない姿だ。が……

 アンドレは溜め息をついた。


「……カムイ。こんな御時勢だから魔物相手に戦うなとは言わんが、お前はまだ十四だ。今から冒険者を目指さなくても、他にできることは幾らでもあるんじゃないか?」


 カムイ、と呼ばれた少年は、何言ってるんだとでも言いたげな顔をして腰に手を当てた。


「そんな悠長なことを言ってたら一流の冒険者になれないよ。早いうちから体を鍛えておかなきゃ、魔王を倒した英雄みたいになれっこないって」

「魔王はもういないんだ。英雄が必要とされる時代は終わったと思うんだがな、俺は」

「魔王は確かにいなくなったかもしれないけどさ、まだ魔物が残ってるじゃん。英雄はまだまだ必要だって思うぞ?」


 ──魔王が倒されて二ヶ月。かつて魔王の脅威に抗っていた世界の人々は、現在は魔王が置き土産として残していった魔物を駆逐する日々を送っていた。

 街の冒険者ギルドが斡旋する魔物討伐の仕事クエストをこなして収入を得ながら暮らす冒険者の数も、まだまだ多い。子供たちの中には冒険者を目指して武芸の腕を磨く者もいる。

 此処にいるカムイも、そんな子供たちの中の一人だ。

 カムイには、ひとつの目標があった。

 それは、魔王を倒した英雄にも劣らない一流の冒険者になることだ。

 彼の両親は、彼が十歳の時に魔王に殺された。彼がかつて暮らしていた村が魔王の手によって滅ぼされ、その時に彼を逃がすために魔物の気を引く囮になったのだ。

 魔王が英雄の手によって倒された今、彼が自らの手で両親の仇を討つことはできない。ならばせめて地上に残っている魔物を根絶やしにしてやろうと彼は思い立ったのである。

 小さな魔物を相手にナイフを振るい、体を鍛えて、彼は同年代の少年たちよりかは動くことに慣れた少年に成長した。

 とはいえ、冒険者としての基礎を教えてくれる師となる者も傍にいない状況。彼はあくまで一介の少年にすぎず、冒険者と呼ぶには程遠い力しかない。

 このまま突っ走っていったら、いつか必ず取り返しの付かないことになる。アンドレはそれを懸念していた。


「……ただ動けるだけじゃ冒険者稼業は務まらんぞ、カムイ。見た目ほど気軽にできるような仕事じゃないんだ。何らかの拍子に大怪我をしてからじゃ遅い、今からでも……」

「──失礼します。冒険者ギルドは此処で合ってますか」


 外から、一人の男が入ってきた。

 緩いウェーブが掛かった銀髪を肩まで伸ばした色白の青年だ。背は高く、屈強そうではないがそれなりに引き締められた体つきをしている。群青色の服を身に纏い、肩に白い色の随分とくたびれた鞄を掛けている。武器の類は持っておらず、冒険者にしては随分と身軽な格好だ。

 ギルド内にいた他の冒険者たちが、青年を見て一斉にざわついた。


「おい、あれ……孤高の死神じゃないか。あの銀の髪、間違いない」

「ああ、魔王を討伐した英雄パーティの唯一の生き残りだろ。噂だと、手柄を独り占めするために魔王との戦いで死にかけた仲間を見殺しにしてきたっていう……」

「あいつに深く関わった奴は皆例外なく死んでるらしい。近寄るな、殺されるぞ」


 口々に囁いて、そそくさとギルドから退散していく冒険者たち。

 青年はそんな彼らに何処か物悲しそうな視線を向けて、アンドレたちがいるギルドカウンターへと近付いてきた。


「貴方がギルドマスターですか? 少々お尋ねしたいことがあるのですが」

「如何にも俺が此処のギルドマスターだが……まさか、魔王討伐を成し遂げた英雄様直々においでになさるとはな」


 アンドレが発した『英雄』の一言に、カムイは目を見開いて青年の顔を見上げた。

 こんな綺麗なお兄さんが、英雄だって……?

 青年は、かなり見目麗しい面持ちをしていた。顎が細く、やや太目の眉はきりっと引き締まっており、睫毛も長い。男臭さをまるで感じさせない独特の雰囲気がある。声を聞いていなかったら、ひょっとしたら女性に見間違えていたかもしれない、それくらいの美形だった。

 武器も持ってないし、こんな見た目の人物が魔王を倒した英雄だとはとても思えなかった。


「それで、英雄様が一体此処に何の用なんだ?」

「実は……各地で魔物の数が爆発的に増える現象が起きているんです」


 青年は語り始めた。

 それによると──まるで何かに引き寄せられているかのように、突如として大量の魔物が出現する現象が頻発しているらしい。

 それはかつて魔王の居城があった場所から、徐々にポイントが東にずれていくように起きているとのこと。

 青年は僅かに視線を伏せた。


「今までに現象が起こってきた場所から統計を取って予測すると、次はこの辺りで起きる可能性が高いんです。ここ最近になって急に見慣れない魔物の姿を見るようになったとか、群れをよく見かけるようになったとか、そういうことは起きていませんか?」

「うーん……さあ、なあ。何かあったら此処に出入りしてる冒険者たちが何かしら言ってくると思うんだが、そういう話はまだ聞いてないな」

「……そうですか」


 青年は微妙に肩を落とした。


「……だとすると、これから近いうちに事が起きる可能性がありますね。確かこの街には、すぐ近くに森がありましたよね? もしかしたら、その中で既に何かが起きているかもしれません。念のために調査をしてみたいのですが、入っても構いませんか?」

「ああ、それは構わんが……」

「ありがとうございます」


 頭を下げる青年を見つめながら、カムイは思った。

 この青年が魔王を倒した英雄の一人であることは、アンドレの様子からしても間違いなさそうだ。

 武器を何ひとつ持っていない状態でどうやって魔物と戦って倒すのかは分からなかったが、きっとこの男には想像を絶するような力があるに違いない。

 是非とも、見たい。その力を間近で体験して、教わってみたいと思ったのだった。

 カムイは、こうと思い立ったら必ず行動に出る少年だ。胸の内に秘めた大きな夢が絡んでいることもあって、彼の思いつきに歯止めをかけるものは存在していなかった。


「あ、あのっ!」


 彼は青年に向かって大きな声を発した。

 青年が怪訝そうにカムイの方を向く。

 淡い紫色の瞳に、カムイの姿が映っている。それを見つめ返しながら、カムイはどきどきと高鳴る心臓に掌を当てて言ったのだった。


「オレを……弟子にして下さいっ!」

「……え?」


 青年はぽかんとして、間の抜けた声を唇の間から漏らした。

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