蒸気都市の掟

翠翁

 旅たち 

 

 その世界は蒸気と歯車によって動いている。

 

 決して止まらない。騒がしく動いている世界だが、そこには人々の活気と美しさがある。


 そんな世界に、ある蒸気都市があった。道は石畳で舗装され、道に立ち並ぶ建物は赤煉瓦で建てられている。都市じゅうに工場があり、煙突が立ち並び、延々と黒い煙を吐き出している。出店が至る所に並んでいて、人々が犇き合っている。


 蒸気都市の端に、一つの工場がある。そこは、金属の加工場で、多くの機械が動く。それらの動力は一つ。工場の心臓部である。

 その心臓部は、蒸気機関部と大小の歯車が複雑に組み込まれていて、とても大きく、精密なものだった。それゆえ細かな整備が毎日必要であった。しかし、そんな所で、仕事のできる大人はいなかった。この心臓部は狭すぎたことで、大人では入ることすらできなかったからだ。。

 そこで仕事をするのは二人の兄妹だった。小柄な兄が十四歳、妹は、十一歳。子供ではあるが、この心臓部の整備を任されるほどの技術と信頼をこの兄弟は持っていた。

 そして、その兄妹は、いつも明るく、大切な仲間だと大人たちから可愛がられてもいた。

 


 そんな兄妹の兄、ユエルには、一つの夢があった。それは、飛行船に乗り、世界中を旅するというもの。その世界の男の子ならば誰もが持つ夢だろう。しかし、その夢をかなえるには、莫大なお金と時間のかかるものだった。とても彼には用意できな物であり、到底届くものでもなかった。

 親は、というと、兄妹が幼いころに流行り病いで死んでいた。

 そのため、妹のミリエを遠い親戚に預け、ユエル一人、仕事をしなければならなかった。その時、ユエルはまだ七歳だった。そんな幼い彼を雇う所などなかった。そもそも、この世界では、十歳にならなければ、ほとんど雇われることはないからだ。

 とはいえ、幼くして孤児となる子供も少なくない。そんな子供たちの行く末は悲しいものだ。スラム街で死を迎えるか、攫われ、奴隷として生涯を終えるか。

 そんな中で、ユエルは運よく一つの仕事を見つけた。それがあの工場での仕事だった。工場で一人だけの整備士がそろそろ仕事ができなくなるので、体の小さな整備士が必要となっていたのだ。それからユエルは、先輩整備士に手取り足取り整備士としての仕事を教わった。そして、その仕事を継ぐことになったのだ。

 工場で働くことになってからは、工場の寮に入れてもらえたことで、親戚の家にも頼る必要はなくなった。そのせいでミリエと会える回数は格段に減ってしまった。

 そのため、いつもミリエと会う時は泣きつかれた。生活がつらくて、毎日が寂しいと。ミリエはまだ五歳で両親を失い、兄とも生活できない。さらには、親戚と言えど見ず知らずの人の家で生活しなければならない。兄の知らないところでは、ミリエは十分な食事を与えられるわけもなく、日々、幼いながらも労働に従事していた。そんな生活の中で、ミリエの心はひどく痛めつけられていた。ミリエが六歳になった時、一緒に過ごしたいとミリエは兄へ強く頼んだ。ユエルの働く工場の大人達にもそれを勧められ、兄妹で働き、ともに暮らすことになった。

 兄妹で、働くことになってから、二人には笑顔が増えた。

 家族で過ごすという時間を手に入れた二人は幸せというものをつかんでいく。

 そんな日々が続いていった。


 冬のある日、飛行船がこの蒸気都市に訪れた。飛行船の機関部が壊れたというのだ。何人もの整備士が修理を試みたが、上手くいった者はいなかった細部には手が届か無かったのだ。飛行船の乗組員は小柄な整備士を求めた。そして、ユエルとミリエの存在を知ることとなった。

 飛行船修理の依頼が兄妹のもとにやって来たとき、二人は工場での仕事があると言って最初は断ったのだ。だが、自分たちしかできないことだとを知ると、兄妹は人助けという気持ちで仕事を受けることにした。

 修理は順調に進んだ。作業の合間に兄妹は、乗組員たちから、飛行船での旅の話を聞くこともできた。ワクワクとした乗組員の話は、狭い蒸気都市しか知らない兄弟の心を揺さぶった。

 ユエルはその世界へのあこがれを強め、飛行船での旅に再び惹かれていった。


 そして、全てが変わる一言がかけられた。

 それは、修理がほとんど終わり、あと数日で飛行船は出発。という頃の夕方だった。兄妹は帰り際、飛行船乗組員のリーダー、トルエに声をかけられる。 

「すまないね、ちょっといいかな。この心臓部は、君たちに直してもらったが、応急処置に過ぎない。そのため、制作団体へ一度メンテナンスなどをしてもらわなくてはならないのだ。しかし、その団体のある都市はあまりにも遠くてね。行くまでに相当時間がかかってしまう。それまで、整備士が必要なんだ。そこで、二人、あるいは二人のどちらかには一緒にその都市まで来てもらいたい。これは、明日までに答えを考えておいてほしい。急な話ですまないが、君達の他に整備士を見つけることができなくてね。」

 そう言われたのだ。ユエルには、自分の夢をかなえるチャンスが訪れたと感じた。これを逃してしまえば、二度とこんなチャンスは無い。それがユエルを揺さぶった。過去にあきらめた夢が、叶うというのだ。工場の仕事もある。妹のこともある。でも、そんなことじゃ抑えきれない何かがユエルの中で燃えた。日々見る火炎炭が燃える光景。そんな物よりもっと熱く燃え、激しくうねっては体を興奮させた。


 そうして、ユエルは一つの決断をした。自分の夢をかなえる、と。

 翌日、それを妹と工場の人達に伝えたが、全員からの反対を受けることとなった。ミリエはずっと泣きじゃくっていたが、最後は兄によって説得された。最後まで反対してきたのは、工場の人達だった。


「仕事を放り出す気かい。」

 

「トエルさん達は僕か、妹のような小さな技師を探しています。でも、二人はいけない。だからここは僕が兄として……。仕事のほうは、妹に任せても大丈夫ですから。」


「本気で言っているのか。それだけの理由でそう決めたと……。違うだろ?」


「僕は、僕は見てみたいって思ったんです。広大な世界を。まだ知らない未知を。諦めることは出来そうもないんです。体が燃えて、空が僕に飛べって言うんです。だから、行きたいんです。絶対に……」


「夢、か。だが、此処での仕事があって、どちらか一人しかいけないとしても、ミリエを一人残してか。」


「それは……妹を信頼してるから。妹はもう十二歳になります。もう整備士として一人前です。なにも心配することはないです。それに、工場の皆さんもいますから。」


「俺たちのことを信頼してくれるのは嬉しいが、そう言う問題じゃないだろ。たったミリエはたった一人の家族に会えず何節(一節、約四十日)生活すると思ってるんだ。それこそ、一緒に暮らそうってなったのも、一人にさせ宅なかったからだろ。まだミリエは十二歳だ。その歳で一人で生活するなんて、とてもじゃないが耐えられるわけがない。それは、信頼とかでも、絆とかでもどうしようもないだろう。家族は寄り添ってこそ、支えあってこそのもんだろう。」


「だけど、妹はそんな生活を一度、耐え抜いて見せた。ミリエは強い子だと、そう僕は信じていますから。」


 ユエルは言葉だけを並べた。夢を前にして全てがおろそかになり、判断力などとうに欠け落ちていたのかもしれない。だから、どんな言葉でも、すらすら流れる出るのだ。それは工場の人達でもどうすることもできないほどだった。


「そうか……。ならもう一回、兄妹で話し合いな。」


「はい。」


 そうして、もう一度兄妹で話し合いをすることとなった。

 一度、ユエルは、妹を説得できたが、二度目となるとなかなか話し合いは進まなかった。

 ユエルは夢を叶えたいと妹に情けないほど、頼み込んでいた。それだけ、夢に魅了されていた。ミリエはそんな兄を見て、一人、誰ともわからない人々に囲まれて生活した幼少期を思い返す。孤独。それはミリエが最も恐れ、嫌い、拒絶するものだった。だが今は、兄とともに暮らし、その孤独と言う恐怖にさいなまれることは無くなった。それなのに、再び、孤独と言う物が忍び寄る。だが、ミリエは頼み込む兄の姿を前にして、嫌だとは、言えなくった。だから静かに、ミリエは「いいよ」とだけ言うのだった。それからも色々あって話し合いは長引いた。

 兄妹の住む部屋から声と光が漏れなくなったのは、人々が寝静まったころだった。


 翌日、ユエルは、トルエに昨日の答えを伝えるため、朝早くから家を出ていた。

 話し合いは、飛行船内でされた。

 ユエルが制作団体のいる都市までの整備をする意思を伝えたのち、話し合いが行われた。ユエルは夢に胸を高鳴らせ、聞き落としていることも多かった。その重大さに、気づくこともまた、できなかった。



 それから出発までの間、ユエルはミリエの十二歳の誕生日会をした。これから数十日会えなくなるので、少し盛大に。ユエルの送ったプレゼントは、お守りだった。精霊の力のこもる結晶のペンダントだった。人と人をつなげる精霊の力。きっと数十日離れる兄妹のことも繋げてくれるだろうと、ユエルはそのペンダントをミリエの首にかけた。二人の笑い声は、夜遅くまで聞こえた。


 ついにその日はきた。ユエルは朝から興奮していた。一度は忘れた夢、それが叶う時が来たのだから。ユエルは逸る気持ちを抑え、工場の人達に挨拶をすると、旅に出る前最後の時間は妹と過ごした。


 二人は最後にに約束をした。

 ミリエは立派になった姿を、兄が帰って来た時に見せてあげると。

 兄は旅した先々の高価な写真を今回の仕事の報酬で。お金が足りなかったら何をしてでも買ってきて見せてあげるからと。


 二人は再開するその時まで、お互いを信じ、頑張ろうと誓いあった。


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