侯爵令嬢のご依頼 4

 ジーンの雑貨屋は、魔道具から日用雑貨まで幅広く商っている。

 所狭しと丁寧に並べられた商品は、どれも個性的だ。

 荷物を抱えてレグルスと、店に入っていく。ちょうど他の客はおらず、奥で退屈そうにジーンは椅子に座っていた。

「キャー、アリサ、何その服? すっごく可愛い!」

 ジーンが私の格好を見るなり、そう言った。

「……ちょっと、事情がありまして、弟の勤め先の制服です」

 リゼンベルグ家の侍女服は地味ではあるが、センスは良い。確かに、可愛いデザインで、しかも、制服だけにあまり着用者を選ばないオーソドックスさがある。

 普段、男装しかしていないから、ジーンには新鮮に映るのだろう。

「そこいらの男どもに見せたら、狂喜するわよ。貴女が、その格好で枕を売ったら、大行列になるかも」

「却下。絶対ダメだ」

 商品を持ってきてくれたレグルスが、即答した。

 ジーンが不思議そうに、レグルスを見る。目が、私にその男は誰だと問うている。

「ジーン、こちらは、有名なレグルス様。」

「えーっ! わ。嘘。あの、レグルス様?」

 ジーンはあたふたと、手ぐしで髪を整えた。そんなことをしなくても、彼女は十分綺麗なのになあと、私は思う。

「ジ、ジーンです。アリサからお噂は聞いております。お目にかかれて光栄です」

「よろしく。それにしても、どんな噂か気になるな」

 レグルスはにっこり笑いながらそう言った。有名な美形の勇者さまに微笑まれて、ジーンは真っ赤だ。

「アリサは、オレのこと、他人にどう話しているの?」

「……そう言う言い回しをすると、私とレグルス様が、『他人』じゃないみたいに聞こえます。やめてください」

 私が釘をさすと、レグルスは面白そうに私を見た。

「オレ、アリサの命の恩人だろ? 他人扱いはヒドイと思うが」

「そうですが! もちろん、感謝はしておりますけども! お願いですから、ご近所様で誤解を招くような発言はやめてください」

 私が必死でそう言うと、レグルスはにやりと笑う。完全に遊ばれている。

「アリサって、相手が有名人様でも、本当に平常心なのね……」

 ポツリとジーンが呟いた。

「そうだな。アリサは、オレが初めて店に行ったとき『そんな有名人が来るとは思わなかった』とは言ったけど、ずいぶんあっさりしていてね。オレの名前聞いて、あそこまで平然とした態度を取られたのは、久しぶりだった」

 う。えっと。そうか。彼にとって、他人(特に女性)とのファーストコンタクト時のリアクションは、先ほどのジーンのように、真っ赤になって彼に見惚れるというのが、正解なのだろう。

「すみません。幼少時より、相手によって態度を変えると父に叱られましたので」

 私は肩をすくめた。それに、感情の起伏も、人に比べ乏しい自覚もある。

「クラークさん、結構、厳しいものね」

 ジーンがくすりと笑い、賛同してくれた。

「確かに人当たりに多少の違いはあるが、ロバートもそういうところがあるな」

 納得したようにレグルスが呟く。

「ところで、どうしてアリサが、その服で枕を売ったらダメなんですか? 大当たりしそうなのに」

 ジーンは少しいたずらっぽい笑みを浮かべ、レグルスに問いかけた。

「第一に、アリサは営業に向いていない」

 ぐうの音も出ない正論である。

「第二に、寄ってきた男のあしらい方を知らない」

 そ、そうかも。実によく見抜いていらっしゃる。

「そこまではっきり否定されると気持ちいいです……でも、どうせ誰も寄ってきませんから、その仮定は無意味です」

「あら。そんなことないわよ」

 首を振る私にジーンはにっこりレグルスに向かって微笑む。

「第三の理由はおっしゃらないのですか? レグルス様」

「今はね」

 にやりとレグルスは口の端を上げた。


 ジーナの店で納品と商談が終わると、アッカスさんの布地屋によってリゼンベルグ家へと戻ってきた。

 少し寄り道をしたせいで、日が傾き始めている。荷馬車は、門をくぐり、車止めへと向かう。

「あれ?」

 車止めに、人が立って、じっとこちらを見ている。

「はーっ。心配性だねえ、アイツも」

 御者台で、レグルスが呻いた。

「随分、遅いじゃないか」

 馬車が停まり、私が荷馬車から降りると、ムッとした顔のイシュタルトと目があった。軍服を着ている。仕事から帰ってきて、まだ着替えもしていないようだ。

「申し訳ありません」

 私は慌てて頭を下げる。

「オレがついている。心配ないだろ」

 ひょいと、馬車から降りたレグルスが私の側に立った。

 また、変なライバル的火花が散らされている。勘弁してほしい。

「アリサだって、たまにはオレとデートして楽しみたいさ」

 レグルスの腕が、後ろから伸びて、突然、肩を抱き寄せられた。

「レグルス様――ご冗談はやめてください」

 どうしてこの人は、イシュタルトの前でだけ、こういう事をするのだろう。

私は、レグルスを睨み付けた。イシュタルトは、冷たい目で私とレグルスを見ている。

「お二人がライバルなのは承知しておりますが、私を巻き込まないでください」

「それは無理」

 レグルスはそう言って、私の耳にキスをした。

 彼には、そういうことはされないとどこかで思っていたせいで、完全に油断していた。身体がびくりと震える。

「アリサは、本当にニブイな」

 レグルスは、にやりと笑って、私の身体を離してくれた。

「これは、所有権争いだから」

「は?」

 何の? 私? 文脈的には、私が元凶のようですが、どういうことでしょうか?

「――アリサで遊ぶな」

 イシュタルトが怒りを込めて呟く。

「遊びなら、もっと楽な相手とするさ」

 にこやかにレグルスは微笑んで、手を上げて帰っていった。

 意味がわからないまま、私は彼を見送る。

「……どこへ行っていた?」

 イシュタルトが冷たい声で私に問いかける。

「納品のついでに、布地屋さんに寄ってきました。あの……ご心配おかけしました」

 私は、素直に頭を下げた。

「布地屋?」

「はい。ロバートに男装を禁止されたので、服を作ろうかと」

 私は荷馬車に積まれた布を指さした。もっとも、自分の服を作る以上に買いこんでしまった。まだ数日、この屋敷で過ごすと思ったら、普段作らないものを作りたくなってしまったのだ。

「……そうか。すまなかった。用意すると言っていたのに」

 イシュタルトはふーっとため息をついた。

「いえ。あの。用意していただいたドレスはどれも素晴らしいのですが、私が着るのは勿体なくて」

 私は慌てた。イシュタルトが、私の為に令嬢のようなドレスを用意してくれたことは嬉しかった。ただ、仕事をすると動きにくいし、やっぱり居候の身分で、高級ドレスを身にまとうのは恐れ多い。

「この侍女服も可愛くて気に入っています。似合ってはいないとは思いますけど……」

私がそう言うと、イシュタルトは私の手を取った。

「とてもよく似合っている。我が家の侍女服も捨てたものじゃない、と思った」

 イシュタルトの声が甘く、私の身体に沁みてくる。掌から感じる硬いイシュタルトの手の感触に胸が騒いだ。

 いけない、と思う。この前、イシュタルトと「お芝居のキス」をしてから、どうにも私はおかしい。

「あまり、その格好で外を出歩くな」

 闇色の瞳が私を見つめる。胸がドキドキした。

「他の男に見せたくない」

 イシュタルトの唇が私の手に落ちる。私は身体が固まった。

 頭の中が真っ白になる。ダメだ。落ち着け、私の心臓! でも、なぜ? 今はお芝居をする必要はないのに。

「……ラクセル、少しは気を利かせろ」

 イシュタルトの声が不機嫌になる。顔を上げたイシュタルトの視線の先を追うと、いつの間にきたのか、執事さんが目線を合わせないように立っていた。

 私はイシュタルトに手を取られたままなのに気が付いて、顔が熱くなる。

「申し訳ありません。お荷物を降ろさねばと思って出てまいりました。まさかイシュタルト様がいらっしゃるとは思ってはおりませんでしたので」

 無表情な執事さんの視線が痛い。恥ずかしさについ視線を外して。

 急に、頭が冷静になった。イシュタルトは――麗しの保証人様は、『紳士』なのだ。紳士だから。そして、腹心であるロバートの姉だから、敬意を持って扱ってくれているのだと思い至る。勘違いはしてはいけない。

「アリサ、冷えてきただろう。中に入ろう」

 イシュタルトに握られたままの手を引かれた。嫌、ではない、けど。その意味がわからなくて。

 ふと、その手元に目が行く。袖口のボタンが緩くなっていた。

「イシュタルト様。あの」

 私は、握られたままの手を持ち上げ反対の手で袖口に触れる。

「ご迷惑でなければ、私に繕わせて下さい」

「え?」

 イシュタルトはボタンに気が付いたようだ。

「お屋敷には、こういったことを専門にされている方がいらっしゃるかもしれませんが、私も、少しはお役に立ちたいです」

 本来は債務者の分際で、タダメシ食べて、お姫様のように扱われているのは、心苦しい。

「わかった。アリサに頼むことにする」

にっこりイシュタルトは微笑んだ。

勘違いしてはいけないのに。胸が再びキュンと苦しくなった。


「アリサは不用心だな」

 イシュタルトはソファーに座りながらも、どこか落ち着きがない。

 手を引かれたまま、イシュタルトが私にあてがわれた部屋まで送ってくれたので、ボタンを直すからと私は彼に部屋に入ってもらった。

 部屋には、もう魔道の明かりが灯されていて、とても明るい。

「何がですか?」

 私は作業用にしている椅子に腰かけて、針に糸を通す。

「普通は、未婚の女性は未婚男性と二人きりになるとき、ドアは閉めないものだ」

 キョトンとした私と目が合うと、イシュタルトは頬を染めた。

 どうやら、部屋に入るとき、私が扉を閉めたことを咎めているらしい。

「申し訳ありませんでした。すぐに終わりますから、お気になさらず」

 私は、そのままボタンをつけはじめる。

「いや――俺は別に構わないのだが」

 うちの店で二人きりになるのは平気なのに、自分の家では気まずいらしい。

「イシュタルト様が気になるなら、開けてきますけど、すぐ終わりますが?」

 私は手をとめ、イシュタルトに訊ねた。

「……アリサが、構わないなら、このままでいい」

 私は苦笑した。

「私は貴族のご令嬢ではないのですから、気にしないでください。それに、男性と二人きりって、店ではよくあることですよ? 」

「え?」

 私の言葉に、なぜか、イシュタルトが絶句する。

 父が店を留守にして、私が店番をするのは日常茶飯事だ。

「だって、うちのお客様は男性ばかりですから」

 私はボタンをつけ終わり、糸を切った。針を針山に戻し、直した場所以外も一通りチェックする。

「できましたよ」

 イシュタルトは、軍服を受け取ると、ゆっくりと袖を通す。

「アリサ」

 名を呼ばれ、突然抱き寄せられた。息が苦しくなるくらい強い力で抱きしめられる。

 広い胸板に身体を押し付けられ、胸が破裂しそうだ。

「男と二人きりになるときは、もっと用心しろ」

 イシュタルトはそう言って、私の額に唇をおとした。

 そして、名残を惜しむように、ゆっくりと私の身体を離した。

「今日は、ロバートも一緒に食事をとるから、お前も夕食に来い」

 何事もなかったかのように、イシュタルトはそう告げて、扉を開けて出ていった。

 私は、額に残る柔らかな感触に、顔が熱くなる。

 唇のキスもしたことがあるのに、額のキスでこんなに動揺する自分は変だと思う。

 イシュタルトは、本当に、女っ気がない人なのだろうか?

 少なくとも、女嫌いではないだろう。

 私は貴族令嬢じゃないから、気楽に遊べるってことなのだろうか。

 こんなことが続いたら、自分の気持ちをコントロールできなくなってしまいそうだ。

 私は額に手を当てたまま、茫然と座り込んだ。

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