第85話 脱出

 今、俺たちがいる場所はクララックのそばの草原だ。外壁には近いが、街道からは少し距離がある。辺りには大きな岩や身の丈以上の薮が点在して、見通しも悪い。


 クリスタとポチを見送ってから、穴の中の物資を運び出す。隠しておいた場所から少し離れたところに、まずはテントを立てた。そのテントに着替えや携帯食を運び込んでおこう。待ってる間は暇だからな。

 武器はひとまずそのまま置いておけばいいか。数が多いので動かすのも手間だ。

 そうしていると、頭の中に声が響いてきた。


『リクさん、アルさん、聞こえますか』

「ああ」

「聞こえるぞー」


 これはクリスタの新しく得た力『遠話』だった。遠くにいる特定の人物と会話する魔法は非常に珍しいものだ。魔法にたけた魔族の中にはできる者もいるという話だが、長距離になるほどに難しい。

 クリスタが遺跡で手に入れたピアスには、体の中の魔力を外に出して魔法として活用する効果がある。特にそのピアスは耳や目などの感度を高める魔法と相性が良かった。


『無事、宿舎のみんなと接触できました。脱出の計画も伝えて、みんな納得しています。トファーも、無事です。本当に、本当に、ありがとうございます』

「礼を言うのは早いぞ。まだこれからだ」

『は、はい。では可能な者から順にそちらに送ります』


 クリスタの声が途切れて少しして、転移陣があわく輝く。後ろに下がって剣を手にして待っていると、年老いた女が二人現れた。

 俺の剣を見て一瞬顔が強張るが、アルの方に顔を向けると驚いて目を見開く。


「あんた……もしやアル坊かい?」

「イリスばあさん、生きてたのか!」

「生きてたさ。ヘンルッカもカティも元気だよ。レーアは……死んじまったが」


 レーアという女がアルの大切な人だったのか。

 イリスはアルの顔を見て、すまなそうに目を伏せた。

 一瞬言葉を詰まらせたアルだったが、その話は奴隷時代に聞いていたのだろう。平静を保っている。


「ああ……。その話は俺も聞いてるぜ」

「すまないねえ」

「ばあさんが謝ることじゃねえさ。ところで他の皆は?」

「じゃあ私が皆を呼びに戻りましょうね」


 黙っていた方の老女が、転移陣を起動してもう一度向こうへ行った。


「疑ってすまなかったね。罠の可能性も考えて、老い先短い私らが先に偵察に来たのさ」

「さすがだぜ、ばあさん」


 アルがイリスをさっき張ったテントに連れて行ってるうちに、転移陣から第二陣が次々と姿を見せた。みんな、大きな荷物を持っている。


『リクさん、アルさん、聞こえますか?』

「ああ、聞こえてる」

『こっちは今、祭りのために食事を作っているところでした。出来上がった食事を受け取りに、何度もアルハラ人が宿舎に来ています。なので普段ここで中心になって働いている者たちはもう少しここに。アルハラ人にバレにくい時間を狙います』


 クリスタからの遠話だ。

 その最中も転移陣は途切れることなく、次々と人を吐き出していく。

 第二陣でこっちに来たのはおよそ百人。その半数以上は老人や子供だが、怪我で引退した元剣闘士や若くて元気そうな女も混じっている。

 中には俺のかつての剣闘士仲間もいて、かなり驚かれたが互いに無事を喜んだ。


 そうしていると、三十過ぎくらいの女が一人、俺に近付いてくる。

 彼女はテントで、簡易な革鎧を身に着けていた。


「あなたが今回の脱走の手配を?」

「ああ。リクハルドという」

「あら、すまないわね。挨拶も後回しになってしまって。私はセラフィーナ。この集団の、えっと、一応代表のようなものと思ってちょうだい。これからの予定は?」


 埋められていた荷物の中から地図を取り出して、セラフィーナに見せた。


「今いるのはここだ。北西に向かえば最短で森に帰れるが、歩けば普通でも数日かかる。西のイデオンに向かえば国境を超えるまでに早くて一日、子供がいても二日目の昼には着くだろう」

「今のイデオンは安全なの?」

「イデオン全体の保証はできないが、ここから西にまっすぐ進んだ国境沿いの村には、協力者が待っている。この村だ」

「食料は?私たちも持ってこれるものは持ってきたんだけど、保存食は少なくて」

「そこの袋の中に。十分ではないが、足しになるだろう」


 セラフィーナはその他にもいくつか端的な質問を繰り返して、納得すると百人を五つに班に分けた。

 セラフィーナ達が向かう予定の国境沿いの小さな村には、カリンが待ってくれている。もちろんその村は百五十人もの森の民を全員受け入れるほどの規模はない。俺たちの最終目標はイデオンではなく、イリーナの森だった。

 その村で待つカリンの案内で、イリーナの森まで転移する。あの廃村を拠点に、もう一度森の中に俺たちの国を作ろう。それが俺たちの計画だった。

 セラフィーナにもそれは伝える。


「そうね。数人で逃げたのならイデオンや他国に紛れてもいいけれど、この人数だと拠点があったほうがいいと私も思う」

「廃村にも十分とは言えないが、二百人分の保存食料を数日分と資材を用意している」

「何から何まで、すまないわね。この借りはいつか必ず返すわ」


 そう言うと、彼女は皆のところに戻って、今の状況を説明する。ある程度の話は迎えに行ったクリスタから聞いていたらしく、話は落ち着いて受け入れられていた。

 全員が動きやすい服に着替えて戦える者たちが武器を手に取ると、セラフィーナが言う。


「私たちは先に出発します。宿舎に残った者たちにそれを伝えられますか?」

「ああ。ちょっと待ってろ。クリスタ、クリスタ聞こえるか」

『はい。何かありましたか?』


 頭の中で強くクリスタを意識して呼びかけると、返事があった。

 これはラビの島で特訓をしていた時に何度も練習してようやくできるようになった技だ。今のところ、俺とアル、リリアナの三人しか使えない、クリスタに対してのみ有効な遠話なのだ。


「先に来た百人はもう出発するそうだ」

『分かりました。こちらの責任者にそう伝えておきます』


 クリスタの返答を伝えるとセラフィーナは頷いて指示を出しに戻った。

 五つのグループにはそれぞれ、元剣闘士や若くて元気のある女が数人付いている。彼らに武器が行き渡ると、最初のグループが出発した。


「あの……」


 一人の痩せた少年が駆け寄ってきた。


「あの、姉さんに聞きました。姉さんを助けてくれてありがとうございます」

「ん? ああ、もしかしてクリスタの?」


 双子の弟クリストファーは、病弱だと聞いていた。いま見たところ、細いが元気そうだ。


「僕は魔力操作があまり上手にできなくて、小さい頃はそれでよく寝込んでいました。最近ようやく思うように魔力を操れるようになって、普通に過ごせるようになりました」

「そうか。クリスタも心配していたぞ。良かったな」


 そう声をかけると、クリストファーは少し沈んだ表情をみせた。


「もう少し体力が付いたら、僕が姉に代わって剣闘士になろうと思っていたんです。でもみんなが、一度戦力に数えられた姉さんがこっちに戻ることは無いだろうって。元気になったことはまだ奴らには内緒にしたほうがいいって言われて。そのうち姉さんは勇者になって、死地に」

「クリスタは無事に帰ってきたんだから、もう悩むな」

「……はい」


 素直にうなずくと、手に持った短剣を見せてきた。


「姉さんほどではありませんが、僕も戦えます。僕達はきっと無事にイデオンに辿り着きます。リクさん、姉さんのことをよろしくお願いします」


 クリストファーとそんな話をしているうちに、第一陣の支度ができたようだ。

 森の民の一団は、早朝からの突然の展開に不安そうな表情を浮かべながら、それでも力強くイデオンに向かって歩き始めた。

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