第72話 (番外編) 森の民の指輪 

  ――アルフォンス――


 あの日まで、この指輪の持ち主は、おふくろだった。


「アル、先に行って!」

「おふくろも早く!こっちだっ」

「アル、あっ……」


 燃え上がる家から逃げようとした俺とおふくろだったが、外に出たとたんに牽制のために射かけられた矢が、運悪くおふくろの胸を貫いた。

 アルハラ兵は、次々と家に火を放ち、逃げ出す俺たちを捕まえている。百人にも満たない小さな集落を襲うには不似合いな、大勢のアルハラ兵だ。一人も逃さぬようにと、家の周囲は隙間なく囲まれた。

 その光景に全てを諦めそうになる。だが逃げる前におふくろから手渡された指輪が、俺の気力をかろうじて繋ぎとめた。


 駆け寄ってきた数人のアルハラ兵を蹴り、殴り倒す。魔力を体中に巡らせた俺たちは、アルハラ人に比べれば強い。一対一で負ける気はしない。だが彼らには数の力があり、バラバラに逃げ惑う俺達には対抗し難い。俺はいったん近くにあった木の上に逃げたが、そこまでだった。火は周りの木々に燃え移り、足元には十数人ものアルハラ兵が蠢いている。

 そいつらを木の上から眺めながら、俺はベルトに挿していた小さなナイフを左手に突き立てた。

 この指輪は渡さねえ。あいつらにとってはただの銀の指輪だろうが、これはこの村の長の印。赤い大樹の一族の持つべきものだ。

 俺はこの時正式に長に就任してたわけじゃねえが、次期長としての準備はすでに終えていた。おふくろが死んで指輪を受け継いだ今、俺には責任があった。まだ生き残っている村人がいるなら、俺がそいつらの希望になろう。いつかみんなで自由を手に入れよう……。


 だが長い奴隷生活では、望みもいつしか消えてしまいそうになる。そんな頃、偶然にも俺はとつぜん自由を手に入れた。

 それは本当に思いがけないチャンスだった。たまたま俺が働かされていた現場に、何も知らずに森の民の同胞が踏み込んできたんだ。

 街中にダンジョンを作るという怪しげな儀式の準備中だった。同胞のやつもさぞかし驚いたことだろう。混乱に乗じて俺は一人、そこから逃げ出すことにする。家の壁をぶっ壊したときの同胞の顔は、笑えた。こんな街中に家を構えて、いいご身分だ。さぞかし甘々な環境に育ったんだろう。


 そう思っていたのに、実は奴は俺の倍もの時間、奴隷として囚われていた。挙句の果てに勇者に仕立て上げられて魔王城に放り込まれたという。

 勇者候補の連中の訓練は過酷らしいから、それならば、さぞかし鬱々と恨みを溜めているのか? と思いきや、お気楽にも魔王を連れ歩いて旅してやがる。


 なんだ、ただ運がいいだけの若造か。だが腕はいい。いざという時の思い切りもいいし、石のドラゴンと対面したときは俺たちを守ろうとあの巨体の前に躍り出た。あんなお気楽そうなやつなのに、俺の欲しいものをすべて持っている。

 俺が散々探して見つけられなかった遺跡の入口を、いとも簡単に潜り抜ける。仲間に囲まれて笑い合う。イデオンの首都に立派な隠れ家も持ってやがる。

 幸運に恵まれたやつは、こうも違うのか。

 運ってやつは全く……。


 幸せそうに笑う奴を見ていると、むくむくと胸の内に嫉妬が膨れ上がる。なのに奴はそんなことに気付きもしねえ。まっすぐな瞳で俺に『待ってる』なんて言った。


 お人好しで甘ちゃんだ。

 だが悪くねえ。奴の側にいたら幸運のおこぼれを貰えそうだしな。

 ちっ。

 情けねえ。

 だが……どんな情けない真似をしても俺は力が欲しい。

 囚われてる同胞のうちのたった一人でも二人でもいい。俺の力で絶対に解放する。そのためには今よりもっと、もっと力が必要だ。


 遺跡の石のドラゴンは馬鹿馬鹿しいくらい強い。俺一人じゃあ、とてもじゃないが太刀打ちできん。だがそれは奴らも一緒だ。どうせ協力しないと勝てないしな。せいぜい俺自身を高く売り込むとするか。


 おっと。ようやく人気のないところに入ったぜ。

 俺の目の前を歩いている商人風の男は、人目を忍ぶようにさりげなく、夕闇に沈む路地に吸い込まれた。商人に偽装しているが、こいつは黒マントの組織の一員だ。

 俺もあの組織じゃあ散々いいように使われたからな。イデオンとアルハラの二国だけで十近いアジトを知ってるのさ。アジトを見張っていれば、こうして奴らを見つけられる。

 おや、男が振り返った。

 ちっ。

 もう少し上手に尾行しねえといけねえな。


「お前、さっきから俺の後を何で……うっ……」

「わりいな。借りは返させてもらったぜ」


 すれ違いざまにてめえの腕を切ったナイフには、魔獣からとった毒が塗られてるのさ。てめえらも時々使ってるだろ。って、もう意識もないか。すぐには死なねえだろうが、仲間が解毒剤のことを知ってたらいいな。

 無理か。ははは。

 毒のことを知ってても、準備できる前に死ぬだろう。


 この毒の精製も、その素材になる魔獣を捕まえるのも俺がやらされた。毒虫ばっかのクソ危険な場所でな。おかげでこうして、俺は攻撃手段を手に入れたって訳だ。

 ありがとよ。


 アジトを襲う?そんなことはしねえ。敵の隠れ家ってやつは、知らねえ場所にあるより、知ってる場所にある方がずっと便利だろ?


 さーて、移動だ、移動。

 同じ場所でずっと張ってて、アジト知ってるってバレたらもったいねえからな。

 春までにあとどれだけ、こいつらの数を削れるか。


 宿に向かって歩きながら、左手の小指にはめた指輪にちらりと目を落とす。

 銀の指輪には、大きく枝を広げた木と真っ赤な魔石がはめ込まれている。

『赤い大樹の一族』、俺の一族。

 囚われていたころは、いっそ全員死んだほうがましだとさえ思っていたが。


 ……もうちっと、頑張ってみっかな。

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