第51話 魔の森
「森に入るものは居ないのう」
「はい。昨日聞いたところによると、魔の森に冒険者たちが多く入るのは春から夏にかけてのようです」
春先に採れる木の芽は薬の素材に、春から夏にかけて現れる小型の魔物は皮が高級素材として高く買い取られる。晩秋から冬に入ったこの時期はそういった金になるものもなく、ほとんど
リリアナとカリンと三人で朝早くに街道に出て、魔の森へ向かう分かれ道に入る。そこから先は、すれ違う人もいない。
森は木々が生い茂り薄暗いが、それでも獣道のような細い道が遠くまで続いていた。この道は森の縁をなぞるように東に進み、アルハラとの国境の手前まで行ける。主に狩りや採取に入る人々が使う道だ。
森の中には俺が住んでいた頃は、いくつかの森の民の集落があった。集落はアルハラの奴隷狩りを避けるように、この道よりも少し奥まった場所にある。そして、見つからないように転々と移動していた。なので今はどこにあるのか分からない。
できることならば、家族や村の仲間たちの無事を確認したいと思うが、広大な森の中で隠れて生きている一族の村に、偶然辿り着く可能性はないと言いきれる。
「それでも、いつかは会えるものじゃ。心のどこかで求めていればの」
「そんなものかな?」
「ふふふ」
リリアナは笑いながら、スキップするように軽い足取りで前を歩く。
今日は依頼で来ているわけではなく、なにか目的があるわけでもない。ただ、ギルドで手に入れた地図によると、日帰りできるくらいの場所に古い集落の跡地があるらしい。リリアナはとにかく森に入りたいだけなので、仮の目的地をその集落跡地にした。
外から見ると重苦しいほどの威圧感のある森だが、いざ中を歩いてみれば、薄暗い中にも木漏れ日がキラキラとまぶしく、地面は落ち葉で彩られている。ときには木の影から襲いかかってくる小型の魔物もいたが、不意を突かれなければ倒すのに苦労はない。カリンがリリアナに腕前を披露するかのように張り切って倒しているので、俺の出番もないくらいだ。
森の端の道をしばらく歩くと、よほど注意深く見なければ分からないような、草に埋もれた分かれ道があった。目印は、腰丈くらいの大きな岩だ。岩のところから左を見れば、生えている木も少しまばらで、少しだけ歩きやすそうなルートが見える。地図によれば、それが道らしい。足元はますます歩きにくくなっていくが、木々の隙間を目安にどうにか奥へと進む。
「気をつけろ、何か……狼だ」
「ああ」
かなり多くの狼が、遠巻きに俺たちを取り囲んでいる。
この辺に小さな魔物しかいないのは、狼の縄張りだからか。
魔物ではないごく普通の狼は人よりは小さく、一頭を相手にすれば造作もない。だが賢く群れの結束力が強い彼らは、集団で思いがけない方向から組織的に襲ってくるのが厄介だ。
少々面倒な戦いを予感して、剣を持つ手に魔力を流した。カリンも杖を手に魔法を放つ準備をしている。
「うむ。狼なら私が抑えるゆえ、少し待っているのじゃ」
「いえ、リリアナ様、ここは私が……」
「カリン」
日頃になく強い視線でカリンを縫い止めると、リリアナは弾むように軽やかに前へと飛び出した。そしてすとんと……まるで重石がなくなったかのように、リリアナの装備が地面に落ちた。一匹の真っ白い獣を空中に残して。
「リリアナっ!……ポチ!」
「くえっ」
「神獣様!」
「ぐええっ」
ポチの姿になったリリアナは、力強く鳴くと風のように木々の間をすり抜けて狼の群れに突っ込んでいった。
「くええええっ!」
「ギャンッ」
慌てて追いかける俺たちが追い付くよりも早く群れに飛び込み、一番体格の良い狼に頭突きをかました。身体強化していたのだろう、小柄なポチがたったの一撃で、倍以上の大きさの狼を吹っ飛ばす。周りにいた狼たちはあっけにとられたのか、飛びかかることもせずに唸っていた。
「「ウウウッ」」
「くえっ、くえええっ!」
「「キュウ」」
ポチは毛を逆立てて鳴くと、強い魔力で辺りを威圧した。狼たちは途端に勢いをなくし、その場に伏せる。
「きゅっ」
あっという間に群れを制圧してしまったポチは、自慢げに鼻をツンと上げてこっちを見た。頭突きで吹っ飛ばされた狼も戻ってきて、すっかりポチに服従している。
「きゅっ。くああ、ぐえ」
狼たちに向かって何かを語りかけると、群れはすごすごと、森の奥へと消えていった。
脱ぎ捨てられたリリアナの服を拾って、カリンがポチに駆け寄る。
「神獣さま」
「ぐええ」
「……リリアナ様、素晴らしい威圧でございました。さあ服を」
「ぐあー」
ポチはぴくぴくと耳を動かして、プイっと振り返ると、そのまま森の奥へと歩き始めた。
「カリン、リリアナはどうやら、ポチのままで森を散歩したいらしいぞ」
「ポチ!神々しい神獣姿のリリアナ様に対して、ポチとは……あ、リリアナ様、お待ちくださいー!」
リリアナは、自分は関係ないとばかりに、しっぽを振り振り前を歩いていたが、やがて徐々に駆け足になって、飛ぶように森の中へ入っていった。
こんな時のポチは、フラッと消えて、またフッと戻ってくるのがいつものことなので、俺はさほど心配はしていない。だが、カリンはポチと歩くのは初めてなので、置いていかれることが不安でならないようだ。
茂みをかき分け、木の根を飛び越し、いつの間にか道も外れて森の奥へ。俺もまた、耳と足を強化しつつ、置いていかれないように後を追った。
「こっちだぞ」
「くっ、不覚」
途中でポチを見失ったカリンを拾い、より一層木々が密集している右手の方に向かう。
ポチは追っかけっこを楽しんでいるのだろう、右に、左にと走り、たまに立ち止まってこっちを振り返っている。
ああ、こんなに楽しそうに追いかけっこするのなら、今までももっと後を追ってあげればよかったのかもしれない。
そんなことを考えながら、カリンの腕を引っ張り、ポチの後を追う。
ポチを追いかけて半時あまり。急に目の前が開けて、広い湖が現れた。
この湖は地図に載っている。今日の目的地である古い集落跡は、この湖のほとりにあるのだ。
「おーい、ポチ、そろそろ飯にするぞー」
「くえっくえっくえっ」
湖の周りにはまばらに木が生えて、小さな砂浜もある。ポチは楽し気に鳴くと、砂浜に降りて、泳ぎたそうに湖面を眺めている。
足を強化した俺に、ようようついてきたカリンは、息も絶え絶えだ。立ち止まったポチを見て、がっくりと膝をついた。
「さすがに泳ぐと寒いんじゃないかな。おーい、ポチ。こっちで飯を食うぞ」
「リリアナ様、はあっはあっ、こちらで火を起こしますゆえ……」
「くえっ」
呼びかけに答えてこちらに歩き始めたポチだったが、ふと、足元の何かが気になったようで、前足で軽く砂を掻いた。
後で遊んでいいから先に食べるぞと、声を掛けようとした、その時だった。
「ポチ!」
「リリアナ様!」
「ぐあ?」
ポチの足元の砂に淡い魔力の光が浮かんだ。明るい日の光の下ではほとんど見えない淡いその光は、瞬きする間に消え、同時に真上にいたポチの姿もまた、砂浜から消えていた。
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