第11話 石板の文字

「この文字は私たちが使っているものなのだよ」


 そう言うと、ポチは石板の文字を読み始めた。涼やかなアルトの声で、まるで歌を歌うように。


 ◆◆◆


 今、これを読んでいるのが、同胞であることを願う。

 我が名はイェスタ。聖なるルーヌ山に住まう山の民の一人だ。我が身に起こった事をここに記そう。どうか、ルーヌ山に行くことがあれば、仲間たちにこの話を伝えてほしい。危険から身を守れるように。


 我らが住んでいた洞窟は、住人が三十人もいない小さな村だった。ルーヌ山の内でもふもとに近い場所にあったので、時に平地に住む草原の民や魔の民と出会うこともある。人と獣、両方の姿を持つ我らは幻獣、神獣などと呼ばれて、彼らの信仰の対象であった。


 平地の人々は我らを狩って食べることこそしなかったが、中には捕まえて住処に連れ帰るような者たちもいた。捕まえた山の民をおりに閉じ込め、そして祈った。豊作や繁栄を、檻の中の我らに祈った。

 稀に逃げて戻ってくる仲間もいたが、捕まった者の多くは、行方が知れないままだ。我もまた、そのうちの一人であろう。

 ここまでの話は同胞であればどこの集落に住まっていても、伝え聞いているはずだ。


 しかし無事に逃げて戻ってきた者が語った捕虜の扱いに比べ、我が身に起こった事はまさに悪夢だった。

 始まりは我が捕まる少し前に、ある一人の魔の民の手で作られた魔道具。黄金色の角の形をしたそれは、魔の民の間で天才魔道具技師と言われていた、ヴィルヘルム・オーバリの晩年の作品だ。頭に装着すれば、意志の力は弱まり、抵抗ができなくなる。しかも頭皮にしっかりと絡みつき、簡単には外れない。自分で取りたいという意思も封じられ、ただ命令に従うのみの人形にされてしまうのだ。

 そしてその最初の生贄に選ばれたのが我だった。


 およそ百五十年のあいだ、我が身は魔の民の人形であった。形だけ豪華な部屋を与えられ、神とあがめられたが、実のところ戦争や災害時に駆り出される、単なる道具にすぎなかった。ただの道具とはいえ、膨大な魔力を自由に操る我は、平地の人々にとって脅威だっただろう。

 やがて草原の民との戦いが激化するにつれ、草原の民は我を魔王と恐れ、刺客を送り込むようになった。


 ある時、その一人の刺客が偶然、魔道具の角を一方だけ切り落とした。完全にではなかったが、思考と行動の自由が少しだけ与えられたのだ。そのまま戦い続けて刺客を倒した後、我はその場所にこっそりと転移陣を残すことにした。我らが同胞だけが気付くように、こっそりと。そしてその後はただひたすら逃げた。どうにか自力で魔道具を外して、逃げ延びた先がこの洞窟だ。


 魔の民の城に転移陣を残したのは、いつかもう一度戻る為だ。城には同じ魔道具が、まだ三個残っている。できることならば、これから先捕まるかもしれない同胞のために、その三個の魔道具を破壊したいと思う。

 ヴィルヘルム・オーバリはあの魔道具を四個作ったが、研究記録を一切残さなかった。その魔道具の作り方を知るものは、魔の民の中にももういないのだ。残り三個の魔道具さえ壊せば、後顧の憂いを断つことができる。


 齢も三百を超え、我が余命は残り少ない。残る命の全てを使い、あの魔道具をこの世から消してしまおう。

 魔の民の国から海を越え遠く離れているこの地に、対になる転移陣を置いた。人があまり近付かぬ森の奥深くに。そして少しずつ武器や食料の準備を整えて、ついに明日、我は魔の民の城へ乗り込む。結果をここにしるしに戻ることはないだろう。


 これを見たのがもし同胞ならば、聖なるルーヌ山の仲間たちに伝えてほしい。危険な魔道具がまだ、この世に残っているかもしれないことを。そして他の種族に心を許さないでほしい。彼らは獣の姿になれる我らの事を、同じ人とは認めない。

 誇り高き、聖なるルーヌ山の山の民よ。

 どうか自由に生きて欲しい。


 ◆◆◆


「我らは山の民。そなたらには、幻獣と言ったほうが分かるかの」

「幻獣って……。昔話でばあちゃんから聞いたことが……」

「我らは長生きでな。人の倍か、それ以上も生きる。およそ三百年ほどかの。私もまた、十四の時に魔の民に捕らえられて、あの場所で百年近く生きてきた」


 そう言いながらポチはあくまで柔らかく、ふんわりと俺の身体を抱きしめた。

 身動きができないまま、俺はただ黙ってポチの声を聞いていた。


「ぼんやりと、ただ言われるがままにあそこで生きてきた。いや、少しならば考えることもできたか。けれども魔道具を外すことは出来なんだ。


 勇者と呼ばれる者が何度か城に侵入してきたが、私まで辿り着くものは稀だった。私にとっては魔の民も草原の民も、そして森の民も、みな同じ敵にすぎぬ。憎いと思う。けれどもその気持ちすら、遠く他人のもののように思えた。


 そんな時に、そなたが現れた。魔道具を外してくれたのが、偶然だというのは分かっている。けれどそれは私にとって、何事にも代えがたい幸運であった。あの時は、思いがけぬ出来事に呆然としてうっかり獣化したので礼が言えなんだが。

 しかし誇り高き我ら山の民は、受けた恩は決して忘れぬ。

 リクハルド、そなたに……」


 ぎゅっと、その白い手に力がこもった。ひんやりとした洞窟の中で、背中に暖かいぬくもりを感じる。


「私の残された時の半分を、そなたに捧げよう」


 他に礼として渡せるものもないゆえ。

 そう小さな声でつぶやいた後で、俺を捕えていた白い腕は消えた。


「魔王!?」

「くあ?」

「ああ、ポチ!」


 動けるようになって、慌てて後ろを振り向くと、そこには真っ白い子狐がちょこんと座って、少し首を傾げて俺を見ている。


「お前、本当にあの魔王なのか?」

「きゅっ!」

「嘘だろ……」


 さっきまでの魔王の声と白い腕。そして今、目の前でぐあぐあ言っているポチは、どうしても同一人物とは思えない。

 しかしまあ、他には誰もいないからな。

 それに、ポチはポチだろ。


「何でまた、子狐に戻ったんだ?そっちの方が楽なのか?」

「ぐああ……」

「分かんねえよ。ま、いっか」

「くえっ」


 一度は殺し合った相手だが、今となっては俺の家族だ。幻獣様らしいが、別に拝まなくてもよさそうだし、そもそも、どうみても子狐にしか見えんからな。

 ポチの時を捧げるってのは何のことかわからんが、色々手伝ってくれるってことだろう。


「そうか。お前、魔法は上手いみたいだし、手伝ってくれるなら助かるぜ。これからよろしくな!」

「くえっ!」


 くえっくえっと鳴きながらしっぽを振って、ポチは楽しそうにまた洞窟探検を再開した。


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