魔王と神の使いたち(4)

「――ッ!?」


 寝返りを打った拍子に、全身に走る激痛で目を覚ますアルシア。


「…………こ、こは……」


 見上げる天井に走るは、幾何学模様にも似た紅蓮の魔方陣。

 そして、窓の外に見えるは、魔王城の背後に広がる死に絶えた荒野と、聳えるロズレア山脈の蒼天にも届かんばかりの剣峰。

 紛れもなく、自室にあるベッドの上だ。


「一体、誰が……」

「……ああ。ようやく、お目覚めになられましたね……」


 聞き慣れた声に目を向けると、セラの姿があった。


「お前……」


 もう何日も休息を取れていないのだろう、目はうつろで病的なまでの色をした隈ができ、アルシアの目覚めに安堵あんどする声には覇気はきどころか精気せいきも宿っていない。


「……俺は一体どれだけこうしていた?」

「……丸々三日ほど、ですね」

「まさか、その間ずっとてくれていたのか……」

「……一体どれだけ心配したとお思いですか? このまま目覚めなかったら、あたしもどうにかなってしまうところでした……。夜になっても一向に戻ってくる気配がありませんでしたので、心配になってエルレと共に様子を見に行って正解でしたわ……」


 憔悴しきったセラの瞳から零れ出たしずくが、アルシアの頬を濡らす。


「すまん。心配を掛けたな……」


 こうして無事でいられるのは、どうやら部下たちのおかげだったらしい。

 しかるべき褒美ほうびをあげねばな、と寝起きの頭でぼんやり考える。


 治療もセラとエルレの二人でやってくれたのだろう。二人とも、治癒ちゆ魔法に関してはエキスパートだ。肋骨と左腕の骨折、それと脱臼だっきゅう、さらには内臓まですべて完治している。

 痛みはあるが、数日もあればじきに消える程度。


「しかし参ったな……まさかこんなに寝込むほどの傷だったとは……」


 まさか、と驚きを隠さずにはいられない。


「昏倒して魔王城に戻ってくることもできないほどの傷だったのですよ!? 当然ではありませんか!? むしろこうして無事に回復するほうが奇跡に近いものですからねっ! 頑丈さだけはウラキラルさんに感謝しなければならないくらいですっ!」

 どこか他人事のような口振りに、セラは嘆息しながらなけなしの気力を怒気に変えてアルシアを叱りつける。


「うっ……あまり大声は出さないでくれるとありがたい……どうやら超音波は内臓にも響くらしい……」

「あっ……申し訳ありません。そんなつもりは決して……」

「分かっている。怒鳴らせた俺が悪い……」


 うつむくセラに優しく声をかけるアルシア。

 怒りこそすれ、それはアルシアを慮っての態度と言葉。

 愛があってこそだと理解しているから、しっかりと受け止める。


「……しかし、ここまで派手にやられるとは思いも寄らなかった……やらなければならないことが溜まりに溜まっているというのに……」


 こんな状況でこうも時間を無駄にしたのは、手痛い。

 エイリークで数日後に開催される祭りに合わせた大量の休暇申請が各地方の魔族まぞく将軍や上級官吏から届いているのは想像に難くない。それをさっさと片付けてやらなければ。


 上体を起こし、セラの肩を借りて床を踏む。

 それと同時、鳩尾のあたりから鈍い痛みが広がる。


「ぐっ……」

「大丈夫ですか!? できる限りの処置はしましたが、やはりまだ体力が充分に回復していないのでは!?」

「……いや、問題ない。しばらく地を踏みしめてなかったからな。少しバランスを崩しただけだ」


 包帯ほうたいが巻かれた腹部をさすりながら作り笑いを浮かべてみせるアルシア。

(しかし、無理は禁物きんもつか……)

 傷は完全に塞がっているようだが、あれだけのダメージを受けた身体はまだ悲鳴を上げている。着慣れたローブに身を通すため腕を上げるだけで、左腕にも刺すような痛みが走る。

 私生活を送るだけでも当分は一苦労するか、とアルシアはセラから顔を背けてしかめっ面を浮かべる。


「それにしても、どうしてあれほどまでの怪我を? それほどの勇者だったのですか? まさか相打ちを覚悟してこのような酷い怪我を――」


 セラの言葉に、アルシアは首を横に振る。


「いや、勇者の仕業ではない。ウラキラルとやらが話していたトメクが勇者一行に混じっていてな。善の化身にしては随分と残念な性格だったが、確かに奴で間違いない」

「まさか、その彼に……?」

「ああ。あやつにやられた。俺を倒すのが目的のはずだが、どういうわけか気が変わったようだった。おかげで命拾いしたがな……」


 あの場でとどめを刺されなかっただけ、天が味方してくれたというものだろう。日頃の行いが良かったがゆえか、はたまた気まぐれがアルシアに味方してくれただけか。


 いずれにしても、トメクの最終的な狙いが変わっていない以上、気を引き締めなければならないが。


「不意を突かれたのですね……ならばこの仇はあたしが――」


 アルシアの腰に添えられたセラの掌に力が籠る。


「……やめておけ」


 いまにも飛び出していきそうなセラにアルシアがぴしゃりと言い放ち、制する。


「俺が倒れてから、ずっと寝ていないのだろう?」

「で、ですが……っ」

「そんな状態では返り討ちに遭うだけだ。この俺が真正面から挑んでも、あやつには指一本触れることが叶わなかった。どころかあやつの攻撃たった数発でこの様だ……よもやこの世界に太刀打ちできる魔族などいるまい……」

「そんな、まさか…………っ」


 信じられない、といった表情をアルシアへ向けるセラ。

 無理もない。この世界で最も強く、そしていまなお成長し続けるアルシアが、一方的に弄ばれる戦況など、セラには想像が及ばない。


 アルシアを発見したときの周囲の惨憺さんたるたる状況を見て、激しい闘いが繰り広げられたのだろうと想像していたが、まさかそれがすべてトメクによるものだとは。


「あやつにとって俺は赤子同然だったろうな……」


 アルシアは歯噛みする。

 ウラキラルにトメク。

 この世界の善と悪を司ると自称する彼らはこの命を狙っているというのに、追い払うこともできず、易々と生殺与奪せいさつよだつのすべてを握られてしまう始末。


 いつ殺されるとも分からないこの状況。

 打開だかいのしようもなく、途方に暮れそうになる。


「…………っ」


 セラもまた、苦虫を噛みつぶした表情で足元に視線を落とす。

 ウラキラルがアルシアを始末しようとしていること。

 そして、トメクもまた彼女と同じ意志をもってラストリオンへ降りたっていること。


 ――魔王を倒せば、ラストリオンに真の平和が訪れ、世界は正常な状態へ戻る。


 得体の知れない彼らは、一体、なんの根拠があってそんなことを言うのか。

 そしてもし、それが真実なのだとしたら、なんて酷い仕打ちだのだろうと、セラの胸中きょうちゅう暗澹あんたんたる気持ちが膨らむ。


 こんなボロボロになってまで部下を案じ、世界を思い、争いのない世界を追求した魔王を滅ぼさなければ手に入らない平和など。

 誰かが犠牲ぎせいにならなければならない平穏など、誰が望むというのか。


 だからきっと、彼らが口にしているのはでたらめなのだ。

 この平穏を荒らす悪鬼あっきたぐい

 魔王アルシアの右腕として、これだけの悪意をのさばらせておくわけには――


「セラ、どうした?」

「い、いいえ……なんでもございません……」


 脳裏を過ぎった思考を掻き消し、セラは粛然しゅくぜんとした態度を繕う。


「事態は喫緊きっきんかつ火急ひきゅうだが、愚策ぐさくではどうにもならん相手だ……。そういえばだが、勇者セイランとの決戦前にエルレや魔族将軍たちにトメクに関する情報収集をお願いしたな? その成果は上がってきているか?」

「…………いえ。特には」


 いつもより倍の時間を掛けてローブに身を通し終えたアルシアの声。そこににじむ切ない感情は果たして単なる疑問か、それとも縋るような希望か。


 どちらにせよ、セラはこの場でアルシアの問いに応えることができない。


 アルシアが倒れている間に各地から集まってきた情報を聞けばきっと、すぐさま行動に移すことだろう。トメクを討つために支度を調え、いまだ全快していない身体を引き摺りながら東奔西走し、戦場で再び、正々堂々と相見える。


 長年側に寄り添ってきたセラには、その姿がありありと浮かんでしまう。


「……そう、か。なにかしら吉報があれば良いのだがな……」

「そう、ですわね……」

「今日はとりあえず積み上がった書類を片付けよう。そして打倒トメクに向けて夕刻から作戦会議だ。セラ、集まれるだけの精鋭を招集してくれ」

「……了解しましたわ。……それと、あたしは今宵の会議には出席ができませんのでご承知おきを」

「なにか予定でも入れていたか?」

「これまでずっと寝ずにいましたから、早めに休息を取らせていただきたいのです……」


 セラがそう伝えると、アルシアはばつが悪い顔を浮かべた。


「ああ、そうだったな……。気が利かず、すまなかった。ゆっくりと休むが良い。会議の内容は追って伝える」

「いえ。急な申し出でしたのに、ありがとうございます……」


 アルシアの身体を支えて部屋を出るセラは、顔を伏せたまま感謝する。

 そして、


「どうかお許しください……、ですが、あたしが、必ず…………」


 その独り言は、アルシアの耳に届くことはなく。


「ん? なにか言ったか?」

「いえ……なんでもございません」


 確固かっことした決意を悟られないよう、セラは柔やかな作り笑顔をその顔に貼り付けるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る