53.取引しませんか
そんな風に僕が提案した取引内容は、そこそこ不評だった。
「意外と最低だったんですね、星田くんは」
「元から結構下衆だよね、お兄ちゃんって」
「……」、そこまで?
輝ける僕の玉虫色が、少なくとも絶対に言われたくない二人に否定されてしまって、個人的にはかなり思うところがあった。
ともあれ。
「それで、引き受けてくれる?」
と、砂音の側に水を向けてみる。
「……」
僕が彼女に要求する内容は二つだった。
そのひとつが、休戦協定の再締結で。つまりは負けていないにも関わらず、負けたのと同じだけの損害を被れという話だった。
だからこそ。僕はただ単に正面から話を持ちかけるのではなく、あくまで砂音を倒した上での取引という脅迫じみた形を取らなければならなかった。
それはある種の通過儀礼のようなもので、筋を通すといった言い方でも間違いではないのかもしれない。
相手だってそのくらいのことは言わないまでもわかってくれていて、感情の精算さえ行われてしまえば、他でもない僕の妹がどちらの選択がより得であるかなど見誤るはずもなかった。
「いいよ」と砂音は頷いた。「腹立つけど仕方ないよね」
「……」
後々の禍根を考えればもう少しすり合わせに時間を割いても良かったかと思うけれど、実のところ本題の相手は彼女でなかったからあえて流して。
「ともかく、」と咳払い。「そういうわけですので出てきていただけますか、巳寅さん」
誰もいない教室の片隅に向かって言ってみる。
虚しさが残る沈黙。の後。
「聞き間違いじゃなければ」疲れたようなため息。「君は彼女らに俺を売る、と。確かにそう言ったか?」
振り返る。本人が現れた場所は声をかけた位置から真反対で、つまりは僕の背後だった。別にどこから出てこようと彼の勝手だろうけれど、微妙に釈然としないまま。
「言いました」、と。
彼女ら、というのは砂音たちのことで。僕とて色々遠回しな表現もしたけれど、結論から言えばその通りだったから、ただ肩をすくめる。
ただしもっと正確に言うなら僕の提案は、砂音らと結託することで巳寅さんを抱き込み、彼に自身の所属組織たる『抑止力』を裏切らせるという。
「酷いな」
「……」
正直シンプルに言われるのが一番傷付くのだけど、もうその評価固定で諦めて、そうですか、と僕は本題に入る。
「結構、現実的だと思うんですけどね」
「……」
沈黙のまま巳寅さんは視線だけで先を促した。
ここからはまだ砂音らにも話していない、彼本人を前にしてようやく始めることが出来る内容。
それは人のみに許される最も社会的な行為。暴力もゲームも介さずに、ただ言葉のみで敵との利害をすり合わせる。
交渉を、僕は始めようとしていた。
「改めてそれぞれの要求を整理すると」
なんて、手始めに並べ立ててみる。
僕らが求めるものは砂音らの感染拡大の防止。その理由は彼女らの活動が『抑止力』との抗争にでも発展したら、僕たちの過ごす日常が壊されてしまう可能性が高いから。
一方で砂音らの求めるものは、感染の拡大。その理由は……そう言えば結局聞いてなかったなと思いつつ尋ねてみれば。
「言うつもりないから」、と。
……左様で。
「本当はこの街ごとぜんぶ、欲しいんだけど」
そうぼやきながらも、しばらくはこの学校だけで満足してあげる、と続けた。
すでに僕らの側と手を組む途上で、その感染拡大を現状の規模に止めることで合意している。
だから説得すべき残りはあと一人だったりするのだけど。
「それで巳寅さんたち『抑止力』の求めるものは」「君らの身の安全だ」
……。
ここで堂々と建前を吐かれると、流石に困ってしまう。
「人間に『異常』の存在を気取られないこと、ですよね」微妙に修正した上で。「少なくともその点に関しては、砂音の能力に元々組み込まれていた機能によってすでに解決済みです」
内側にいる僕らからすれば俄には信じがたいものがあるけれど。学校全体というひとつの社会まるごとの『影化』に成功した今、彼女の能力において、外部からの『異常』の観測は極めて難しいものになっている、らしい。
つまりは事情を知らない第三者には、二重化している学校のうち、誰も『影化』していないまともな方の学校世界しか観測できないということで。
少なくとも隠蔽性という意味ではこれ以上なく完璧な偽装だったりする。
「まぁそれも、ネックはお兄ちゃんたちだったりするんだけどね」
と、低いところから横槍を入れてくる妹様。
「……え?」
「だってお兄ちゃんたちだけがこの学校で唯一感染してないじゃん。だからそこを介して私たちと接触すれば、その人はこっち側を観測できてしまうんだよ」
なら万全を期すれば、僕らを先に『影化』すべきという話の流れになることは想像に難くなくて。
……。
正直かなり困ってしまう。そんな僕を見かねたように。
「確か、私たちのような『異常』が『影化』された場合って」今まで黙っていた浮月さんが助け舟を出してくれる。「元々の能力と干渉してしまって、すんなり二重化されずに本体の方も死んでしまうんですよね」
「……そうなの?」
「そうですよ。だから前の私が殺された時、うちの母も気付くことが出来たのでしょう」
本体が残っている白地さんとの殺され方の違いには気付いていたけど、それが制約的なものだとは初耳だった。
しかしそれが本当なら。
「私たちが『影化』された場合、世間的には二人の未成年が行方不明ということになって」
「『抑止力』の意向に沿わないから」
「お兄ちゃんたちは諦めるしかない、か」
首だけになっても僕らの取り込みを未だ諦めていなかったらしき妹様。
「ともかく、」と咳払い。仕切り直す。「『抑止力』側の要求は、現状で十分満たせているんです」
「そもそもこれが必要のない戦いだったと認めるのか」
巳寅さんが退屈げに、されど意地悪く尋ねた。
「そうです」とあっさり頷く。「だからあとは現場からの報告次第で、僕らは日常を取り戻すことができる」
「だから俺に虚偽の報告をしろ、と」
声音に含まれた覇気の無さの割りに、言葉の端々へと棘を仕込んで来るのはこう見えていくらかの憤りでも、内心感じているのかもしれない。
「この提案の肝は、三者ともがそれぞれに負債を引き受ける点です」
と、突きつけられたその矛先をあえて躱すように僕は続けた。
「僕らは日常を取り戻せる。だけどそれは、完全な日常がそっくりそのまま帰ってくるとはとても言えません。何故なら学校は全体的に砂音の配下に置き換わっている上に、敵同士だった彼らとともに学園生活を送っていかないといけないからです。それ自体の良し悪しは置いておくとしても、共存という結末は僕らが当初から望んできたものではないんです。一方で、」と彼岸を指す。「砂音らは結局学校ひとつを感染させただけで、それ以上の拡大を僕らに制限される。つまりはゲーム以前に定めた休戦協定の復活で、これももちろん彼女らの側に多く不満の残る結果です」
ここまではいいですか、とばかりに反応を伺ったところを、無言の顎先で促される。
「されど巳寅さんにお願いするのは、あくまで得にも損にもならない多少の印象操作だけです。万一にもその信用に傷が付くことはありえません」
「詭弁だ」と力ない眼差しのままに。「君らの側にはそれぞれに多少の痛手を被ってでも手に入るものがあるだろうが、少なくとも俺には何のメリットもない」
「ありますよ」
と、僕に断言されたのが余程意外だったのか、彼は表情を変えないままに僕の顔の真ん中辺りを見つめる。
「ところで巳寅さんは、」と話を逸らすかのように。
されどむろん、これこそが僕の用意していた唯一の搦め手だった。
「どうして昨日一日、この校舎から出て行こうとしなかったんですか?」
「俺の勝手だろう」
なんてラグなしで答えられるあたりは流石だったけれど。
「違いますよ」と真っ向から否定する。「正解は『もちろん出入りしていた』と言い張ることです」
「……」
「そういう答えじゃないと、もしかしたら巳寅さんは勝負が続く限りこの校舎から出られないかもしれないなんてことが、暗に示されてしまいます」
カマかけのつもりだったけれど。思った以上に上手く引っかかってくれて、巳寅さんの沈黙が続く。
ここまではある程度の予想通りで、むしろ厳しいのはこの先からだったりする。
さて、と。
「取引しませんか、巳寅さん」
「……取引だと?」
この状況では取引でなく脅迫だなんて、幻聴のように背後から聞こえてくる二人分の視線はこの際、無視させてもらう。
「これはあくまで仮定の話ですが」と断って。「数ヶ月、あるいは数年に渡って。このまま僕らがゲームを続けたとしたら実のところ、審判役の巳寅さんってかなり困るんじゃないですか」
「そんなに続けられるものか」
と一蹴されるので。思わず笑ってしまう。
「だから、正解は『困らない』ですって」
「……」
この人結構下手だぞ、なんて。
「確かに現実的なところを言えば、ゲーム継続のためとは言え毎晩こんな時間に校舎へと通い続けるのは難しい。けれどそこは、ある種の根比べですから当然僕らも努力します。一方で巳寅さんは餓死や孤独死をするわけでもないのでしょうけれど、何の見返りもなく長期間の軟禁を経験するくらいなら、素直に僕らの条件を飲む方がまともな判断かと」
「……」
疲れたようなため息に対して、畳み掛けるように。
「もちろんこれはあくまで仮定で、実際的な話をするなら」これで詰みだと。「今すぐゲームを終わらせる。すると僕らの目の前には、能力の加護を受けられず自身を守る術も持たない巳寅さんがただ一人、取り残されるわけですが」
「……それは、脅しか」
「脅しですよ」
と、頷く。
偽りなくこれで、僕の手持ちのカードはすべてだった。
誰も口を開こうとしない長い沈黙があった。
それから疲れを無理やり押し殺したような、音のないため息。
「殺すなら、殺せ」と。「それでも俺が君たちに与することはあり得ない」
続いたそれは決裂の言葉だった。
「はっきり言って、君たちの覚悟は軽すぎる。今、君たちが敵に回そうとしているそれは世界そのものだ。子ども同士の諍い程度であるうちは見逃されても、その過程で我々大人に楯突くとなればどうあっても潰す必要が出て来る。その幼稚で無邪気な思い付きが、かつて我々が多くの血を流して作り上げたシステムを壊してしまいかねない」
「覚悟、ですか……」
なるほど確かに。それぞれの収支だけを見るなら、僕らも砂音の側も何ひとつ失ってはいないし、口先でいくら丸め込んだところで巳寅さんが首を縦に振らなければ何も始まることはないだろう。もし脅した通り本当に巳寅さんを殺すとしても、同時に『抑止力』をも敵に回してしまうことになる僕らは、ただその報復を受け入れる以外どうしようもない。
されどどうしても譲れないのはこちらも同じことで。
「ナイフを貸してくれないかな、浮月さん」
「……星田くん?」
彼女が首を傾げるのはもっともなことで、この場面で巳寅さんを殺すのは最悪手だ。
大丈夫だから。と、訝しげな浮月さんを微笑みで騙して、ナイフを拝借する。
「覚悟と言いましたよね、巳寅さん」
容易に手を出されないよう何気ない仕草で、浮月さんから距離を取る。
ならその証拠に、と片腕の袖を捲くる。
それから切り落とすつもりで。「僕の左腕を受け取ってください」、と。
ナイフを振り下ろして、足元にぼたぼたと鮮血がこぼれ落ちる。
されどそれは僕の血ではなく。
力いっぱい振り下ろしたナイフは浮月さんの拳を縦断しつつ、手首の辺りで受け止められていた。
沈黙があった。ようやく絞り出せたのは情けないまでのかすれ声。
「……止めないでよ、浮月さん」
「っ、馬鹿ですか!」
稼いだはずの距離はいつの間にか詰められていて、力ずくのままにナイフを奪い、捨て去られる。
腕力差から抵抗もできたはずなのにその間、僕は一切動くことができなかった。
「星田くんの腕は再生しないじゃないですか!」
だからこそ、代償になるんじゃないのと頭では思いつつ。彼女の気迫に僕の口元は震えを抑えきれず、いかなる言葉をも紡がない。
泣いていた。
浮月さんは、たかが僕の腕一本のために泣いてくれていた。
何とか、言葉らしき音を出す。
「でも、こうでもしなきゃ……何も解決しないよ」
「だから星田くんは、馬鹿なんです……っ!」
小さく笑う声が聞こえて。
「お兄ちゃん。そういうやり方はやっぱり卑怯だよ」
「……」
この妹にまでそんなことを言われるとは思っていなかったので、今度は別の理由から言葉を失う。むろん褒められたやり方だとは思っていなかったけれど、ここまで身内に反対されてしまえば強行することもできず、僕は途方に暮れる。
巳寅さんを見やれば目が合って、疲れたようなため息。やめろともやれとも言わないままに。
「俺たちにも」小さく首を振る。「君らが変えようとしているものを、本気で変えられると信じていた時代があった」
「それは、」
浮月さんが口を挟みかけて、されど思い直したように何も言わないことを選ぶ。
「俺たちの力が足りなかっただけ、か?」彼は力なく苦笑を浮かべた。「あるいはその通りだろう。いつからか一人ずつ離れていき、最後には形骸化した治安組織もどきしか残らなかった」
少なくとも星田勝彦が『抑止力』を離れた時、俺たちの夢は完全に潰えた。
そう言って、巳寅さんは僕の瞳の内側を覗き込む。
「……」
「だから、俺は君らを見ていると苛つく」
そう言葉にする表情にはしかし、先ほどまでこびりついていた後悔らしきものは微塵もなく、すでに見慣れてしまった退屈さが居座っていた。
喉元のピアスをいじる。
「子鬼の片腕は貸しにしておく」、と。
僕はとっさにその言葉の意味を理解しかねて、返事が一拍遅れる。
「……つまり」
巳寅さんは頷いた。
「そちらの提示する条件を飲もう。代わりに俺の身の安全を約束しろ」
君の覚悟を買ってやる、と。
「……」安堵のあまり、ため息を吐く。「はい」
隣で浮月さんが鼻をすする音がしたけれど。そろそろ私の身体返してよとぼやく砂音の声に被ってしまう。
「ゲームの終了を宣告する」
と巳寅さんが小さく囁いて、僕らの長かった夜があっけなく終わる。
浮月さんが腕に突き刺さったままだったナイフを抜く音に、だから身体とぼやく砂音の声が被ってしまう。
それから、と巳寅さんが思い出したように。
「日の出までには直しておけ」、と。
「…………はい」
彼の指差した先には浮月さんの突き破って出てきた天井の穴があって、屋内にも関わらずこの部屋の隙間風がやたらひどい原因だった。
されどいくら多人数の手があっても巳寅さんが言うような短時間では、精々ボール紙で誤魔化す以外ないことは自明で、この教室で授業を受けるだろう生徒らは気の毒だと思った。
そんな旨を浮月さんに言ってみたところ、星田くん、と気まずげに。
「暗くて気付きませんでしたが」
ここって実は、私たちのクラスです。
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