37.好きになったのも、その時だよ

 砂音はまだやることがあるからと学校に残り、代わりとばかりに白地さんが付いてきた。


 何のつもりかと思ったけれど、帰り道が近いからだとか。


「これからよろしく、星田くん」


 と、こちらは砂音と違ってやや不機嫌そうに。


 照れ隠しかと思って覗き込んだら、睨み返された。存外本気で嫌なのかもしれない。


 されど、あえて微笑んで。


「よろしく」、と。


 怪訝そうに見つめられる。


「……何?」

「本当に悲しくないの?」


 浮月さん殺されちゃったんだよ、と。


 しかしその言葉は、中身の割りに責めたてるような響きがなくて、僕はどう答えたものか迷った挙句、素直に答えてしまう。


「正直あまり」


 一瞬だけ、心臓の皮がめくれ落ちたかと思うほどの痛みを覚えるけれど。


 次の瞬間。すでに僕の心は浮月さんの死に関して、何も感じなくなっていた。


 それはちょうど白地さんが死んだ時と同じように。


 なんて、そこまで口にしてしまえば蛇が出るだろうことは想像に難くなくて、臆病な僕は藪に近寄らないことを選ぶ。


「やっぱりそういうとこ、『普通』じゃないんだね」


 そんな言葉を、恐らく皮肉抜きのつもりで投げつけてくるから、蛇白地さんもなかなか大したものだと思う(これは皮肉)。


 続けて、それならちょっと寄り道していいかな、と。


 踏切を越えて少し先。田んぼ沿いの道を白地さんは先導する。


 霧に薄められた朝陽が横合いから照らし、僕らは度々軽トラや原付きとすれ違う。田畑を忙しく過る小さな影のいくつかが、甲高い声を残したかと思えばふっと姿を照らし出される高度まで浮き上がり、それらが野鳥だったのだと遅まきに知る。


 しばらくしてここだよ、と足を止めたのは何もない道端で、彼女がどうしてその場所を指定したのか束の間、理解しかねる。指差された先へと視線をやって。電信柱。そこには見覚えのある手書きポスターがあった。確か白地さんを倉庫に監禁した夜の帰り道で見た、誰かの行方不明を示す掲示。


「私のおばあちゃんなんだ」


 ふと隣の存在を見やれば意外なほどに穏やかな横顔があった。


 目が合って。ちなみにこれ書かされたの私、と。


「……」


 初見の時から、白地という珍しい名字だし血縁かもしれないとは思ったけれど。製作者まで兼ねているとは流石に予想していなかった。


「大切な人だったんだね」


 そうじゃないの、と首を振られて。どういうことだろうと思うと同時に、何故こんな話をされるのかと今更に首を傾げていたら。


「五年前に、星田くんが食べた人」、と。

「……え」


 とっさのことで僕は言葉を失う。まさか僕にまで縁付いた人だとは思いもしなかったから。いや、覚えていなかった、の方がこの場合正しいか。


「やっぱり」と呆れたように。「まぁ、私も食べた鶏の顔なんて覚えてないけどさ」


 戸惑う僕へ、擁護にもなっていないそんな言葉をくれる白地さん。


 記された年月日なんかを見るに、その失踪は五年前の出来事。はて、その頃の自分は何をしていたかと思い出してみれば。


 ……。少し苦いものがこみ上げてきた。


「その頃は、見境なかったから」


 脳裏に浮かぶ過去の光景は、まだ僕の家族が揃っていた頃のそれ。食欲を満たすための死体は我が家の食卓でも供給されていたけど、人はパンのみに生きるにあらずというか、パンがあるならケーキも食べたいよねというか。ただ食べるという行為それ以上に自身のあり方を確かめてみたくて。


 今思い出してもまだ赤面するほどに、あの頃の僕はある種の傲慢そのものだったのだと思う。


 週末の深夜。僕は自室を抜け出しては、妹と一緒にこの街の住人を殺して食べていた。


 そうすることで自身が非人間であり、かつより優れた存在であることを実感したかったという、もちろん今では、たかが食欲で僕自身の価値が定義されるわけでも、そもそも自分が大した存在でないことも身に沁みてわかっているけれど、当時の僕は赤の他人を殺して食べることが楽しくて仕方なかったみたい。


 若気の至り。いわゆる黒歴史。


 いっそ殺してくれとその場にかがみ込みたくなるのをやっとの思いで抑えて、白地さんのためにともう少しだけ思い出してみる。


 しかしあれは結局、長期間に渡る話ではなかった気がする。今から考えてみれば、むろんそんな凶行が平穏無事に続くはずもなくて、確か後々、父に見つかりそのリスクが大き過ぎることを諭されてやめてしまったのだった。けれどその頃にはすでに、あの父が冷や汗をかく程度に結構な人数を行方不明にしてしまっていたような気がする。


 そしてそんな凶行を犯人以外で、しかも被害者親族が知っているということは。


「見てたの?」


 問うて初めて、いつかとは立場が逆の問いかけだと気付く。


「見てたよ」、と。

「……」


 微笑みかけられるその理由がわからず、なおのこと戸惑う。


「星田くんが私の家族を殺すとこ。私は見てたよ」

「…………なら、」


 常識に照らし合わせて考えるなら、白地さんの望みは復讐なのだろうか。


 今更かと内心首を傾げたくもなるけれど、そこはそれ。彼女なりの事情があるのかもしれず、この場所でただひとつ揺るぎない事実は僕が彼女にとっての仇だということだけだった。


 しかし。


「あ、でも心配しないでよ。恨んでたりなんかしてないから」

「え」


 僕の表情から何を読み取ったのか、あっけらかんと彼女は断る。


 続けて更にこちらを混乱させる言葉を。


「というよりむしろ、感謝してるんだ」

「感謝」


 意外に過ぎたその単語は前後の文脈を跡形なく破壊してくれて、僕の稚拙な読解力では一連の含意が上手く繋がらなかった。


「私、あの人のこと憎んでたから」


 ふと目を見れば。言葉にしてしまうと軽々しくも、それは決して表面だけの感情ではないことがわかった。


 その証拠とでも言うつもりか。いっそ清々しく笑いながら。


「だから、殺してくれてありがとう」

「……」


 笑顔のまま。湧き上がるものを押し殺すような声で訥々と、白地さんは自身の家庭事情を語ってくれた。


 聞かせてもらっておいてなんだけど、しかしその生い立ちにおける不幸は思ったよりありきたりな物語で、要点のみを簡約すればつまり白地さんは幼い頃からその老婆の元へと預けられ育てられたらしい。ただしそれは彼女自身のためでも両親の都合でもなく、老婆の我が儘だけが理由だったとか。


「ほとんど慰みものだよね」

「介護要員?」

「まぁそんな感じで」


 家長的な意味合いを持つその老婆に、白地さんの両親は発言力はもとい押しの強さでも到底敵わず、年端もいかない自身の娘を献上するような形で預けていたという。


「思い出したくないからあまり話さないけど、本当にひどかったんだよ」、と。


 少女は毎日、血の繋がった祖母を殺すことばかりを考えながら、その背中を拭き、糞尿の始末をした。聞けば聞くほど時代遅れな感ばかり覚えるけれど、実際にあったのだと言われてみると、まぁこの田舎ならあり得るかもしれないと少し腑に落ちるものがあった。それだけ古くから残っている街ということで。まぁ、つまり。


「それを偶然、僕が殺してしまったんだね」

「人って自分のこともろくに出来なくなると本当に肉っぽくなるんだよね。どんなに偉そうなことを口で言って意識がはっきりしていても、それは周りの人たちの負担で生かされている肉人形なのよ。そしたらある夜中に、星田くんがあの人の部屋でぐじゅぐじゅと音を立てながら食べててさ。あ、やっぱり私の感覚って間違ってなかったんだな、と」


 僕の本性と外面は知っていても中身は知らないなんて、白地さんのそんな捻れはこの時生まれたのだろう。


「好きになったのも、その時だよ」


 と、真顔で言われて何とも答えに迷った挙句。


「……そう」。とだけ。

「実はその時すぐに妹さんと目が合って。私の覗きがバレてたんだけど」

「……」、初耳なんだけど。


 なんて、今更過去の未報告にツッコんでも仕方ないけれど。


 思い返せばたぶん、その時の砂音はすでに老婆の吸血を終えていて、残りを食する僕の横で暇を持て余していたはず。そんな砂音に、白地さんは障子越しの笑顔で手を振られたらしいけれど。もちろんそんな話も僕は聞いていない。


 万一白地さんがその出来事を誰かに話していたら、僕ら兄妹は翌朝の魔女裁判だったかもしれない。しかし僕ら兄妹にとって幸いにも(本当に幸いにも)、幼いと称するには微妙な年頃になっていた白地さんは、その夜に目撃した訪問者のことを翌朝以降も黙っていた。そんな悪夢のような話を言葉にしてしまうことへの躊躇いがあったのがまずひとつ。加えて、その朝は祖母が忽然と消えたせいで家は大騒ぎになっていたから、なんて理由も。


 寝たきりだったはずの布団には、少量の出血痕はあっても死体がない。そんな不可思議な状況を前に、誰がもっともらしい推測を立てられただろう。


 人一人を街の真ん中から消し去るということには、素人の手ではなかなか難しいものがあったりする(体験談)。死体はともかく食べきれない衣類の廃棄だけでも、そこらに埋めるだけなら私有地でない限りまず間違いなく警察に見つかるし、燃やそうにも異臭は誰かの記憶に残りやすい。資源ごみに出そうものなら出血量から事件性を疑われて、更には回収場所から自宅範囲まで特定される。そんな素人には難しいはずの死体処理がたった一晩で行われたことから、警察の側では組織立った連続的な犯行が疑われていた。外国の諜報機関による拉致被害とかいう説もあった気がする。


 しかしその一方で馬鹿げたことに、捜索願いが取り下げられるまで遺族の間では、白地さんこそが第一容疑者だったらしくて。


「本家の人たちは、私が一番あの人を恨んでただろうって。そういう嫌な役回りを押し付けていたって自覚があったんだろうね、きっと」

「……」


 結果的に罪を被せてしまったことは多少申し訳なくも思うけれど、今更謝ったってこちらの自己満足にしかならないだろうという気もするし。特に恨み辛みもなく赤の他人を殺した真犯人としてはノーコメントに徹する他ない。


 されどそんないわれのない嫌疑そのものを彼女自身は、真正面から聞かされることもなかった。何故なら、死体が消えた謎を誰も解くことができなかったから。そのため、たかが少女に人を一人消すだけの殺害なんてできるはずもない、と。感情的な水面下の議論はともかく、少なくとも表向きには常識的な判断が下された。


 そんな流れの一方で、白地さんは両親に勧められて祖母が行方不明であるという旨のポスターを作った。


「私は犯人じゃないですよっていう、ポーズ」


 と、その実物を指差す。


 だから手書きなんだなと妙なところで得心がいく僕の横で、白地さんはふと何かを見つけたように電信柱へと手を伸ばし。何をするのかと思えば、件の貼り紙を端の方からかりかりと爪で削り始めた。


 こちらを見向きもせず熱心に、浮き上がった紙の角を摘んで破りつつ剥がす。また浮き上がった部分を削り、引き裂く。


 神経質な動作の割りに、その爪の根本は白むまで力がこもっていて、震えていた。


「……悔しかったな」


 と囁いたきり我に返ったのか、あるいは興味を失くしたかのように始まった時と同じ唐突さで白地さんは手を落とした。


 代わりに首から上。振り向き、熱に浮かされたような視線はこちらを捉える。


「でも同時に、あなたたち『異常』は素敵だなって思ったの」

「……」


 この流れでその言葉は、申し訳ないけど正直ちょっと怖かった。


「あんなにどうしようもなかった私の世界を、たった一晩で塗り替えてくれた。誰にも想像できない、くだらない法律にも縛られない、化学では証明できない方法で」


 それって、まんま正義の味方じゃん、と。


「……」


 『正義の味方』、なんて。その言葉にはこれまで黙って聞いていた僕も、少しだけ反発心が湧く。


 かつて、人外であることに気負い、傲慢この上なかった自身の、恥ずかしい勘違いそのものな気がして。


「……そんな良いものじゃないよ」と、やんわり否定したのを。

「でも私にはそう見えたの」


 有無を言わせないタイミングで遮られて。


「だから、私は」


 殺されるなら星田くんが良いなって思ったの。


 思わず顔を上げて、視線が合って。僕はもう半端な態度では逃れられないことを悟る。


「前も言ったけれど、私は『普通』って誰にも愛されないことだと思うの。だから正直、浮月さんや星田くんの考え方が理解できない。『普通』って本当に吐気がするほどつまらないよ。きっと星田くんも私みたいな何の特徴もない『人間』になってみたら思い知るんじゃないかな」


 と、僕らが『普通部』で渇望し続けたそれをあっさり踏みにじって見せる白地さん。


 価値観は人それぞれと言うものの、こう真正面から否定されると本来立てても仕方ないような角が立ってしまうのは道理で。


 ふむ。


 浮月さんが凶器のたぐいを携帯していた時の好戦具合の内面はこんな感じだったのかな、なんて。


 でも僕は爪の食い込む手のひらをあえて、開ききってみる。


 だってこれは仕方ない。僕らは負けて浮月さんは死んだのだから。すべては今更で、僕に守るべき矜持はなく奮い立つだけの覚悟もない。実行力を伴わない理想はただの愚かな妄念に過ぎなくて、精々が嘲笑の的か、他人の陶酔の踏み台だ。


 改めて自身に何度も言い聞かせる。僕らは敗北者なのだ、と。ここで怒ったらいよいよ惨めだろうと無理やり首の力を抜いて、話を逸らすつもり半分に尋ねる。


「だから、」僕を屋上に呼び出した、あの日。「死にたくなったの?」

「『普通』に生きてて死にたくならない方が頭おかしいと思うな」


 醒め続けるこちらとは裏腹に、聞いてる方まで二日酔いになりそうな言葉が続く。


 彼女の基準でいけば世の半分は狂ってることになって、しかし白地さんにその旨を問いただせばあるいは、あっけなく首肯が返ってくるのかもしれない。プライドがないんだよ、きっと。と彼女は口ずさむ。


 そして。


「でも放課後の屋上には、妹さんがいたんだ」

「僕の代わりに」


 白地さんは頷く。


 やっぱりあの日、僕は遅刻なんてするべきじゃなかったのか。もちろんこれだってあんまりに今更な話。しかし過去は変えようもなく僕は遅刻して、どうしてか代わりに彼女を出迎えた砂音が、これまた僕の代役としてその告白を聞いてあげたみたい。


 告白という名の、自殺願望。


 ……。僕だったら間違いなく誤魔化してしまっただろうそんな重い話題に、妹様は微塵も動じることがなかったという。


 じゃあとりま死んでみたら良いんじゃない。と、砂音はそう笑ったらしい。


「突き落とされた?」

「投げ落とされた」と、微笑む。


 僕と同じだねと返せるだけの度胸は流石になかった。


 とにもかくにも今回の発端はその時の邂逅にあったのだろう。しかしその結果としての人外化は結局、白地さんにとっての喜劇だったのか、あるいは悲劇だったのか。損害丸かぶりで犬死にした何とかさんはともかく、妹様だけは一人勝ちっぽいけれど。


 なんてことを考えていた僕に。ここからが本題、と白地さんが振り向く。


「まぁ、そんなこんなで改めまして星田くん」


 好きです、私と付き合ってください。


「……」


 これまた笑ってすべてを冗談にしてしまいたいのを堪えて、どうにか真剣な顔を作る。


 咳払い。してみたものの、答えなんて当然考えてなくて。結局。


「……少し考えさせてください」


 そんな僕の先送りさえも予想済みだったかのような呆れ混じりの微笑み。音なくその口元が描いた形を読み取る。


 い く じ な し


 ごもっとも過ぎる率直な評価に、僕は返す言葉も思い付かなかった。

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