35.なるほど、チェックメイトじゃないの
「遅いよ」
なんて、何故か開口一番に妹様から文句を頂戴して困惑する。
「……えっと」
こうも大所帯に待ち構えられて、むしろ真っ直ぐ飛び込んでいく方が不用心に過ぎるとは思うのだけど。
「そうですね、」三回、肩をノックされた。「一時間半も無駄にしてしまいました」
それが合図と思い出せず動けなかった背後から押しのけられ、ピンを抜くような音にふと横を見れば、放られて宙に浮く手榴弾。
出会い頭にこうも過激な先制攻撃を放つのはもちろんこちら側の参謀で、敵を騙すにはまず味方からという計略だったのか。サインはあれど当たり前のように事前通達はなく、その瞬間、僕は敵と同じくらいの硬度で固まってしまう。
最初に動けたのは皆葉くんだった。鉄球は地面に着く直前に蹴り飛ばされて、柵の向こうへと落ちていく。階下。破裂音。
「流石にもう慣れたって」
と言いつつ、頬が引き攣っている。彼らが最後に浮月さんと手合わせしたのは確か数日前のことだけど、慣れてしまうほどとは延べ数で一体何個の手榴弾を放られたのだろう。
いや、それよりも。
「浮月さん。もしかして今、僕の身の安全を完璧に忘れてた?」
「……星田くんはこの程度で死なないでしょう」
そうは言われても残念ながら、浮月さんが一瞬しまったという目をしたのを僕は見逃さなかった。
「そもそも星田くんがマグライトを活用してくれていたら、間違いもなかったはずですよ」
言われて見渡せば、なるほど暗闇に慣れた彼らの目にはこちらの所持する光量は厳しいものらしく、手をかざしながらの対峙だった。それなら合図だけでなく、事前の告知もして欲しかったなと思いつつ。
でももし浮月さんの作戦が間違いないものだったならこの時点で僕が脱落してたろうし、蹴り飛ばしてくれた皆葉くんへの好感度がまた否応なく上がってしまう。
「お兄ちゃん、ちょっと敵の前で油断しすぎじゃない?」
照らし出された人影大の砂音が不機嫌な声をあげて、僕はライトの向きを下げる。
ついでに見回してみれば確かに現状、僕らは総勢百人弱の人に囲まれていて、かつてない威圧感を覚えなくもないけれど。先に気の抜けるような出迎えの言葉を投げかけてきたのは誰だったか、なんて。
「ここに誘い込まれたっていう自覚ないの」
「それは」「だからどうしたって言うんですか」
何を言うより先に隣から会話の主導権を持っていかれる。
最近このパターン多いなと思いつつ、いやむしろ先例に照らし合せてみれば、今回僕にしてはよくもった方だと思う。結構話せたし。
「逆にあなたたちこそ、追い込まれたという自覚が足りないんじゃないですか」
と、僕のものは彼女のものなジャイアニズム精神を惜しまない浮月さんの反論は、いくらか正しいようにも思える。
むろん先ほどの先制攻撃が防がれた今、参謀の脳裏には作戦のさの字も残っていないだろうけれど、特攻隊長も兼ねる彼女の手にかかれば、手榴弾でなくともナイフの四五本でここにいる人間を数刻と待たず殺し切ることができるだろう。控えめに主張させていただくなら、戦力としてはついでに僕もいる。
しかし対峙する砂音は妙な余裕をその表情に滲ませたまま。
「浮月ちゃんの弱点って何かわかる?」
「ないと思います」
即答だった。
これには僕も少し唖然とする。されどむろん砂音の言葉がただの脅しでないこともわかっていて、浮月さんの側に向かいそうな攻撃を警戒しつつ。
と、一方の砂音は呆れ混じりなため息ののち視線を動かし。何故か僕へ。
「じゃあ、教えてあげるよ」。お兄ちゃん、と。
「……え」
そんな台詞とともに足元をすくわれたのは僕の方。話が違うと口にするより先に何とか受け身が取れたのも束の間、足首を掴んだ顔も見えない誰かがそのまま僕を人いきれの内側へと引きずり込んでいく。
手元を離れて転がるマグライト。その光に慣れきっていた僕の視界は、蝋燭が吹き消されたような黒の津波に飲み込まれる。
加えて、足元は覚束ないまま暗闇にも目が慣れていたらしき複数人の手で、半ば担ぎ上げられるように宙に浮く。この体勢で僕がどんな馬鹿力で足掻こうとも、人骨格の手足可動範囲なんて大したことはない。唯一、単独で人を殺せる関節といえば握力で、僕は条件反射。手近な何人かの頭骨や手首を握りつぶす。悲鳴が上がりしゃがみ込んだらしい彼らを、新たな人員が容赦なく踏み潰して僕の足首を掴もうと腕を伸ばす。
死を恐れない群衆、なんて陳腐な表現が頭をよぎる。
盲目の力任せに拳や踵を誰かの頭上に振り下ろすけど、付け根の辺りで抑えられれば必然、末端に勢いが乗らない。満員電車の天井付近まで担ぎ上げられたような状態なら尚更で、地に足が着かない分ほぼ空中と同義に上手く体重をかけて相手を殴れず、されるがままだった。
その時。
「星田くん!」、と。
驚愕に身震いする一瞬。
ふいに夜闇を切り裂いた、悲痛そうな声音で悟ってしまう。
どうあっても殺し得ない浮月さんの唯一の弱点は、僕という存在そのものだったのだと。
運良く視界を過ぎった光源の先では浮月さんが羽交い締めにされていて、それでもなお僕の方へと駆け寄ろうと、もがいていた。冷静さを失った彼女は男子生徒程度の腕力でも取り押さえられてしまっていて、違うよ浮月さんと僕は叫びたかった。
口の中に誰かの指が突っ込まれて、鬱陶しくて怒り任せに噛みちぎる。悲鳴。血の味に混じって、もう誰の声もわからない。浮月さんの姿だってすぐに見えなくなる。人山が頭上に来てようやく視野の横転に気付き、転がされるように何処かへと運ばれているのだと知る。
「浮月さん……っ、浮月さん!」
返事はない。誰かの怒号。すすり泣き。
僕はただひたすら、浮月さんに伝えたかった。
僕なんか。足手まといにしかなれない僕なんか、見捨ててしまえと。
叫び出したいほどの衝動をすべて藻掻き逃れることに費やしながら。頭だけはどこまでも冷え切ったままに浮月さんの逃亡を祈り続ける。
子どものように。
何が『普通部』の身内だ、くだらない。重荷でしかない他人なんて背負うだけ無駄だ。
『生き残る』ことが『普通部』の本義なら、この瞬間の浮月さんの行動なんて決まりきっている。馬鹿でもわかる。どうしようもなく馬鹿な僕でもわかる。
僕ら『異常』は結局、寄り添うことなど到底できるはずはなかったのだと。きっといつかは殺し合う。見捨てる。踏み台にする。裏切る。
だから今。君は愚かな同胞など振り切って、自らが信じる思想のために逃げるべきなのだと。
けれど頭の片隅ではそれをわかっているから、悔しさに僕の唇は噛みちぎられて血を流す。
きっと彼女は僕の解放を条件とするなら、今すぐにでも抵抗をやめるのだろう。
それはたった一瞬で。そう確信してしまうほどの声だった。
「彼を、離して……やめて!」
かろうじてそんな言葉が聞こえたときにはもう、僕の身体は重力に抗えるだけの支えを失っていた。いつの間にか夜闇の空中で、即座に屋上のコンクリートで殴られると覚悟した冷たくなるばかりの背中を、嫌に間延びした一瞬の真ん中で風が永遠に撫で続ける。全身の骨が砕けたかと思うほどの衝撃とともに地面に叩きつけられてようやく。
自身が屋上から落とされたのだと知る。
「かはっ……!」
されど吐いた血量は、割れたタイルに飛び散る数滴のみ。思ったより大したダメージではなく、だてに人外やっていないんだなと実感する一瞬。丈夫に産んでくれた母親と低予算を反映した学び舎の階数に感謝しつつ寝返り、タイルから頬を引き剥がそうとした僕の背中に。
六〇リットルの肉塊が落ち砕け、視界が暗転。骨棒が突き刺さる。
「……ぐっ!」
今のは効いた。狙ってもろに膝の皿で心臓を打ち抜かれた感覚があった。重みからするに恐らく落ちてきたのは生徒のうちの誰かで、すでに死に体のその肉袋を振り落とそうと夜空を見上げた僕は。
次から次へと屋上から降ってくる生徒を見て、流石に言葉を失う。
「……は」
なるほど、チェックメイトじゃないの。
敗因を探ってみれば何の事はなく、先の屋上の場面。少なくとも僕は敵前で油断するべきではなかった。
否応なく自覚させられる。どんなに普段強がって、斜に構えて、饒舌を自称していても。
一皮剥けば、僕らはこんなにも弱い。
片や僕はと言えばこの有様で、浮月さんの方とて殺意はともかく腕力は人並みだし、こちらと引き離された今頃、あっけなく取り押さえられてしまっているのだろう。
改めて顔を掻きむしりたいほどの悔悟を呪詛に吐く。
僕らは群れ合うべきではなかった。僕らは出会うべきではなかった。志半ばに膝を屈するべきだった。誰かに踏みつけにされることに甘んじるべきだった。
なんて。
もちろんこんな愚かしい後悔は先立たず、僕の意識は十四人目の落下を肉布団越しに感じた辺りで、糸が切れるように失われた。
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