24.父は僕らの家族の中で恐らく、唯一純粋な人間だった
邪魔されてもやめないから。
そう言い残して、彼女は自室へと上がって行く。その足音を片耳に、言う必要もないことを念押す彼女の心境を想像しようとしたけれど、中学生のうちから父親を殺して家を出ていき、二年経ってひょっこり戻ってくるような身内の心中なんて推し量るだけ徒労な気がした。
……。そういえば妹はこの家から出ていく時、父親を殺して行ったのだった。本当はそのことについても尋ねたかったのだけど、彼女の部屋の扉が閉まる音がしたのはたった今。そのうち訊こうと思いつつ、実際に起こったことについてはどうせ憶測を裏切ることはないだろうという気がして、これもやっぱりどちらかといえば真実や過去そのものより理由とか動機とかを問い詰めることになるのだと思う。
気は進まない。
と、昨夜のことを思い出す。死んだ父が昨日何かを話したげにしていたのは、やはり妹が帰ってきたことを伝えようとしていたのだろう。リベンジの意味合いも込めて僕は昨晩と同じように両親の寝室前までおもむき、そこに膝をついた。手を合わせる。昨晩同様に扉越しの気配が満ち、今日は調子が良いのか、頭に直接言葉が流れ込んでくる。
僕の母にあたる人は美しかった。
開口一番、父はそのようなことを言った。むろん脈絡も何もない。
「妹については」
似てる。とだけ返ってくる。恐らく母にだろう。この父親は生きている時から、これまたとっくの昔に蒸発した母の話ばかりしていた。鬼籍に入ってから相手の都合や文脈を考慮しなくなった分、そののろけ癖は余計にたちが悪いものとなっている。
「帰ってきたみたいです」
母がか?
……。ダメだこいつと諦めて、目を開ける。視界に飛び入ってくるのは閉じきった扉とガムテープの粘着跡で、僕の父親はこの向こうで死んでいる。この部屋を密封したのは僕で、彼が死んでからの腐敗を見過ごし続けたのも僕だった。葬儀のたぐいが面倒でそのままにしていたら、いい加減腐臭がキツくなり、親を食するのも大概どうかと思われて、密封することで文字通り臭いものに蓋をした。
そもそも食べる箇所がほとんど残っていないような死骸だった。血の一滴も残されていない死骸。父がそうなって見つかった同日、妹がいなくなっていることにも気付いた僕は、それらの事件の間をイコールで結んだ。妹は彼を殺して出ていったのだろうと。
父は僕らの家族の中で恐らく、唯一純粋な人間だった。少なくとも母と婚姻を結ぶまでは人であったのだと思う。普通の人間は死体となって以降も手を合わせた程度の生者と意思疎通を図れるはずもないので、恐らく妹に殺された当時にはもう、人の範疇をわずかに髪の毛一本程度の幅で逸脱していたのかもしれない。
母はと言えば、なおさらによくわからない。気が付けばすでにこの家から消えていたし、その血を引くはずの僕はこれで妹はあれだ。たぶん何がしか人の形をした人ならざるものだとは思うのだけど、そのことについて生前からの父に尋ねてものろけしか返って来ないから、もしかしたら淫魔かその類なんじゃないかと秘かに危惧している。別に母親が淫魔であれ何を思うほどのこともないだろうけれど。だからといって積極的に自慢して回ろうとも思わない。
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