ジャンクの園、慈母の國。
緯糸ひつじ
ジャンクの園
■1■
森林で私は立ち尽くす。ピンクのトレッキングウェアに水滴が伝う。更に霧が重々しく濃くなっていく。
「僕の勝ちだ」
突き付けられた銃口が、酷く冷たく感じた。
私の背中に散弾銃を突き付けて、迷彩柄の服を纏う男が、自嘲的に言葉を吐いた。
「脂も塩味もカフェインも、自堕落な生活も、無為なお喋りも、全部譲れないんだわ」
私は、抵抗もせずに両手を上げる。
「じゃあ、どうするの? 世界は、他人を慈しめ、自分を律せよ、と更に煩くなってくるよ」
こんな退っ引きならない状況に至るまでに、どこから話すべきだろうか。
散漫な戦争が始まったことか。
健全な社会がファストフードを駆逐したことか。
享楽家の楽園がある噂を、耳にしたことか。
いや、大切な人、じぃじを喪ったことにしよう。
■2■
つい最近、じぃじが死んだ。
じぃじは、血の繋がった祖父のことではなく、家族ぐるみで親しくしていた近所のお爺さんだ。ニコニコと笑顔を絶さない、穏和な人だった。
寿命による衰弱死だった。
葬儀の後、近所の工場で遺体はアルカリ加水分解されて、安全な形で処理された。
水葬と言うべきか。火葬でないのは、より安価で大量に遺体を処理する方法だから。先の大戦の影響で、突然変異したウイルスが蔓延した頃、普及したやり方だった。
■3■
アインシュタインの予言は、間違っていた。
「第三次世界大戦でどのような兵器が使われるのか私は知らない。だが、第四次世界大戦は石と棍棒によって戦われるだろう」
彼が述べた“第三次世界大戦”は、文明を崩壊させるような全面核戦争を指していただろうけど、私たちの“第三次世界大戦”は、もっと迂闊で散漫だった。
発端は、欧州を中心とする連続テロ。トラックで街中を突っ込むようなローテクなテロではなく、稚拙な簡易核兵器が利用された。
それが、私が産まれた頃のこと。
子供の頃の私は、じぃじの家に入り浸っていた。縁側に座って、他愛もない話で暇を潰していた。
じぃじは、戦前のことをこう語っていた。
『不穏だな、とは思っていたんだ。海外ドラマでは、容易く核兵器を紛失する。ともすれば映画では核爆発も平気で起こる。フィクションの世界では、核兵器は既に日常にあったからな』
縁側に注ぐ陽の光に、じぃじは目を細める。過去を探るように虚空を見つめて、寂しさを滲ませた。今でも印象に残っている。
『人が想像できることは、いつか実現するものだ』
テロから誘発するように世界規模の騒乱が発生し、終いには何処ぞの国の小型核兵器が、流出して消えた。
小型核兵器とは、信頼性があり低出力で、被害は局地的。つまり、“使える”核。
のちに誰が、何故、何処に敵意を向けているのか分からないテロと紛争に、“使える”核が通常兵器として利用されていった。
核戦争自体は、EU軍の介入により素早く終息したものの、放射能の影響で突然変異したウイルスが蔓延し、健康被害が深刻化した。
そのとき人々は、強烈な病気への恐怖心を植え付けられた。
そして、戦争が終わって25年。
私、
世界は、消費社会に見切りをつけて、健康志向社会へと急激な変貌を遂げた。
■4■
じぃじはいつも子供の私に、世界の裏側について教えてくれた。イタズラっぽく微笑み、『母には内緒』が合言葉。
『ワシらは慈しみの世、福祉追求の世へと走っている。その要因のひとつに、ある米国の健康食品関連の企業があってだな』
健康志向の世の中が、企業によって推し進められたというのが、今でも意外に思う。
『彼等は、巧妙だったんだ。消費者に、疫病の恐怖を植え付けるのが巧かった。恐怖を煽り、世界中の人々を、健康志向のパラノイアにさせちまったのさ』
医療に携わる者にとって戦後のパンデミックは、悪夢そのものだった。しかし、一部の企業や販売業者には、千載一遇のチャンスだった。
子供をウイルスから守りたいママに、朗報です。
手洗い、うがい。適切な衛生習慣を、身に付けましょう。
私たちの製品を使うことは、病気の拡散防止に効果的な方法です。
私たち健康コンサルが、あなたの安全で安心な日常を作り上げます。
慈母のように微笑みながら、チクリチクリと『やらない罪悪感』と『病気への恐怖』を突き付けていく。
そうやって、企業は巧妙に不安を煽り、自身の製品、サービスに頼らずにはいられない信奉者を増やしていった。
『巧妙で強いブランドは、ほとんど宗教だよな』
事実、強いブランドと宗教では、脳に描かれるパターンはあまり変わらない。そう知ったのは、つい最近のことだった。
■5■
人々に棲みついた病気へのトラウマは、『カラダを健康に保つこと』を至上とする世界への原動力となった。
特に変わったのは、人々の食生活だ。飽食や偏食、添加物やアルコール摂取は、強い嫌悪の対象だった。
街中を見回してみよう。30年前には当たり前に目にした、有名な炭酸飲料メーカーのコーラも、資本主義の象徴的ファストフードチェーンも姿を消し、青果店に取って換わった。
ピザを駆逐せよ。
ハンバーガーを駆逐せよ。
コーラを駆逐せよ。
カフェラテを駆逐せよ。
大戦以前からジャンクフードは敬遠され始めていたが、健康志向の社会に移行する時点で、一気に駆逐されていった。
じぃじに一度、勇気を出して告白したことがある。
『本物のハンバーガー、食べてみたいな』
現代の若者が身に付けるべき常識からは、外れるフレーズだった。母に話せば、グレて不良の仲間入りするのか、と思われただろう。
高脂質と高カロリーに惹かれる、食生活的に乱れた不良少女。
『君は、この世界は向いてないかもしれないな』
じぃじはケラケラと笑い、じゃあ、あの楽園へ行けばいい、と言葉を続ける。
そして、ある秘密の園のことを話してくれていた。慈しみに溢れる医療福祉社会の膿、ジャンクフードの楽園のことを。
■6■
━━ジャンクの
朽ちた小さな看板を、私は見つける。
甲信越地方の山間部。霧深く静寂に包まれた山の中に、その楽園は有った。
『ジャンクフードに魅せられた人々のコミューン、共同体だよ。元々はヒッピーのコミュニティだったと、聞いていたがな』
じぃじはそう語ったが、本当にあるとは信じていなかった。あまりに浮世離れした話で、都市伝説だと思っていた。
「誰だ?」
霧の中から男が現れる。ライムグリーンのトレッキングウェアに身を包む細身の男だった。
事情を説明すると、彼はにこりと微笑んだ。
「あの親爺の、知り合いか。ずいぶん生気の無い奴に、ここを教えたもんだぜ」
「生気が無い、とは初対面で酷い」
冗談、冗談、と彼は笑う。しかし、こんな山深いところくんだりまで来て、消費社会の遺物にありつこうとする奴は、確かに現代社会に馴染めずに死んだも同然かもしれない。
「アキさん。あんた、相当の物好きだよ」
加賀ハルマと名乗った彼は、豪快な笑顔が似合う男だった。
■7■
ハルマに連れられ、舗装されていない道を歩む。真っ直ぐ伸びた針葉樹林の間から、ほどなくログハウスが点々と現れ始め、微かに陽気な音楽が聞こえてくる。
「ちょうどイベントをやっていてね。向こうの広場に、他の連中もいる。紹介しよう」
私がこれから会う人々は、どんな雰囲気だろう。
「やっぱりヒッピーみたいなんですか?」
「まぁ、反体制的ではある。だけど『Back to Nature』の合言葉とは縁がない。なにせ、物質文明が好きで、健康至上で享楽できない社会を嫌ってるだけだからな」
「エコとか、ロハス、スローライフみたいな考えは無いって感じ?」
「そう、俗物も俗物。僕らは喜んで、ロゴがデカデカとついたスニーカーやウェア、バッグを身に付ける。ブランド家具に憧れて、ファストフードを頬張る」
ハルマによると、元々ヒッピーが山間部に作ったコミューンだったのは、間違いないらしい。20世紀には消費社会に嫌気を差したフーテンが、ここで精神世界に没頭していたという。
「もしかして、大麻とかも、まだあるの?」
「まさか」
今はジャンクフードという消費社会の象徴の成れの果てが、ここでほそぼそと生き残っているだけだ、という。
「まぁ、中毒性で言えば、けっこう似ているけどな」
ハルマは、平然とそう呟く。
砂糖。
コーンシロップ。
ナトリウム。
カフェイン。
「消費社会で、ジャンクフードが世界を席巻したのは、自然な流れだったんだ。企業が意図的に中毒性のあるものをレシピに組み込んだからね」
「中毒性のあるもの?」
「そう」
ハルマの説明によると、ある実験では、高脂質、高カロリーの食品をラットに与えるとドーパミン━━快楽を感じさせる物質━━の流出が促される、という。
しかも興味深いのは、脳に耐性が出来て、ドーパミンの流出に必要な食品の量が、時の経過で増えていくこと。
「ほら、コカインやヘロインとかの依存者が、ハイになる為にドラッグの量を増やしていく。それと似ているだろ?」
もしかして、これから会う人々は、廃人や狂人ばかりだろうか。
「安心しろ。30年前には普通だったんだ。
今向かっている広場は、享楽家達の楽園の中心部だという。ハンバーガーも食べられると聞いた私は、はからずも笑みがこぼれてしまった。
「ジャンクフードは堕落の味って言ってさ。普通、君みたいな感じの人に奨めたら、失礼なんだけど」
ハルマが控えめに忠告する。
「ここまで来たら、絶対食べる」
私は音楽が近づくにつれて、胸が高鳴り、足取りが軽くなっていた。
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