探偵 神門十夜 物怪奇譚
第1話 怪奇事件はいつも “此処” から始まる
「――失礼いたします」
高級感漂う一室に燕尾服を身に纏う初老程の男が姿を見せる。彼の顔には一切の感情の色は窺えないがその足早な歩調に部屋の主は僅かに表情を曇らせる。
「もしかして、また起きたのかい?」
部屋の主たる彼女は眼鏡の奥に刻まれた眉間の
「やれやれ、困ったもんだ。どうせ、これ以外の情報は無いのだろう?」
「はい……申し訳ありません、御当主様」
「別に構わないよ。それにしても、例の事件がこんな事になっていたとは……」
「如何なさいますか? 捜査を強化する手配は既に整えておりますが――」
「必要無いよ。これは別口で調べてもらおうじゃないか」
「……では、“あの方” にご依頼なさるのですね。かしこまりました、直ぐに手配致します」
「この怪奇事件は彼でなくては無理だろうさ――そう怪奇探偵・【
怪奇――人ならざるモノ達が当たり前に存在するこの街においても、未だ怪しく摩訶不思議な現象が起こる。いや、人外のモノが暮らしているが故に怪奇は起こるやもしれない。それらの怪奇を“事件” として取り扱い、治安維持を任された組織が存在している。されど、その組織の手にも余る怪奇事件という物が時たまころりと現れる。それを一手に引き受けるのが、
**************
瞼を閉じればそっと夢の国へとダイブできる穏やかな午前の陽気。オレは預金通帳片手に切実に呻いた。
「金が無え」
……前に依頼が来たのはいつだったか? まぁ、オレが暇という事はこの街は “平和” ということになる。良いことじゃないか、平和。惰眠を存分に味わえると思えばこの平穏も悪くない。このひと時を大事にせねばなるまいよ。
一先ず預金通帳を
「あー暇だねぇ……十夜」
「そうだなぁ……まぁ良いじゃないか、それは平和ってこった」
「貯金残り少ないよぉ~?」
「残り少ないどころかすっからかんだよ、ははは。まぁどうにかなるだろ……人間、塩と酒さえあれば半年は生きていけるんだ。平和が一番。平和が一番なのです。平和は金じゃ買えないからな」
この街は人と人外が共に暮らしている。だがそんなものは皆、ハナから分かりきったことだ。だから滅多に怪奇事件なんてのは起きやしない、故にオレは大半暇な日々を過ごし、質素倹約に努める。
いつからか人外――妖怪や悪魔という存在が当たり前になっていた。別々の種族と生活を共にしていれば、争いも起こるだろうけど……この街でそんな愚か者は殆ど存在していない。街の管理者である
「十夜ぁ~前に仕事したのいつだっけ~?」
「……三週間前くらい?」
「じゃあさ、依頼内容は?」
「あぁ~なんだっけか……あ、確か
「その報酬は?」
「その店の品物全部タダ……その日限りのな」
「そうだねぇ~でも美味しかったねぇ。お金無いからそのお店に集たかりに行こうよ」
「お前が怪奇事件を起こしてくれるとは優しいねぇ。で、報酬は?」
「……暇だねぇ、平和だねぇ、ひもじいねぇ~」
どうやらオレの活躍で怪奇事件を一つ未然に防げた様だ。前回の事件は狐狸――つまり狐と狸に
「――まぁこれはオレの “エゴ” には違いないとは思うが……下着くらい履け、ユウナよ」
「えぇーだって窮屈なんだもんアレ、だから嫌。それに知らないの? ノーパン健康法ってやつよ~だからいいのよ~」
「良いのか? 丸見えだぞ? 客が来たらどうするんだよ」
「いいじゃない、その方が客も来る様になるでしょ」
「え、なに? お前、オレの
長いスカートを身につけているから普段は見えないからいいが……今はダラダラとソファーで寝ている為、スカートがめくれ上がり丸見え状態だ。ここは仕方がない、言っても聞かない奴は――餌付けして、己の立場を理解させてやろうではないか。さて、財布の中身をいざ拝見。
「おぅふ……」
思わず変な声出たわ。だって仕方ないだろう?
ユウナを連れ立って近所にある寂さびれた定食屋に向かう。狐狸が食い逃げした例の定食屋だ、運が良ければまた化されているだろう。そうすればタダ飯にありつけるってもんよ。この
寂さびれた小さな定食屋だが、安い上に味も良い――が、店そのものに少々問題があって近所の連中しか訪れるモノは居ない。立て続けに狐狸が食い逃げしてるわ、地縛霊がとり憑いてるわ、
「へいらっしゃーい! ……ってなんだ探偵の旦那かい。塩蒔いとけ塩」
「客に向かってそれはないだろ、店主よ。後オレ恩人よ? 覚えてる? その禿げ頭のように脳みそまでつるつるになってねえよな?」
「その日限りタダにするとは確かに言ったが食い尽くせとは言ってねえ」
「あの日の食い溜めで今日も息できてるぜ」
白い歯をにかっと見せて笑いかけるとものすごい渋い顔で睨んでくださった。おかしいな、歯には自信があったんだがなあ。
「あ、ダメ探偵だ」
「毎度どうもなのです」
ひでえ言い草だと思ったらこりゃ困った、当てが外れちまった。
「二人共今日は普通に食べに来てるんだね?」
「そりゃね、いくら “化け狐” だからって毎回はしてらんないよ」
「 “化け狸” も同じなのです!」
ユウナの問いにいつもの様に天真爛漫に返事をする狸娘に比べて、相も変わらずにすまし顔で毒を吐つく狐娘。そんな狐狸娘との毎度の挨拶を交わして、カウンター席の二人を通り過ぎ定食屋でいつも座る場所である、一番奥のテーブル席へと座る。こういった端の席や奥の席と言うのは、人気のある席だと言うのが通説だろう……多分だが。しかし、オレとユウナが座るこのテーブル席は常に空席だ――
「いいイイイいぃぃらぁぁッッしゃいままマせぇぇええ。お水をぉぉおぉどどどぅぅぅぞぉぉお」
「いつもありがとう ‟幽霊” さん」
「いつも通りにオレとユウナの二人で相席ってことで頼むわ」
「だぁぁぁいぃぃじょぉぉぶ……気にぃぃしてないわぁぁぁ」
その理由は “地縛霊” だ、なんでかは知らないがこの席に陣取っている。だから誰もこの席には近づかない。だがオレは気にしない、定食屋で相席なんて当たり前だからな。まぁそれとは別に、血だらけで喋り方が怖い幽霊と一緒に食事しようとする奇特な奴なんか居ないだけか。彼女が憑りついたこのテーブル席は常に空席――いや、オレ達の予約席のようになっている。けれど意外と便利というか……幽霊である彼女が配膳してくれるから助かるんだよな。まぁこの席限定の配膳だがね。
さて定食屋と言えば、まさに定番である焼肉定食を注文せねば、始まらんだろう。だが残念ながら我が探偵事務所の座右の銘は ‟質素倹約に努めよ” なのだ。ここは涙を飲んで――一食二百円という格安な卵かけご飯を二つ注文しようではないか。……それにそもそもワンコインしかないしな。
「うわぁ……流石ダメ探偵」
「二つ頼んでも四百円なのですよ……貧乏なのです、可哀想なのですよ」
「喧しいわジャリ共。お前ら食い逃げ犯だってこと忘れてないか?」
「化け狐は人間を化かしてなんぼのものよ、それに罪にはならないしね」
「化け狸もですよー!」
店主に向かって、オレが嬉々として卵かけご飯を二つ注文すると、すかさず毒吐つく狐娘……そんなにダメな奴に見えるのかオレってば。いやいや、それよりも貧乏だって? そいつぁ違うな……これは “質素倹約” って言うんだよ。預金通帳? 何のことやら。
やれやれ狐狸娘はまだまだ青いな――青いといっても、あくまで妖怪の中では若い部類に入っている、ということだが。確か一〇五歳くらいだったか? 人間としては十四から十七歳程度の認識である。ちなみにユウナは三百齢程で人間としては十八から二十三歳程度。年齢に幅があり、ちぐはぐなのは種族間によって差が生まれる為だ。まぁどちらにせよ、人間のオレより年下と言う認識なのだ。若輩者には質素倹約がどれだけ大事なのか分かるまいて。
「はいよ、ユウナちゃん出来たよ。食い逃げのことなら気にしてないさね。自分の娘が食い逃げしてるようなもんだからな。かわいいもんさ、がははは!」
「なら、毎回オレに依頼する必要はないと思うんだが、店主よ……」
「そうはいかねぇだろうよ。この街の怪奇事件はお前さんの仕事だろ?」
「だったら少しはオレに感謝して欲しいもんだねぇ」
「へへぇ、そりゃ悪かったな。仕方ねえ――今日はご飯おかわり自由! そして一人卵3つまでつけようじゃないか!」
「ほんとか!? 助かるぜ店主よ!!」
「卑し過ぎでしょ、ダメ探偵……」
「なのですよ……」
「家鳴……あのうるさい狐狸娘らの椅子を集中してやってくれ」
「あぁぁあぁぁやめてぇぇぇ!」
「あははは! 揺れるですよー!」
小煩い狐狸娘が座っている椅子に家鳴たちを嗾けしかける。妖怪・家鳴はどんなに大きい建物だろうなんだろうと揺らし軋ませ音を立てる事が出来る。それを小さな椅子に集中すれば、地震の様に激しく揺れることになる。しかし失敗した……黙らせるつもりが余計煩くなったな。
店主の好意もあり腹ごしらえも出来た、それにユウナに餌付けも成功した。しかし、二百円の卵かけ御飯で満足してくれるとは、チョロい――もとい、質素倹約が身に付いているではないか。さすがはオレの助手兼使い魔だねぇ。いつまでもそのままのお前でいてください。
――この街はこんな感じで何処へ行こうとも人外と出会う。共存しているのだから当たり前ではあるけどな。しかしながら、その当たり前がどれほど大事か……本来なら多種多様な種族が入り乱れていては、争いが起きてもおかしくは無いんだがね。まぁそれを未然に防いだりするのが、オレの探偵としての役目だ。
それから店を出てユウナと二人で適当に街をぶらつく。一応の平和を見せている街並み。念のため顔見知りに話を聞いてみるも、怪奇事件は起こっていないとのこと。当然だろうな、今街を騒がせているのは強盗集団だ。参剋斐財閥率いる治安維持部隊が、その強盗集団を探し回っている。強盗事件はオレの領分ではないし、治安維持部隊に任せておけばいい。なに、彼らは優秀だからな。オレなんぞはお呼びじゃないさ。
とはいえ、テレビで強盗事件の情報を聞いた時は不自然さを感じたんだがなあ。だから街の様子を確認した訳だが……どうやら杞憂らしい。
胸を撫でおろして事務所に帰ると掛けたはずの鍵が開いていた。
「面倒くさいな」
いやな予感がして扉を蹴破る入ると燕尾服の男がオレを出迎えた。
「――お久しぶりですね、神門様。そして、神宮様」
「おいおい、参剋斐財閥当主の付き人が不法侵入か? 訴えんぞ」
「相変わらず神門様はご冗談がお上手ですね。この事務所は我が当主様がご用意なさったものです。維持費等も当主様が支払っておいでです。 権利者も当主様です。従って不法ではありませんよ」
「この際だから、オレ達の維持費も当主様が払ってくれてもいいんだぜ? あんたの足元に落ちてる貯金通帳見てみろよ。五十二円しか入ってねえんだからな?」
「そうよ! そうよ! 今日のお昼だって卵かけご飯なんだからね!」
「それは出来かねます、契約違反になってしまいますので。さて、雑談はここまでに致しましょう。街で怪奇事件が発生致しました、即時解決して下さい神門様」
「あ? ……それ本当か? 確かにいつもなら依頼を受けるんだがな。つい今しがた街で情報収集したけど、そんな話は一つも聞かなかった。起きてるのは強盗事件だけだ」
「はい、その通りでございます。そしてその強盗事件こそが “今回の依頼” でございます」
「はあ? それは財閥の “治安維持部隊” の領分のはずだ。オレの出る幕じゃない」
「神門様、ここはいつもの様にお屋敷で当主様より詳しいお話を――」
いつも通りに財閥当主からのお迎えがやって来たが……今回の依頼内容は “強盗事件” だ、怪奇事件ではなく。まぁ久しぶりのまともな依頼でもある……仕方がない、ここは素直に従うとするかね。
――事務所の外に出るとタイミング良く迎えの車がオレ達の目の前で静かに停車する。
「なぁいつも思うんだが、なんで事務所前に停めて置かないんだ?」
「参剋斐財閥に仕える者が駐車違反をするわけにはいきませんから」
「然様で」
「さぁ、お車へどうぞ……」
そうして、オレとユウナは車に乗り参剋斐財閥当主が待つ屋敷へと赴くのであった…………。
『第1話 怪奇事件はいつも “此処” から始まる』~終
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