うつつうつろにうつりうつろい

ひもろぎ

第1話 始まりは曖昧に。

 快晴。快晴。どこまでも続くこの青空に、はたして果てはあるのだろうか。しなやかな手つきを想像し、透明な紙飛行機を飛ばす。屋上から放たれた飛行機は、グラウンドを見下ろしながら、空中を進んでいく。それはどんどん小さくなって、白い芥子粒となり、そして視界から消えていく。それでも、まだ飛行機は青空を飛んでいることだろう。この広い青空の先にも、やはり青空は広がっている。いまごろは広い海に出て、鳥たちと戯れていることだろう。そして私は……。


「えー、本日はお日柄も良く、部員各位におかれましては、公私ともに充実した一日をですね、えー、過ごしておられることをですね、わたくし淡ちゃんは、心よりお祈りしているわけなのですがー、……うーん、少年は今日も暗い顔をしているねぇ。ちゃんとご飯食べてるかい?」

 自分こそちゃんと食事をとっているのか怪しいような体躯の少女、自称淡は、部室に入ってくるなり、どこか人を小ばかにしたような表情と声でもってその存在を主張した。「少年」と呼ばれた小柄な少年は、少女の挑戦的な態度も意に介さないのだろう、どこか空ろな声で応じる。

「お日柄も良く、というのは快晴の謂ではなく、六曜の話ですよ、岬先輩。それだと、雨の日にはスピーチを書き直さなきゃいけなくなりますからね。あと、僕は少年ではなく、柊です。もう一点付け加えるなら、この顔は生まれつきです。というか、僕は外を見ていたんですから、先輩は僕の顔を見ないで言ってましたよね。まぁいいですけど。ともあれ、お疲れ様です。」

 二人は顔を見合わせるが、それらは対照的だった。柊は本人の言とは裏腹に、やはり暗い顔をしていた。あるいは、その表情も含めて生まれつきなのかもしれない。対して岬は、予想通りの暗い顔に機嫌を良くしたようで、人を小ばかにしたようなその表情は、歪みを一層激しくしていた。しかしそれもすぐに頂点を越えたようで、その表情と声とは、次第に和らいでいった。

「なんだか言うことまで暗くていけないねぇ、柊、いや、水咲くん。見渡す限りの青空から、一体何を教わったのさ? もっとおおらかに、開放的に振る舞わなくちゃいけないよ。ところで、いつまでそんな所で突っ立っているのさ。こっちの椅子に座って、一緒にひなたぼっこ、もとい、今日の部活動を始めよう。」

「下の名前で呼ばないでください。僕が自分の名前を気に入ってないことは知っているのでしょうから、少しは気を遣ってくれませんか。お互いミサキで被って面倒なだけですし。」

 柊は言葉ほど嫌そうでなくそう言うと、気だるげに椅子に座った。岬は楽しげに言う。

「私は水咲って名前好きだけどね。何か新しいことが始まりそうで、それが日の光に輝いて。まぁそれはおいおい、ということで、柊くん、何はともあれ部活動だよ。」

 岬は小さく息を吸い込む。

「我々、えー、我々第二文芸部が現在置かれている危機的状況については周知のことと思う。そも、第二とはなんぞや。事は、藍花高等学校創立直後まで遡る……」

「その話は散々聞かされたので結構です。要するに「価値観の違い」ですよね。それも何十年も前の。正直あまり興味もありません。本題は何ですか? 八月部誌用の原稿なら、言われた通りに進めていますよ。」

 演説を早々に遮られ、岬はやや機嫌を損ねたようだったが、すぐに取り直したようである。表情をころころと変えながら、続ける。

「そう生き急ぐものではないよ、ミサキくん。だが、目の付け所は良い。本題は部誌に関することだ。しかしこれもミサキくんの指摘通り、例年通り、滞りなく進行している。そうだね。しかしながら、それが問題でもある。例年通り。例年通りなのだよ。例年通り、それが現状。今のミサキくんとミサキちゃんなのだよ。ふむ。それでよいのかねぇ、ミサキくん。」

 エンジンのかかった岬に対して自分にできることが無いことを、柊は十分すぎるほどよくわかっていた。彼はすでに聴衆であり、流されるほかない。

「良くは、ないかもしれませんね。」

 岬の機嫌は上り調子だ。

「その通り! 良くない、全くもって良くないのだよ! 「第一」の座を奪う宿願を果たすどころか、第一文芸部と第二文芸部の格差は年々開くばかり、ここ数年は第二文芸部の廃止まで囁かれる始末。我々には時間が無い。結果が求められているのだよ。わかるね、ミサキくん?」

「言いたいことはわかります。」

「よろしい。さて、そこで淡ちゃんは決意した。八月部誌。これが、我らが第二文芸部が最初に上げる、反撃の狼煙となる。そしてこの狼煙は、藍花高等学校第二文芸部による文芸部統一、その序章として語り継がれることになるだろう! 我々は、ひとつの世界をこの手に収めるのだ。第二文芸部、いや、文芸部よ、団結せよ! 」

 岬は呼吸を整えつつ、目で拍手を求める。柊は気だるげに拍手を返し、満足顔の岬に問いかける。

「お疲れ様です。久々な割には、という感じの演説でしたね。それで、要するにどういう話ですか?」

 岬の熱はもう山をだいぶ下っているようであった。今日一番の穏やかさを湛えつつ、問いに答える。

「本年度は第一文芸部に多くの新入生が入り、第二文芸部の部員数が少なくなってしまった。そのような中、第一文芸部と比べても遜色のない規模の部誌を発行するために、各部員には例年よりも多く寄稿をお願いする運びとなった、という話だ。というわけだから、励めよ、少年。念のために言っておくが、なぜそこまでして同規模の部誌に拘るのか、という質問はしないでくれたまえよ。この青空よりも寛大な心をもつ淡ちゃんと言えど、看過できない愚問は存在するのだから。」

 岬のこれは、踏み込むなら覚悟を決めて踏み込めよ、というサインである。柊はそれを分かっているため、よほどのことでなければそこには踏み込まない。

「それで、具体的な計画はどんな感じなんですか?」

 岬は、柊が踏み込まなかったことに対して、半ば不満気、半ば満足気だ。

「とりあえず、元々部誌に載せる予定だったお互いの原稿について、批評でもしあうのはどうか、と考えている。もちろん、君が了承してくれるなら、だが。どうかな?」

「別にいいですけど、僕は小説で、岬先輩は詩ですよね? 僕は詩はほとんどわかりませんよ?」

 岬は突然表情を歪め、窓の方へ向き直った。こちらに向いた横顔は、今日一番の、人を小ばかにしたような、それでいて悪意のこもった顔だった。

「それがいいのよ。無制約で、無責任で。この青空みたいで。」


 柊も岬の視線を辿って、窓の外に目を向けた。快晴。快晴。青空は、果てを示さず、どこまでも広がっていた。

「そういうものですか。」

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