書き下ろし~青春のリグレット~
Youlife
第1話 新天地
早朝の仙台駅、まだ冷たい空気が残る3月末、ホームへ急ぐ人混みに押されながら、二柳あおいは転勤のため、キャリーケースを片手に、東京に向けて出発する。
夫は仕事のため、東京に先に出発していたので、あおいと1人娘だけでの出発となった。
あおいの両親が、コンコースまで付き添ってくれた。
「あおい、せっかく一緒に住めたのにねえ。まあいつかは本社に帰るのは分かってはいたことだけど、やっぱり寂しいよ。」母は寂しそうにつぶやいた。
「あたしというか、孫と遊べなくなるのが寂しいんでしょ?」あおいはボソッとつぶやき、1人娘の文美音(ふみね)の手を引きながら
「フミ、ばあちゃんにバイバイしなさい。しばらく会えなくなるんだし・・」
あおいがそう言うと、文美音は、母の近くまで行き、
「ばあちゃん、寂しいけど、また会おうね。バイバイ!」と言い、母とハイタッチした。
「あたしも今度の部署は忙しくなりそうだから、フミのために時間を割くのが大変かもしれない。でも、そんな時は遠慮なく東京に来てフミの顔を見に来てほしい。」あおいはちょっと寂しい顔を浮かべたあと、にこっと笑って、
「さあ、新幹線が来たから、行こうか、フミ。母さん、行ってくるね!もう歳なんだから、体に無理はしないでね。」
そういうと、文美音とともに新幹線に乗り込んだ。
「あおい・・」母は少し言葉を濁しながら、あおいに語りかけた。
「何よ?」
「あんたは時々、切羽詰まると色々抱え込んで、自分を見失ってしまうことがある。悩んだ時は抱えないで相談しなさいね。じゃないと、学生のときみたいに周りの人たちに迷惑かけるからさ。」
「はいはい、その頃のことはもう思い出したくないのよ。それじゃ、行ってきます。」あおいはちょっとバツが悪そうな顔をしながらも、手を額に当てて敬礼のようなポーズを取って、新幹線に乗り込んだ。
二柳あおい、大学を卒業し、都内の中堅出版社である「共進出版」に勤務して20年になる。
子どもの頃からあこがれだった編集の仕事・・自分で書いた文章が、雑誌として掲載され、多くの人達に読んでもらえるなんて、考えただけでもワクワクしてしまう。就職活動の時は、出版社や雑誌社を何十社も受け、無事内定を取ったのが共進出版である。
12年前には、フリーライターをしている夫・隆介と結婚し、3年後にはこの春小学校3年生になる1人娘の文美音が生まれた。
今年の春、あおいは人事異動で仙台の営業所から東京の本社へ、チーフとして戻ってきた。
営業所には5年勤務したが、仙台はあおいの生まれ育った町であり、在任中は実家から仕事に通い、久しぶりに懐かしい家族、懐かしい友達とのんびりと過ごすことができた。夫と娘の文美音も一緒に仙台で生活していた。
営業所の仕事は本社から依頼のあった東北関係の取材と、地元書店への書籍の営業などであった。上司はおらず、事実上あおいが営業所長みたいなものだった。
しかし、異動先の本社部門で任じられたチーフの仕事は、自分だけでなく、部下の仕事をチェックし、意見をとりまとめ、上層部との交渉もこなさなくてはいけない。
でも、自分の仕事で精一杯で、とても部下の仕事なんて目が行き届かないのが現状だ。部下たちは、自由気ままに企画書を上げ、誤字脱字だらけの原稿を平然と提出してくる。あおいは上司に提出する前に、しっかりチェックし、時には原稿を作成した部下を読んで、手直しをさせる。けれど、上司からは、十分に推敲されていないと言われ、戻されてしまう。
こんなことの繰り返し。仕事は一向に進まない。
新しく配属された部署では、上司は課長と課長を補佐するアシスタントマネージャーが2人、部下は5人いる。前の部署では部下が2人・・それも、期間限定の派遣社員であった。今度の部署の部下達は、いずれも個性が強く、あおいよりも仕事が出来る社員もいる。
まずは、あおいの目の前にどっしりと座るベテランの佐藤淳、41歳。
この部署には5年在籍し、淳に聞けば、仕事に関することならほとんど答えが返ってくる位の、まさに頼れるエキスパートである。
ただ、理科系大学の出身であるためか?研究者肌で、一つのことにのめり込むと他が何も見えなくなってしまうのが難点である。
その真向かいに座っているのは、斉藤まゆみ、41歳。
アラフォーを迎えても独身を謳歌するまゆみは、仕事でもフリフリの付いた白やピンクや花柄のかわいらしいデザインの洋服を着ており、胸のあたりまで伸ばした西洋人のような茶色の長い髪と大きな瞳、そしてアニメ声優のようなキュートな声が特徴の、ぱっと見た感じでは年齢が分からない、か弱い少女のような女性である。しかし、まゆみは見た目とは違い、芯は強く、どんな長時間残業も耐えられるスタミナと、難しい問題にも対応できる頭の良さ、そして首都圏の国立大文学部出身であり、高い文章力をも兼ね揃えた、係内で一番頼れる存在の「お姐さん」でもある。
その後ろに座っているのは、配属されて2年目の若手女性社員、岩間沙綾、26歳。
ショートカットのボーイッシュな沙綾は、サバサバとした性格で、年上にも臆せず自分の意見をぶつけ、対等に立ち向かおうとする強いハートの持ち主である。
難しい仕事でも不満を言わず向き合い、きっちりと対応するところは、あおいも見習いたいところである。
昨年、学生時代から付き合っていた彼氏と結婚し、若いながらも家庭と仕事を見事に両立させている。
沙綾の向かいに座っているのが、高木和行、27歳。
和行は系列会社からの出向でこの部署に来ている。所属している会社は、営業が主体であり、自分で文章を書くなんて機会は殆ど無い。だから、いざ文章を書いて上司に提出しようものなら、びっしりと校正が入って返戻されてくる。
ただ、和行はどんな苦境にあっても笑顔を忘れず、ギャグを言って人を笑わせ、常に人を気遣う心もあって、殺伐としたあおいの部署にあって、唯一の和みキャラである。
最後に、和行とまゆみの間に座っている新任3年目の川内謙一、40歳。
謙一は中途採用で入社しており、以前は大手のシンクタンクに勤務していたエリートである。
小説を読むのが趣味で、いつかは物書きになりたい、もしくは自分で自由に文章を書ける仕事をしたい、そんな思いが募り、たまたま共進出版社が行った中途採用試験に応募し。見事にパスして採用された。
シンクタンクで調査の仕事をしていただけあり、冷静かつ的確に物事を分析する目を持っており、スリムで長身、フルマラソンを趣味とするスポーツマンでもある。
10年以上連れ添う奥さんがいるが、子どもはおらず、休日は夫婦で国内外問わず旅行を楽しんでいるとのこと。
これだけ個性派揃いの部下たちをまとめるのは、なかなか大変である。
特に、部署全員で対応するプロジェクトを任された時には、神経がすり減ってしまった。
ある朝、あおいは課長から呼ばれ、隣の席にに座るように言われた。
そして、深刻な顔でこう告げた。
「社長からの命令でな、うちの会社で出版している文庫本をPRするために、小中学生向けの読書キャンペーンをやってくれってさ。」
「え?キャンペーン?あれって、数年前に1度やって、結局費用対効果がないからって、辞めてしまったんじゃないですか?」
「社長は、文庫本の売れ行きが良くないことを気にしていてな。何とか売れるようにするには、夏休みに読書感想文を書いている小中学生をターゲットにするのが一番だろうって。うちの社長は元学校の先生だから、学校に上手く売り込めば、学校を通して子どもたちにPRしてくれるだろうって言ってるよ。」
「学校で取り扱うのは、夏目漱石とかの有名な作家の文庫本が中心ですよ。あとは「かいけつゾロリ」とか「ズッコケ三人組」みたいな、子どもを意識したわかりやすい作品が中心です。うちの会社で出版しているジャンルは子ども向けのものが少ないし、仮に学校が受け入れても子ども達は受け入れるでしょうか?」
「とにかく社長の命令だから。今は何も言わず、言われたことを部下たちと一緒に検討して進めてくれたまえ。あ、とりあえずプロジェクトの成果については社長の前でプレゼンしてもらうからね。再来週の火曜日にね。頼んだよ。」
「え?ちょっと・・課長!?」
社長はアシスタントマネージャーを伴って、そそくさと得意先回りに出かけてしまった。
あおいはまず部下全員を前に、今回のプロジェクトについて説明した。
そして、まずはどんなアイデアが出せるか意見交換を行うことにした。
「そんなの無理ですよ。何で社長が率先してやらないんですか?」まずは淳がぶちまけた。「俺たちの仕事って、小説家の先生たちを回って原稿を集め、月刊誌を編集することですよ。文庫本の営業や販売については、営業部の仕事ですよ。俺たちの専門外の仕事を何でやらなくちゃいけないんですか?」
「社長は何でそんな話をするんでしょうね?そんなに文庫本売りたいなら自分で得意先の書店廻ってキャンペーンを組んでもらえばいいのに」
和行が笑いながら、口をとがらせた。
「面白くないからかなあ・・うちのセンセイたちの小説って。サスペンスだのホラーだの旅ルポだの、どう考えても子どもが読んでいて面白いと思う本は無いですもん。どうすれば面白くなるんでしょぉ?」まゆみが心配そうな表情でつぶやいた。
「そんな、いつも月刊誌で世話になっている先生たちの作品を面白くないなんて私達が言ったんじゃ、次は相手してもらえなくなりますよ。とりあえず現状を分析して、学校をターゲットにするならばどんなキャンペーンを行えばいいのか、しっかりシミュレーションが必要です。」謙一がキリッとした表情で、皆に問いかけた。
「いや、面白くないよって、ストレートに先生方に言ったほうが良いんじゃ?実際そんなに面白いと思えないし。こちらからいつか言わないと気づかないですよ、先生方は。」沙綾が苦笑いしながら答えた。
係員はみんな言いたい放題・・収集がつかない位だ。
これじゃ話がまとまらない。残された時間は少ない。あおいに次第に焦りが出てきた。
「いいかげんにして。言いたい気持ちは分かるけど、これは命令なんだから逆らっても仕方がないよ。最初に、うちとしてはどうプロジェクトを進めるのか、決めなくちゃ。」
係員は皆、押し黙ってしまった。仕方ないなあ・・という表情とともに。
「わかりましたよ。それで、チーフはどういう風に進めるお考えなんですか?」淳はため息混じりに尋ねた。
「子どもたちが興味を引くポスター作りかな?それから、感想文コンクールとかも良いかもね。感想文って、宿題とかで強制的に書かされるイメージだけど、もっと積極的にに書いてもらえるよう、賞品も良いものを用意してね。キャンペーンには、各地区の営業担当にお願いしたほうが良いかもね。こういうときこそ営業所を使わなくちゃ。」
あおいはキリッとした表情で持論をとつとつと語った。
しかし、誰一人として係員は納得した表情では無かった。
「というか・・チーフ。浅すぎません?それ。ありきたりですぅ。」ぼそっとまゆみがつぶやいた。
「チーフ1人でやるんなら文句はないですけどね。」沙綾がとどめを刺すようにあおいを睨みながら話した。
「まずはライナーノーツの見直しをしなきゃダメです。うちの小説は、適当なライナーノーツを付ければ良いという編集側の甘えも、売れない原因の1つなんですよ。それから、学校への営業も、うちで取り扱ってる小説の特徴をよく分析し、他社には無いものを全面に打ち出していかないと、他社との競争に埋もれてしまうだけです。」謙一は冷静な表情で、現状を分析しながら対策法を伝えた。
「謙一の言うことがもっともだね。」淳も納得の表情で言い切った。
「まずは、学校に売り込む前にライナーノーツの見直し、そして、うちの小説ならではのものを前面に押し出して、読む側の興味を掻き立てて行くことだね。」
「内容はともかく・・ね。」和行が意地悪そうに笑いながらつぶやくと、係員は爆笑した。
「チーフ、まずは学校に感想文としてふさわしい作品をピックアップしましょう。
そして、ライナーノーツを見直しましょう」謙一はみんなに伝えるかのように大声で話した。
「謙一さんの案に賛成っ」まゆみはニッコリ微笑みながら拍手した。
沸き立つ係員たちをよそに、自分の意見を反故にされたあおいの表情は冴えなかった。
謙一の案に沿って、係のプロジェクトが始まった。
謙一が指示を出し、淳がプロジェクトにかかる具体的な費用、そして費用対効果まできっちり計算してくれた。きめ細やかな想定と数字の算出は、理系の淳ならではである。
まゆみは、プロジェクトのPR用文章を考える。彼女は高校国語教諭の資格を持つので、文章を考えるのは得意中の得意なのだ。
沙綾はPRのプレゼンテーション資料を作成し、和行はオブザーバーとして、外部社員ならではの意見とアイデアを付け加えてくれた。
そこに、あおいが入り込む余地はなかった。
係のプロジェクト会議が行われている傍ら、あおいはそれを聞いているだけで、意見を求められるのは、上司からのプレゼンテーションに関する指示事項を確認する時だけだった。
そして一冊にまとめられたプレゼンテーション資料が完成し、あおいも一読したが、会議にほとんど交ぜてもらえなかったこともあってか、その内容についてイマイチ理解ができない。どうしてこの内容なのか?これだけの費用がかかるのか?
どういう効果が期待できるのか?十分わからないまま、社長の前でのプレゼンテーション当日を迎えた。
社長を前に、チーフのあおい、謙一、淳の3人でプレゼンテーションを行った。
謙一が主にプレゼンテーションを担当し、淳が補足説明を行った。
外資系で徹底的にプレゼンテーションを鍛えられた謙一の説明は、言葉の1つ1つに説得力があり、社長も前のめりになり、謙一の目を見つめながら説明に聞き入っていた。淳は、謙一の説明では補えていない費用など具体的な「数字」の部分を説明し、この2人の説明だけで十分な感じで、あおいが説明することはほとんど無かった。しかし、社長が質問した相手は、あおいであった。
「チーフの二柳さん・・部下の皆さんが今色々と説明していましたが、チーフとして、これからこのプロジェクトをどんな風に進めていく予定ですか?」
あおいはあっけに取られてしまった・・何も考えていない、自分はただ傍観していただけ、理解までは出来ていない、だから、何を聞かれても正直分からない・・。
だけど、社長の手前、何も分からないなんて言えない・・
「そうですね、このプレゼンテーションの内容に基づいて夏休み前に全国へキャンペーンに出向き、要請があれば学校にお邪魔して説明をして、当社の小説を手にとって感想文を書いてもらえるよう係員みんなで汗をかくつもりです。」
「え?」謙一や淳は怪訝そうな顔をあおいに向けた。
「ほう、ここからは足で稼ぐということかな?よっしゃ、じゃあその気持に賭けてみようかな。この内容で早速進めてくれないかな?」社長はにこやかな表情で、このプロジェクトの実施にゴーサインを出してくれた。
課長は「おめでとう、ここからが正念場だけど、がんばってな。」と、嬉しそうにあおいたちを褒め称えた。
翌日、あおいは、文美音の通う小学校の奉仕作業のため、仕事を休んだ。
1人娘の文美音は、あおいの転勤に伴って仙台から東京の小学校に転校した。最初はなかなか新しい学校になじめなかったようだが、徐々に慣れてきたようで、何人かの友達と一緒に家に来て遊んでいることもあった。
夫の隆介はフリーライターで家にいることが多く、学校行事には主に隆介が出席しているが、稼ぎが少なくて、週2,3日は出版社へアルバイトに出ている。
この日は隆介が仕事を外せず、あおいが出ざるを得なかった。
大事な1人娘のため、あおいは、学校のこと、ピアノやダンスなどの習い事にもできるだけ関わるようにしている。
あおいが学校で奉仕作業や懇談会に勤しんでいたその時、会社では、恐ろしいことが行われていた。
あおいがそのことを知るのは、翌日出社したときであった。
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