エルフ郷 ―黒の召喚―
「……はは……ははは……」
正しく全力を出し尽くしたシェキーナとラフィーネの間には、耳鳴りがする程の静寂が訪れていた。
先程まで、双方の精霊が作り出し放った霊塊の激突により、この場は正しく地獄絵図と化していたのだ。
その攻撃も、互いを消滅させる事で消え去っている。
2人共、すぐには動き出せずに、不思議な程の静けさが漂っていたのだった。
そんな空気を破ったのは、ラフィーネの口から漏れ出した笑い声であった。
今の彼女は、シェキーナ以上に憔悴している。
その様な事は誰に言われるまでもなく、自分自身で良く分かる事だ。
そしてそこから導き出される、この戦いの勝敗もまた……言わずもがなであった。
それでもラフィーネの口からは、笑い声が零れている。
「今……届いた……。漸く私はシェキーナ……お前に届いたんだ……」
その理由は、正しくこれであった。
先程の攻防で、シェキーナは手を抜いたりしていない。
それは、彼女と手合わせしたラフィーネが何よりも理解出来ていた。
結果としては相殺と言う形で双方の攻撃は消滅しており、どちらが優れていたかと言う事はそれだけでは分からない。
それでもラフィーネは、その結果に納得している様であった。
彼女だけを見れば、すでに戦う気力など持ち得ていない様に伺える。
脱力し、乾いた笑いを浮べるラフィーネからは、この戦いが終わりを告げたと思わせる雰囲気さえ感じられるのだ。
しかし対峙しているシェキーナからは、戦う気勢が消え去った様子はない。
それどころか更に警戒心を顕わとし、先程までとは違う厳しい顔つきへと変容していたのだった。
「私の……私個人の想いはこれで……満たされた。あれ程遠く離れた存在だった姉さん……シェキーナに届いたのだ……。これ以上、もう私に望むものは無い……」
そしてラフィーネは、更に独白を続けていた。
満たされ、足りないものが無くなったのならば、この争いにも終止符を打って然りである。
それでもシェキーナは、彼女の言葉にどうにも違和感を覚えずにはいられなかった。
いや、誰が聞いても、恐らくは首を傾げていた事であろう。
それもその筈である。
「……ここからは……私だけの望みでも何でもなく……ただ郷を滅ぼしたシェキーナ……お前と魔族共を討ち滅ぼす為だけに……この命を使おう!」
そしてそう叫びシェキーナを見据えたその瞳は、もはや正気の沙汰ではなくなっていたのだった。
そしてそれと同時に、ラフィーネからは先程とは全く違う、不穏と言って良い気配が発散された。
精霊力を高めた訳では無い。
気力を振り絞った訳でも無い。
それでもラフィーネから
それとほぼ同じくして、それまでその存在を維持し続けていた
それを確認したシェキーナもまた、自らが呼び出した
その間にも、ラフィーネより齎される圧力により、シェキーナのうなじは総毛だっていたのだった。
彼女の脳内では、警告音がけたたましく鳴り響いている。
このままラフィーネを放置せず、即座に攻撃し息の根を止めよと内なる声が声高に叫んでいたのだ。
だがシェキーナは……そうしなかった。
それは何も、ラフィーネの決意や覚悟に水を差す事に躊躇いを見せた……などと言うセンチメンタルな理由から来ている訳では無い。
それは偏に。
「この上、私にまだ何か見せてくれると言うの……ラフィーネ?」
口角を吊り上げてシェキーナは、ラフィーネが起こす奇異に期待を込めて見つめていたのだ。
ラフィーネがそうであったように、もはやシェキーナにとっても妹の安否や、この郷の行く末など眼中に置いてはいない。
ただ彼女は、自分に憎しみを向けて来るラフィーネを討ち滅ぼす。
そして自らの持つその力がどの程度なのかを知る。
それだけにその思考の大半を奪われていたのだった。
「今度は……何!?」
強力な冷熱波が去り、シェキーナとラフィーネの呼び出した精霊達が消えたと言うのに、安堵の吐息をつく間もなく今度は得体の知れない気配がエルナーシャ達を襲っていた。
それは
その空気自体に、他者を害する威力は無い。
それは、その場にいる全員……エルナーシャとレヴィア、ジェルマとそして……。
「なんどすえ―――?」
「この禍々しい気配は―――?」
この場に戻って来たシルカとメルカも認識する処であった。
「……分からない……。まだ……戦いは続くと言うの……?」
そんなレンブルム姉妹の問い掛けに応えたのか、それとも自問自答だったのか。
エルナーシャは誰に言うでも無くポツリと呟き……そのまま押し黙ったのだった。
力を籠めるでもなく、雄叫びを上げる訳でも無い。
それにも拘らず、ラフィーネを取り巻く不穏な気配は留まるところを知らずに濃密となって行く。
それが、どの様な結果を齎すのか……。
どの様に考えても良いものとはならない筈であるのに、それでもシェキーナは動き出そうとはしなかった。
まるで……ラフィーネを媒介として、そこに生まれ出る何かを待ち望んでいるかのようである。
シェキーナとしても、ここでラフィーネを放っておいて去ってゆくと言う選択肢など無い。
もしもラフィーネが正気を取り戻した処で、エルフの民は彼女一人となってしまう。
数だけを考えれば、それはどう考えても脅威とはなり得ないだろう。
しかし彼女の高い精霊力は、この郷にいたエルフ達を全員合わせても及ばないほどに凄まじいものであった。
つまり、ラフィーネ一人だけとはいえ放置する等、下策以外の何物でも無いのだ。
そして何よりも、シェキーナもまたラフィーネに抱いた怒りを思い起こしていた。
なまじ姉妹として共に育ってきたからこそ、その怒りは天をも貫かんばかりであったのだ。
このエルフ郷を攻めるように指示したのは、誰でも無いシェキーナ本人である。
だがもしも他の誰かが指導者であった場合、違った指示を下したかと言えば答えは……否である。
ただそうすべき時期に、シェキーナが魔王であったと言う話であるのだ。
そんな苦渋に満ちた決断を強いたのは、誰でも無いラフィーネなのだ。
同族に手を掛け、その郷を滅ぼす様に指示しなければならない怒り。
シェキーナはそれを、やはり「抑圧の封壺」に封じ、自らを強く律して事に当たって来たのだ。
それでもラフィーネを前にして、我慢の限界はとうに超えていた。
彼女の立場から酌量の余地がない訳ではないが、そんな事はシェキーナには関係の無い事であった。
一度は治まったと思った感情であったが、ラフィーネの信じられないほどの憎悪を目の当たりにし、シェキーナも再び己の中に在った憎しみや怒りを呼び起こしたのだ。
憎しみをぶつけるべき相手が、憎しみをぶつけるに足る準備をしている。
それを邪魔するなど、今のシェキーナには出来なかったのだった。
そして、いよいよその刻が到来する。
動きを止め、一切口を開く事も無く不穏な気を高め続けていたラフィーネであったが、周囲にまで及んでいた禍々しい気勢はまるで波が引くように消失して行く。
まるでそれは、ラフィーネが全ての邪気を取り込んでいる様でもあった。
「……ウ……ウウ……ウウ―――ッ!」
それを現すように、ラフィーネの身体は仰け反り、その口からは彼女のものではない呻き声が洩れ出していた。
それと同時にその足元からは黒く濁った霧が発生し、ゆっくりと彼女の身体を覆い出したのだ。
「……素晴らしい……」
その状況に見入っているシェキーナが、ポツリとそう呟いた。
気付けば、彼女の口端は僅かに吊り上がっている。
そう……笑みを浮かべているのだ。
黒霧はその量をどんどん増して行き、更に濃く、ますます漆黒に染まって行く。
「……アア……オオオッ!」
そしてラフィーネの声音も、一層重く邪悪になって行く。
「素晴らしいぞ、ラフィーネ。まさか“死の精霊”を呼び出す者をこの目にする事が出来るとは思わなかったわ」
その身体も、精霊力も、魂さえも黒く染めて行くラフィーネと同様、シェキーナのその眼にも仄暗い炎が静かに……しかし強く灯り出していたのだった。
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