闇堕ちのエルフ

綾部 響

第1章 闇の女王

プロローグ

 勇者エルスと聖女アルナの熾烈な戦いは、大賢者メルルの介入によって全てを呑み込み終息へと向かった。





 勇者エルス=センシファーは、人界の勇者として魔界に君臨する魔王を倒すも、その場に現れた聖霊ネネイにより「ラスト・クエスト」を言い渡されてしまった。


 その内容は、聖霊ネネイの手渡した「魔王の卵」を孵し育てると言うもの。


 勇者であり魔王を倒したばかりのエルスは忌避感を示すも、聖霊ネネイの脅迫とも取れる説得により断腸の思いでその卵を受け取り育てる事となった。


 そしてそれは、長く苦しい旅を共にした仲間達との決別を意味していたのだった。


 最愛の女性であり優秀な僧侶であったアルナ=リリーシャを始め、彼女に付き従う“極戦士”シェラ=アキントス、優れた盗賊であり凶悪な暗殺者アサシンである“音無し”ゼル=ナグニス、飄々とした風貌を持つ“双槍使い”ベベル=スタンフォード。


 この4人が、かつての仲間でありパーティのリーダーであったエルスを追った。

 その理由は様々だが、最たるものはやはり、


「エルスが魔王になった」


 と言うものが大勢を占めていた。

 勿論、エルス本人にそんな気など更々無かったのだが、聖霊ネネイがそう一同に伝えエルス自身が否定できない状況であったのならば、それを信じても仕方の無いと言うものであった。


 もっとも、パーティの全員がその話を信じたと言う事は無かった。


 “大賢者”メルル=マーキンス、“森のハイエルフ”デルフィトス=シェキーナ、“剣匠”カナン=ガルバは、聖霊の言葉を鵜呑みにする事無くエルスを追い、合流したエルスと行動する様になったのだった。


 それは取りも直さず、勇者パーティを二分した争いになる事を示唆していた。


 人界、魔界は勿論の事、この世界で確認されている「四界」で最も強い力を持つ彼等が、正面切って争うのだ。

 その戦いは正しく、国家間の戦争にも匹敵する規模で展開される筈……であった。


 だが予想を反し、エルスは終始「逃げ」に徹していた。


 時にはエルスの意思で、あるいは状況に流されるまま……若しくは選択の余地が用意されていない場合もあった。

 徹底的にアルナ達からの追撃を逸らし只管に時間を稼いだ結果、漸くエルスの持つ「魔王の卵」が孵化したのだった。

 

 もっとも、それでお役御免と言う訳にはいかず、結局エルスは魔王を育てる事となったのだが。


 次期魔王と目されるものの名は……エルナーシャ。


 エルスを「父」と呼ぶ少女を前に、彼はエルナーシャを置いて魔界を去る事も、彼女を連れて逃避の旅に出る事も出来なかった。

 可能な限り時間を稼ぎ、エルナーシャの成長を見守るエルス達。


 しかし、刻のうねりは彼等に安息の時間を長くは与えなかった。


 紆余曲折を経て、両陣営は正面切って争う事となったのだ。


 最早逃げる事も許されないエルス達は、魔界へと進軍して来たアルナ達と人界の軍隊を相手取って戦いを繰り広げる。

 

 周囲を灰燼に変え、元勇者パーティの面々は互いに死闘を演じ続けた。


 そして1人……また1人と……。


 エルスの目の前で、かつての仲間達が散っていった。


 やがて最後に残されたエルスとアルナの戦いも、メルルが終止符を打ったのだった。


 メルル自らをも燃やす翠色の炎は、その地に残る全てを呑み込み。

 彼女自身とエルス、そしてカナン、シェラ、ゼルの肉体をも燃焼せしめたのだった。





「……アエッタ……。どう……なったのだ?」


 アエッタが息を呑んだのを見て取ったレヴィアが、不安の眼差しを彼女へと向けて問いかけた。

 

「……メルル様……」


 問われたアエッタだったがその事にはすぐに答えず、彼女はメルルの名を口にして二の句を告げられずにいたのだった。

 その声は震え、目尻には涙さえ浮かんでいる。

 それを見たレヴィアは、そのを聞くまでもなく想像出来てはいたが、それでも彼女の答えを求めたのだった。

 レヴィアとしても、自身の考えが杞憂であるのならばそれに越した事は無いのだ。


「……アエッタ……」


 そしてもう一度、アエッタの名を口にした。

 先程よりもゆっくりと静かに。

 そして出来るだけ優しく。


 レヴィアの言葉で我に返ったのか、アエッタは目を瞑ったままハッとなってレヴィアの方へと顔を向けた。


「……ごめんなさい……レヴィアさん……」


「レヴィアで構わない……。それで……戦いは……」


「……はい……。終わりました……」


 レヴィアの言葉に、アエッタはそう答えた。

 その声音には愉快な要素など何一つ含まれていない。

 悲しみと絶望。

 もしもこの場にレヴィアがいなければ、アエッタはそのまま泣き崩れてしまうのではないかと言う程暗く沈んだ声だったのだ。

 そしてそれは、レヴィアの考えに確信を与えていた。


「……そうか……」


 レヴィアには、それだけしか口にする言葉が思い浮かばなかったのだった。

 

 戦いは終わり、アエッタが失意に愕然とするほどなのだ。

 それがエルス達の勝利である筈等無かった。


「……それで……生存者は……?」


 勝利で無いのならば……敗北である。

 エルス達が戦いに負けたと言うのであれば、この場合の「生存者」とは敵の生き残りを指す。

 絶大な力を持っていたエルスやメルル、シェキーナやカナンが敗れ去ったのだから、今の魔界にアルナ達を迎え撃つ事の出来る者など居ない。

 それでも魔界の為に……エルス達の為に……。

 そして何よりもエルナーシャの為に、レヴィアは命を賭してアルナ達と対峙しなければならないと考えていたのだ。


 レヴィアの更なる問い掛けに、アエッタは再び「視る」事に注力した。


 先程からアエッタは、自らの放った“使い魔”の見ている映像を必死になって読み取っていたのだった。

 超高高度からの視界……。

 それは、魔界に生息する巨大な鳥の視た映像に他ならない。


 ここでいう「使い魔」とは、何も魔法で作り出した黒い猫やら召喚した鴉だ等と言った“化け物”の類では無い。

 現存する生物に己の魔力を植え付け、意のままに操ると共にその生物が見た景色や聞いた話を術者が知る事が出来ると言うだけの代物……所謂催眠術や暗示に近い物である。

 対象者にどれ程の術を仕掛けるかで、出来る事は増減し効果時間も長短する。

 そして今アエッタは、魔鳥を思いのままに操りその視界を我がものとする様に術を仕込んでいたのだった。





「……しょ……少々お待ちを……。未だ砂煙が激しく……視界が……」


 動揺を隠しきれないアエッタが、僅かに言葉を詰まらせながらそう答えた。

 メルルの使用した術により、周囲一帯が焼き尽くされた事に違いは無い。

 それでも一切の生存者が皆無かと言われれば、アエッタにもそうは断言出来なかったのだった。


 敵はエルス達と互角以上に戦って見せたのだ。

 如何なメルルの命を賭した爆炎であっても、それで安心して魔鳥を近づける様な愚は犯せなかったのだ。


「……あれは……」


 そしてアエッタは、遥か遠方に高速で移動する影を視認した。

 傍らで彼女の言葉を聞いていたレヴィアが、知れずゴクリと息を呑む。

 

「あれは敵の……傷ついた女性を男性が抱え、高速で離脱して行きます……。あれは……エルス様と最後まで戦っていた僧侶の女性……アルナと言いましたか。……それに……2本の槍を操っていた男……ベベルと言う者ですね……」


 明確に人相と名前が一致していた訳では無いアエッタだったが、それがアルナとベベルであると言う事を確信していた。

 それはメルルから聞いていたアルナ達の特徴と一致していたからだった。


「……敵は手傷を負っているんだな……?」


「……はい……。アルナはエルス様との戦いで……。ベベルは全体的にダメージを負っている模様です……。どうやら……早々にこの魔界から撤収する様です……」


 それを聞いたレヴィアは、僅かに安堵の吐息を洩らした。

 もしもアルナ達が勝利の余勢をかって魔界を蹂躙する様であれば、死を賭して彼女達の前に立ち塞がらなければならないとレヴィアは考えていたからだった。


 もしもこの事実をエルナーシャが知ったならば、レヴィア達がどれ程止めても彼女は飛び出してしまうだろう。

 今はメルルの掛けた「冥府の眠り」で、簡単には起きる事の無い眠りの中にいるエルナーシャであるが、もしも目覚めたならば有無を言わせず戦いの場へと向かうのは火を見るより明らかなのだ。

 は、エルナーシャがその様な無茶を起こさない様に事態を鎮める事も含まれている。

 

 それでも今回は、その様に勝ち目のない戦いへと身を投じる必要は無さそうだった。

 死を恐れないレヴィアであったが、無益な死は彼女の望むところでは無い。


「……他には……何も……はっ!? あれはっ! シェキーナ様っ!?」


 僅かに落ち着きを取り戻していたアエッタだったが、次の瞬間には彼女には似つかわしくない大声を出してそう叫んでいたのだった。

 

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