第17話 正義神の天秤
言い得ぬ不安に、リルトリアは覚醒した。
「相変わらず、いい勘をしている」
「……レイドさん?」
テントの入口に、鉄色の長い髪をした男が立っていた。
遠くで、火が爆ぜる音。歩哨兵たちの声は……一向に聞こえてこない。
「兵たちは!」
「敵が絶対に攻めて来ないと思い込んでいるのか、どいつもこいつも緊張感が足りてない」
「兵たちはどうしたんですか!」
「それとも、敵がクロノスだけだと思っているのか。だとすれば、実に滑稽だと思わないか? まるで、自分たちがしてきたことをわかっちゃいない」
噛み合わない会話にリルトリアが剣を手に取ると、
「――殺したに決まっているだろ」
レイドは求めていた答えを提示した。
「オレが、帝国兵に容赦する理由があると思うか?」
皆無に等しい。
帝国は、彼から全てを奪った。
まず、両親。次に、彼を連れて逃げた姉、残された彼を保護していた孤児院の関係者。
そして、彼の師事に最愛だった女性――全て、帝国が殺した。
「安心しろ、リルトリア。おまえだけは絶対に殺さない。……仲間だからな」
レイドの言葉に偽りはないだろうが、彼にとっての仲間はかつての八人だけで、リルトリアの部下たちは含まれない。
「ただし、憶えておけ。もし、クロノスに攻め入る機会に恵まれたとしてもオレが止める。おまえ以外の全てを殺してな」
「できもしないことは、口にしないほうがいいですよ? あなたも、英雄の一人なのですから」
「英雄、か。なぁ、リルトリア。おまえは、ジェイルがどうして死んだか知っているか?」
リルトリアが振り絞った精一杯の敵意を挫くように、レイドは投げかけた。
「ジェイルが死んだ理由? そんなの、悪神にやられたのでは?」
「世界が一丸となった時点で、ジェイルの勝利は決まっていたはずだ。状況は文句なしに整っていたのだから」
牙を剥いた邪神の軍勢、日頃の情勢を無視して手を取り合った国々。その窮地に駆け付けた――様々な人々の助けを受けて、ぎりぎり間に合った
この状況下であれば、正義神の聖奠は創世神にも引けを取らないはず。
だとすれば、ジェイルはどうして命を落としたのだろうか?
「テスティアと話していて思ったんだが。もしかすると、あのバカは世界の為に戦わなかったのかもしれない」
「世界の為に戦わなかった? どういう意味ですか?」
言葉としてはわかるが、ジェイルに当てはめるには無理があった。彼はいつだって、平和の為に生きていた。
「さぁ、な。これ以上はオレにもわからない。考えられる限り考えたんがな。たとえば、テスティアの為に戦ったとかな」
世界と最愛の少女。秤にかけた時、どちらに正義神の天秤が傾くかは断言できない。
したがって、それがあり得ないのはリルトリアにもわかる。
もっと明確な理由――天国から地獄へ落ちるような落差がなければ、ジェイルの死に説明はつかない。
「なぁ、リルトリア――」
思案に暮れている頭が現実に呼び戻されるも、
「おまえはなんの為に戦う?」
答えられなかった。
「オレはクローネスの為に戦う。それが自己満足だとしてもだ」
レイドは見事に楔を打ち込んできた。
――正義神の天秤がどちらに傾くか。
そんなもの、秤にかけるまでもない。
リルトリアは、背を向けたレイドに声すらかけられずに見送ってしまう。
「何をしているんだ……わたくしはっ!」
吐き出し、拳を叩きつける。敵を前にしながらも一つも動かなかった両脚は、竦んだように固まっていた。
「わかっていたはずだ! クローネスだけでなく、皆を敵に回すことも!」
それが嫌ならば父と――いや、皇帝の血脈に連なる者たちと争わなければならない。
道を誤った父から、息子が玉座を奪い取る。それは昔から繰り返されてきた、いかにも民衆が好む展開だが、現実はそう甘くはなかった。
どんな大儀を掲げようとも、仕えるべき主であり、血の繋がった尊属を殺めれば反発は免れないものだ。
特に、忠義や恩義に厚い騎士や貴族たちは許さないだろう。
リルトリアは
少なくとも、父はそうして皇帝の座に就いた。自分の親と、兄弟と、親族たちを殺しつくした。
――そんなのは駄目だ! 自分には、絶対真似できやしない。
だって、リルトリアの味方になると断言できるのは民衆しかいないのだ。
だからこそ、彼は仲間と争う道を選んだ。
そう、選んだはずなのに――!
「何をしているんだ……!」
リルトリアは天幕から抜け出す。
やらなければならないことは沢山あった。答えられなかった自分に憤っている暇などない。
レイドはともかく、殺された兵を放置しておくのは拙い。
もし、鍛冶神の痕跡があれば、兵たちの士気に関わってくる。
ところが、リルトリアの心配は杞憂に終わった。
レイドの指摘どおり気を抜いていたのか、兵は普通に殺されていた。
喉側から半分ほど裂かれた首――おそらく後ろから一撃――彼が好んで使う大鎌の餌食になったようだ。
他の兵たちも同じ有様で、武具に損傷は見受けられない。誰一人として異変に気付いた様子がないのは、レイドが巧妙なだけでなく、兵たちが未熟だったからだ。
此度の軍勢は、兄たちの私兵とリルトリアに憧れた志願兵で成り立っていた。
その為、ここにいるのは実戦経験に乏しい者ばかり。
熟練の将兵たちの多くは、先の戦いで責務を全うしていた。
僅かに残った者たちも、皇帝の勅命で帝都に召集されている次第である。
だというのに、兄たちが連携をしている素振りは一切見受けられなかった。お世辞にも仲が良いとはいえないので、当然と言えば当然なのだが……。
――とにかく、早急に死体をどうにかしなければならない。
現状、兄たちにとってリルトリアは共通した敵だった。このまま放置すれば、責任を押し付けられるのは間違いない。真相を話したとしても同じだ。
心苦しいが、なかったことにするのが誰も傷つかないだろう。
幸いにも兵や指揮官たちの連携が上手くいってないので、隠し通すのは難しくなかった。
――だが、どうやって?
一人では、とうてい無理。かといって、リルトリアを清廉潔白だと信じ込んでいる志願兵たちに、このような汚れ仕事を頼む訳にもいかない。
「これでは、兄たちのことを悪く言えないな……」
結局、自分も保身に走っている。
今の身分を失いたくない。民たちの期待を裏切りたくない。
父にも認められたい。仲間たちに嫌われたくない。
なんて、欲張りなことだろう。
傲慢にも、程がある。
相容れないとわかっていながらも、諦めがつかず、どっちつかず。
クローネスなら割り切る。レイドなら迷わない。
エディンなら信念を貫く。ペルイなら感情に従う。
シアならペルイを信じる。シャルルなら自分で決める。
テスティアなら皆に相談する。ジェイルなら正義を選ぶ。
仲間たちが教示してくれているのに、リルトリアは選べない。色々な言い訳を付けては、逃げてしまう。
自分で決めなければ。自分一人の力で答えを出さないと意味がないと、年相応の矜持が先延ばしにする。
けど、いつかはその時は来る。
限界が訪れ、選択を迫られる。
「ほめたたえよ、王なるみ神を
ゆだねまつる わが身をはげまし
みつばさ 伸べたもう主の
みわざたぐいなし――」
リルトリアは兵の肉体だけなく、精神までも完全に支配し、使役することに決めた。最低の行為。人の意思を無視して操るなど、邪神となんら変わりない。
「――
それでも、リルトリアは決断した。
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