§Final

§Final

 薄暗い格納庫の一角に、二人の男女の声がひっそりと響いている。


「ぶ、文楽さん。だめです、そんなところ……」


「いいから脚をどけろ。よく見えないだろ」


 一つは、フェレスが上げる恥ずかしそうなか細い声。


 そしてもう一つは、文楽が上げる不満に満ちた低い声。


「ううっ、恥ずかしいです……」


「うるさい。お前がどうしても恥ずかしいというなら、ここでやめにしてもいいんだぞ」


「い、いえ……確かに恥ずかしいですけど、文楽さんが恥ずかしがりながら一生懸命になってくれる姿がとても嬉しいので、やっぱり続けてほしいです」


「ああもういい! やめだ! こんなことこれ以上やっていられるか!!」


 文楽は弱音だか怒声だか、よくわからない奇声を上げると、両手で握っていた長いモップを床に向けて思いっきり叩き付けた。


「何よ、騒がしいわね」


 不意に格納庫の入り口から、呆れたようなルーシィの声が二人に向かって届く。


 機甲人形アーマードール〈メフィストフェレス〉は大きな頭部をくるりと稼働させ、声がした方を振り返った。


「……こそこそ何やってんの、あんた達?」


「あっ、ルーシィさん!」


 文楽はむっすりとした表情で腕組みをしながら仮装人形アバター姿のルーシィに答える。


「こいつの装甲を磨いてたんだ。整備は終わったが、戦闘の汚れが残ったままになっていたからな」


「ふーん。操縦士自ら、機体をわざわざ手作業で磨いてあげるなんてね」


 床に放り出されたモップを見つめながら、ルーシィはしげしげと頷く。


「修復の終わってない機体は山ほどあるんだ。整備士たちも暇じゃない。機体の洗浄作業ぐらい、操縦士が自分でやってもいいだろう」


「ま、そういうことにしといてあげるわ」


「おい、どうして俺が嘘をついたことになってる」


 二人が言い合う隣では、〈メフィストフェレス〉の巨体が、座り込んだ状態で装甲のあちこちに泡を付けている。


 リヴァイアサンの襲撃事件から、三日の時が経っていた。


 多くの被害を受けた基地の機甲人形アーマードール達も半数近くが修復を受け、基地としての機能を取り戻しつつある。だが、訓練学校を始めとした基地内が普段通りの状態へ戻るのは、まだ時間がかかるという見通しだ。


 授業も行われず漫然とした日々を過ごしていた文楽は、人気の少ない時間を狙って格納庫を訪れ、〈メフィストフェレス〉の点検を行うと同時に装甲表面の汚れや傷跡をモップや研磨剤などの道具を使って手ずから磨いていたのだ。


「良かったわね、フェレス。甲斐性のある男が操縦士マスターで」


「はい。文楽さんはとても素敵な〈人形遣いパペット・マスター〉さんです」


 巨大な〈メフィストフェレス〉の機体から、フェレスの嬉しそうな声が上がる。


 対照的に文楽は、床に放り出したモップを拾い上げながら暗い表情で呟きを漏らした。


「あんな奇人の言うことなんか真に受けるんじゃなかった……」


「あら。人のお父様を奇人呼ばわりなんてひどいじゃない」


「奇人と言っただけでよく誰のことか分かったな、ルーシィ」


「そっ、それは……それだけ私の勘が鋭いってことよ!」


 珍しく狼狽した様子のルーシィは、顔をぷいっと背けてふんぞり返る。


 やれやれと肩を竦めて、文楽は〈メフィストフェレス〉の装甲についた泡を、スポンジで擦りながら落とし始める。


 補助推進器が搭載された足回りは、ノズルからの噴射炎に晒されるため煤汚れや塗装の剥離が起きやすい。かといって水をかけるだけだと錆止めされていない部品の寿命を早めてしまうので、手作業で磨くのが一番なのだ。


「ぶ、文楽さん。そんなところ、恥ずかしいです……!!」


「うるさい。いいから脚を広げろ」


 両腿の間にスポンジを握った手を突っ込もうとするが、フェレスは恥ずかしそうに叫びながら機体の両脚を閉じて必死に抵抗する。肉体ハードは硬質な金属で出来た機甲人形アーマードールとはいえ、精神ソフトは繊細な乙女心なのだ。


 そんな二人の姿を横目でちらちらと盗み見ていたルーシィが、ふと耐えかねたかのように頬を赤くして声を上げる。


「ね、ねえ文楽……その、今度は私の機体からだも、磨いてみるつもりない?」


「何を言ってる。俺はお前の操縦士ではないだろ」


「そ、それはそうだけど……」


「まあ、お前に乗せてくれるというなら話は別だがな」


「…………ちょっと考えておくわ」


「まじか」


 ルーシィは難しい顔つきを浮かべながら、格納庫から歩み去って行く。


 あれだけ頑固に人を乗せたがらなかった彼女が、あんなに心を揺らしているとは。


 文楽は真剣な驚きと共に、手に握ったスポンジをじっと見つめる。


 ただ手を使って機体を磨くという、それだけの作業が、ここまで人形知能デーモンの心に訴えかけるなどと想像していなかった。


「また文楽さんは、すぐにそうやって他の人形に……」


 ふと振り返ると、〈メフィストフェレス〉が体を小さく屈めて格納庫の床に巨大な指先でずりずりと何か模様を描き始めている。


「……何をそんないじけているんだ、お前は」


「文楽さんは! 本当に人形の扱いがお上手なんですねっ!」


「俺が人形を思い通りにできた試しなんて一度もないんだがな」


 現に今もそうだ。さっきまであんなに機嫌の良かったフェレスが、あっという間にやさぐれてしまっている。


 自分の不甲斐なさに、文楽はふと数日前の出来事に思いを巡らせていた。


「考えてみれば、いつもそうだ。〈人形遣いパペット・マスター〉だなんて呼ばれたところで、思い通りにできることなんて何一つなかった」


「文楽さん……?」


「俺は結局、あいつを取り戻せなかった……切り捨てることしか選べなかった」


「あの、気を落とさないでください。私、そんなつもりでは……」


「いや、お前が悪いんじゃない。あいつのように汚染された機甲人形アーマードールはきっとこれからも表われる。その度に同じ罪を背負い続けることになる。これは、変えようがない事実だ」


「……それは違います、文楽さん」


 そう呟いたのと同時〈メフィストフェレス〉の頭部に存在するハッチが開き、メイド服を着た人形の少女が、まるで卵から孵化した鳥のように首をもたげる。


「私にも、その重さを分けてください。一人じゃできないことでも、人形の私と一緒ならきっとできる……それが、〈人形遣いパペット・マスター〉の力なんです」


 フェレスは自身の両手を、鳥が翼を広げるようにふわりと広げる。


 同時に、巨大な機体の両腕が、文楽の体を包んだ。


 文楽はモップを肩に担ぐと、〈メフィストフェレス〉の頭部を見上げて、少しだけ顔を綻ばせる。


「確かにこのうすらデカイ腕なら、多少重いものでも簡単に持ち上げられるな」


「ひどいです文楽さん! 照れ隠しでも言って良いことと悪いことがあります!」


「なっ、何が照れ隠しだ! 根拠のない戯言を吐くな!!」


 楽しそうに微笑むフェレスと、そんな彼女を口汚く罵る文楽。


 仲が良いのか悪いのか、傍目には判然としないが、少なくとも文楽の表情は人間らしい怒りと恥ずかしさに満ちている。


 格納庫の中には、二人が言い合う騒がしい声が響き続け――


 <br />


「――本当にひどい人だね、マスターは」


 <br />


 突然しんと、室内の空気が凍り付いた。


 二人の会話を切り裂くように割り込んだ、氷のように冷たい一つの声。


「ボクというものがありながら、他の機体おんなとまたそうやって楽しそうにして」


「お、お前……!?」


 文楽とフェレスは、声の上がった方向へぎこちなく首を向ける。


 裾が燕の尾スワロウテイルのように分かれた紺色の礼服。肩の長さに伸びた藍色の髪に、蛇のように鋭い紅色の瞳。


 そして額から牙のように不揃いな大きさの角を生やす、中性的な美貌を持つ人形の少女。


 文楽は呆然と口を開けたまま、息を吐くようにゆっくりと声を上げる。


「……レヴィア、なのか?」


 機甲人形アーマードール〈リヴァイアサン〉――切り捨てたはずの過去が、まるで亡霊のように、在りし日のままの姿で格納庫の入り口に立っている。


 どうして。何故。そんなはずは。


 あらゆる言葉が頭の中で、当て所もなく空回る。


 ぴくりとも動けないでいる文楽に向かって、突然レヴィアは叫びと共に駆け寄った。


「会いたかったよ、マスターーーーーーーー!!」


「のわあっ!?」


 まるで飼い犬が主人に飛びつくみたいに、レヴィアは大きく跳躍すると文楽の首に両腕を回して抱きついた。


「お前、本当にレヴィアなのか!?」


「ああそうともさ。この愛らしい顔を見忘れたとは言わせないよ」


「……その口ぶりは間違いなくそうみたいだな」


 状況についていけず困惑するフェレスと文楽を置いて、レヴィアはマイペースに言葉を続ける。


「ああ、夢みたいだ。仮装人形アバターの体で、こうして君に触れることができる。頬ずりをして、胸に耳を当てて鼓動の音を聞いて、唇で唇の感触を確かめ合うことも――むぐっ」


「調子に乗りすぎだ」


 流れるような動作で唇を近づけてきたレヴィアを、文楽は手を使ってガードする。


 無邪気に笑う彼女の言動には、ゲーティアに汚染されていたときに見せた危なげな態度や殺意のような感情は見られない。ある意味、以前より悪化しているようには思えるが。


「ず、ずるいですレヴィアさん!」


 耐えかねたように叫ぶと、フェレスは機体の頭部から身を乗り出し勢いよく飛び降りた。


 跪いた態勢とはいえ、機甲人形アーマードールの頭のは床から三メートル以上も高い場所にある。


 フェレスは飛び降りた勢いのまま、半ばタックルのような形で文楽に飛びつき、彼の体を床へと押し倒した。


「文楽さんは私の操縦士です! 文楽さんに抱きついていいのは私だけなんです!!」


「いや、俺はそんなことを許可した覚えはない」


 床に倒れた文楽の体に、絡みつく蛇のようにまとわりついたまま、レヴィアはじろりとフェレスのことを睨みながら言葉を返す。


「それはこっちの台詞だ。妬ましい……マスターに機体からだを洗ってもらうなんて、ボクだってまだ三度しかしてもらってないのにっ!」


「三回もしてもらってたらいいじゃないですか! 私はこれが初めてなんです!! 邪魔をしないでください!!」


「くそっ、誰でもいいからこの状況に納得のいく説明しろっ!!」


 二人の人形に両側から挟まれながら、文楽は悲鳴のように声を上げる。


 確かに自分の体に抱きついて、長い舌を首筋に這わせようとしてくるこの少女は、間違いなく仮装人形アバターの姿をしたレヴィアだ。声も喋りも顔の造形も、モニターの中に投影されていた彼女のものと同じだ。何より、この奔放な愛情表現が全てを物語っている。


 だが〈リヴァイアサン〉の仮装人形アバターは用意されておらず、機甲人形アーマードールの姿をしたレヴィアとしか会話をしたことがなかった。つまり、この体を用意した何者かが居るはずだ。


「ふっふっふ。モテモテで素晴らしいことじゃないか、文楽君」


 待ってましたとでも言わんばかりに、格納庫の入り口から色眼鏡を掛けた白衣の老人が仰々しい笑いと共に姿を現した。


「やっぱりあんたの仕業しわざか!」


「仕業とは人聞きの悪い。御業みわざと言って欲しいところだ。呪詛による汚染を量子頭脳から消し去るのは私でなければ到底不可能だったと自負している。まだまだ私の力も、捨てたものではないらしい」


 文楽は二人の人形を力尽くで引きはがし、倒れ伏した状態から立ち上がると、ゼペットの方へ向き直った。


「いや、待ってくれ。そもそも〈リヴァイアサン〉は……沈めたはずだ、俺達の手で」


「確かに〈リヴァイアサン〉の機体は大破してしまったが、量子頭脳は回収できたのでね。私が独断で修復を加え、ついでに仮装人形アバターも用意しておいた」


 量子頭脳は一つ作るのにかなりの期間と労力を要し、多数の戦闘データを蓄積しているため情報的価値も質的価値も、他の部品とは比べものにならない。


 必然、機体が大破した程度では傷つかないよう厳重に保護されている。下手をしたら操縦士に対する保護よりも手厚いぐらいだ。


「礼を言いたいところだが、その前に聞いておく。俺と比べて、フェレスはどうもこの状況に驚いていない。というか、俺しか驚いていない」


「それはそうだろう。戦闘現場の回収作業中、彼女の量子頭脳を発見したのはフェレスだったからね。怪我の治療中だった君には知らせていなかった」


「なるほど。どうして黙っていたのか問い詰めてくる」


 憤慨した様子で振り返る文楽を、ゼペットが慌てて押しとどめる。


「まあまあ、聞きたまえ。レヴィアを本当に回復させられるか、実は私としても微妙なところだった。もし汚染の除去に失敗していたら、始めから〝見つからなかったこと〟にするつもりだったのだろう」


「……やはり気にくわないな。俺ばかり気を使われている」


 フェレスが話さなかった気持ちもわかるが、話してほしかったという思いもある。


 怒りを収めはしたものの、やはりどこか納得のいかない様子だ。


「それで、レヴィアは今後どうする? 本部の連中は潔癖症だ。一度汚染を受けたあいつのことを、檻に閉じ込めておけと言い出すのが目に見えている」


「今や全ての量子頭脳が汚染のリスクを抱えている。君は全ての量子頭脳を地上から消すことができると思うかな?」


「……土台、無理な話だろう。それが終わる前に人類の方が地上から消える」


 人類とゲーティアの攻防は、一進一退を繰り返している。せっかく機甲人形アーマードールという大きな一歩を踏み出したというのに、汚染のリスクがそれを押し返す。


 人類は次なる一歩を目指さなければならない――【コッペリア計画】も、言わばその選択肢の一つだった。


「確かにレヴィアは汚染を受けた最初の人形だが、見方を変えれば〝汚染から回復した最初の人形〟でもある。ゲーティアを不治の病として恐れるより、治せる病にしていく方が賢明だろう」


「違いない。生き延びるための選択肢は多いほどいい」


 新たな選択肢が生まれれば、別の選択肢を選ばずにも済む。それは結果的に、フェレスのような存在をこれ以上増やさないことにも繋がる。


 コッペリウスになりたくなかった――彼はその意思を、行動によって示するもりなのだ。


「今回レヴィアに施した試みが上手くいけば、人類の未来に大きく貢献できるだろう――という具合に軍部を言いくるめて、今後も私の管理下で経過を見守ることにしておいた。」


「……あなたは一体、何が目的なんだ?」


「私は常に、人類にとって最善の選択をしているつもりだよ。もちろん、人形たちを含めた*大きい意味での人類*だがね」


「人形も人間も、同じ〝人〟類だろう。大きいも小さいもあるのか?」


「私としても、ないほうがいいんだが、それもまた難しい問題だ」


 最初の機甲人形である〈ルシフェル〉が開発されてからの十年間、人類の勝利と安寧は人形知能デーモンのゲーティアに対する不可侵性によって成り立ってきた。


 その聖域が侵されてしまった今、人形知能デーモンをゲーティアの汚染に対抗できるか否かは、人類が存続していけるかどうかと同義だ。


「だが正直なところ、まだ油断を許せる状態というわけではない」


「いつまた、汚染状態が再発してもおかしくないと?」


「問題は、彼女が自我を保ち続けることができるか否かにある……〝嫉妬の悪魔〟としての自我をね」


 人形知能デーモンたちは三原則の軛から解き放たれたことで、強固な自我を手に入れた。


 だが、もし彼女達が人の命令に対して従順で確固たる自我を持たない存在になってしまえば、低級な人工知能と同じようにゲーティアの魔の手に落ちてしまう。


「つまり彼女の嫉妬心を上手く煽るのが、ここでは最善策と私は考えたのだ。君の近くに彼女を残し続けるのは、言わばもっとも安全な経過観察方法と言える」


「筋は通ってますが、不思議と全く腑に落ちません」


 文楽は呆れたような表情を浮かべて、飽きもせず言い合いを続ける二人の人形の姿を見つめる。


 その隣で同じ景色を見つめるゼペットは、不意に真剣な口調で彼に問いかけた。


「君は未だ、この平穏に生きづらさを感じているのかな?」


「……まだよくわかりません。ただ、生きづらさの原因は分かった気がします」


 文楽は言葉を探すように、ぽつりぽつりと話し始める。


「この平和な後方では、誰もが皆、よりよい明日が来ると無根拠に信じて生きている……俺には今まで、それができなかった」


 今日より悲惨な明日を迎えるぐらいなら――明日花が枯れてしまうぐらいなら、永遠に今日だけが続けば良い。


 昨日まであったはずの顔が、気付けば次の日には居なくなっている。


 交わした言葉も抱いた思いも、次の日には跡形も無く消え去っている。


 過去の記憶も未来の希望も持たない文楽は、そんな戦場の毎日を生きる中で、今日という日だけを見つめることで戦い続けてきた。


 より良い明日を願うことを、心の奥で拒み続けていた。


「目が覚めると、起こしにきたフェレスの顔があって、用意してくれた飯があって。学校に行けば昨日と同じ友人の顔がある……人類は皆、こんな明日の為に戦ってきたのだと、ここに来て初めて気が付いた」


「そしてそれが、私たちが取り戻したい過去でもあるんだよ」


 どこか遠い景色を臨むような目つきで、ゼペットはため息のような声で呟く。


 この世界で戦い続けているのは、兵士だけではない。誰もが戦う目的を持って、それぞれの形で今日も戦いを続けている。


「どうだろう、文楽君。もし君が望むなら、戦場に戻る以外の道をさがしてみては」


「どうして、そんなことを……?」


「レヴィアの敵討ちという当初の目的はもう既に達成したと言っていい。君にそのつもりがあるなら、今からでも普通科学校へ移って、戦いから離れて生きていくこともできる。無論、君が望むならの話だが」


 レヴィアの仇を取る為に戦場へ一刻も早く戻りたい――その目的は、幸か不幸か無かったことにされてしまった。


 乗機についても、これから先フェレスに乗り続けるかどうか選択しなければならない。


「いえ。戦場へ戻る理由も、見つかりました」


 だが自分にとって望むべき明日が何だったのか。


 その輪郭だけは、はっきりとした形を持ち始めている。


「ゲーティアを残らずこの世から消し去り、戦う必要の無い世界を一刻も早く手に入れる。あいつが一日でも長く生きられるようにするには、それしかない」


「なるほど、それは……いかにも、英雄に相応しい」


 文楽は平然とした面持ちで、恥ずかしげもなく言い切る。


 一人の少女を守るために、世界を救う――そんな大それた決意を宣言してしまったことに、本人は全く気が付いていなかった。


「ちょっと父さん! どういうことなんだ!?」


 いつまでも会話を続ける二人に業を煮やしたのか、レヴィアが文楽の腕を自分の体へ向かってぐいぐいと引き寄せながら、ゼペットに向けて声を発する。


「どうしてボクの胸を、この嘘つきよりも大きく作ってくれなかったんだ!? これじゃあマスターの事を誘惑できないじゃないか!!」


「お前ら一体何の話をしてたんだ」


 文楽は冷ややかな目線を二人の人形へと向ける。


 確かにレヴィアの仮装人形アバターの胸は、フェレスやルーシィと比べてかなり控えめだ。


 男性的な服装も手伝ってか、腕に当たっているはずの柔らかな感触はおぼろげにしか感じ取ることができない。


「ぶ、文楽さんは胸の大きさで人形を差別するような人じゃありません!」


 フェレスはたまらず声を上げると、文楽の空いた左腕をぐいっと自分の方へ引き寄せた。文楽の肘に柔らかな感触がはっきりとした実感を持って伝わる。


 胸なんか関係ないと言っているくせに、やっていることが明らかに矛盾している。ただ冷静にそう思った。


「ふん……確かにそうだ。マスターの興味があるのは、機体性能と操縦しやすさだけだからね。でもそれなら、分があるのはボクの方だ」


「そんなことありません! 私の方が乗り心地はいいはずです!!」


「お前らいいから腕を放せ!!」


 二人の人形に両方の腕を右へ左へ引っ張られながら、文楽は怒りの声を上げる。


 だが表情にはどこか、楽しそうな笑みが浮かんでいた。


「ねえねえ、マスター。機体が直ったら、またボクに乗ってくれるんだよね?」


「そ、それは……どうなんだ?」


 答えあぐねる文楽を庇うように、フェレスが横から二人の間に割り込む。


「だ、駄目ですレヴィアさん! 今の文楽さんはこの学校の訓練生で、その訓練機は私なんです!!」


 だがレヴィアは、負けじと語気を強めてフェレスに言い返す。


「何を言うんだこの嘘つきめ。〝蛇〟がここに居る限り、マスターは〝蛇遣い〟なんだ。マスターに相応しい人形はこのボク以外にあり得ない」


「そんなことありません! 文楽さんが乗ってくださるのは私です!」


 レヴィアは獲物を狙う蛇のような鋭い目つきで、文楽のことを睨み付ける。


 顔を火が出そうなほど真っ赤にさせて、フェレスもまた文楽をじっと見つめる。


「どっちを選ぶか、はっきり決めてよ。マスター!!」


「私の方が、あなたに相応しい人形ですよね。文楽さん!!」


 二人は口を揃えて、同じ言葉を文楽に向かって問いかける。


 右腕に絡みつくレヴィアと、左腕に絡みつくフェレス。


 〈人形遣いパペット・マスター〉は二人の人形の糸に縛られ続けるのだった。

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