§2-6

 学校から与えられた教材や支給品など多々の荷物を担ぎ上げた文楽は、コンクリート造りの宿舎の廊下を淡々と歩いていく。


 訓練生用に建てられた宿舎は、前時代的な言い方をすれば四階建て鉄筋コンクリ―トの集合住宅マンションだ。このタイプの建物は文楽も戦場で何度か見かけてはいるが、〝立っている〟状態のものを見たのも、中に入るのも、数えるほどしか経験が無い。


 そんな彼の背後から、荒い息づかいの交じるフェレスの声が呼び止めた。


「あ、あのっ……待ってくだ……さいっ!」


「俺が自分で持った方が早いんじゃないか?」


 フェレスは文楽が担いでいるのと同じぐらいの量の荷物を、小さな体で必死に抱えている。


 本人自ら「荷物でしたら私がお持ちします!」と言い出したのだが、要領が悪くていつまでたっても前進しないので、結局半分だけ任せることにしたのだ。


「いえ。あなたに相応しい人形と認めていただくためにもお役に立ちたいんです!」


「別に俺は、実戦で役立ってさえくれれば特に言うことは無い」


 歩き続ける文楽は、ふと先ほど抱いた疑問をフェレスへ直接ぶつけてみる。


「……お前はあのとき、知っていながら黙っていたのか?」


「え。えっと、どのことをおっしゃってますか?」


「最初に建物の裏で会ったとき、俺が自分の操縦士になる人間だと知っていたのか?」


「それは、あの……お恥ずかしいところを見られてしまって、つい『あなたの人形です』と言い出せなくて……」


「なるほど。まあどちらにせよ、不甲斐ない人形という第一印象に変わりはないがな」


「ううっ、ひどいです……」


 フェレスは涙交じりの声を上げると、表情を暗くして俯いてしまう。


 機体の性能は乗ってみないと分からないが、性格に関しては少々扱いにくそうだ。


 やれやれとため息を吐きながら歩き続ける文楽に、フェレスが背後から声を掛ける。


「ところであの、お部屋の場所はこの上の階だと思うんですが……?」


「そういうことは早く言ってくれ」


 どうやらフェレスは追いつけなくて「待ってくれ」と言ったのではなく、階を間違えていることに気付いて呼び止めたらしい。


 気まずそうに黙り込む文楽に、なぜかフェレスの方が慌てて頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! もっと早くお呼び止めするようにします」


「そうしてくれ。では、先を急ぐぞ」


「あ、あのっ! 階段はそっちじゃありません!!」


「…………そうだったな」


 文楽は苦い顔つきを浮かべて、フェレスに前を歩いてもらうことにする。歩くペースは遅いが、彼女に案内を任せた方が結果的には早そうだ。


 荷物を担いだ二人は、やがて文楽に割り当てられている部屋の前へ辿り着く。


 渡された鍵を使って扉を開いて、文楽は部屋の中に足を踏み入れた。


「広い部屋だな……寝袋を広げてもまだスペースに余りがあるぞ」


「あ、あの、備え付けのベッドがあるのでそちらで寝た方がよろしいのでは……?」


「照明器具にコンロまで備え付けてあるのか……せっかく携帯コンロやランプを持ってきたのに、意味が無くなってしまった」


「だからこんなに荷物が多かったんですね……」


「前線ではどれも必需品だ。持っていて損はない」


 好奇心に目を輝かせながら部屋の中を見渡す文楽の姿を、フェレスは苦笑しながら見守っている。


「こんな厚遇を受けるなんて……気を使われすぎてはいないだろうか」


「この建物に下宿している訓練生の方々は、同じ間取りの部屋に住んでいますよ」


「そ、そうなのか?」


 2060年代の現在、生活環境はおよそ*半世紀ほど退行してしまっている*。寮の内装や家具のデザインなどは、概ね2000年代かそれ以前の基準に近い。


 人類がゲーティアの脅威に見舞われて以降、日常的に使用できる技術は人工知能に制御されない単純な機構のものに限られてしまっているためだ。全自動化された機戒工場も軒並みゲーティアの手に落ちてしまっているため、家具も素朴な木製の手製品である。


 荷ほどきを終え、備え付けのベッドの上に寝袋を敷いて「この方が落ち着くな」と真剣に呟く文楽に、じっと黙りこんでいたフェレスがふと呼びかけた。


「えっと……あ、あの。お話したいことがあるんですが」


「どうした。言いたいことがあるなら遠慮無く言っていい」


「では、あの……あなたのこと、どんな風にお呼びしたらよろしいですか?」


 そう言われてはたと気が付く。フェレスは先ほどから文楽に声を掛ける度に、いちいち困った顔をして「あの」とか「その」を繰り返してばかりいる。


「どんな風にと言われても……候補なんてそんなにあるのか?」


「えっとですね、実は色々と考えていたんです。例えば〝主様あるじさま〟っていうのも古風で良いと思うんですけど、ちょっと固い気がして」


「そんな熱心に言われてもだな……」


「だから少し柔らかくして〝ご主人様〟ととか、少しかっこいい感じで〝マスター〟というのもあります。ど、どうでしょうか!?」


「別に呼び方なんて何でも――」


 言いかけた文楽は、ふと言葉を止めて顔をしかめる。


「――〝マスター〟以外なら、別になんでもいい」


「はい! それではあの……〝文楽さん〟と名前でお呼びするのは、駄目でしょうか?」


 フェレスは上目使いに文楽を見つめながら、恐る恐る問いかける。


 最初からそう呼びたいと決めていた――表情からは、そんな本音が火を見るより明らかだった。


「その、もしお気に召さないようでしたら、他の呼び方でも……」


「好きにしろ。別にそれで構わない」


「ほ、本当ですか!?」


 経歴を作る過程で都合をつけるために与えられた記号。名無しとして生きてきた文楽にとって、名前などその程度のものにしか過ぎない。


 だがそんな記号に過ぎない言葉を、フェレスはまるで大切な壊れ物を扱うように、唇を震わせながら恐る恐る舌に乗せる。


「で、ではその……ごほん。ぶ、文楽さんっ!」


「ん、なんだ?」


「えっと、その、呼んでみただけです。えへへ……あうっ!」


 照れたように笑うフェレスの額に、文楽は無言で手刀を叩き込んだ。


「ひ、ひどいです! どうして叩いたんですか!?」


「叩いてみただけだ」


「うっ……ごめんなさい。理由も無く名前を呼んだりしません。反省します」


「分かったならそれでいい」


 人形と上手く付き合っていくためには、ときに厳とした態度を取ることも重要だ。


 叩かれたことで怯えさせてしまったのか、額を押さえながらフェレスは恐る恐る言う。


「あ、あの文楽さん。それではですね、えっと、その……」


「用があるなら早く言え」


「うう、ごめんなさい……あのですね、指輪をはめていただきたいんですが……」


「指輪? ああ、認証具のことか」


 認証具とは、各機甲人形アーマードールに対して一つ存在する〝機体の操縦士である〟ことを示す指輪のような形をした器具だ。


 認証具は鍵の役割を果たすもので、これをはめていないと操縦ができない。乗り込むこと自体はできるのだが、操縦桿を動かしてもスイッチを押しても一切作動しないのだ。


 文楽はベッドに腰掛けると、傲岸不遜ごうがんふそんな態度で左手を差し出す。


「ほら、さっさとはめろ」


「ぶ、文楽さん! これは互いに契約という誓いを立てる、神聖で大事な儀式なんです! せめてちゃんと立ち上がってください!!」


「そんなものか? レヴィアのときはもっと適当だったんだが……」


 神聖な儀式だなんて全くの初耳だ。レヴィアの認証印をつけたときは、半ば状況に迫られて無理矢理はめさせられたようなものだ。全てが終わった後で「責任とってね」と一方的に押しつけられたのである。


 フェレスはいじけたように下を向きながら、しぼんだ声で訴えかける。


「ま、前はそうだったかも知れませんけど、私はイヤなんです」


「……分かった。従おう」


 文楽は面倒そうな顔を浮かべながらも、一応は言われた通りに立ち上がる。


 フェレスは左手の薬指にはめていた指輪を外して、文楽にそっと近づいた。


 そして文楽の胸元を見つめ、ふと声を上げる。


「その、ネックレスに繋がれている指輪は、もしかして……」


「ああ、そうだ。俺が乗っていた機体、〈リヴァイアサン〉の認証具だ」


 文楽は自分の首元に視線を落として、ネックレスで繋がれた指輪を見つめる。


 この世界にたった一つ残されたレヴィアの残滓ざんし


 自分と彼女とを繋ぎ止める、操り人形の糸。


「自爆してしまった機体の残骸は、俺の手には戻ってこなかった。結局この指輪だけが、俺の手元に残った唯一の遺品だ」


「そうだったんですか……」


 操縦士でもない人間が認証具を指にはめ続けていれば、確実に怪しまれてしまう。


 だからこうして、ネックレスとして首から提げ、肌身離さず身につけていたのだ。


 フェレスは自分の指輪を握り締めたままじっと顔を伏せている。


 何か声を掛けるべきか――そう思いかけたと同時、フェレスが顔を上げて言った。


「文楽さん……その指輪は、ずっと大切に持っていてください。レヴィアさんがあなたと生きたという、大切な証です」


「……言われなくてもそのつもりだ」


「それに、文楽さんが人形を大切に思ってくださるその優しさが、私はとても好きです」


「俺が、優しい……?」


「はい。困っていた私を助けてくださったのも、レヴィアさんのことを大切に思い続けるのも、あなたの優しさがそうさせているんです」


 フェレスの言葉を額面通りに受け取るならば、何も気にすることなどなかっただろう。


 そのままで居て欲しいと乞う彼女の言葉に従い、過去を抱いたまま生きればいい。


 


――なのにどうしてお前は、そんな哀しそうな表情をするんだ。


 


 ふと目に映る潤んだ瞳が、文楽の胸に小さく爪を立てる。


「だから、レヴィアさんの代わりでも構いませんから……私のことも、どうか――」


「馬鹿なことを言うな」


「ひあッ!?」


 文楽は突然フェレスの側頭部から生えている二本の逆巻いた角を両手で握り締めると、バイクのハンドルを操るみたいにぐりぐりと頭ごと前後左右させる。


 言葉にならない苛立ちを、そうして彼女へぶつけるように。


 翻弄されて目を回すフェレスは、悲鳴みたいな声を上げた。


「あ、あのっ、お気に障ったのなら謝ります! だから許してくださいぃ!!」


「いいか、レヴィアはとても優れた人形知能デーモンだった。戦場に出たこともないお前にあいつの代わりが務まったりはしない」


「うっ……ひどいです! 私、ちゃんと頑張ります!」


「当然だ、努力しろ。俺はお前のことを、レヴィアの代用品として扱うつもりはない」


 文楽はフェレスの角から手を放して、彼女の両肩をしっかりと掴む。


 琺瑯ほうろうのような光沢を持つ瞳が、文楽のことをじっと見つめ返す。


「俺の人形になったからには、優しくしてやるつもりなんてない。俺に相応しい人形になれるよう厳しく鍛えるつもりだ。不服か?」


「っ……いえ、よろしくお願いします!」


「分かったならいい。契約を済ますぞ。*フェレス*、指輪を――」


 文楽が口にした途端、フェレスの瞳がじわりと涙でにじんでいく。


「やっと……」


 瞳に涙を浮かべたまま、人形の少女は満面の笑みを文楽に向けた。


「やっと、名前を呼んでくれましたね。文楽さん」


「お前……そんなことを、ずっと待っていたのか」


「一度も名前を呼んでくださらないから……目の前に居る私のことをちゃんと見てくださらないから、ずっと不安だったんです」


 文楽が差し出した左手に、フェレスは自分の手をそっと重ねる。


 人間に近い人形の体温は、人間の体温にほど近く、指先が温かさに包まれる。


「何か、台詞せりふが必要か?」


「古いしきたりでは、こういうとき『死が二人を分かつまで』と宣言するそうです」


「……本当だろうな?」


「え、えっと……あの、嘘ではありませんよ?」


 どこか納得はいかない気はするが、文楽は大人しく従うことにする。


 フェレスは文楽の薬指に指輪をそっと差し入れながら、口を開く。


 文楽もまた、彼女に合わせて言葉を紡ぐ。


「「死が、二人を分かつまで――」」


 こうして〈蛇遣いアスクレピオス〉と呼ばれた少年は、機甲人形アーマードール〈メフィストフェレス〉の操縦士、愛生文楽となったのだった。

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