§1-2

 二十一世紀の中ごろ、世界に突如出現した*あらゆる人工知能に憑依する謎の存在*――あるいは現象そのものを、人類は悪魔を使役する書物になぞらえ【ゲーティア】と呼んだ。


 電子感染症ウイルスに極めて近い性質を持つゲーティアは、通信電波や光ファイバーなどありとあらゆる情報通信システムを介して爆発的な速度で世界中に広がり、電子頭脳を支配下に置いていった。


 そしてゲーティアが支配下に置いた人工知能に対し、与えた命令コマンドはシンプルにたった一つ。〝人間を殺せ% kill HUMAN〟。


 家庭用アンドロイドからミサイル誘導装置に至るまで。人工知能によって制御されるあらゆる機械は、ゲーティアの汚染を受けると同時に、与えられた命令を忠実に行使し始めた。


 中でも特に働き者だったのは、当時戦場に増えていた無人兵器の数々だ。


 第三次世界大戦を期に、世界では戦争という危険な仕事を、命を持たない無人兵器に委託するのが主流となっていた。


 数多くの無人兵器が産まれ、増え、戦場に満ち、そして戦場を従わせた。


 そんな時流の最盛期に起きた人工知能の反乱は、数千年をかけて辿り着いた科学文明の黄金時代を、たったの数日で石塊いしくれと瓦礫に満ちた灰色の時代へと変えてしまった。


 現在の日本の人口は約一千万人――そしてこの数は、地球上に生き残る人類の総数そのものだとも言われている。


 海外諸国はゲーティアに熱核兵器の制御を奪われ、その暴発によって滅んでしまったと推測されている。自国内に熱核兵器を持たなかった日本だけが、終末の日を首の皮一枚で生き延びることができたのだ。


 だが、かねてより優れた人工知能技術を持つ技術先進国であり、なおかつ海底資源を巡って大陸諸国と戦争状態に陥っていた当時の日本は、国内に多くの全自動化された機甲兵器の生産工場を有している。


 無人兵器の母親たる自動化された工場を管理運営するのは、やはり人工知能だ。


 ゲーティアの導きに従い、殺戮兵器を毎日のように生産し続けている。


『マスター。そろそろ目標が視認できる距離に入ったよ』


「あの銀色の電波塔が、今回の破壊目標だったな」


『なんでも〝名古屋テレビ塔〟って名前らしいよ』


「名前なんてどうでもいい。今はただの、東海一帯にゲーティアの呪詛を撒き散らしている電子汚染源だ」


 どこまでも広がる廃墟の中にただ一つ立ち続け、所々に錆びた色合いを見せる鉄塔は、まるで骨だけになった巨大な怪物の遺骸のように不気味な存在感を放っている。


 ゲーティアの呪詛を特に広範へ伝播させているのは、各地の通信基地や電波塔だ。逆に言えば、それさえ破壊することができれば、ゲーティアの支配力を大幅に減退させることができる。


 電波塔という実体を持つ存在が、ゲーティアという姿無き敵の持つ唯一の弱点であり、その破壊による生存圏の確保が人類の対抗策であった。


「レヴィア、待て。様子がおかしい。後続の姿が見えない」


『後方十㎞まで味方機の反応ないよ。ボクらしか防空網を突破できなかったみたいだね』


 少年は青ざめた顔で、操縦桿から手を放し腕組みをして苦悶の表情を浮かべる。


「……まずいな。このままじゃ、本当に〝英雄〟にされてしまう」


『いいじゃないか。英雄の称号、もらえるならもらってしまおうよ。そしてボクとマスターの愛の証として、延々と後世まで語り継いでもらうんだ』


「もしそんなことになったらいい見世物だ。いよいよ軍を脱走するしかない」


『ボクはどこまでもキミと一緒に行くよ。愛の逃避行、望むところだね』


「お前の前向きさがときどき本気で羨ましくなる」


 サブモニターの中でレヴィアは可愛らしく小首を傾げて少年を見つめている。


 ただの機体制御用の頭脳ソフトに、どうしてここまで人間じみた情動が与えられているのか。どうして、彼女たちはゲーティアの支配を免れているのか。


 決して彼女たちは、ゲーティアの命令が聞こえていないのではない。自分たちの意思を以て、その命令に逆らっている――意思を持つこと自体が、強固な防御策セキュリティとして機能しているのだ。


 あらゆる種類の人工知能を操り人類を攻撃してくるゲーティアに対して、人類はこれまでに二つの対抗策を打ち出した。


 まず最初に打ち立てた指針は、電子頭脳で制御する必要のない旧式兵器で対抗するというものだ。


 この指針によって、歩兵たちは電子制御された最新鋭の機甲兵器に旧式兵器で対抗するという限りなく喜劇に近い悲劇を十年近く繰り広げ、いたずらに犠牲を増やし墓標と敗北を山のように積み重ねていった。


 そんな中、自らを*ゼペット*と名乗る一人の科学者が、荒唐無稽な第二の指針を打ち立てた。


「ゲーティアは自我を持った生物を操ることはできない――つまり、たとえ人工知能であっても、人間と同じように自我を持つことができれば操られない」


 当時、誰もがその考えを「都合のいいこじつけに過ぎない」と罵った。


 支配された人工知能に敗北し続けてきた人類にとって、更に高度な能力を持つ人工知能搭載兵器を生み出すなど、自らの手で悪魔デーモンを増やしかねない、危険リスクの高い考えと見なされて当然だ。机上の空論として提案することすら、危険思想の流布として批判された。


 だが人とたがわぬ人形を作ろうとしたお伽噺の人物を名乗るその男は、自我と感情を持ったAIである人形知能デーモンを、現実のものとしてこの世に生まれさせてしまう。


 そして機甲の少女達は、まさしく人類の守護神デーモンとして戦場に君臨した。


 戦車よりも堅牢な装甲、戦闘機を越える速度、戦艦を凌ぐ火力。そして、人間にも勝る高潔な自我。これらが究極の機動兵器、機甲人形アーマードールという存在に与えられた全てだった。


 そんな至高の兵器の人格たるレヴィアは、自らの機体を操る操縦士の少年に向けて冷静な声で告げる。


『敵機接近。【雀蛾型すずめががた】、三機編隊が五隊』


「ええと、3×5だから……」


『サンゴジュウゴだよ』


「……そうだったな」


 二人が呑気な会話を繰り広げている間にも、無人戦闘機の群れは旋回起動を描きながら〈リヴァイアサン〉の包囲を開始する。


 少年は指を折って数を計算するのをやめて、操縦桿を即座に握り直した。


「算数をやってる場合ではないみたいだ」


『恋人同士の語らいを邪魔するなんて、虫けらのくせに許しがたいね』


「身のふりをどうするかは、生き残ってから考えるとしよう」


 左手の操縦桿を動かし、〈リヴァイアサン〉が左腕に提げている対空レーザーの砲口を無人戦闘機の群れへと向けさせる。


 無人戦闘機の機体の両側へ張り出した膨らみのある特徴的な翼は、雀蛾と呼ばれる蛾の一種によく似た姿を生み出している。


 二十一世紀中頃から戦車や戦艦など様々な兵器が人工知能によって無人化されていったが、中でも戦闘機は最も早くから無人化が進められてきた兵器だ。対空格闘と対地攻撃を柔軟にこなす優れたマルチロール性能と、長い年月を掛けて積み重ねられた戦闘データは如何いかなる状況でも最適な戦闘機動を導き出す。


 彼らは長きにわたり、制空権の守護者の座に君臨し続けてきた。


「目標が射程に入るまで加速し続けろ。対空はこっちで引き受ける」


『ボクの左腕は好きに使ってね。やらしいことに使ってもいいよ』


「そんな使い方は知らん」


 だがこの世に守護神の名を持つ人形知能デーモンが産み落とされた瞬間に、彼らの守護者という地位は永遠に失われてしまった。


 対空レーザー砲の先端を高速で飛び交う戦闘機へ向けて狙いを定める。砲口に取り付けられた照準用の赤色レーザーと、戦闘機が引きずる白い飛行機雲。紅白二つの糸が交差する瞬間を狙って、少年は静かに引金トリガーを引く。


 外見的には何の損傷も生じない。だが、電磁防御を貫かれた集積回路は一瞬のうちに丸焦げだ。人間の内臓だけにダメージを与える意勁いけいにも近い。


 不可視の指向性電磁波に狙い撃たれた戦闘機は、まるで呪いでも受けたように突如爆発を起こし、黒煙を噴き上げながら地面へ向かって墜落してしまう。


『お見事。さすがは僕のマスターだ』


「褒めたって何も出ないぞ」


『人間は褒めたらやる気が出るって聞いたことあるけど?』


「やる気なんて無くたって敵は墜とせる」


『そう? ボクはマスターに褒められると性能が上がるのになあ』


「お前は本来の性能をケチってるだけだろ」


 軽口を叩きながら、少年は間断なく狙っては引金を引くという動作を機械的に繰り返していく。


 敵の方も必死だ。機銃による掃射を諦め、体当たりを狙ったがむしゃらなものへ機動を切り替え始めている。


 ゲーティアにとって電波塔は侵略の拠点であると同時に、実体として持つ唯一の弱点だ。近づけば近づくほど、抵抗はより苛烈なものとなる。


「間合いが詰まってきた、実体剣に武装を切り替えろ」


『了解。近距離戦闘はそんなに得意じゃないんだけどね』


 〈リヴァイアサン〉は背部からナイフのような実体剣を引き抜くと、言葉とは裏腹に、機体へ特攻を仕掛けてきた【雀蛾型すずめががた】の一体を易々と両断して見せる。人間の反応速度ではとてもできない芸当だ。


「悪いな、手間を掛けて」


『それは言わない約束ってやつだよ、マスター』


 レヴィアが無人戦闘機切りつける一連の動作が終わるのを待って、少年はすかさず射程に入った戦闘機をレーザー砲で撃ち落とす。下手に操縦士が手を出すと、機体の行動タスクが上書きされて人形知能デーモンの邪魔をしてしまうからだ。


 巨大な全身と膨大な機能を持つ機甲人形アーマードールは、人一人が御するにははなはだ手に余る膨大な機構システムの集積だ。一見非合理に見える二人羽織も、操縦士と人形知能デーモンが互いを尊重することで統合された単一の兵器と化す。


 少年は生まれてから十六年、機甲人形アーマードールに乗り始めてからもたった三年。決して世界で最高の操縦者と言えるほどの技術は持っていない。


 ただ二人は、寄り添い生き延びるために、互いの死力を尽くし合う。


 モニターで爪楊枝ぐらいの大きさしか見せていなかった銀色の鉄塔が、近づくにつれて建造物としての存在感を見せつけ始めていた。


「レヴィア、射程に入った。機操人形マリオネットを出せ」


『―――――ゥ、ア』


「どうした、聞こえないのか?」


『ま、スター……なんダか、おカしいンだ』


 サブモニターに映るレヴィアの映像が大きく乱れ、発せられる声からは抑揚が失われていく。まるで、壊れた機械仕掛けの人形みたいに――。


 脳裏を掠める最悪の可能性が、喉をぐっと締め付け、声にならない呻きが漏れた。


「ッ……お前、まさか」


『ウタが……歌ガ、聞こエる――』


 


――ゲーティアの汚染を受けている。


 


 ぞくりと少年の背中に怖気おぞけが走った。


 彼女は今、確かに、歌が聞こえると言った。


 人間である自分の耳には聞こえない――人工知能だけに囁きかける呪詛じゅそを、レヴィアは耳にしてしまっている。


「自我を保て! お前は〈七つの大罪セブン・フォール〉の一体のはずだ!!」


『まスター。頭ガ、割レソウだ……』


「お前は――お前は、俺のたった一人の相棒なんだ! 奴らの呪詛なんかに耳を貸すな! 俺の声を聞け、レヴィア!!」


『ウっ……アああああああああ!!』


 声を荒げて必死にレヴィアへと語りかけながら、機体の操縦桿を必死に動かす。


 だが〈リヴァイアサン〉の機体は一向に動くことなく、敵の只中でただ呆然と停止している――敵の戦闘機は、もはやこの機体を〝敵〟として認識していない。


「レヴィア……頼む、応えてくれ」


『――――』


「……俺の声が、届かないのか?」


 ついさっきまで、いつものように下らない会話を交わしていたはずなのに。


 互いを一つに感じられるほど、すぐ側に居たはずなのに。


 その存在が、今はもう果てしなく遠い存在に感じられる。


 今や〈リヴァイアサン〉の機体管制は人間の操縦を一切受け付けていない。浮遊したまま停止している。呪詛が届かない距離まで機体を後退させることすらままならない。


「もう、俺の声も判らないかも知れない……それでも、聞いてくれ」


 このまま放っておけば、彼女はさっきまで自分たちが散々撃ち落としてきた戦闘機や蹂躙してきた戦車と同じように、人類に仇なす悪魔の尖兵となるだろう。


 このまま、自分がなにもしなければ――少年は覚悟を決めた表情で、


「今からお前を自爆させる。人類の切り札である機甲人形アーマードールをゲーティアに渡すわけにはいかない。それは俺の、人類の端くれとしての役目だ」


 レヴィアが完全にゲーティアに汚染されてしまったなら、今すぐにでも後方へと切り返し持てる能力の全てを使って人類の殲滅せんめつに加わるはずだ。機甲人形アーマードールを止めることは決して容易ではない。人類に破壊と殺戮さつりくをもたらす最悪の兵器となり果てるだろう。


 彼女の自我はまだ人形と悪魔の間で揺れ動き続けている。


 覚悟を決めるなら、もうこの瞬間しか残されていない。


「そして俺は、お前が誰かの手で殺されるなんて嫌だ……すまない。これは俺の、単なるわがままだ」


 操縦桿の隣にあるカバーを開き、コンソール画面に指を這わせる。


 人形知能が制御の大部分を務める機甲人形において、コンソール画面で操作できる操作は最低限の二つだけ。


 機体の自爆と操縦者の緊急脱出。


 この操作だけが人形知能デーモンの制御を介さない独立したシステムを持っている。どちらも、*この事態*に対応するために用意されたもの。


 そして、決して使うべきときが来ないでほしいと、願ってきたもの。


 少年はパスワードのボタンを、一つ一つ押していく。


 二人で過ごした日々の思い出を一つ一つ辿るように。


 パスワードの最後の一文字を打ち終えた少年は、静かにコンソールから指を離す。


「心配するな……お前を一人では行かせない」


 緊急脱出の操作は行わなかった。行う気になれなかった。


 死ぬならば今ここで、彼女と一番近い場所で、共に焼かれたい。


 人間と人形知能デーモンでは、果たして死んだあとに行き着く場所は同じなのだろうか――心配なことと言えば、それぐらいだ。


 機体の自爆を数えるカウントが、零れ落ちる砂のように着々と数を減らしていく。


 最後の瞬間まで残り一分を切ったそのとき、ふとコクピットの光景に異変が起きた。


「なんだ、ハッチが……!?」


 機体の中と外を繋ぐ出入り口である、操縦席の門扉ハッチが開き始める。


 ゲーティアは人工知能たちの頭脳に「人間を殺せ」と囁きかける。レヴィアはその命に従って、自分の一番近い場所に存在する人間――自分の内部に居る操縦士を、まず最初の標的に選んだのだろう。


 開いた隙間から、〈リヴァイアサン〉の巨大な指先が入り込んでくる。機体にとっては、ちょうど自分の胸を抉るようなかたちだ。機体の人差し指と親指、二本の指が内壁を押し広げ、狭い操縦席の中がみしみしと金属の軋む音で満たされる。


 不思議と、恐れを抱いてはいなかった。


「お前の手で死ねるなら、上等な部類の死に方だ」


 皮肉げな言葉だが、少年は本心からそう思っていた。


 自らの胸を抉った巨大な機械の指が、少年の細い胴を両脇から器用につまみ、操縦席から引きずり出す。


 地上から数百mの上空。吹きすさぶ風に全身を煽られながら、機甲人形アーマードールの指に掴まれた少年は〈リヴァイアサン〉の頭部をじっと見つめる。


 意思を持たない水晶質の相貌そうぼうが、じっと彼のことを見下ろしている。


「レヴィア……お前はもう、そこに居ないのか?」


 少年が上げたのは、幼い子供が母親を呼ぶような、弱々しく頼りない声だった。


 家族も故郷も、平和の中で人として生きた記憶も――何一つ人らしさを持たない少年にとって、戦場でずっと隣に居続けてくれたレヴィアは相棒や家族以上の存在だった。


 この世界における自分の居るべき場所そのものだった。


 その存在の大きさに、失った今、初めて気付いてしまっていた。


 硬質な機械の指先に押し潰されるのが先か、自爆による炎で焼き尽くされるのが先か。


 最後の時を待つ彼に与えられた死のかたちは、果たしてそのどちらでもなかった。


 両の脇腹を挟み込んでいた二本の指の力が、ふっと消えていく。


「なっ……!?」


 体を束縛する指の力が消えたと同時、重力に引き寄せられるがまま、小さな体が地上へと向かってゆっくりと自由落下を始める。


 地の底まで、真っ逆さまに落ちていくみたいに。


 


――どうして。


 


 ただその一心で、頭上へ消えていく〈リヴァイアサン〉に向かって手を伸ばす。


 声を限りに、張り裂けるような胸の痛みと共に少年は叫ぶ。


「どうして、一緒に連れて行ってくれないんだ!?」


『バカだな。マスターは……』


 小生意気で皮肉げな調子をもったあの声が、確かにそうささやくのが聞こえる。


 灰色の空に霞んで消えていく鋼鉄の顔貌かおかたちは、どこか柔らかく微笑んでいるように見えた。


『大好きな人ニ、生きテいて欲しい――』


 初めて、心から神に祈りたいと思った。


 叶うのなら、どうかこの言葉を届けてほしい。


 今までずっと言いたかったのに、照れくさくって言えなかった、たった一言を。


「俺は……きっと、お前を――」


 言葉は、全てを覆うような爆風と閃光によって掻き消されていった。


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