第三章~リア城編①~

 僕の身長の三倍くらいある高さの石垣に、それよりも大きい木製の巨大扉が繋がれてあるのが見える。そして、奥には蒼白色に照らされたリア城が仁王立ちしていた。

 照らされたと言っても光が当たっているのは頂点にある深緑の円錐屋根だけで、屋根から下の領域は黒い霧の様な靄に包まれて、如何にも霊的な何かや気味の悪い昆虫などが暮らしていそうな雰囲気を漂わせていた。

 美しい氷輪を背景にした真っ暗な常闇の中に佇むリア城は、昔話の伝説の中に存在する吸血鬼の城の様だった。


 「……ここがリア城」


 この中に僕を庇って捕らえられたティノがいる。そう思うと心の奥底から血管を伝って自分への果敢かかんなさと、絶対に取り戻さなければという熱量が込み上げてきた。

 意識を取り戻してから何事もなく扉まで辿り着いたが、念の為フォルツァを発動しても周りには兵士とみられる気配が一切ない。


 (……今がチャンスだ)


 僕はいつ戦闘になっても良いように、フォルツァを発動して蒼い炎を纏った状態で扉をくぐった。開けるとき「ギシギシ」と甲高い音が聞こえたが、僕の周囲がその音にも反応しないという事は、近くに人がいないという事の根底だろう。

 地面に敷き詰められた御影みかげ石のタイルの上に敷かれている赤絨毯に沿って歩いて行くと、やがて先程の巨大な扉とはまた違ったごく普通の扉に出会った。


 「これが城の入口か。ティノ、待っててね。今助けるから」


 僕は決意を胸に秘めて扉を開けると、ゾンビの様な目付きをした兵士達が大勢集まった大広間へと出てしまった。

 兵士達は不確かな足取りで、本人達の意思で動いていない様なものを感じた。そう、まるで寄生糸に繋がれたマリオネット達が一つの広場で奇妙なダンス会をしている様だった。


 「な! 何だこれ!」

 「『蒼眼』の侵入者が来たぞ! 皆の者、迅速に捕らえよ!」

 「おォォォー!」


 各々鉄の剣や小型のナイフ、木の棒などの武器を装備した兵士達が、雄たけびという狼煙を上げて荒れ狂う津波の様に押し寄せてきた。まるで僕は罠に掛かった袋の中の鼠状態だった。

 僕が先程開けた扉はすでに閉まっていて、開けて外に逃げようとしても鍵が掛かっているみたいで開くことはなかった。

 この状況で何ができる、いや何をすべきか。総勢五十人くらいの大波に向かい打つ策は何かないものか。

 

 「怖気づいたかァ! ガキィ! 踏み潰されたくなかったら頑張って逃げてみろォ!」

 「ギャハハハァ!」


 僕は四角い大広間の壁沿いを気が散乱している兵士達に追いつかれないように必死で走った。その間策を練るにしても、四角形の四辺のうち今スタートする地点から反時計回りに一週回った最後の辺くらいまで走った辺りが限界だろう。

 大波に向かい打つ策。大波を鎮める策。そんな大規模な事をするにはそれに相応しい広々とした「舞台」が必要だ。僕は考える時の癖で無意識に首を上げた。


 (ん……? 舞台? そうか、一か八かやってみるか)


 僕が首を上げた時目に映ったのは、丁度四角形を半周くらい走った所にある二階へと続く巨大な階段と、天井の中央にぶら下がっているシャンデリア上に繋がれた松明、そして一気に大波を鎮めるのに打って付けの凄く広々とした舞台だった。

 僕は大波を引き連れて四角形の第一の角を直角に近い形で曲がると、少し辺上を進んだ地点で勢い良く階段のど真ん中を駆け上がった。


 「二階に逃げるぞ! 必ず阻止しろ!」


 僕はこの大広間に入った時に少しばかり後悔をした。考えもなしに敵陣に突っ込んでわざわざこちらが不利になる状況を選んでしまった事を。

 だが、これで良かったとも思っている。この過酷な状況に遭遇したからこそ脳の働きが更に活性化し、僕が効率よく助かる一筋の光を見いだす事ができた。そして難易度が高い道ほど得られる経験値が高くなってくる。

 そう、茨の道を抜けた先ほど眺めの良い景色は見られないものだ。


 「だから、僕に良い景色を見させてよ、兵士さん」


 僕は階段を四分の三くらい進んだ所で一瞬だけ後ろを向いて天井の中央に向かって蒼炎を放った。

 

 「何だ!?」

 

 僕はしっかりと助走をつけて階段の一番上の段に差し掛かり、両足と腕をバネの様に扱って顔を前に向けたまま勢い良く身を後方に投げ出した。肘が丁度直線になるくらいまで伸び、大きく弧を描いて飛んでいる僕と落ちてきたシャンデリアが同じ高さになった頃、左手から噴出している蒼炎を白炎へと変化させた。

 そしてシャンデリアから目を逸らさずに後方宙返りの様な形で顔を下に向けると、大広間にいる全兵士達が動きを止め、呆気にとられた表情でこちらを注目しているのがわかった。


 「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね」 


 僕は空中という広々とした舞台で兵士達の頭上へと落ちていくシャンデリアに向かって力を込めた白炎玉を飛ばした。


 「うわァァァ!」

 

 シャンデリアに白炎玉が当たった瞬間、それらは夜空に輝く一等星の様に煌めき、兵士達の悲鳴と共に黒い爆風と共に散りじりになっていった。

 空中を飛行している僕の蒼眼には、黒い暗雲の様な煙に煌めく疎らになった一等星の欠片達が、無数の星屑に埋め尽くされている宇宙空間に浮かぶ巨大な銀河を創造しているかの様に映った。

 僕は身を反転させながら両足の裏を下に向け、白炎が混じった煙を切りながら床に着地した。


 (……上手くいったらいいんだけどな)


 大波を鎮める策、それは兵士全員に白炎を浴びせる事だった。簡単な原理としてシャンデリア内に蓄積されている灯油と僕の白炎を空気中で誘爆させるというものだ。

 そうすることによって煙に混じって細かくなった白炎が、大広間にいる兵士達全員に浴びせる事ができると思ったからだ。

 暫くして煙が晴れると、僕の目線の平行線上に誰の顔もないことが分かった。兵士達は皆床にうつ伏して転がっていた。


 「良かった、策が成功したみたいだ」


 僕ば自然に肩を撫で下ろして階段へと足を掛けた。まさかぱっと思い浮かんだ策がここまで綺麗に炸裂するなんて予想はしていなかった。ノルマクリアのボーダーラインとして何人かの兵士達が残ってしまう、その人たちを自分で一人一人片付けていこうと思っていたくらいだ。

 長い息を吐いた後、階段を上りきった所にある踊り場まで足を進めて大広間の方を振り返った。僕は兵士の一人一人に目を向けると、城に潜入して十分も経たずしてこんなに多くの兵士を助ける事ができたという満足感に浸り、内心歓喜した。


 「良し、次行かないと」


 僕は次の部屋へと続く扉を開けた。

 

 「ん、真っ暗だ。何も見えない」


 僕が入った部屋は大広間にあった松明の灯が一つも見当たらなく、三百六十度見回しても瞼の裏を見ている様な常闇の景色しか映らなかった。


 「良く来たな、アッズリ・アベントリエロ。歓迎するよ」

 「誰だ! 姿を隠さないで出てこい!」

 「隠すも何も、お主の前にいるだろう」


 僕が困惑に包まれた瞬間、真っ暗だった部屋が「パッ!」という音を先頭にして次々に明かりが灯り、最終的には天井の端から端まで松明の赤い光でライトアップされた。

 そして僕が立つ赤絨毯の先には、二、三段高くなった舞台の上に位置する王座の椅子に腰を掛けたレッダ・テルーノと思われる黒いコートに身を包んだ人物が待ち構えていた。そして、その舞台の天井に立方体の鉄格子がぶら下がっていて、両手を手錠で繋がれたティノが力なく座っていた。


 「ティノ! 大丈夫か!?」


 僕の問いかけにティノは答えなかった。それどころか身体を一ミリさえも動かさなかった。


 「レッダ! ティノに何をしたんだ!」


 レッダも椅子に腰を掛けたまま、ティノと同様に口を開かなかった。そして無言のまま腰を浮かすと、赤絨毯を辿って僕に近づいてきた。


 (……誰が相手だろうと負けるもんか)


 僕は左手の蒼炎を纏い直して、拳に力を込めた。


 「……行くぞ」


 言葉の合図と共に、レッダが黒いコートからナイフの様な小型の刃を光らせて向かってきた。僕は左手から噴出する蒼炎を大剣に変化させ、向けられた刃を水の流れの様に県の平らな部分に当て滑らせると、間合いが近くならない様に距離を取った。

 僕は絨毯の上で方向転換を決め、間髪を入れずに攻撃の体制に移った。


 「くらえっ!」

 「がァァァ!」


 蒼い火花を散らしながら地面を這う様にして振り上げられた大剣は、兵士が試みた剣での防御を破って彼の右肩先をかすめた。


 (……この勝負いけるんじゃないか?)


 心の中でそう感じた僕は左手の蒼炎を鎮静の白炎へと変化させた。別に油断しているという訳ではなかった。ただ、リア王国という一つの国を闇へと導いた男の力はまだこんなものではないだろうと思っただけだ。

 

 「はっ! はっ! とりゃぁぁ!」


 僕は白炎で大剣を形成し、レッダに息つく間も与えない様に早い速度の猛攻撃を仕掛けた。レッダは僕にされるがままの防戦一方状態で、特に抵抗するわけでもなく攻撃を受け続けた。


 (……わざと僕の攻撃を受けているのか?)


 僕が繰り出した怒涛の攻撃の網羅は徐々にレッダを白い光で包んでいき、ネビア・フォレスタの兵士の時と同じく氷輪の様な美しい満月となった。

 僕は動きすぎて荒くなった息と共に、髪の生え際から流れる一滴の汗を赤絨毯の上に落とした。


 「……やったのか?」

 

 満月の解き放った白光が、土星を取り巻く環をいくつも形成する様に氷輪を囲むと、環は一層と膨らんでいき、最大に膨れた風船が破裂する様に勢い良く光の粒子が四方八方に飛び散っていった。


 「……アッ……ズリ」

 「……その……声は!?」


 黒いコートから放たれた声は、僕が以前聞いたことのある国王のとは異なっていた。ただ、どこか懐かしい様な聞き覚えのある声と類似していた。

 男は倒れていた体をゆっくりと起こすと、両手を切磋琢磨して動きずらそうに黒いコートを宙に放り投げた。


 「……久しぶりだな、アッズリ」

 「父さん! 何で……」


 黒いコートの男の正体、それは国王レッダ・テルーノではなく半年前の戦争に駆り出されて亡くなってしまったはずの実父、フランツ・アベントリエロだった。

 

 「すまない、今は再会を懐かしんでいる暇はあまり残っていないんだ。早くしないとあいつが来る」

 「あいつって、レッダの事?」

 「ああ、そうだ。そこまでわかっているのなら何故ここまで来たんだ?」

 「僕は使命を果たしに来たんだ。他の誰でもなく、僕だけが果たす事の出来る使命を」


 僕は消していた蒼の炎を再び灯した。確かに父の言う通り今はゆっくりしている暇はないのだ。すぐにでもレッダを見つけ出して倒さなければいけない。


 「その炎は……! フォルツァか、伝説には聞いたことがあるがアッズリが選ばれし人だとはな」

 「父さんこの力を知っているの!?」

 「まあな、それよりも本当にお前でなければだめなのか? 今にでも家に帰ることはしないのか?」

 「何言っているんだよ、僕は腹を括ったんだ。今更家になんか帰らないよ。それとまずティノを助け出さないと」


 僕は高くなった舞台の天井に繋がれている鉄格子へと向かった。


 「待てアッズリ! そこに近づ……」

 「……! うわぁぁぁ!」


 ティノがいる鉄格子の真下に言った瞬間、天井に繋がっていた鎖が千切れて僕の頭めがけて落下してきた。


 「アッズリ危ない! うぉぉぉ!」


 僕の身体を突き飛ばして身代わりとなった父は、舞い上がった埃の中、右足を鉄格子に踏み潰されて抜け出せない状態となってしまった。

 口を開けたまま立ち尽くす僕を見向きもせずに過ぎていくひと時の間に、鉄格子の重力は肌色の父の足を薄い臙脂色えんじいろへと変化させていった。


 「……父……さん」

 「ちゃんと親の話を最後まで聞かなきゃ駄目だろ……アッズリ。この檻に閉じ込められているのはレッダの炎で作られた少女そっくりの人形さ。恐らくアッズリの言うティノとやらに酷似して見えたんだろう」

 「……これが、人形……? あ、それよりも鉄格子をどかさないと! 父さんちょっと待ってて!」


 僕は父の足で浮いた床と鉄格子の間の隙間に両手を入れ、左右の太腿に力を込めて奥歯を食いしばった。だが、鉄格子が持ち上がる見込みはなく、へとへととなった息をただ鉄に当てるだけだった。

 

 「アッズリ、もういいんだ。我が息子に刃を向けた罰が当たったんだ。私はここで命の灯が消えゆくのを待つとするよ」

 「そんな……! 嫌だよ父さん、せっかく会えたのに……! そんなの、そんなの……!」

 「……最高だよなァ!」


 突然僕と父がいる舞台の上に大量の黒い人魂の様な物が襲い掛かる。黒い炎が僕に衝突した時、憎悪、悲痛、殺意などが交雑した人間の内に秘めている醜い感情が僕の身を焦がした。


 「うわぁぁぁ!」

 「アッズリィィィ!」


 度重なる爆撃により何層にも積もった黒煙が舞台の上を覆う。僕は身体を投げ飛ばされて舞台下の床に腰を強打した。


 (……痛い、苦しい、殺したい)


 僕は火薬の臭いが充満する煙の中、心の奥の何処かから湧き上がる小さな闇と会話をした。僕一人が何故こんな痛い思いをしなくてはいけないのか、大きな闇に取り込まれてしまえばこんなに悩む事はないのではないか。そもそもこの国の民を一人残らず消し去れば僕は一人で静かに暮らす事ができるのではないか。


 (……ああ、今まで何でこんな些細な事に気が付かなかったんだろう)


 気が付けば僕はルシオンと出会った時と同じ様な宇宙空間に浮遊していた。開き切らない瞳孔で辺りを見回すと、右に卑劣な雰囲気を禍々しく放っている邪悪そうな黒炎が、ごおごおとした耳に障る音を立てて燃えていた。

 反対側を振り返ると、女神の美しい瞳から溢した雫の様な、神秘的に煌めく蒼炎がゆらゆらと静かに燃えていた。

 

 「よぉ、俺。やっと眼を覚ましたのか」

 「誰……君? 全身が真っ黒で判別がつかないよ」


 黒炎側に映る人影の様な物が、何やら手招きをして僕を呼んでいる様だった。

 

 「追い待てお前。 もう使命の事を忘れたのか? あんなに何回も正義の感情を誓っていたというのに」

 「……誰? ルシオンなの? 今度は光っててわかんないんだけど」


 蒼炎側を振り返ると、今度は全身を白で塗装したかの様な人影が僕に言葉を飛ばしているみたいだった。


 「早くこっちにこいよ、ちっとばかり手を伸ばせばこれまで届かなかった力が闇から湧き上がってくるぜェ」

 「そんなの駄目に決まっているではないか。闇に手を伸ばしたら底なし沼から二度と抜け出せなくなるのと一緒だ。そんなまやかしは一瞬の快楽に溺れる薬物と同様の価値にしかならないぞ」

 「一瞬の快楽ゥ? ははっ、そんな程度じゃねえよ。永遠の快楽にはまるだけだぜェ!」

 「……僕は、俺は、闇の力を……」


 闇に手を伸ばせば、誰にも負けない強大な力を手に入れる事ができる。そしてその力を使えば僕の最大の敵であるレッダさえも凌ぐに違いない。いや、リッキーを殺し、村を焼き払ったリア王国、狂っている全世界を破壊する事ができるかもしれない。

 僕は気づいた時には一点に向かって歩み始めていた。

 黒炎に近づくにつれて意識が段々と朦朧もうろうとしてきた時、突然僕の目の前の常闇の空間に一筋の光線が差し込んだ。


 「……ズリ、アッズリ! いい加減目を覚まして! 貴方が信念に誓った覚悟はそう脆くないはずだよ。アッズリを大切に思っている人達が皆帰りを待っているよ。こんな所で自分の心に負けちゃっていいのかい?」

 「でも僕は楽になりたいんだ。この世の中を苦しんで生きて行くなら星諸共ぶっ壊しちゃえば済む話なんだよ」

 「貴方の親友は死んだ。もしこの先今の現状を放っておけば大切な人がまた死んでいくよ。アッズリならわかっているはず、皆の思いを。だからお願いだよ、目を覚ましておくれ」

 「……僕は、そうだ。母さんと、ネルと、それにリッキーと、色々な人達の思いを背負っているんだ」


 (何やってたんだろ、僕。進む未来なんて既にわかりきっている事じゃないか)


 僕は光の中から差し伸べられた温かい掌を掴んで、光の流れに沿って天に向かう様に浮遊する身体を上昇させていった。改まって固めた覚悟を胸に、もう自分の信念を揺らさないと決めて。


 「ティノ、ありがとう。おかげで目が覚めたよ」

 「うん良かった、『眼』を覚ましてくれて」


 僕が蒼眼を開けると、積み重なっていた黒煙は薄れてきていて、周囲の影を確認出来る程になっていた。僕は立ったまま周囲を見回して状況を把握すると、僕達が先程までいた舞台の上に二名ほどの影を察知した。


 「ちっ、まあそう簡単には闇墜ちしねぇわな。おい蒼眼のガキィ、初めましてだなァ! 俺はレッダ・テルーノ、この国の王様だぜェ! ひゃっはっはぁ!」

 「……お前が、レッダ」

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