第34話 外伝2 犬君は乳母になりたい!
皆様。ここでひとつ気になった事があるかと思われます。
それは「髭黒の大将との性交渉はよくて、ロリコンとの性交渉がだめな理由は一体何なんだ、結局結婚しているだろう」というところだ。
確かに、姫様は数えで十五、原作源氏物語の中では数えで十四の時に、女房達の目線で、おそらく肉体関係があっただろうと思わせる記述がある。
鬚黒の大将もロリコンで、十五歳の女の子と、結婚したからそういう事をしたんだろ? と思われても仕方ない現実である。
何故か、それはこの時代というか物語の中の結婚という形が、求愛からの、肉体関係、それから結婚式、という風になっているからである。
この時代の貞操観念という物は、現代日本と大きく違っているから、皆さまがなんだそれは、と思っても仕方がない。
平安時代という物は、歌のやり取りをしてすぐに肉体関係に発展してしまう時代だったのだ。
ゆえに、鬚黒の大将の元に降嫁していった姫様(数えで十五)と鬚黒の大将(数えで二十前後(原作源氏物語で奥さんの北の方が姫様の異母姉だった事から推測))がすでに、肉体関係を持っていても、この世界では誰も咎めないわけだ。
だが、鬚黒の大将と屑ロリコン野郎が決定的に違う事を、私は教えたい。
それは……
「鬚黒の大将は、幼いと言ってもいい体の姫様に、無体な事は出来ない、と肉体関係を持っていない」
という事である。
これには私の暗躍が大きく関わっているのだが、……聞きたいでしょうか。
かなり無茶な事をしたという自覚が、私にはあるので、あまり吹聴しないでいるわけですが。
姫様が後宮から降嫁する(藤壺様の義理の娘だからこのいい方だろうと思います)相手が、鬚黒大将と決まった後、色々な準備が行われました。
鬚黒大将からの歌が送られてきて、局の皆様はきゃあきゃあと言いあっておりました。
何しろ桜の宴の際に、さらっと歌を歌い、屑にアルハラをされてもそれなりに対応し、私が男装して鬼のふりして介入した結果、自業自得でぶっ倒れた屑の介抱までした、まっすぐな気質の男性です。
そして姫様が最初から好意的であった事も、このきゃあきゃあに一役買っているでしょう。
歌を数回やり取りしてからの共寝(性的関係)を三日続けてからの、三日夜の餅(成婚の儀式)、そして最終的には露顕(ところあらわし。今でいう披露宴。この際舅姑と婿が対面する)というのが結婚のしきたりでした。
結構事実婚の部分もあって、なあなあだったりもするわけですが、姫様は格の高い姫君なので、ここら辺きっちりやりました。
しかし、我々女房達が、頭を抱えた事があってそれが……
「姫様に女の印がまだ現れない」
という事でした。そう、姫様は結婚相手は決まったのに、初潮がまだ来なかったんです。
十五で来ないの遅すぎないか、と思わないでください。いったでしょう、数えだって。
数えっていうのは、結構あいまいな部分があって、一つか二つサバが読めるんです。
そして私は、姫様が、実年齢十三歳だと知っています。十三歳は、初潮が来るかどうか微妙な年齢ですよね? それなりに遅い子だったらまだ来ないでしょう。私もそれ位から初潮が来ました。
女の印が現れてから、男女の関係を教える事、と藤壺様が言ったため、なかなか……なかなかそう言った教育が出来なかったんです。
しかし結婚相手が決まった事、そして下半身クズ光源氏が、何をするか読めなかったという事もあって、藤壺様は姫様を守るため、早く鬚黒大将の所に嫁がせたかったんです。
そして、女性の体の事はよく分かっていない帝も、相手が決まったし、年も結婚適齢だと(十五は適齢です。ちなみに藤原道長の娘彰子は十三で入内したとか……?)いう事で、かなりの速度で結婚は決まったんです、はい。
女の機能も出来上がっていない姫様が、男と関係を持ったら、相当な体の負担になります。
それに、何も教えられない状態での、そう言った行為は、恐ろしい以外言いようがないでしょう。
原作源氏物語でも、屑光源氏に強姦された若紫が、恐怖とショックのあまり布団から出て来なくなった、という記述があるんです。暑い中分厚い布団を頭まで被って、恐ろしさで震えているという描写を、光源氏はすねている、と評したわけで、前世のモテない系男子犬君からしたら
「こいつガキに手を出してショックを受けさせてんのにこの言い草なんなわけ? 作中で何度も若紫は幼い、幼い、って描写があるって事は内面も割と子供だったはずだろ? そう言った知識だけ大人扱いしたわけ? 体が十三かそこらで、心がそれ位だったら、そりゃあお前ロリコンって言われても文句言えねえだろ、事実子供に手を出したってわけだからな!」
と読んでて何回か専門書を投げつけたくなりました、はい。
そんな状態で、体も心もまだまだ幼いというか、子供な姫様が、現実的夫婦関係をほとんどわからないまま、歌のやり取りをしているものだから、女房達はもうどうするか、とそう言った教育のためのファーストペンギンの押し付け合いです。
私も押し付けられそうになりましたが、私は
「男を通わせたこともない私に、男女のあれこれを教えて、間違ってたらどうするんです」
と言って逃げました。いや、あの……さすがに、男性器の事とか、女性器の事とか、言えなかったんです姫様に。
初潮が来たら、まだ納得がいく説明ができるかもしれませんが、まだ来ていない姫様に教えても、悪戯に怖がらせるのではないか、と思ってしまったわけで。
片方は子供で色々なものを教えられない。
片方は大人で常識とかをわきまえている、それに話が通じそう。
となったら、大人な片方に、お願いをしに行くべきでしょう、しかし、私は屑がまだぐずぐずと、都にいる事が気になっていました。
都にいる間に、こいつ、姫様の噂を聞いて押しかけてこないか、その時に私がいなくて姫様を守れるだろうか、という事が頭をかすめたのです。
結果私は、姫様が色々な嫁入り道具を携えて、鬚黒大将のもとに行くまで、何にもできなかったのです。
犬君一生の不覚、と思ったのは記憶に新しいです。
実は、宮中で姫様と鬚黒大将が肉体関係を持つのは、ちょっと……という事になっていて、鬚黒様は歌を送ったら、そのまま共寝をせずに姫様を、屋敷に迎え入れる事になってたんです。
手順すっとばしてないか、と思うかもしれませんが、大丈夫。
原作源氏物語と違い、姫様は裳着を済ませております。ちょっと前に。だから肉体的にはともかく、法的には大人となります。
裳着を済ませた女性をムカイメ=嫡妻として屋敷に連れて行くならば、鬚黒大将は何のおとがめもありません。
それも、帝の決定の結果、迎え入れてから披露宴をするように、となっていれば、誰も何も言いません。
露顕は、家と家とのつながりであり、この場合は嫁と舅姑のご対面なわけでありまして、宮中でやるわけにもいかねえな、というわけであります。
そして、鬚黒大将の屋敷で盛大に、披露宴である露顕が行われ、いざ、共寝……という時、私は隙を見て、鬚黒大将がおひとりでいる時に、彼の部屋に入りました。
彼は私を見て、そりゃあ驚いているご様子です。
そりゃそうだ、妻が一番信用しているであろう女房が、険しい顔でやってきたら驚くに違いないでしょう。
私は、その険しい顔のおかげで、ただならぬ事を言おうとしている、と察してもらえました。
「どうしたのです、そのような厳しい顔をして。このたびの事に不満があるのですか」
「申し上げたい事があり、この場に来ました」
「……? 言ってみなさい」
「姫様との共寝を待っていただきたいのです」
大将はしばし沈黙しました。共寝をする事は結婚の手順として大事なものであるはず、なのにこの女房がそんな事を言うのは何故だ、と言いたそうな顔です。
「姫様のお体は、大人になり切れておりません。その状態で、殿方を受け入れる事をしてしまったら、姫様の体が壊れてしまいます。姫様は女の印さえ来ておりません。だからどうか、まぐわうことだけは、ご容赦いただきたいのです」
「……あの愛らしい方は、まだ、体が子供のままだと言いたいのか」
鬚黒大将は、静かに問いかけてきました。そのため私は答えます。
「恐れながら、そうです。月のものが来ないため、男女のあれこれも、藤壺の女房達は教えられず、姫様はそれらに対する知識もありません」
「そのような乙女に、無体を強いる事は出来ないな」
不意に、鬚黒大将が笑いました。苦笑、といった感じでしたが。
「私も、元服の際に妻をめとったが、男女の行為は、かなり驚いた記憶がある。男の印が来ていて、知識は教えられていた私ですら、そうだったのだ。それらがないあの方が、そう言った事を心底おそろしいと思ってもおかしくないな。前の妻は初めて私を受け入れた時、血が出て、悲鳴を上げたな……」
記憶の中の、姫様の義姉とも、色々あったのでしょうね。思い出す顔をした鬚黒大将が、不意に、何かを試すような顔で、問いかけてきました。
「お前は、もし、私が拒んだら、どうするつもりだったのだ」
「姫様が、男を受け入れられるだけ成長するまで、私が代わりになる事を申し出るつもりでした」
……この時、鬚黒大将の時は止まったような顔をしていました。こいつは一体何を言っているんだ、と言いたそうな顔。あり得ないと言いたそうな顔。
私も考えたのですが、子供の体の姫様に、性欲がぶつかるよりも、前世の知識のおかげで、セックスの事をわかっている私が、腹をくくって身代わりになる方が、ましだという考えに至ったんです。
ゆえにこの発言でしたが、鬚黒大将にしてみれば、あり得ないくらいの覚悟に思われたらしいです。
「お前は、男を受け入れた事がないと、思うのだが」
「ありませんが、姫様が傷つき、苦しむくらいなら、この体など喜んで差し出します」
きっぱりと、言い切った私を見て、鬚黒大将は、深いため息をつきました。
「愛らしいあの方は、そんな事になった私たちを、全く喜ばないだろうに」
「女にとって、血道をあげた男に、何もわからないのに襲われる事は、洒落にならないほどの恐ろしさなのです。これは実体験ですから、本当の事ですよ。私は心底あの時恐ろしかった……」
「……お前か、光君が見初めて暴走した結果、裳着をすます前に契りを結びかけたという娘は」
「お話が早くてうれしいですよ、そうです、私がその時の子供でした。……何も知らない中、知らない男に耳元でささやかれ、何をされるかもわからないまま、暗がりでまさぐられそうになったときのあの恐ろしさは、鬼やあやかしをはるかに超えたおそろしさでありました」
私がきっぱりと言い切ると、鬚黒大将は、不意に笑いました。
「あの、可愛らしい方にそんな思いをさせるわけにはいかない。よし、私は待とう。その時まで。犬君と言ったな、添い寝くらいは許してもらえるか? 私はあの方に、心を許してもらいたいのだ。そのために、添い寝をして色々な話がしたい。……前の妻の時は、それすらかなわず離縁してしまったから、今度こそ、妻と呼べる人と語り合いたいのだ」
「姫様を怖がらせる事を、何もしないと誓ってくださるなら、私はそれを止められる身の上ではありません」
「番犬だな、まさに、犬君というわけか」
「ええ、私は恐ろしい番犬にもなりましょう。姫様が幸せになるための」
「今日は添い寝だけにしよう、犬君、お前はもう戻ってもらいたい。あの方の元で、添い寝の準備をしてもらわなくてはな」
「かしこまりました」
私は、この人ならば姫様に、無体な真似をなさらないと判断し、頭を下げて、姫様の元に戻りました。
「犬君、犬君、こちらの女房の方たちが、今日は新婚初夜だっていうの」
「そうですか」
こちらの女房とは、鬚黒大将の屋敷の女房達であろう。
私が知らない顔でした。
彼女たちは、私が来た途端嬉しそうに話す姫様を見て、微笑ましそうです。
「ええ、そうですね」
「特別な事をするのかしら」
「それは、姫様のご準備が整ったらになりますよ」
「それはいつ? わたし、あの方とちゃんと夫婦になれるかしら」
「それは、神様にしかわからない事になりますから、犬君にはわかりませんよ」
言いつつ私は添い寝の準備を整える。
そして鬚黒大将がやってきたため、女房達は軒並み下がり、塗籠の中には、姫様と鬚黒大将だけが残った。
私はその一番近くの局をもらえたので、耳を澄ませていたけれども、姫様の嫌がる声や悲鳴、それから獣臭い情交の匂いは、そこから漂ってこなかった。
そしてそれとなく、夜の事を姫様に聞くと、
「旦那様は、私がまだ子供だから、大人の女性になるまで待つっておっしゃるの。子供と女性は天と地ほどの差があって、子供に教えるには早い事がたくさんあるからって」
笑うのよ、初恋の方と同じ顔で、とほほを染めて囁いた姫様は、文句なしに天女のようだった。
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