第285話 変化

「なんでこんなに疲れるんだろう?」

 しばらくした探索を続けた後、小まめな休憩を挟んでも体の中に残る疲労について、智香子は不審に思った。

 そしてしばらく考えるまでもなく、すぐに自力で答えに到達する。

「移動距離が極端に長いからだ」

 と。


 迷宮という空間は、人間のスケールで考えるとかなり広大な空間といえた。

 累積効果により移動速度その他が向上しているので、普段はそこまで意識することはないのだが、今回は長時間迷宮内部に居続け、虱潰しに通路を歩き回っている。

 上の階層に出るための階段を探すため、だった。

 エネミーの駆逐はどちらかというと副次的なものであり、この階段探しの方が優先順位としては高い。

 つまり、その階段を発見するまでは、くまなく迷宮の通路を歩き回る必要があった。

 これが、地味に効いて来ている。

 普段、部活で迷宮に入る時はエネミーを倒すこと自体を目的とし、何度かの戦闘を英検したらすぐ娑婆に帰る。

 しかし、今回はスキルがロックされていて、そうするわけにもいかない。

〈スローター〉氏が持参してきたタブレットに自動でマッピングをしてくれるアプリがあり、智香子たちが移動した痕跡はそのアプリに記録されている。

 後方に控えていることが多い世良月がそのタブレットを持ち歩く役目を引き受けていたのだが、何度目かの休憩の時、智香子はそのタブレットを借りてその画面を確認し、そのまま絶句した。

「移動距離、百キロ越えているし」

 小さく、呟く。

 疲れるはずだ。

 疲れないはずがないのだ。

 累積効果により、移動速度が早くなっているため、かえって長く移動してきたという実感が掴みにくい。

 これだけ長く走り、なおかつ、合間にエネミーとの戦闘を挟んでいれば、肉体的にも疲弊しないわけがないのである。

 困るのは、これだけあちこち歩き回っていても、肝心の階段がまだ見つかっていないということだった。

 一つの階層をクリアするのに、これだけ時間と労力を費やしてもまだ足りない、となると。

 智香子は、そんなことを考えて慄然とする。

 迷宮から出られるようになるまで、果たしてどれほどの時間が必要になるのか。

 ちょっと、甘く見ていたかな。

 とも、智香子は考えた。

 食料や水は〈フクロ〉の中にたっぷりと備蓄していたので、そちらの心配こそする必要はなかったが。

 それでも、この自体が大変であるということには変わりがない。

 いや、これまで、そう認識することを、自分は無意識のうちに避けていたのではないか。

「マッピングを開始してから、もう少しで六時間か」

 智香子は、小さく呟く。

 普段なら、帰宅してそろそろ就寝の準備をしている時間帯だった。

 これだけ長時間迷宮内に留まり続ければ、今頃娑婆では、迷宮から出てこない智香子たちを巡って、大人たちが騒いでいるはずで。

 不可抗力とはいえ、いろいろいろとキツいなあ。

 と、智香子は思う。

 後のことを考えると、いろいろな意味で憂鬱になってくる。


「ああ、もうこんな時間か」

 黎が智香子の手元をのぞき込んでタブレットの画面を確認し、そう呟く。

「門限、完全に過ぎているなあ」

「そんな、呑気な」

 智香子はため息混じりにそういう。

 黎たちは、外見的には問題がないように見えた。

 それどころか、少し前よりも元気になっているようさえ、見える。

「キツいといえばキツいけど」

 智香子に向かって、佐治さんがそんな風にいった。

「頻繁に休憩取っているし、エネミーの相手もだんだんコツが掴めてきた感じだから。

 なにより、体を動かし続けていると、こう、テンションがあがってくるんだよね」

 コツが掴めてきた、というのは理解できる。

 方法よりも手数が問題になるカエル型はともかく、直立ネコ型の相手は正面からやり合うとなるとかなり難しかった。

 つまり、智香子たちの現在の実力だけで対処しようとすると、ということだが。

 なにしろ相手はスキルや武器などを使うエネミーだ。

 体格差はあるにせよ、実質、対人戦をしているようなもので、絶対に油断できる相手ではない。

 その直立ネコ型を相手にしても、これまで問題がなかったように見えるのは、〈スローター〉氏が先導してエネミーの数を減らしたり、スキルによって弱体化してくれたからに他ならなかった。

 そうしたサポートの甲斐もあって、智香子はこれまでに、自分たちの力だけでは倒せなかったはずのエネミーも、無数に倒してきている。

 特に直接とどめを指す役割を多く負担することが多い、黎や佐治さんたちが前よりも元気になっているように見えるのは、おそらくはそうして獲得した累積効果のせいではないか。

 とか、智香子は推測する。

 それ以外に、弱体化しているとはいえ、初体験に近いヒト型エネミーとの対戦を経験して、自信をつけた。

 という、心理的な要因もあるのかも知れない。

「これはこれで、いい傾向なのかな」

 と、智香子は思う。

 この逆に、どんどん弱っていくよりは、断然今の状態の方がいいはずだ。

 なにしろ、娑婆に出られるようになるまで、まだまだ先は長そうだし。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る