第二章 レール上をひた走り 4-2



4-2



 某ビルの一室にて。

 治安維持隊の制服を着崩し、足をだらしなくテーブルの上に投げ出したヴィクトリアは、人の悪そうな笑みを浮かべて眼前のホログラムウィンドウを見つめていた。


「とまあ、ここまでは完全に想定内だわな。データ復旧までの貴重な時間を許す限りで使用し、中央エリア侵入を遅らせる。そうすることで、検問の混乱を狙ってくる、と」


 これは半分テストのようなものだった。ターゲットの写真は配布済みで、検問以外にも市内警備を隊の人間にやらせていることから、よっぽどの混乱がない限り、ターゲットがこちらに知られることなく中央エリアに侵入するのは不可能であるという確信があった。


 敵が検問完成直後に正面から突入してきた場合には、問答無用で捕まえる。逆に、それなりに時間が経っても来ない場合には、敵に対する警戒を高められる。


「万が一に備えて、『聖域』周辺も見張らせてある。唯一の問題は費用が掛かりすぎていることだが……それは、私には関係ないからな!」


「…………」


 いつもは無表情な顔を流石に少し引きつらせているアッディーンを放って、ヴィクトリアは右手のティーカップに口をつけ、中身を喉奥に流し込んだ。

 熱く、芳醇な香りを孕んだ液体が、胸の奥へと広がっていく。彼女は満足げな顔で、舌をぺろりと出すと、唇に残っていた紅茶を舐めとった。


「やっぱ、手持ちの資材を散財に近い形で使用するのはいいねえ。癖になるな、これ」


「あまりやりすぎて、自滅してくれるなよ」


「誰にものを言っているんだ、アッディーン。そんな心配をするくらいなら、情報管理局のやつらにルークの協力者をさっさと特定させろ」


「ずいぶん前からやらせている。が、情報の隠し方が巧妙だ。もうしばらくかかるぞ」


「ちッ、役立たず共め。天下の治安維持隊も、所詮は烏合の衆か」


「それで、ヴィクトリア? 現在その烏合の衆を動かしている君は、これからどうするんだ?」


 肩をすくめてのザンの発言に、ヴィクトリアは唇の端を持ち上げた。窓からの光が、彼女の顔に陰影を作り出している。外には、数多の摩天楼がそびえ立っていた。


「言ってくれるな、アッディーン。その質問に対する答えは、『何もしない』だ。向こうには時間がない。そのうち、必ず検問を突破しようとする。問題は、それが追い詰められての向こう見ずな特攻なのか……あるいは、何らかの策があってのことなのか、だ」



  ※  ※  ※  ※  ※



 学生警備担当の検問場所にて。

 副隊長、エボニー・アレインは、完全に想定外の出来事に、目を大きく見開いた。


 高速道路に侵入しようとしていた、一台のサイドカーが取り付けられたバイク。それが、まったく躊躇することなく、エボニーが出した炎に正面から突っ込んだ。


「うわあ! 馬鹿だアイツ! エボちゃん、人死にを出したことに対する上層部への言い訳は、君に任せたよ!」


 とんちんかんかつ大問題なことを宣う上司はとりあえず無視することにして、エボニーは唇を噛みしめ、高速道路出入り口で燃え盛る炎を見つめた。


 心臓が痛いほどに強く鼓動しているのが、骨を通じて直接脳に伝わってくる。一般人を殺害してしまったかもしれないという緊張によるものではない。すぐにブレーキをかければ巻き込まれないよう、炎を出す位置は調整していた。つまり、バイクに乗っている人物は、自らの意志で烈火の中に飛び込んだのだ。


 普通ならば、反射的にバイクを減速されるはずだ。だが、乗っている人物が、普通の人間ではないとするならば……。


「……!」


 頭に浮かんできた突拍子もない考えにエボニーが唇を噛みしめたのと、炎の中からバイクがまったくの無傷で飛び出してきたのが同時だった。


 そして後には、バイクの通り道を作るように出現した炎のトンネルと、靄のように揺蕩う、霧のように細かな、青白い光の粒子が取り残された。


 もう、間違いない。あの光景は、今まで何度も目にしてきた。


 超能力者同士で行われる模擬戦。エボニーがあらんかぎりの力で攻撃しても、眉一つ動かさずに、自らの傍にきた火を文字通り吹き飛ばしてしまう、一人の男。


 炎だろうが光線だろうが、自らの能力を持って力づくで捻じ曲げ、傷一つ負うことなく、超越者候補として君臨し続ける、希代の天才の呼び声高き悪童。


 第一高校最強の超能力者、御影奏多。


「……え? ちょっと待って。アイツ超能力者? しかもあの過剰光の色、どっかで見たこと……って、エボちゃん?」


 戸惑うジミーを置いて、エボニーは全力で検問の方へと走っていった。何人かの隊員が何やら呼びかけてきたがそれも無視して、高速道路出入り口のすぐわきに置いてあった自分のバイクにまたがると、すぐさまエンジンを入れた。


 頭の回路を、超能力発動用のそれへと切り替える。意識が一瞬で冴えわたり、理性が荒れくるう感情を抑え込んで、歪んでいた視界をはっきりとしたものへと戻していった。視界の端で、ジミーが自分を止めるべく、超能力を発動しようとしているのが見え、そして――。


「行っけえッ!」


 エボニーのまたがるバイクが、強烈な爆音をあげ、通常では考えられない勢いで急発進した。慣性重力が後方にかかり、吹き飛ばされそうになるのを必死に耐える。


 エボニーの超能力は、目に映る炎を操ることだけではない。内燃機関のような、目に見えない場所で進行している燃焼反応も感覚で操ることができる。今彼女が乗るバイクは、能力によってバイクを急加速させることが可能な、エボニー・アレイン専用機だった。


 幸い、検問の影響で高速は渋滞どころかもう交通量がかなり少なくなっていることもあって、加速が終了するまで車にぶつかることはなかった。エボニーは姿勢が安定した瞬間、胸元のロザリオに触れ、ウィンドウを出し、先ほどの履歴を利用してテレビ電話を彼に繋いだ。


 何度目かの呼び出しの後に、映像が切り替わる。黒のフルフェイスメットの奥で、御影奏多は一瞬目を見開いたが、すぐに唇を醜悪な形に変えて言った。


『……よう、学生警備。相変わらずエリートだねえ』


 しばらくの間、一言も発することができなかった。


 解せないどころの話ではなかった。ありえない。否、あってはならない、だ。しかし現実に、エボニーの耳に届いた声は、まごうことなき彼のものだった。


 エボニーの乗る法を最も守るべき白のバイクは、規定速度を遥かに超えて、二車線のど真ん中を突っ走っていた。彼女の操作により超稼働を余儀なくされているエンジンは、製作者側の意図通りに何とか壊れることなくバイクを走らせていた。


 やがて、前方に先ほどのバイクが見えてきた。ミラーでこちらのことを確認したのか、ヘルメットが呆れ声で言った。


『もう追いついたのか。無茶苦茶してんな、オイ』


 前髪が風圧で全て後ろに持っていかれ、露わになった額にあとからあとから浮かぶ汗が吹き飛ばされていくのを感じる。しかし、それで頭は冷えるどころか、限界まで沸騰しているのがよくわかった。


「無茶苦茶してるのはあんたの方でしょうが、この大馬鹿野郎!」


 エボニーは喉も裂けよと言わんばかりに、あらんかぎりの声を張り上げた。


「どういうつもり? 検問を強行突破して、アンタに何のメリットが……」


『はあ? 寝言を言ってんじゃねえよ、オイ。理由なんて、とっくにわかっているだろうが』


 その言葉で、最も信じたくなかった可能性が確信に変わり、彼女は絶句した。


 上からの命令は、配布された写真の少女を見つけ次第確保すること。だが、それだけではなく、同時にもう一つの指令が存在した。


 すなわち、少女に『同行』している人物を、捕まえること。


『ブレインハッカー……いや、お前にこれ言ってもわかんねえか。とにもかくにも、治安維持隊が中央エリアを封鎖してまで手に入れたい少女。それを連れてる奴ってのは、俺のことだ』


 無意識に噛みしめていた唇が切れて、口の中いっぱいに血の匂いが充満していった。風が、汗以外の水滴も、等しく後方へと吹き飛ばしていく。


「私の担当場所について聞いたのは……」


『もちろん、そこから侵入するためだ。万が一の時に侵入者を押しとどめる役が、お前だってのはわかっていた。だが、お前の能力は、俺には通じない』


「……私のことを、利用したのね」


『利用、ね。はたして、利用されているのはどちらなんだか』


「意味深なこと言ってごまかすな、馬鹿」


 どうでもいい。今、こいつが抱えていることなんて、どうでもいい。性懲りもなく幼馴染を信じていた自分は、またこの男に裏切られた。……ただ、それだけの話だった。


「この外道が。人の心を弄んで、よくもまあ……」


『お涙頂戴の台詞は御免だぜ、学生警備』


 怨嗟の言葉をぶつける機会すら奪われた。もはや黙り込むしかないエボニーに、ヘルメットで表情がほとんど見えない御影が、同じく感情を窺い知れない声で言った。


『サイドカーにぶち込んどいたクソアマの身柄引き渡しの交渉にはもちろん応じねえし、俺の目的をお前が知る必要もねえ。簡単な話だ。俺がお前から逃げきれれば俺の勝ち。お前らが、この鳶の髪の少女を確保できれば、お前らの勝ちだ』


 鳶の髪の少女。送られてきた映像の少女も、美しい茶色の髪をしていた。


 エボニーはカラカラに乾いた喉の奥底から、何とか言葉を掻き出した。


「今からでも……遅くない。投降しなさい、どれほどの事態になっているのかわかって……」


『知っているよ。嫌って程な』


 御影の言葉に、エボニーが歯ぎしりをした瞬間だった。二台のバイクの間に、無数の青白く輝く粒子が出現した。脊髄反射で進路を左に向け、高速道路の端に移動した、その直後だった。


 エボニーが先ほどまでいた場所を、空気の砲弾とも言うべき超局所的な暴風が、轟音を立てて通り過ぎていった。本流は避けたものの、それでもその副産物として押し寄せてきた強風にバイクがあおられ、操縦が一時きかなくなった。


『舐めたこと言ってんじゃねえよ、オイ』


 あと少しでバイクから振り落とされるところだったという事実に、ただただ目を見開き続けるしかないエボニーに、彼は低い声で告げた。


『本気で来い。容赦をするな。俺はお前の、敵なんだからな』


 ホログラムウィンドウが、音もなく消滅した。


 しばらく呆然自失で走り続けていた彼女は、危うく高速の塀にぶつかりそうになり、慌ててバイクの向きを修正した。


 御影の乗るバイクが、スピード上げ、こちらとの距離を離していく。それをぼんやりと見送りそうになったところで、彼女はハッと我に返ると、眉間に皺を寄せてアクセルを踏み込んだ。


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