第31話 VS時間旅行者⑤

「やあ。こんなところに呼び出して申し訳ない」

「…………」


 櫻子が娯楽室の扉を開けると、そこには田中一耕助が電気もつけずに一人佇んでいた。ブラウンのスーツに緋色の目をした男は、背後の窓から差し込む白い月の光に照らされ、一人部屋に入って来た櫻子に妖艶にほほ笑んで見せた。


□□□


 ホテルの娯楽室は、一階・エントランスホールの左横にあった。普段は消灯時間ギリギリまで卓球やダーツで賑わっている娯楽室も、今夜ばかりはがらんとしていた。やはり連続殺人があったばかりだからだろうか、貸し出し自由の将棋盤やチェス盤も、ほとんど誰にも利用されることなく棚に並べられたままだ。すっかり寂しさを見せる娯楽施設の横を通り過ぎ、櫻子は部屋のさらに奥の閲覧自由の本が立ち並ぶ『書斎ルーム』の扉を開けた。


 田中一が推理を披露してから間も無く、ホテルに地元の警察が到着した。大勢の制服警官がホテル内をくまなく捜査したところ、四件の殺人事件の詳細は、田中一耕助が二人に話してくれたほぼ推理と同じだった。回転扉、密室偽装の、溺死の手順に殴打殺人の見解……次々と自らの推理の正しさが証明されていく田中一は、動き回る警察官たちを眺めながら壁際で一人口元を緩めていた。


 おそらく犯人は、複数犯に違いない。

 これから宿泊客全員のアリバイを検証し、外部の犯行も含めて容疑者を絞っていく。


 田中一の協力もあり、警察がそう結論づけるまで、そう長くはかからなかった。夜になり、一旦収束を見せた捜査に、櫻子たちは仮眠を取ろうと部屋に戻った。赤い絨毯が敷き詰められた廊下も、殺人事件が起きた今夜はみな部屋に閉じこもっているのか、人気もなく静まり返っている。櫻子の背後で、坂本がふうふうと荒い息を上げた。


「待ってよォ。櫻子君、少しは荷物持ってくれよ。僕にばっかり持たせて……」

「お前が勝手に持って来たんだろ。そんなに大量に囲碁盤やらトランプやら……誰とやる気なんだよ?」

「そんなの決まってるじゃないか」

「私は絶対やらんぞ。ルール知らないし」

「大丈夫。僕だって知らないよ」


 坂本が汗を拭い、天真爛漫な笑顔を振り撒いた。何が大丈夫なのかさっぱり分からなかったので、櫻子は手伝わないことにした。彼女の後ろで、大量の紙袋を抱えた坂本がよろめいた。坂本を置いて、櫻子はさっさと自分たちの部屋の前まで歩いた。扉に手をかけようとして、櫻子は自分たちの部屋の扉の前に張り紙がしてあるのに気がついた。真っ白な紙に、手書きで丁寧な文字が書かれている。彼女は怪訝な顔をしてそれを覗き込んだ。

「なんだこりゃ?」


『坂本先生と天狗さんへ。二十時に娯楽室の奥で待ってます』


 白い張り紙には、そう書かれてあった。右下には、丁寧な字で『田中一耕助』と署名が書かれている。

「…………」

 櫻子は白い紙を引きちぎり、ポケットの中にしまい込んでぐしゃぐしゃに丸めた。櫻子は腕時計を眺めた。十九時二十八分。

「……オイ坂本。ちょっと私飲み物買ってくるから、先に部屋で待ってろ」

「ええ?」

 櫻子が扉の方を向いたまま静かにそう呟くと、後ろからようやく追いついて来た坂本が素っ頓狂な声を上げた。


「じゃあ……囲碁はどうする?」

「知るか。勝手に一人でやってろ」

「ひどい……。囲碁は決して、一人っきりでやるものじゃあ……」

 悲しそうな顔を浮かべる坂本を置いて、櫻子はエレベーターまで駆け出した。

「櫻子君!」

 すぐにエレベーターが到着し、金属の扉がゆっくりと開いて行く。櫻子が飛び乗ろうとすると、まだ部屋の前にいた坂本が彼女を呼び止めた。


「……大丈夫?」


 櫻子が視線をやると、紙袋の向こう側から、不安げな表情の坂本探偵の顔が見えた。櫻子は八重歯を覗かせ、不敵に笑って見せた。


「……ああ」


 櫻子は小さく頷いて、赤いジャージを翻し扉の中へと一人姿を消した。


□□□


「……一人っきりで来たのかい? 坂本先生は?」

「…………」


 薄明かりの部屋の中、細身の探偵のシルエットが揺れ動く。櫻子は黙って後ろ手で書斎の扉を閉めた。

「櫻子ちゃん……だっけ? 君、あの坂本先生のとこの助手をしてるって言う……」

「…………」


 緋色の目をした男が、感情の読めない不思議な笑みをその顔に貼り付けた。雲の切れ間から、淡い月明かりが窓の中へと差し込むたびに、彼の顔がぼんやりと白く影の中に浮かび上がった。書斎の壁には、古今東西、様々な言語で書かれた書物がずらりと並ぶ。壁一面を埋め尽くした本棚を背に、櫻子は礼装の男と向かい合っていた。


「今回の事件で坂本先生にお伺いを立てようと思っていたんだけど……まあ良いか」

 田中一は部屋の中央にある長机に寄りかかった。櫻子はまだ、扉の前に立ったままだった。


「回転扉に密室偽装……四件とも、田中一の見立てと同じようで何よりだよ」

「……………」

「警察は複数犯だと見ているらしいね。無理もない……あんな短時間で曲芸みたいな連続殺人、普通の人間には到底無理だ」

「……………」

「六階のホールの天井に死体貼り付けて、密室の壁を通り抜けてナイフを突き立てた後、すぐさま屋上のプールに死体を投げ込み、なお十一階に泊まっている客を部屋の外から侵入して殴り殺す? 笑えるね……不可能だ。それこそ我々の理解を超えた、、ね」

「……………」

「いやいや、失礼。単刀直入に言おうか」


 金髪の少女は、先ほどから黙ったままだった。男の透き通った声は、二人しかいない書斎によく響いた。


「田中一はこの事件の犯人は、君だと思ってる。天狗櫻子ちゃん」

「!」

「いや、今回の件だけじゃない。君たちのことを、ずっと遡って調べたんだけれど……」


 彼はどこからともなく分厚いカルテのようなものを取り出すと、パラパラと捲り始めた。


「”天狗塔”の事件……。それから”透明人間”が出たなんて騒ぎがあった例の偽装密室殺人……。”物理学者”田中マルクス茂雄博士の謎の死。”河童”伝説に、”泥土山”の行方不明者……」

「…………」


 彼が読み上げているのは、今まで坂本虎馬探偵が関わった事件の調査報告書だった。男は相変わらずどこか余裕のある笑みを顔に貼り付けたまま、櫻子に視線を戻した。


「これらは……櫻子ちゃん。

「!」

「君のその……天狗の、を持ってすれば、ね」

「!!」


 櫻子が目を見開いた。窓の外で、月明かりが雲の陰に隠れて途絶えた。

 礼装の男は薄暗い書斎の中で、固まったまま動かない櫻子をじっと見据えたまま、緋色の目をうっすらと細めた。


□□□


「”回転扉”の仕掛けこそ”偽装”……。その本当の目的は、天から授かった己の狗の力の存在をひた隠し、様々な凶行を普通の人間の仕業だと見せかけるため。違うかい?」

「…………」

「櫻子ちゃん。君はそうやって事件の罪を誰かに擦りつけ、自分の正体がバレないようにと裏で工作していたわけだ。坂本先生のためだろう? 失礼だが、あの凡人以下の探偵に仕事を絶やさないように、君が裏で事件を起こしていたんだ」

「…………」

「櫻子ちゃん。今回の、いや君たちが関わってきた全ての事件の犯人は君だ。異形フリークスは人間とは違う世界の生き物だ。裏の世界に生きるモノほど、人を殺すことにためらいはない。ちゃんと調べましたよ。あの河童だって……」

「さっきからベラベラと……」

「!」


 櫻子がようやく口を開いた。その声は、まるで獣の咆哮のように低く唸りを上げていた。彼女の突き刺すような鋭い視線に射止められ、田中一は思わず声を詰まらせた。部屋の影に見え隠れする櫻子の顔は、どこまでも無表情で、だがその瞳の奥に静かに怒りの炎を滾らせていた。


「だったら私をどうするってんだ? あ?」

「…………」

「私が天狗だって? 証拠でもあんのか?」

「……残念ながら証拠はありません。君たち異形フリークスは本当に、自分の痕跡を隠すのが上手ですね。それにあったところで、羽の生えた天狗がこの世にいましたなんて、世間に公表できるはずもない。だけど……君のその隠された力には、人を殺めるだけの力があるってことなら……」


 櫻子が歯を剥き出しにして、両の手を赤いジャージのポケットに突っ込み、次第に姿勢を低くしていった。目の前で彼女が臨戦態勢になるのを眺めながら、田中一もまたポケットから白い手袋を取り出し、両手に嵌めた。


「爆弾は爆発する前に取り除く……分かるでしょう? 君たち異形フリークスという存在は、ものの数分もあればスクランブル交差点に集まった数千人を全員屠るだけの力を持っているんだ。人間なら銃刀法違反ですよ」

 不意に櫻子がポケットから手を取り出し、田中一に向かって何かを投げつけた。

「!」

 田中一は床に転がったそれを拾い上げた。

「これは……?」

 田中一は手のひらに収まったそれをマジマジと見つめた。

「壊れたオルゴールの破片だよ」

 櫻子が唇の端を釣り上げた。


「見切ったぜ……アンタの力……」

「何ですって?」

「今回の連続殺人……あのなあ、あからさま過ぎんだよ。殺され方も私たちが解決してきた事件にそっくりだ。ご丁寧に凶器まで”同じ”と来てら……」

「…………」

 櫻子が緋色の目をした探偵にジリジリと近づいていった。

「一番の謎は犯行時間だよな。いくらトリックで時間差があるとは言え、ものの数十分で四件別々の場所で殺人を犯す? 笑えるわ……単独犯にはぜってー不可能だ。それこそ、は、な」

「何を……」

「そういやそのオルゴール、死んだ物理学者にもらってよ。私も昔色々試したんだが……」

「?」


 櫻子が田中一の方をアゴで差した。


「ダメだった。特殊なオルゴールで、どんな方法でもビクともしなかったんだ。

「……まさかこの壊れたオルゴールが、この田中一がタイムトラベルしてる証拠だっていうんじゃないでしょうね?」

「お前は時間を駆け巡り、未来からその凶器を盗んで来た。時間を自由に移動出来んなら、今回の事件もワケねぇ」

 櫻子がまた一歩田中一に近づいて、冷たい視線を投げかけた。


「時間を自由に移動って……それ、推理のつもりですか?」

「最初は思い出せなかったが……アンタ、どっかで見たことある顔だと思ったよ。数百年前。アンタ修行してたろ、寺で」

 名前は確か隆元……そう言った櫻子に、田中一は天井を見上げ細い肩をすくめた。

「何を言い出すかと思えば……馬鹿げてる」

「私が犯人だって方が、よっぽど馬鹿げてんだよ!」

 櫻子が吠えた。田中一もまた、寄りかかっていた机から後ろ手を離し、ゆっくりと彼女に近づいた。


「何度屁理屈を捏ねられようが、世界一の探偵の名にかけて、田中一は断言するよ。君は天狗だ。犯人は君の方だ」

「私は断じて、人を殺したことはねぇ! 殺人鬼はお前だろうが!! お前が私をおびき寄せ罠に嵌めるために、今回の事件を引き起こしたんだ!!」

 怒りに肩を震わせた櫻子が、一瞬息を詰まらせた。田中一は不敵に唇の端を釣り上げた。

「やれやれ……平行線ですね。天狗に、タイムトラベラーの証明か。そんな証拠、お互いあるわけないし……ね」

「私は引かねえぞ」

「そうだ櫻子ちゃん、こうしよう。今からでも認める気は無い? ごめんなさい私は天狗でしたもうしません自分が犯人です許して下さい、って」

「犯人は、アンタの方だ」

「イヤ? 仕方ないね……でも、だったらどうするんだい? お互いさあ、それをどうやって証明する?」

「……そんなん決まってんだろ」

「そうか」


 いつの間にか二人の距離は、お互いの顔がくっつくほどに肉薄していた。暗がりの中、距離を詰めた二人の間に、一瞬見えない火花が散った。


「「力づくで」」

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