最終幕
第27話 VS時間旅行者
「櫻子ちゃん……だっけ? 君、あの坂本先生のとこの助手をしてるって言う……」
「…………」
緋色の目をした男が、感情の読めない不思議な笑みをその顔に貼り付けた。雲の切れ間から、淡い月明かりが窓の中へと差し込むたびに、彼の顔がぼんやりと白く影の中に浮かび上がった。書斎の壁には、古今東西、様々な言語で書かれた書物がずらりと並ぶ。壁一面を埋め尽くした本棚を背に、櫻子は礼装の男と向かい合っていた。
「いやいや、失礼。単刀直入に言おうか」
金髪の少女は、先ほどから黙ったままだった。男の透き通った声は、二人しかいない書斎によく響いた。
「田中一はこの事件の犯人は、君だと思ってる。天狗櫻子ちゃん」
「!」
「いや、今回の件だけじゃない。君たちのことを、ずっと遡って調べたんだけれど……」
彼はどこからともなく分厚いカルテのようなものを取り出すと、パラパラと捲り始めた。
「”天狗塔”の事件……。それから”透明人間”が出たなんて騒ぎがあった例の偽装密室殺人……。”物理学者”田中マルクス茂雄博士の謎の死。”河童”伝説に、”泥土山”の行方不明者……」
「…………」
彼が読み上げているのは、今まで坂本虎馬探偵が関わった事件の調査報告書だった。男は相変わらずどこか余裕のある笑みを顔に貼り付けたまま、櫻子に視線を戻した。
「これら全ての犯行は……櫻子ちゃん。君にも十分可能なんだよ」
「!」
「君のその……天狗の、異形なる力を持ってすれば、ね」
「!!」
櫻子が目を見開いた。窓の外で、月明かりが雲の陰に隠れて途絶えた。
礼装の男は薄暗い書斎の中で、固まったまま動かない櫻子をじっと見据えたまま、緋色の目をうっすらと細めた。
□□□
「んで? 今回の事件はどンなンだよ?」
「それが……密室殺人みたいなんだ」
「まーた密室か」
「事件があったのは、観光地にある古いホテルの一室。容疑者は双子で、密室の書斎に隠されていた死体はどうやら替え玉だったみたいだ。容疑者たちのアリバイは完璧なんだけど、探偵仲間のウワサじゃ、時刻表の穴を使ってるんじゃないかってさ。それに現場からは、殺害方法に酷似した謎の童歌が発見されて……」
「盛りすぎだろ。どれか一個に絞れよ。トッピング感覚で犯罪起こしてんじゃねーぞ」
「僕に言われても……」
助手席で舌打ちする金髪少女に、坂本は隣から困ったような声を上げた。
二人を乗せた軽自動車は、山奥を抜けたところにある県境の観光地へと向かっていた。蝉の鳴き声が所々で聞こえ始めた夏の頃。閑古鳥が鳴く坂本探偵事務所に、『殺人事件を解決して欲しい』と依頼が舞い込んだのは、昨日の晩のことだった。
「ちったあ仕事選べよ。話聞くだけでも、明らかに難易度おかしいだろその事件」
櫻子のため息が車内に響き渡った。
「仕方ないだろ……大丈夫、今回は僕だけじゃないんだよ。他にも呼ばれた探偵がいるんだって」
「ほぉン?」
「名前は確か、田中一耕助だったかな? 聞いたことない?」
「そう言えば、どっかで聞いたことある名前だな……」
「何でも日本を、いや世界を代表する名探偵で、手がけた事件はほぼ九割方解決。依頼主もそっちに頼りきってて、正直僕らはいざという時の保険にもなってない。つまり田中一探偵に任せておけば、僕らは観光目的で近くの滝の写真を撮りに行っても良いし、プールサイドで寝てたって良いってわけさ」
「同じ探偵として、お前にはもっとプライドとかねーのか」
「でも……」
車がトンネルの中に入った。坂本が緩やかにハンドルを切りながら、ふと首をかしげた。
「ちょっと気になるな……」
「ンだよ?」
「いや、実は依頼主さ、名前を名乗らなかったんだよ。抑揚のない機械みたいな声で、伝えたいことだけ伝えてさっさと切るって感じでさ。で、次の朝起きたら教えてないはずの僕の銀行口座に、百万振り込まれてた」
「明らかに怪しさ満点じゃねーか!! 何で断らねーんだ!?」
「でも、せっかく依頼があったんだから行かないと……。どうしよう、まさか僕たちを犯人として仕立て上げる罠とかじゃ……?」
「バカ……出発する前に気づけ」
等間隔に並べられた橙色の照明が、車体を照らしては通り過ぎて行く。急に不安げな表情を浮かべる坂本に、櫻子は隣で深々とため息をついた。
□□□
やがて車はトンネルを抜け、そこからさらに一時間弱
その男は、もう夏真っ盛りだというのに全身をブラウンのスーツでビシッと決めていた。すらりと伸びた手足の先から、少し不健康すぎるほど真っ白な肌が見え隠れする。太陽の光が
「やあ、これはこれは。坂本虎馬探偵」
「あなたは……」
「初めまして、田中一耕助です。お待ちしておりましたよ、坂本先生」
「田中一……あの有名な?」
田中一と名乗った男がその細く白い右手を差し出した。彼の頭二つ分くらい背の低い坂本は、ちょっと気後れしたようにおずおずと握手に応じた。
「ご安心ください、坂本先生。密室も替え玉も双子もアリバイも時刻表も、田中一が先に解決しておきましたから」
「え……」
「先生はどうぞごゆっくり、観光を味わってください。近くに有名な滝もあるし、このホテルには屋上にプールだってあるんですよ。ご案内します……」
目をパチクリとさせる二人に、男は白い歯を見せた。
それが坂本と櫻子の、”平成最後のシャーロック・ホームズ”田中一耕助との初めての出会いになった。
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