第12話 VS死神
自分が”いない”方がいい存在だと思い出したのは、つい最近のことだった。
私は、死神だった。
比喩でも何でもなく。
生きとし生ける全てのものに、死を運ぶ異形の存在として。
人間の住むこの世界とはまた別の場所で、私は生まれた。
私は、死神だった。
鎌なんて持っていない。
黒いフードもついていない。
骸骨の仮面も被っていない。
見た目は何も変わらないから、普段は誰も、私が死神だなんて気がつかない。
私だって、今の今まで忘れていたくらいだ。
だけどこうしてまた”紙”をもらう度に、私は私の役割を思い出す。
ああそうだった。私は、死神だった。
ただ私が生きていることで、誰かを苦しめ、困らせ、死に至らしめる存在。
この世界の敵。
扱いきれない毒。
誰かにとっての邪魔者。
そんな自分の役割が、存在意義が、紫にしか映らない景色が、堪らなく嫌だったはずなのに。
もらった”紙”には既に、
『坂本虎馬』。
この人が、次に死神の私に殺される人物らしい。
もうとっくに、涙も汗も出なかった。
ただ私が私であるためには、この人を、この手で殺さなければならない。
乾いた心で、もらった”紙”を捨てることもできず、私はそれをそっと鞄の中にしまい込んだ。
これでもう終わりにしよう。そう思った。
□□□
「櫻子さん……その格好……」
「ン?」
校門に入ったところで、櫻子は後ろから声をかけられた。振り向くと、同じクラスの女子が戸惑った表情で彼女の足元を見つめていた。櫻子が視線を送ると、彼女はちょっとバツが悪そうに目を逸らした。
「あ……いえ……」
「あー……ジャージは校則違反だっけ?」
「いえ、あの、違反ではないけれど……。スカートの下にジャージはちょっと……」
紺色のスカートの下から伸びる赤いジャージを指差して、背の高い少女は苦笑いを浮かべた。
彼女の名前は田中美命。長身で、何処にいてもすらっと伸びた背筋は、張り詰めた弓の弦を思わせる。櫻子と同じクラスの高校生で、風紀委員も務める才色兼備の美少女だ。日頃から面倒見のいい彼女は、クラスでも明らかに浮いていたヤンキー風の金髪猫目少女のことを、ずっと気にかけているようだった。
「やっぱり学校なんだから、ね?」
「んー。スカートってどうも苦手なんだよなあ、私……」
朝っぱらから注意され、何の委員も務めてない、勉強もてんでやる気のない天狗少女がため息をついた。
「だからってその格好はちょっとその……美的感覚がおかしいと言うか、見てるこっちが恥ずかしくなるって言うか」
誰もが言い辛い台詞を、風紀委員は悪気もなく真っ向から投げかけた。その指摘に気分を害することもなく、櫻子は再び深いため息をついた。
「わーったよ。脱ぎゃいいんだろ、脱ぎゃ……」
「え!? あの、ちょっと櫻子さん! こんなところで……!」
櫻子の突然すぎる行動に、美命は顔を赤らめた。いくら早い時間帯とはいえ、グラウンドには登校中の男子生徒もちらほら見受けられる。慌てる彼女が止める間もなく、櫻子は勢いよく、紺色のスカートを脱ぎ捨てた。
「……そっち!?」
「安心しろ。上も持ってきてる」
「きゃあっ!?」
上着に手をかけ、さらに常軌を逸した行動を取ろうとする櫻子を見て、美命は持っていた鞄を取り落とした。
「ちょ、ちょっと、櫻子さんこっち来て! こっちで着替えて!」
「何だよ……違反じゃねーんだろ」
「違反してなければ、何したっていいってモンじゃないの!」
「やっぱ私はこっちだな。うん。こっちの方が落ち着く!」
顔を赤らめた美命が、櫻子を人気のない校舎裏まで引っ張っていった。上下赤いジャージ姿に着替え、満足げな金髪少女を見て、今度は風紀委員が深いため息をつく番だった。彼女の心配は露知らず、櫻子は満面の笑みで頷いた。
「おう。悪かったな!」
「もう……馬鹿な真似やめてよ。櫻子さん、女の子なんだから……」
「ああ、もうしない。じゃ、行こうぜ」
「ハハ……」
「ん?」
ふと見ると、二人の足元に教科書や筆記用具が散らばっていた。慌てて校舎裏に駆け込んだ時に、二人の鞄から荷物が地面に散乱してしまったのだろう。美命は苦笑いを浮かべ、それを拾い集め始めた。櫻子は落し物の中の、一枚の黒い紙をじっと見つめた。何気なく手にとってみると、ハガキほどのサイズの中央に、白い文字で名前が書かれている。
『坂本虎馬』
「何じゃこりゃ……」
「あ!」
黒い紙を眺めている櫻子に気がついて、美命が慌ててそれを奪い取った。急いで鞄の中にしまい込む。その様子に、櫻子が目を丸くした。
「何だよ?」
「何でもないの」
美命はきっぱりと言い切った。ヤンキー少女はポケットから飴玉を取り出し、口に咥えてからニヤニヤと風紀委員の顔を覗き込んだ。飴玉は校則違反である。
「そいつの名前……」
「名前? 名前って何?」
「惚けんなよ。『坂本』……って書いてあったろ」
「…………」
なおも目を背ける美命の顔に、櫻子はまた一歩近づいて揶揄うように笑った。美命は背筋を伸ばしたまま、ニコリともしなかった。
「その……探してるの。その人を……」
「へええ……何で?」
「それは……」
美命は俯いた。それを何と勘違いしたのか、櫻子がさらに笑みを深くした。
「よっし! じゃあ今日そいつに、会いに行くか!」
「……へ?」
「坂本虎馬、だろ? 何の用事か知らないけど、坂本なら大丈夫だろ」
ぽかんと口を開ける風紀委員の背中を、櫻子が笑い声を上げながら力強く叩いた。
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