2-3
誰かを誘おうとしたが、結局ひとりで来てしまった。
達規は土曜日の街中をひとり歩いていた。結芽を見かけたのもこんな日だったなぁなどとぼんやり考えて、そっと口元に笑みを浮かべる。
あのときはナイフを持ったひったくり犯を相手に何もできなかったが、今はどうなのだろう。捕まえられるくらいには強くなっただろうか。笠井を撃ったときは結芽がサポートしてくれたからできたが、まだ一人で誰かを相手にしたことはない。
「……暇だな」
買った物といえば、一枚の夏服とノートくらいだ。いつもならスパイ物の映画でも見に行こうかと思うところだが、今はそんな気にはならなかった。
特訓を始めた当初は全身が筋肉痛でつらく、ときには嫌だと思う日もあったりした。しかし、いざこうして休日を与えられるとつまらなく感じてしまう。いつの日か、香椎での日々が当たり前となっていた。
「ねえ」
肩を叩かれる。友人かと一瞬思ったが、知らない声だ。振り返ってみてもやはりそこにいた男に見覚えはなく、しかしなんとなく察した。柄の悪い男が三人。
「ちょっと教えてほしいことがあるんだけど、来てくれねえ?」
なんでひとりで出かけた休日に限ってこうなるんだか。達規は素直に従いながら、内心嘆息した。
「ほら、金持ってんだろー」
「持ってないっす。見ればわかるでしょ、もう買い物したんで」
人けのない路地裏で、予想通りの言葉を投げられる。達規は手に持った買い物袋を掲げてみせたが、かえって相手を煽る結果となってしまったようだ。
「ああ? んなこた聞いてねーんだよ。金持ってねーならカードでもなんでもいい、財布ごと寄越せよ」
「嫌っすよ」
下品な笑い声を響かせる男たちに、達規は顔をしかめる。怖いとは全く思わなかった。この男たちより怖い存在を、達規は知っている。
一番背の高い男が達規の胸ぐらを掴もうとするが、掴む直前に手の甲で弾く。動きも遅い。これよりずっと速い動きを、毎日相手にしている。
「っの……調子に乗りやがって!」
テンプレのような言葉と共に、背の高い男が殴りかかってきた。顔をずらして避け、掌をみぞおちに打ち込む。あっけなく崩れる男が地面に倒れる寸前、腕を掴んでねじりあげる。苦痛に呻く男から残りの二人へと視線を移すと、彼らは既に怯えて後退っていた。
「ちょっと、こいつも連れていってよ」
いまにも逃げ出しそうな男たちを睨みつけ、手を離す。「ぐえっ」潰れたような声を出して地面に落ちた男を、残りの二人がばたばたと抱えて逃げていった。
静まり返った路地裏で、達規は握りしめた自分の手を眺める。以前の自分なら情けなくカツアゲされていただろう。少しでも強くなれていることに安堵した。
「おや、誰かと思えば達規くんじゃないですか」
突然、路地に声が響き、驚いて顔をあげる。
「どうかされました?」
首を傾げる氷雨を達規は半眼で見やった。まったくこの人は。
「……どうせ見てたんでしょ」
「あ、ばれちゃいましたかー。見てましたよ、お見事でした」
悪びれずに白状する氷雨に、思わず脱力してしまう。
「でも氷雨さん、よくこんな場所がわかりましたね」
「ん? いやあ、たまたま通りかかっただけですよー」
「たまたま通りかかるような場所ですか、ここ」
大通りと大通りを繋ぐこじんまりとした商店街の路地裏。わざわざこんな狭く空気のこもった場所に来る人はそういないだろう。人ではなく猫だというのなら別だが。
「本当に通りかかっただけですよ、この奥に情報を売ってくれる人がいまして。ちょっと仕事をしに行ってました」
「へえ、そういうのもあるんですね」
「ま、情報屋に関しては君が関わらなくていいことです」
促されるままに商店街のほうへと足を進めながら、達規は少し不満を覚えた。子供扱いされているような気がしたのだ。彼にとってはまだ子供なのだろうが、
「……俺が知ったらいけないような情報とかあるんですか」
つい口に出してしまった。氷雨はわずかに目を見開いてから、苦笑する。
「いや、そうではないんですけどね……あの情報屋は女性なのですが、なかなか癖のある人で。対価となる情報や金銭を渡すだけでは、本当に有益な情報は売ってもらえないので」
「……?」
「関係を持たないといけないんですよ、綺麗な仕事とは言えません。君がすでに経験済みなら構いませんが……彼女はかわいい男の子が大好きみたいですし」
予想外の理由に、達規の顔全体が熱くなった。きっと真っ赤になっているだろう。それを見た氷雨は「ね、関わらないほうがいいでしょう?」と笑う。何も言えずに頷いた。
「さて、私は次の仕事があるので、ここで失礼しますー」
商店街を抜けて大通りまで戻ったところで、氷雨は手をひらりと振りながらどこかへ行ってしまった。その背中を見届けてから、達規も歩き出す。
氷雨のように汚れ仕事を請け負ってまで派閥を守ろうとしている人もいる。自分にできることは、少しでも早く、強くなることだ。
帰って自主練をしようと思った。手元を見ると買い物袋が少し破れており、中身が落ちてしまわないようにと立ち止まってリュックの中にしまう。
リュックを背負いなおしたとき、耳鳴りがした。顔を上げれば人のいない大通り。
今更この現象に驚くことはないとはいえ、さすがに焦りはあった。一人でいるときに人払いをされたことはない。今までは結芽を標的としたものに巻き込まれる形だったが、今の状況はつまり――標的は、達規だ。
「ようやく離れてくれましたね」
丁寧な言葉づかいがよく似合う、英国紳士のような格好をした男。数メートル先に、馬野が立っていた。
「どうも、先日はお世話になりました」
やばい。下っ端ならまだ大丈夫だと思っていたが、まさか馬野だとは。能力持ちの相手と戦ったところで、きっと時間稼ぎすらできないだろう。
「……なんで俺相手に、わざわざあんたが?」
だから達規は、会話で少しでも時間を稼ぐことにした。氷雨とはまだそこまで離れていないだろう。しかしそれは馬野も把握しているようだから、可能かどうかはわからない。
「以前、部下があなたのような一般人を巻き込んだことを申し訳なく思いまして」
念のため、いつでも迎え撃てるようにと隠し持ったハンドガンを手探りで確認する。
「可哀想なので、いっそ殺して差し上げようかと」
馬野が、右手に持っていた杖の半ばあたりに左手を添えた。ゆっくりと両側へと引かれ、それが杖ではなくサーベルだということを理解する。
瞬間、彼は達規の目の前にいた。
「――っ!」
とっさにハンドガンを振り上げる。甲高い音が響き、達規の首を正確に狙っていた刃の腹を銃身が弾いた。刃の動きを見切ったわけではなく、無我夢中で動いたことによる偶然の結果でしかない。それでも防ぐことができた。衝撃で手がしびれるのも構わず、すぐさま馬野へと銃口を向ける――が。
達規は反撃ではなく距離をとることを優先すべきだった。ただでさえ実力差があるのだから、せめて間合いを考えなければいけなかった。
馬野の間合いにいる達規が、彼に勝てるはずはないというのに。
銃口が馬野へと向くより早く、サーベルの刃が達規の腕を狙う。さっきまで動きを追えなかった目が、こういうときだけはよく機能する。しかし身体は動かない。
駄目だ――そう思ったとき、誰かが達規の襟首を掴んで後ろへと投げた。
「まったく、教えたことをもう忘れちゃったんですかー? ……でもまあ、よく頑張りました」
誰かなんて、分かりきっている。達規は一瞬詰まった息に咳き込みながら顔を上げた。シルバーのメッシュが入った長い前髪の奥で、満足げな笑みをたたえた瞳がこちらを見る。そこに立っていたのは、やはり氷雨だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます