1-3

 なんてことを。


 結芽は唇を噛みながら、邪魔をしてくる御蔵に小型のハンドガンで反撃する。らちが明かないと考えたか、御蔵は二丁のハンドガンをホルスターへと仕舞い、ショットガンに持ち替えた。


 また厄介なものを持ってきたものだ。が、甘かった。いくら弾が拡散するとはいえ、その範囲を避ければいい。簡単なことではないが、それを実行するための実力は持ち合わせているつもりだ。結芽は地面を蹴り、御蔵との距離を詰めていく。

 御蔵がショットガンを撃つ。距離から拡散範囲を見定め、結芽は数本の髪だけを犠牲に回避した――反動の強いショットガンは、わずかながら撃ったあとの隙がある。

 瞬時に目の前まで駆け寄り、ナイフの柄を殴りつけた。


 倒れていく御蔵を目で追うことなく、結芽はすぐに振り返った。笠井は、すでに達規めがけて刀を振り上げていた。

 追いかけても間に合わない。距離が遠くて、ハンドガンでは望みが薄い。そう判断してすぐにハンドガンを地面に投げ捨てる。


(殺されるくらいなら――)


 多少の怪我、それくらいなら。

 刀を振り下ろそうとした笠井へと、空いた手を突き出す。その瞬間笠井の目の前、何もない空間で小規模の爆発が起こった。


「――!」


 声にならない叫びをあげ、ゆっくりと背中から倒れる笠井。顔にやけどくらいは負っているかもしれないが、威力は抑えたため死んではいないはずだ。達規も、同じように。


 笠井とは反対方向に倒れている達規を見て、結芽は小さく息をつく。

 申し訳ないことをしてしまった。いきなり巻き込んだうえに、怪我まで。せめてできるだけ早く治療をしてあげなければと、重く感じる足を動かして近づこうとした、そのとき。


「結芽」


 聞き慣れた低い声に呼ばれ、立ち止まる。そちらへと顔を向けると、一人の成人男性が不機嫌そうな表情を浮かべながら歩いてきていた。まだ二十五と若く顔立ちも整っているはずなのだが、すぐしかめっ面をするため人相が悪いという印象を与えやすい。

 短い黒髪をがしがしと掻きながら反対の手をジーンズのポケットに突っ込んで、彼は立ち止まった。


利津りつ

「怪我ねーか」

「うん、私は大丈夫」


 ポケットから煙草を取り出した利津は、火をつけながら怪訝けげんそうに眉をひそめた。「私は」という言い方が気になったのだろう。それよりも、いくら人払い中とはいえ路上での喫煙はやめるように言っていたはずなのだけれど。

 文句を言いたいのをこらえて達規へと視線を移す。その視線を辿った利津が、そちらへと足を向けた。


「誰こいつ」

「同じ学校の子。こいつらの人払いが下手だったみたいね」

「最悪……」


 煙を吐き出しているのか溜息なのか分からない息の吐き方をして、利津は笠井のそばにしゃがみ込んだ。意識の有無を確認しているのだろう。


「で、保科の奴らは一般人に手を出したのか」

「それが……名乗っちゃって」


 利津が、笠井の脈をとろうと伸ばした手を一瞬止めた。


「私の隙をつきたかったんでしょうけど」

「……だろうな。で、死んでねーよな」

「うん、殺されそうになったから、爆破使って……そうだ、治療しなきゃ」


 笠井の脈を確認し終えた利津が立ち上がり、達規の顔を覗き込む。が、すぐに肩越しに振り返った。


「怪我してねーけど」

「え、うそ」


 目の前で爆破させたのだ。いくら威力が弱いとはいえ、無傷というのはありえない。

 駆け寄って、結芽は目を疑った。倒れている達規は気絶こそしているものの、小さなやけどひとつなかった。


「なんで……?」

「知らね。とりあえずここを元に戻すぞ、こいつらが気絶してっから十岐ときが人払いを引き継いでるんだよ」


 混乱する結芽をよそに、その場から離れた利津は気絶していた御蔵を蹴り起こす。小さくうめいて目を覚ました御蔵は、蹴った張本人を見上げた途端に表情を強張こわばらせた。


上弥かみや、利津……!」

「おー、俺を知ってるか。なら言いたいことわかるな。さっさとお仲間連れてどっかいけ、邪魔なんだよ」


 顎で笠井を指して睨み下ろした利津に御蔵はヒッと引き攣った悲鳴をあげ、ばたばたと駆けながら笠井を抱えて逃げていった。背が低い御蔵では長身の笠井を運ぶのは大変だろうが、重症なのは笠井のほうだということを考えると妥当だろう。利津という男は、口は悪いが意外と優しいところがある。

 二人組がどこかへ行ったのを確認した利津が、達規を肩に担いだ。


「とりあえず行くぞ、人払いの境目に十岐が車を停めてる。後片付けも他に任せてある」

「……うん」


 さっさと歩き出してしまった利津の背中を追うように足を動かしながら、結芽はこっそりと溜息をついた。じきに目が覚めるだろう達規に言わなければいけないことが、たくさんある。


 それは、自分のことを正義のヒーローみたいだと言った彼にはあまり言いたくないことばかりだった。



 □



 煙のにおいがする。

 きっと自分は死んでしまって、今は葬式とかやっていて線香でも焚かれているのだろうか。まさか自分が焼かれている煙のにおいだなんてことはないだろう、そんなのは嗅ぎたくない。でも、線香のにおいとも違う気がする。線香というより、煙草のような――


「起きたか」


 視界に知らない天井が飛び込んで、耳には知らない声が飛び込んできた。

 声がしたほうへ視線を向けると、開け放った窓の前で椅子に座った男性が不機嫌そうにこちらを見ながら煙草をふかしていた。


「……?」


 聞き覚えのない声だとは思ったが、見てみてもやはり知らない人だ。誰ですかと訊くのも失礼な気がして何も言えずにいると、男性はふいと視線をはずして煙草をふたつきの灰皿に突っ込み、部屋から出て行ってしまった。訳がわからないまま知らない部屋にひとり残されてしまい、不安に駆られる――と、バタバタと騒々しい足音が近づいてきたかと思うと、勢いよく部屋のドアが開けられた。


「……香椎さん?」


 入ってきたのは結芽だった。彼女を見た瞬間、先ほどまでの記憶が一気に脳裏のうりよみがえる。


「っ! ……う、」


 思わず飛び起きた瞬間、後頭部が酷く痛み小さく呻く。達規は力が抜けたようにそのまま後ろへと倒れ、ぽすんと音を立てて元の体勢に戻った。


「あー、後頭部打ってるんだから急に起きたらだめよ」

「後頭部?」

「うん、後頭部打撲」

打撲だぼく……」

「そ」


 苦笑しながら歩み寄って来た結芽の言葉に違和を覚え、眉間にしわを寄せる。それを見てか、彼女はくすくすと笑いながら背中を向け、窓際に近づいて開け放たれた窓を閉めた。


「切られて死んだかと思った? まあ、いろいろあってね」


 何かをごまかしている訳ではなく、おそらく本当に色々あったのだろう。そして彼女がごまかそうとしていることは、他にあるようだった。


「でも頭打ってたから心配してたんだけど、大丈夫そうで良かっ――」

「あの二人組って、なんなの?」


 レースカーテンに手をかけた結芽の手がびくりと震える。それからのろのろとこちらに顔を向け、困ったように笑った。


「えっと……」

「だから言ったろ、ごまかすのはやめろって」


 いつの間にか、ドアが開けっぱなしになっていた戸口に先ほどの男が立っていた。水の入ったグラスを手に持っている。


「でも利津、私……」

「本人の許可なく記憶を消すのだけは、どんな理由があろうと駄目だ」

「……わかってるよ」


 拗ねたように俯いた結芽に、利津と呼ばれた男は溜息をついてから窓際の椅子を持って達規へと近づいた。記憶を消す。いきなり不穏ふおんな単語が飛び出してきたものだ。

 利津はサイドテーブルにグラスを置くと、反対の手に持っていた椅子をベッドの脇におろして足を組みながら座った。


「つらくなければ起きて飲め、無理はすんなよ」

「あ、ども……」


 ゆっくり頭を動かせばそこまで痛まないことを確認し、もそもそと枕を背もたれに上半身を起こす。喉が乾燥して貼り付くような感覚があったので、ありがたくグラスに口をつけた。


「お前も座れば」


 達規が水を飲むのを待つ間、利津が後ろを振り返って言った。立ったままだった結芽は「利津が椅子取ったんじゃない」と口をとがらせ、すこし考えてから達規の足元、ベッドの端に腰かけた。


「さて。あの二人組について説明するには、他の説明から始めなきゃいけねーんだ。悪いな」


 水を飲み終わったのを見計らって、利津が目を合わせながら口を開く。聞き漏らすまいと、達規は真剣な表情で頷いた。

 軽い話ではないのは予想がついている。あとは、自分がどれだけ話の内容を受け入れることができるかだ。

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