第5話 可愛いの定義
「アヤちゃん、そろそろ休憩しませんか?」
「うぉぉ!? ……あ、はい」
ミカゲさんが来ていたのをすっかり忘れてネームを描いていた私は、あまりにも野太い声を出した。なんて可愛くない。ミカゲさんはクスッと笑って机にマグカップを置いてくれる。私は小さくお礼を言ってその中のコーヒーを啜った。
ミカゲさんは私の机の周りに散らばった紙を拾い上げて、まじまじと見つめた。あ、それ、ボツにしてぶん投げたキャラの設定画……。
「アヤちゃんは絵が上手いですねぇ」
「田舎のじぃちゃんばぁちゃんと同じようなこと言わないでくださいよ」
昔よく言われてたなぁ。絵じゃないよ漫画だよってよく訂正した。元気かなぁじぃちゃんばぁちゃん。……って、変に懐かしんでしまったじゃないか。
「僕には少女漫画の知識はありませんから。美術の成績も悪かったですし。だから専門的なアドバイスなんてできませんよ」
「そうなんですか……」
何でもそつなくこなしそうなのに。私好みに甘くしてくれたコーヒーを飲みながら少し意外だな、と思う。まぁ、少女漫画の知識豊富な30代男性も嫌だけど。
確かに思い返せば、ミカゲさんは仕事について心配や労いはしてくれても、私の仕事の内容についてあれこれ口出ししてきたことは無い。さっきのように、私の漫画や絵を見ても「上手い」とか「すごい」くらいしか言わなかった気がする。それはそういう理由からだったのか。
「だから、上手いなぁと思いますよ。僕にはこうはできませんから」
「……私レベルなんてゴロゴロいますけどね」
さらりと卑屈な発言をしてしまった。悪い癖だ、とは思うけど、なかなか抜けない。
ミカゲさんは自分のコーヒーを啜ったあと、私の発言に首を傾げた。
「でも、アヤちゃんは一人しかいませんよ」
「……」
見当違いなようで、的確に私の心をすくい上げる言葉。あぁもう、この甘やかし上手。天然で言っているのだろうから恐ろしい。そして、そんな言葉で舞い上がってしまう自分も、単純で恐ろしい。
「これ、捨ててしまうんですか?」
「そうですね、ボツなので……」
ミカゲさんはパラパラと設定画を捲って眺めている。そんなにまじまじと見られると、ちょっと恥ずかしいんですが。
「この女の子、アヤちゃんみたいで可愛いですねぇ」
「は!? どれのこと言ってます!?」
慌てて設定画をミカゲさんからひったくった。キャラのデザインに迷って何枚か描いたうちのひとつだった。確かに、髪は黒髪で長めではあるけど……似てるかと問われれば、似てない。少女漫画だから目なんかキラキラで大きく、大げさに可愛く描いてるし。
「ミカゲさん、流石に知識がないとはいえ目が節穴すぎませんか」
「そうですか?」
「いやいやそうでしょうよ! 私こんなに可愛くないですよ!」
鼻の頭に付いてしまいそうなほどに設定画を押し付ける。ミカゲさんは設定画と私を交互に見るが、相変わらず不思議そうな顔をしている。
可愛いなんて言われ慣れていないから、普通に恥ずかしい。今までお付き合いした男の人たちにだってあまり言われてこなかったのに、この人は何を言っているのだ。この人にとっての可愛さの定義は少しずれているのかもしれない。
「アヤちゃんは可愛いですよ」
「何処がですか! さっきの野太い声だって聞いてたでしょ!」
「そうやって真っ赤な顔で否定するところとか」
ぷに、と頬をつつかれた。不意打ちだったので驚いて後ずさる。ミカゲさんはその反応を見てクスクスと笑っている。後ずさった私を追うようにして詰め寄り、もう一度頬に触れた。
「ちょっとつり目で意思の強い瞳も可愛いと思いますし、艶のある黒髪も素敵ですよ。あとはこの小さな鼻も、集中すると尖る唇も」
「ミカゲさ、……ひゃ、」
言いながら、一つ一つ指が箇所をなぞる。つつ、と首筋をなぞった時、恥ずかしい声が漏れた。
「そういう反応も可愛いですし……あと、机に向かう猫背で小さな背中も」
「……っ、」
中指が背筋を這う。その感覚に体がゾクリと疼く。
「小ぶりな胸も、僕は好きです。それに声だって、ベッドではとても──」
「……ミカゲさん!!」
服の裾から忍び込もうとした手を慌てて制する。ミカゲさんはキョトンとした顔で私を見つめていた。
「続き、描かなきゃいけないので!」
ぐい、とミカゲさんを押す。特に抵抗しなかったミカゲさんの体は、あっさりと離れた。危ない……もうちょっとで流されるところだった。ここで流されるわけにはいかない。だって、明日までにネームを仕上げなきゃいけないのだ。
「そういうところは、可愛くない」
「どういたしまして!」
ちょっとだけ、勝った気がする。何に対する勝ち負けなのかはわからないけど。ふん、と鼻を鳴らして机に向かう。すると、すぐ側でミカゲさんの気配がして。
「可愛くないけど、アヤちゃんのそういうところ、好きですよ」
「!!」
ミカゲさんは、私の耳元でそう囁いてから、ふ、と小さく笑みをこぼした。
「じゃあ、お仕事頑張ってくださいね」
そう言い残して、自分の家に帰っていく。パタン、と閉まる扉を睨みつけるも、言葉が出てこない。
「……~~~~っ!!」
ずるい。ずるいずるいずるい。
あんなのに、勝てるわけない。完敗だ。囁かれた耳元が、熱を持っている。その熱は、いつまで経っても消えてはくれない。私はしばらくの間全く集中出来ず、机に突っ伏してしまった。
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