第71章 ステラ
ふぅ……と、小さくダァトはため息を吐く。
主は再び眠りについた。が、その眠りは、きっと浅いものとなるだろう。
あの青年の命と精神と肉体を削り、主はきっとまた──。
(主よ……貴方様は、愛したあの方のことさえ、忘れてしまったのでしょうか)
目覚めた
──あの青年の側に、戦巫女の
でも、それはとても、とても弱く、微かな欠片。
(あぁ、かつての貴方様の懸念は、現実のものとなってしまった……)
ダァトに課せられた使命は、審判の時を無事迎えること。
それはまだ、あと四十年と、少し──壊れて不安定な自らの精神故に、計画が潰えないよう、
故に、ダァトは、例え自らの創造主であろうとも、その進行の邪魔はさせない。
(信仰を失い、肉体を得て、不安定ではあるが……
自らの神殿の入り口に立ち、ダァトは朝焼けに染まる太陽を見つめる。
その中に、
「あぁ、
◆◇◆
「ったく、
アックスがこめかみをひくつかせつつ、頭をかかえる。
キレた勢いで翼を広げたせいで、服は見事にボロボロになってしまった。
もうすぐ夜明けという時間のせいか、人通りは全くないのだが、念のために
そんなアックスに驚くことなく、同年代の青年の姿をした
『いやーほら、死者の国も地の精霊の管轄じゃしネ。邪神になっても、モルガは父ちゃん思いの、優しい、良い子じゃぁ』
「……こじつけじゃろ。ソレ」
それに、兄ちゃんは
『もしかして、アックスってば、ヤキモチ? そんなに父ちゃんの事が恋しかった?』
「いやー惜しいのぉ。ワシん所に来とったら、即刻その場で根の国に叩き返しとったわ」
真顔で指をベキボキと鳴らす息子に、『おお怖ッ』と、ジンカイトは震える。
『いや、白状すると、風の神……というか、アレスフィードには、生前ちーとばかし、縁があってのぉ……顔を合わせ辛かったというか……なんというか……』
「は?」
アレスフィードはずっと
辺境とはいえ、
『いやー、ワシが現役の元素騎士の一年弱で、アレスと六度戦って、
父の告白に、思わず、
『ついたあだ名が「風殺しの
「お前かーッ! あの時の犯人ッ!」
わずか一年経たない間に、六人の戦死者と操者交代──先代エヘイエーが病み始めた原因が、まさか
ふつふつと沸きあがる怒りに、アックスの四肢が黒く染まってゆく。
『ちょ、おちつけ! たんまっ!』
「──ッ!」
言葉を失った
◆◇◆
朝食を終えて、しばらくして。
ユーディンが使っている部屋に、元素騎士に加え、アックスとギード、そして各部隊の隊長以上の騎士、元メタリアの重臣たちが集められた。
それなりに広い部屋なのだが、集まった人数のせいで、嫌に人口密度が高い。
その中には、命令で連れてこられたのか、幽閉中のサフィニアと、自発的軟禁中のソルの姿もある。
「集まってくれて、ありがとう」
寝台の上のユーディンが、にっこりと微笑んだ。
義足が壊れてしまったので、地に足着けて立ち上がることはできないが、枕を背に起き上がり、「自分は元気だぞ」と、アピールするように声を張り上げる。
「今日はね、皆に、大切な話があるんだ……ステラ」
はい……と、炎の元素騎士が、恭しく頭を下げ、そして、歩を進め、ユーディンの隣に立った。
皇帝と同位に立ったステラを、一同、ぎょっと見つめる。
「皆、きいてほしい。
「なッ……」
ステラの兄であるソルが、思わず声を上げ、目を見開く。
「異議は……」
「大有りだ! この馬鹿者!」
掴みかからん勢いで駆け寄るソルを、ギードが慌てて後ろから羽交い絞めにした。
「どういうことだ! ユーディンッ!」
「口を慎め! 班長。此処は公の場だ」
ギードの言葉に、ギリッと、ソルが口の端を噛む。
そんなソルに、ユーディンは落ち着いた──否、冷たくも聞こえる声音で、口を開いた。
「君の考えてる通りだよ。ソル。これはボクとステラの、取引の結果の、立后だ」
炎色の瞳が、ジッとソルを捉える。
「彼女が立后し、彼女の人生全てをボクに奉げる代わり、皇后の血縁である君たち夫婦を
「ステラッ!」
女性恐怖症ユーディンとの結婚──それは、愛の無い結婚であることは、明らかで……。
それでも、怒声をあげる
「兄様。これは、私の意思で決めた話です」
にっこりと、ステラは穏やかに微笑んだ。
「ホラ。私、合理的ですから」
◆◇◆
「合理的、なんじゃ、なかったんかのぉ?」
「……うっさい」
大きな音の響く、作業中のドックの中──並ぶヴァイオレント・ドールの影で、べそめそと泣いているステラに、少し離れた位置から、アックスが声をかけた。
朱色の目の周りを真っ赤に腫らし、涙と鼻水で、まともに見ていられない。
やれやれ……と、頬をかき、アックスは彼女の側に寄った。
「胸、貸しちゃろうか?」
答える代わりに、ステラは即、アックスの胸に力強く顔を押し付け、声を上げて泣き出す。
予想以上に素直で、苦笑を浮かべながら、彼女の背中をポンポンと優しく叩いた。
なんとなく、
「そんなに嫌なら、断わりゃ、よかったんじゃ」
「そんな、わけには、いかないわよ……」
ポンポン ポンポン
「そんなに、兄ちゃんが好きか?」
「そ、そうよ……兄様は、世界で一番、なんだから……」
ポンポン ポンポン
「あ、アンタだって、モル君大好きで、モル君が一番で、モル君のこと、ずっと一生懸命追いかけてるクセに……」
「まぁ、のぉ……」
ポンポン ポンポン
「……よく、知っとるのぉ」
「あたりまえ、じゃない……」
アンタのこと
今となっては、二度と口にできない言葉を、ステラは心の中で呟いた。
人の気も知らない唐変木は、あいも変わらず、その大きな手で、優しく、背中を叩いてくれる。
アックスの橙色の五等騎士の制服に顔をこすりつけ、ステラは首を横に振った。
「……あ、りがと」
「……どう、いたしまして」
ステラの赤い髪を優しく撫でて、アックスはにっこりと笑う。
その顔を見たせいで、ステラの大きな目に、またじんわりと涙が滲み、彼女は再び、アックスの胸に顔を埋めた。
アックスも、思わず自嘲の笑みを浮かべ、そして彼女に気取られ──顔を見られないよう、天を仰ぐ。
顔を合わせれば、罵声と嫌味。
お互い何かあるたびに、一言二言三言多く、ケンカと睨み合いの日々。
けれども。
不思議と
自らの気持ちを、はっきりと伝えあったことはない。
言うなれば、
あぁ、本当に──。
ズキズキと痛む
(我ながら、神様も、ツラいねぇ……)
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