第2章 精霊機ハデスヘル

 一つの太陽と、七つの月が輝く『世界』。


 この世界には、はじめ、さまざまな神々と精霊たちに守られた、美しい七つの帝国があった。


 ある時、赤き鳥と白き鳥を従えた『大神』が、遠き場所より来訪し、人々に、様々な「技術」を伝えはじめる。


 しかし、その大神は、突然、姿を消してしまった。


 人々は誰かがその神を隠したと疑心暗鬼に陥る。


 加えてその神を探そうと、戦神と破壊神が人々が住まう大地を駆け抜けたため、大混乱とともに、大きな戦いが始まった……というのが、子どもの頃から耳にタコができるほどモルガが聞かされてきた昔話。


「その……大丈夫か?」

「………………」


 ルクレツィアの声が聞こえているのか否か──言葉を失い、顔面蒼白のモルガが、がっしりとその黒い機体の、巨大な手の指にしがみつく。

 ルクレツィア側からモルガの姿は確認できるが、心臓コックピット外のモルガは、無線機しか渡されていない。


 とりあえず、モルガは、うなずくだけうなずいた。ほっとした息遣いが、無線機越しにモルガの耳に届く。


 決してモルガは高所恐怖症というわけではない……のだが、気持ちばかりの命綱で体を縛ってもらったとはいえ、指の隙間から遠く離れた赤い砂漠の大地がチラチラ見えるし、巻き上げられた砂埃が頬に当たり、スピードもあって地味に痛い。


 吹く風は強いが、機体そのものにあまり揺れがないことが、せめてもの救いか……。


 闇の精霊機『ハデスヘル』。旧トレドット帝国の象徴であり、守護神。


 この精霊機もまた、その『大神』がもたらした技術の一つ──と、言われていた。


『伝説』を間近で見るどころか、直接触れることができ、普段のモルガであるならば、諸手をあげて大喜びしているところだが……今はとても、そんな状況気分ではない。


 七つの美しい帝国は、幾千年も続く戦乱のせいで、一つ、また一つと数を減らす。


 最初に滅びたのは『地』の帝国イシャンバル。精霊機ヘルメガータは、滅ぼしたアレイオラに渡してなるものかと、トレドット帝国へ託された。


 次に滅びたのは『風』の帝国リーゼガリアス。精霊機アレスフィードは、アレイオラのものとなる。


『闇』の帝国トレドットが滅びたのは、今から五十年ほど前の事。

 当時のトレドット皇帝レイヴンの末の皇子と、イシャンバルから託されたヘルメガータとともに、ハデスヘルはフェリンランシャオへと譲られた。


「す、少し休憩するか?」

「いや、いい。大丈夫じゃ」


 急いで、故郷に帰りたい気持ち半分。

 そして、この地獄のような環境から、とっとと抜け出したい気持ちが半分。


 しかし、無線越しのルクレツィアが、突然、息をのんだ。


「どうかしたか?」

「……マズイ。敵襲アレイオラだ」


 いぃッ! モルガが見上げると遠く──遥か遠くの青空の中に、黒い点が二つ、かろうじて視認できた。


 周囲は砂漠で、隠れる場所など無い。


「ど……どうするんじゃ!」

「……」


 ルクレツィアの沈黙に、モルガの顔面がみるみる蒼白になった。

 だんだんと大きくなる黒い点に、ルクレツィアは腹をくくる。


「……仕方ない」


 ルクレツィアはそう言うと、モルガの乗ったハデスヘルの手を、胸元の心臓コックピットへ寄せた。


「乗れ!」

「え?」


 モルガはあんぐりと口を開ける。 

 精霊機は一人乗り。ましてや、自分とルクレツィアは、加護を受ける精霊が違う。


「このままだとハデスの武器が使えないし、相手の攻撃が直撃してみろ! 貴様は一撃で肉片だ」


 ルクレツィアの言葉に、モルガはぶるりと震えてうなずいた。

 ルクレツィアは、銃を下げたホルスターに付いた小型のナイフでモルガの命綱を切ると、そのまま彼を、心臓コックピットの中に引っ張り込む。


 同時に、ガクンッと、今までにない揺れが機体に響いた。


 ハデスヘルの心臓コックピット内は広く、むしろほとんど何も無いと言っていい。

 硝子のように、透き通った透明な床。周囲は全天モニターと呼ばれる、上下左右全て外の光景がリアルタイムに投影されており、そこに立つと、モルガは一瞬、空中に浮かんでいる錯覚に陥る。


 しかし、そこに、モルガの見たことがない、一人の女性が跪いていた。


 赤い髪に、赤い瞳の、うら若い──けれども、どこか「母親」を思わせる、不思議な感覚を覚える女性。


 誰……? モルガに向かって、彼女はにっこりとほほ笑んだ。思わずモルガが会釈を返すと、今度は女性が、驚いたように目を丸くする。


 複雑な文様が浮かび上がる心臓コックピットの中央にルクレツィアが立つと、その動きを写し取るように、ハデスヘルが動く。

 女性はルクレツィアに従うよう、そっと側に控えた。


「予想以上に、雑音が……ハデス。きこえるなら、連装砲の準備を!」


 女性がこくり、と、うなずくと、胸に手を組んで、祈るようなしぐさをする。

 すると、ハデスヘルの背中の装甲の一部がひらき、二対三本──計六本の筒が、静かに前方に向かって伸びた。


(この人が、ハデス……さん、なんかのぉ?)


 なんとなく、モルガは思った。

 しかし、すぐに首を横に振る。


 そんなワケはない。ない……とは思うのだが──まがりなりにも、神が造りし守護者。「どう頑張っても人間には、完璧に複製することができない」と言われる、ブラック・ボックスの塊……。


 ハデスヘルは飛行高度を徐々に下げてゆく。揺れも強く、モルガは思わず、口を押えた。


「VD相手……精霊機がそう簡単に、やられるモノかッ!」


 先手必勝! とばかりに、ルクレツィアが連装砲を全弾撃つ。六発のうちのいくつかが、相手の一機に命中したらしく、閃光を放って爆発した。


 しかし、もう一機にはかすり、よろめきはしたものの、動きを止めるには至らない。


「ちッ!」

「うわぁぁあッ! こっち来たッ!」


 心臓コックピットの隅まで後ずさるモルガに、正面を見据えたままルクレツィアが叫んだ。


「黙れッ! 舌を噛むぞッ!」


 ハデスッ! ルクレツィアの声に、再び、女性が祈るような所作をした。すると足の装甲が開き、棒のようなものが左右から飛び出て、ルクレツィアは、それを一つに繋げた。


 ヴンッという音がすると、棒の先から暗赤色の光の刃が現れ──大きな鎌の形となる。


「っつぅ……動きが鈍いッ」


 相手の剣戟を鎌で受け止めるも、ハデスヘルは、じりじりと相手に圧される。

 ルクレツィアの額に、じっとりと汗がにじんだ。


「ど……どうしたもんかのぉ……」


 見ているだけで何もできないモルガは、ただ、おろおろと事の成り行きを見守ることしかできない。


 相手の白い機体が、ハデスヘルの鎌を振り払い、そして、一蹴りハデスヘルに入れる。衝撃でバランスを崩した機体は、そのまま地面に叩きつけられた。


 かなり高い位置から落ちたが、それでも、簡単に壊れないのはさすが『精霊機』といったところだろう。


 もっとも。


「うぇ……」

「痛たた──あ、コラッ! 吐くな!」


 ハデスヘルに宿る精霊の『加護』で守られたルクレツィアはともかく、異物でしかないモルガのダメージは凄まじい。

 骨に異常は無いとは思うが、背中と尻をしこたま打ち付け、視界もまだ、グラグラと揺れる。


 心配そうな表情の女性が、赤い瞳を潤ませてモルガの顔を覗き込んだ。

 彼女の長い、透き通るような赤い髪が、さらりと揺れる。


「あぁ、大丈夫……大丈夫じゃ……」


 モルガは、女性に手を伸ばした。


 女性に触れれないことから、本当に、彼女は『精霊』……か……。

『加護』というものは昔からあるけれど、精霊自体を目視するなど、モルガは聞いたことがない。


 しかし、『伝説』の『精霊機』であるのなら、そんな事もあるのかもしれない。


 美しき精霊に、モルガはにっこりと笑い、何度も繰り返した。


「大丈夫じゃ」


 ワシは……ワシらは、こんな所で……。


「死にとぉは、ないからのぉ」


 女性が、突然、何かを叫んだ。

 しかし、その『声』は、モルガの耳には聞こえない。


 でも、『精霊機』が、その『声』に、強く反応した。


「え……」

「なんだッ! コレは!」


 突然、心臓コックピット全体に警報アラートが鳴り響く。


「一体何なんだ……私は、こんな能力は知らない・・・・・・・・・・ぞ」


 警報と同時に、ルクレツィアの周囲に立体映像が浮かび上がる。そのほとんどは、周囲の地形や気温や風速。そして、敵の機体の『情報データ』だ。


Chorus illusio幻影の踊り……?」


 その情報が一つにまとまり、ルクレツィアの命令を待つ。彼女は何が何だかわからないが……と前置きしつつも、愛機に命じた。


「ハデス! Chorus illusio幻影と踊れ!」


 女性がこくりとうなずいた。すると、突然、敵の機体の命中率が格段に悪くなり、そして、動き自体が徐々に悪くなる。


 動かない敵など、本来の能力が出せないハデスヘルでも、簡単に倒すことができる。


 ハデスヘルは飛び上がると、ルクレツィアが鎌を振りかぶって一薙ぎし、白の機体は空中で体制を崩して、そのまま地上へ落下した。



  ◆◇◆



「あんたが、助けてくれたんか?」


 爆発した敵機を背に、モルガは女性に語りかける。女性はというと、はにかんだようにモルガに微笑んだ。


「ありがと! 本当に、ありがとの!」


 モルガは女性に、深々と頭を下げた。

 声は相変わらず聞こえないが、女性は慌てたようにモルガに駆け寄る。

 ──しかし。


「お前は一体、先ほどから、誰と話しているのだ?」

「……え?」


 ルクレツィアの言葉に、モルガは一瞬固まり、そして女性の方を見る。


「えっと、ここに……その……おらんかのぉ?」


 一体モルガに何が見えているのか解らず、ドン引くルクレツィア。

 女性はにっこりと……しかしながら、少し悲しそうに、微笑むだけだった。

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