風の求めるもの-2


  弟が部屋を出た音が聞こえると隠れている棚の陰で一息ついてしまう。

 珍しく実家に呼び出され、要件も伝えられずにこんな朝早く待機させられるから何事かと思えば。

 俺にも手伝えということか。説明するよりも会話を聞かせたほうが早い、そして行動はすぐに移す。そのような意図だろうが、もう少し説明があったほうが親切だ。父は背中で物を語ろうとするタイプの典型である。


  身を預けていた壁から背を離して、父を見ると嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「ずっと子供だと思っていたのにな。いつの間にか良い顔をするようになる」

  この人も素直に息子の成長を喜ぶんだな。

 将吾も啓吾も未だに父と対面すると萎縮している節がある。

 悪気はないのだろうが、もっと言葉にして伝えてやればいいものを。

「意地悪をしますね、そうやって将吾にも自由を与えない」

「こちらも全てを賭ける勝負に出ることになる、それくらい背負ってもらわないとな」

「随分と重たいものを背負わせましたね」

「大人になる良い機会だろう」

  将吾に頼まれずとも父はもとから連盟への加盟を働き掛けていた。

 父の言い分も理解できるが、ずっと風祭という名の重圧を避けていた将吾に表舞台で成果を上げろと条件付けるのは意地が悪い。

 先ほどの様子ならもうそのあたりの心配はなさそうだが、彼もようやく吹っ切れたかな。


  父は将吾に「連盟に加盟させる」と断言した。

 決定権は大将という階級であろうと彼個人に有りはしない。同等階級である軍人の賛同票を大多数集める必要がある。

 有言実行する策が既に彼の中にはあり、その策には俺も組み込まれている。

 尚のこと前以て説明が欲しいところだが、何時だってこの人は俺に汲み取れと言わんばかりにギリギリまで言葉にしてはくれない。

「とんでもない人を婿に貰いましたね、風祭は」

「俺はあくまで土台を構築しているにすぎない。新時代を担うのはお前だぞ、統吾」

「父さんほどの野心は俺にありませんよ」

「野心はなくとも己が立場への自尊心があればいい」

  俺の返答に父は穏やかに微笑む。

 後継者としてはあまりいい返事ではなかったはずなのに。

  幼い頃から能力を磨くよう様々な教育を受けさせられたが、上を目指せと強制はしない。

 貴族のわりに晩餐会などの社交場を楽しむことも富に執着していることもない。

 目立った功績を上げようとすることはなかったが着実に地位を上げてはいた。

 娯楽に興じることもなければ家族との時間を大切にしている様子もない。風祭大吾が何を求めているのかはずっと分からない。


「父さんはどこを目指しているのですか」

  純粋に息子として聞いてみた。

 我を出さない人ではあるが揺るがない芯もある。何がこの人の原動力になっているのか純粋に気になった。

「自分を殺されない場所だよ」

  そう答える父の目は野心に燃えていた。

 飢えている、この人の求める場所にはまだ到達していないのだろう。

 世間から見れば今の彼は十分満たされた生活を送っているように思えるのに、求める場所は更に先だというのか。


「俺が退いた後はお前達で好きにすればいいさ。だが、俺が風祭の当主であるうちは俺が指針だ」

  積み重ねてきた功績を称える勲章と昇り詰めた位を示す徽章が威圧感を放つ上着を身に纏い、襟を正す。

 逞しい背はいつまでも大きく思える。それが自分の父親だからなのか、はたまた彼が衰えを知らないからか。

「促すなんて生温い、主導権を手に入れる。貴族派の連中に渡るのも困るが嶺虎門ねこかどには重いだろう、一国の長というのは」

「…分かりました、お供しますよ」

  やはりそうか。不在であったアルセア国防軍最高司令官の座。どうやら本腰を入れて勝ち取るようだ。

 鳥羽悠一が最高司令官に就任する際も黙って見送っていたので彼自身にその気はないのかと思っていたが。

 わざわざこの場に同席させたのは今後俺に追い風になるよう扇動役として働けという意味だ。相変わらず人使いが荒い。

  将吾やヘスティア達が動きやすくなるよう場を整えようとしている。

 その為に国のトップになることを決意するなんて。本当に分かりづらい、これがこの人なりの子への愛情表現なのだろう。




  俺は特に喜びも目標も無く地位を上げてきた。きっかけは生まれた家が貴族だった故だ。

 幸か不幸か、俺は与えられる課題も親からの重圧と期待も苦ではなかった。

 全部がなんとなく出来てしまう、問題なくやり過ごせてしまう。

 出来てしまうから達成感が生まれない。努力の価値がいまいち理解できなかった。

  しいて言うならば、自分の思い通りに事が動くことに多少の面白さは感じていた。俺の立ち回りで周囲が予想通りの動きをするものだから、自分次第で事態は変わるのかと錯覚するほどだ。

 けれど、喜びを感じなければ情熱も生まれない。俺はたった一度の人生を浪費しているような人間だった。


  次男の啓吾は不器用で長男である俺とよく比較されてしまい、周囲の期待に圧し潰されそうになることもよく見かけた。それでも難題へ熱心に立ち向かい、憧れへ向かって努力ができ、父や俺を心から尊敬してくれる。そんな真っすぐな啓吾を羨ましく思うほどだった。

  対して三男の将吾は自分に似ていると感じた。

 物事はそつなくこなすし物覚えも良く、他人の要求を察する能力もある。あぁ、俺の弟だなと思った。

  ところが俺と違い将吾は反発した。何でも受け入れる俺と違い、嫌だと主張した。驚いた、彼にも望めば思い通りに周囲を動かせる力があるのに。

 不自由ない生活、与えられる地位、型に収まることを拒んだ。

  俺と決定的に違ったところ、将吾は"自分"を欲したんだ。

 誰かに求められる自分ではなく、縛られない自分を求めた。


  どうして俺は二人の弟に比べて空っぽな人間になってしまったのだろう。その答えは未だに分からない。

 風祭の次期当主も嫌ではない。やがてそうなるんだなとぼんやり受け入れていただけだ。

 俺自身が望んでなるのではない、周囲がそれを望むなら応えてみるかといった程度だ。もし弟のどちらかが強く望むならその席を譲ったっていい。

  思い通りに周囲の心理を動かしているのではない、周囲の望みで風祭統吾という人間は出来ている。大人になってようやく気付く、自分は随分とつまらない人間だと。


  けれど、そんな俺が今初めて自分の身分や能力を最大限に活用し、自らの望みで父親と同じ目的に向かって動き出していた。

 明確な欲を持って自分の意志を通そうとしている。対抗勢力と衝突することになろうというのに、不思議と高揚している自分が居て笑ってしまう。

 意外と俺は困難を与えられると燃えるタイプだったようだ。


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