暗闇の奥底で-4


『…終わりにしよう』

  タナトス様が研ぎ澄ますように魔力マナを集めると皆の呼吸や自分の鼓動の音まで聞こえなくなる。

 まるで初めからこの世界に音など存在していなかったかのように静寂に包まれた。

『闇にいだかれ永久とわに眠れ』

  別れを告げる声が明瞭に響き渡ると完全なる暗闇となった。

 とうとう自分の姿までも見えなくなり、魔力マナを察知することも出来なくなってしまった。

 強烈な重力から解放されたが身体に力は入らず宙を浮いているような気さえしてくる、感覚が狂ってしまった。

  今自分がどうなっているか、周囲がどうなっているかも分からない。

 頭では幻惑魔法の類だと理解はしていても自分が自分でなくなってしまったかのような錯覚が理性を壊していく。抵抗することも守ることもできないこんな状況、どうすれば…。


  僅かに揺れを感じる。私からじゃない、外から届いてくる。

 肌を伝うこの感覚は何?…震えている、何の振動?

 答えを探ろうと神経を囁かな振動に集中させる。

 …私はこの振動を知っている…これは…歌だわ。

 今も音は聞こえないというのに身体に伝わるこの音波が歌だと分かる。

  誰かが歌っている、けれど魔法にしては詠唱が長い。

 魔力マナが察知できず正確な判断は出来ないが、きっとこれはただの歌だ。

 どうして歌が?一体誰が、何の為に?

  分からないことは多いけれど、この響きがはっきりと教えてくれる。

 絶望にはまだ早い…まだ終わってなどいない!


  私も恐る恐る歌を口遊む。

 何の音も聞こえない今、自分が正しく歌えているのか、声を出せているのかすら分からない。それでも口は動いている、私は信じて歌い続けた。

 視覚も聴覚も魔力マナも無くなってしまったわけではない、封じられているだけだとするならば、まだ抗ってみせる…!

  歌を届けたい相手は精霊だ。この現象が魔法によるものならば必ず多くの精霊が傍に居る。魔法を通さなくたって精霊と心を通わせられる。

 私は友達に教えてもらったから。分かり合う歓びを、会話する楽しさを。

 精霊にだって思いは届くはずだから…どうか皆に報せて、私はここに居ると!


  歌い続ける私を照らすように赤い希望の灯が小さく灯る。

 やがて自分の歌声が、私を鼓舞してくれた歌が聞こえる、聴覚が戻った!

 私の歌声と男性の歌声が重なるとハーモニーになった。偶然だろうか、私達は同じ歌を歌っていた。

 …あなたが初めて教えてくれた地上の歌は詩の通り希望を紡いでくれたよ…。

  姿は見えないがこの美しく澄んだ歌声はローウェルのものだ。

 彼は暗闇に飲まれ孤独になろうと挫けずに信じて歌い続けてくれていた。

 強い精神の持ち主だ、出会って間もない私達を信じてくれている。


  やがて私達の歌に応えるかのようにもう一つ歌声が合わさった。

 低く落ち着きのあるクラウスの声が重なり音に力が増し身体を軽くした。

 気が付けば立ち上がることができた。そして自分の姿をハッキリと視認でき、周囲を見渡せば仲間全員が精霊に寄り添われており無事を確認できた。

  感覚が戻り温かな魔力マナに包まれている、精霊達が私達に力を貸してくれている。これを魔法と呼んでいいものか、不思議な現象ではあったけれど私達は確かに繋がっていた。精霊の加護を受けた私達は再び闘志を燃やした。

『潰えた生命は全てが星へ還る。星の源に近き地の底は生命の循環路、此処は最も魔力マナが集約する場。弱き力では我を負かすことは不可能だ』

「私達はまだ諦めていません!」



  変わらず闇は濃くタナトス様の姿を見つけることが出来なかった。

 しかし姿が見えずとも遮蔽物の無いこの空間では強い魔力マナを秘めた術者は隠れきれない。幻惑魔法から精霊が守ってくれている今ならば私でも探し当てることが可能な筈だ。

  私の考えなどお見通しなのか空間全体が等しい力の魔力マナに溢れ返り、集中して感覚を研ぎ澄ましても術者を探り当てるのは難しかった。

 先ほどのような力業での闇払いをする魔力マナは残っていない。

 無暗に魔法を使うのは魔力マナを消耗するだけだ、狙いを定めてから使いたい。

「探し出すだけならばこれで足りる」

  クラウスが魔力マナを込めた神器を一振りすると大量の水泡が宙を舞った。

 生み出された水泡はたちまち空間中に広がっていく。

 なるほど、これならば少ない魔力マナで違和感を探ることができる。魔法の使い手としては私より彼のほうが上手だ。

  儚い水泡は少しの時間でパチパチと割れていく。そして妙な割れ方をする場所があった。多くの水泡は不規則に割れていくのに対し、その箇所に飛んだ水泡達は連鎖するかのように破裂した。そこに何かがあるのは明白だった。

 逃がすまいと素早くその一点に向けて火を放つ。すると火は闇から人影を炙り出した。


「レツ、火を撃って!」

  私の合図を聞いたレツはすぐさま銃口を人影に合わせ弾を放った。

 視界が悪い暗闇の中、即座に照準をしっかりと合わせられているのは彼の戦士としての凄さだ。

 御影博士が開発した魔銃まがんから放たれた業火が闇を退けながら一直線に人影に向かう。

 魔弾に込められた魔法は周囲環境の魔力マナ属性に効力を左右されない。本当に人間の知識と科学はとんでもない物を生み出した。

  反撃の灯を絶やさせはしない、私は業火に向かって自身の魔力マナを注ぎ込み火力を上げる。

 威力を増した業火は加速し燃え盛る翼を広げて人影に衝突するとタナトス様の姿を炙り出した。


  一撃で蹴散らせはしないと判断したのかタナトス様は炎の鳥に向き直り自身を護る闇の盾を生成していた。盾を突き破ろうと炎の鳥は一層身を焦がし大きく啼くが強固な盾に完全に阻まれてしまった。

「まだだ…!」

  いつの間にか駆け出していたレツは自身の神器である長靴を燃やし炎の鳥へと飛び込んで闇の盾へ追撃した。

 蹴りによる衝撃と更に火力を上げた炎が闇の盾の守りと拮抗する。

『光よ、汝の煌めきを研ぎ澄まし我が道を開け』

  クラウディアは闇を退けた業火の軌跡を光の魔力マナに変換し、神器である細剣に光を集約させるとそのまま眩い光を乗せて周囲の闇を斬り裂いた。

『水よ、放たれし光を受け全てを照らし上げろ』

  クラウスは水魔法で水面の壁を創り出すとクラウディアの放った光を反射させ輝きを広範囲化させる。たちまち私達の周りから闇が晴れ、空間を占める闇の魔力マナの総量が減っていく。

『迷える闇よ、穏やかなる汝を取り戻し鎮まり給え』

  タナトス様の主導権が及ばなくなり始めた闇をローウェルが招く。

 完全に闇の主導権を奪うことは出来ずとも力が拮抗したのか、環境魔力マナは精霊となって宙を揺蕩い、闇の盾への魔力マナ供給は途絶えた。

  闇の盾の糧としていた環境魔力マナは著しく減り、とうとう炎が優勢となった。燃え滾る業火は容赦無く闇を破ろうと盾を焼き焦がしていく。


「―― 砕けろッッ!」

  炎の鳥を纏う形になったレツが力を絞り出すと呼応するように翼が大きく羽ばたきとうとう闇の盾を破壊した。盾が割れた衝撃でタナトス様は後方へ吹き飛んだ。

  皆の頑張りで環境魔力マナの闇の支配はなくなり、今は優劣なく属性は混ざり合っている。あとは各々が保持する魔力マナの残量や純粋な体力で戦い抜くことになる。

  もし、タナトス様が命のやり取りの決着がつくまでを試練だと言うならば私達はまだ戦わなくてはならない。

 けれど私達は全員が満身創痍だ。もう強力な魔法に対抗できるような力は残っていない。

  高位魔法の連続使用は肉体への負担が大きい、有翼人である私ですら呼吸が苦しくなっている。

 人間であるレツとクラウディアは神器を駆使していようと相当辛いことは想像に難くない、二人は立つこともできずに居た。


「…精霊?」

  私達の脅威となっていた闇の靄は大部分が削がれ、残った闇は意思を持つかのように倒れ込んだタナトス様の元に集まった。靄が薄れ姿が浮き彫りになったのは優美な紫色を帯びた精霊達であった。

 精霊達はタナトス様に寄り添うように集まり、もうこちらへの敵意は感じられなかった。

『大丈夫だ、ありがとう』

  タナトス様が感謝を告げると精霊達は彼の周囲に控えた。

 立ち上がったタナトス様は傷一つなく表情に曇りなどない、まだ余力が十分にあるというのか。

  私達は弱った体に鞭を入れ、再び戦う構えを取った。

 しかしタナトス様は私達を見て微笑んだ。

『皆の決意と強さ、しかと見せてもらった。どれだけ己よりも強き者が立ちはだかろうと忘れずに居て欲しい、君達は独りではないことを、共に乗り越える力があることを』

  するとタナトス様は暗闇を宿した闇の魔石を出現させた。

 試練はこれで終わりでいいのだろう。思わず安堵から力が抜け座り込みそうになるのを必死に堪える。

『これは現代いまを生きる君達を巻き込んでしまった俺達の勝手な我儘だ…どうか家族を救ってほしい』

  そう言い残すとタナトス様は姿を消してしまった。

 闇の魔石はローウェルの元に収まった、どうやら継承者はローウェルに決めていたようだ。


「人種が違おうと思いに隔たりはありません。ヒトを愛おしく思う気持ちに差などなく誰もが持っています、その尊さを広め分かち合う明日が欲しい」

  ローウェルは祈るように呟き魔石の結晶をそっと掬うように手に取る。

 強い意志を宿した瞳は真っすぐと私を見た。

「私も皆さんと共に歩みたい、よろしいでしょうか」

「ええ、もちろん」

  託された願いと共に魔石を受け取り、私は最後の神器を創り上げる。

 どんな希望をも刈り取るような冷ややかで艶やかな刃をした鎌が姿を現した。

 悍ましさを孕んだ神器を手にしたローウェルは至って穏やかだったが確かな決意に燃えていた。


  「恐怖を知るからこそヒトは強く優しくなれると私は信じています。深淵の闇さえ従えてみせましょう」


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