第19話 初練習

 ゴールデンウィークが終わると体育祭行う球技が体育の授業で始まった。

 球技については男女混合テニス、男女ソフトボール、男女バスケットボールの三つがありこの中から体育祭で出場する種目をやる事になる。

 先生はあれこれ言ってこないので気楽にやれるが、ちゃんとテストはあるのである程度は出来るようになっていないと後で痛い目にあったりもする。

 俺は当然テニスの練習をするためにテニスコートに来ていた。

 ちなみにだが、運動会種目については授業での練習は無いので各クラスが自主的にやる必要がある。


「ここが神代のテニスコートか……」

「そうだよ」


 俺の単なるつぶやきに朱音がすぐに返事を返した。

 最近、俺たちの会話も増え、仲は以前よりも深まってる気がする。

 やはり、あの夜が大きかったのだろう。

 あれは俺にとって忘れられない夜になっている。

 その翌日はお互いに顔が合うたびにあたふたしていたが、時が過ぎ今は何ともない。だが、その事について俺たちは一度も会話にしていなかった。


 俺は意識的にそうしているが朱音はどうなんだろうか?

 忘れてるだけ? どうでもよかった? まあ、どう思ってるかなんて恥ずかしすぎて聞けないのだけど……嫌な思い出になっていないのだけはなんとなく分かる。

 精神的な壁も薄くなっているのかもしれないな。


「優くん、もしかして来るの初めて?」

「うん、まあね。画像とかで見たことはあったけど来るのは意外と初めて。……うわ、ホントでかいな」

「だよね。私も最初ここに来たとはびっくりしたよ」


 私立の学園とはいえ観客席付きハードコート三面、ナイター用照明があるのはさすがに金をかけすぎてると思う。

 これじゃあ利用料金をとってもいいし、一般に開放して普通に大会が開けるレベルだ。

 まあ、その金のかけ方がこの学園の良さというか特色でもあるか。


「私たちが使えるコートはこっちよ」


 と一緒に来ていた菅原さんが俺たちが使えるコートに案内してくれた。

 今体育の授業を受けているのは俺のB組とA組の二クラスで、体育はいつもこの二クラスが合同で行っている。

 そして、俺たちに与えられたコートは左端にあるコートだ。Aクラスは俺たちとは中央のコートをはさんで反対側のを使っている。中央のコートは自由に使っていいが人数も四人しかいないので必要ないだろう。

 参加者は俺、朱音、森山、菅原さんの四人だ。


「それじゃあまずは雨宮くんと森山くんがどれくらいできるか見てみましょう。森山くん、硬式テニスはやったことがある?」

「いや、全くない。でも、来た球を打ち返すだけだろう? それなら野球でやってるから簡単だぜ」

「野球のようにホームランは打たないでほしいんだけど……とりあえず一度見てみましょうか」


 菅原さんがうまい皮肉を言ってから自分のラケットを用意した。

 いやぁ、菅原さんって意外と強烈な人なんだな。あんなことを言うなんて思わないかったし……意外とイメージとは違う人なのかも。まあ、あんな皮肉全く言われたくはないが。


「私は森山くんと打ってみるから、朱音は雨宮くんとね」

「うん、わかった。やろっか優くん」

「オッケー。じゃあ、俺は向こうに行ってるから」


 俺はそう言って学園から借りたラケットを持って朱音とは反対側のコートに向かった。

 俺はその時、無意識にガットを触ったが意外な事にちゃんとしてる。

 ま、いろんなとこに金かける学園だしこれくらいは当然か。


「おい、雨宮」


 俺がラケットについて考えていると付いて来ていた森山に話しかけられた。でも、なんで喧嘩腰なんだ!?


「? なに?」


 当然俺の返事も喧嘩腰……という訳もなくいたって穏便に返事をする。


「お前がどれだけできるかは知らねーが、俺はお前に負けねぇからな。覚えておけよ」

「は、はぁ……」

「チッ、すかしやがって……むかつく野郎だぜ」


 そう毒を吐いて俺から離れていった。

 えーっと……俺ってもしかしてかなり恨まれてる感じ? そんなに朱音とやりたかったのか? もしかしたら今までで一番朱音の事を好きなヤツかもしれないな。今まで見たいな一発屋じゃなくてそれこそ一途なのだろう。

 まあ、だからどうしたって感じだが……


「おーい、行くよ優くん」


 と俺が森山について評価を改めていたところ朱音の準備が整ったようだ。

 そこで俺が久々にテニスコートに立っていることを実感させた。

 ……懐かしいな、この光景。

 ちょっと感慨深いかも。


「……よし。打ってきていいよ。でも軽くね」

「わかった」


 朱音が一球打ってくる。

 ロブのようなものだが本当に打ち返せるだろうか。

 その疑念は尽きないが、それでも俺は中学で習ったことを思い出しながらその時のフォームを作りその球をロブ打ち返した。

 このインパクトの瞬間の重み、振り抜いた感覚、すべてが懐かしい。

 ああ、本当に俺テニスしてんだな。

 俺はまた感慨深くなった。


「ナイスボール! いいよ優くん、全然できてるよ!」

「そう? ならよかった」


 そして、安心する。

 とりあえず、ロブは打てると……最低限は出来るみたいだし朱音の負担も少しは減るかな?

 それからも、ロブでのラリーを続けた。ミスショットもしたがある程度打ちあえることがわかったのか朱音が一つ提案してきた。


「それじゃあ、もう少し強く打つよ」

「ああ」


 でも問題はここからか。さっきのはロブだったし、これが強いストロークだったり、スピンがかかってたら打ち返せるかどうか……まあ、物は試しか。

 そうして、明らかにロブではないが、現役であれば打ちやすいだろう球が返ってくる。


「んっ!」


 俺はその球に狙いを定め、振り抜いた。

 先ほどよりも明らかに重い球だ。こんな球ちゃんと返せるのか?

 そう疑問に思っていると案の定ネットに引っかかる。

 ま、まあ、予想できたけど……ロブも返せたしもうちょっとできるかもと思ってからちょっとショックだ……


「わ、悪い」

「大丈夫、気にしないで」

「はぁ……」


 朱音に気付かれないようにため息をつきながら、ネット前に転がっているテニスボールを渡した。


「それじゃあ、もう一回行くよ?」

「オッケー」


 今度来たのもさっきと同じくらいのものだ。

 さっきは力負けしたし、今度はもうちょっと力強く……って、うわぁ……


「……悪い」

「大丈夫だって」

「あはは……」


 俺が打った球は明らかにホームランボールだ。

 力を入れすぎてコートにある壁にぶつけてしまう。

 これじゃあ森山に笑われる……ってアイツめっちゃへんこんでるし。森山もうまくいってないんだな。ちょっと安心。


「行くよ、優くん」

「おう」


 これであきらめてはいけない。

 やるからにはしっかりやらなければいけないだろう。

 それに今回は力量を図るだけだし、今の実力が分かっただけでもよしとしないと。

 それからも打ち合ったがたまに返せるだけで後はネットかホームランだった。



「そろそろやめましょうか」


 菅原さんのその一言でいったん練習は中断した。


「朱音、雨宮くんはどうだった?」

「ロブはちゃんと返せてたよ。……でも、やっぱり久しぶりだったせいかな。ストロークは返せたりもするけどまだネットとかの方が多いって感じだよ」

「そう。まあ、いいんじゃない。中学の時やってたって言うけど、それも時間も空いてるわけだし。何より朱音と少しは打ち合えるってだけですごいと思うから」

「そ、そうか?」


 なんか、菅原さんに褒められると、偉い人に褒められた感があってなんだか嬉しいな。


「森山くんはどうだったのって……大丈夫?」

「あ、ああ……テニスって意外と難しんだな……」


 森山は始まる前より明らかにテンションが下がっている。

 あー、これは全然ダメだったヤツか。でも、初めてなんだしそこまで落ち込まなくてもいいと思うけど……ああ、朱音に言い所見せられなかったからか。


「そうでもないわよ。森山くんもロブは返せてたからね。ただ、まだストロークが返せないってだけで」

「そうなの!? それならすごいよ。初心者でそこまでできるなんて」

「そうね。私たち意外といい所までは行けるかもしれないわね」


 菅原さんがそう言うと無条件で納得出来てしまう。

 これが委員長の力か……カリスマ性って言うか、言葉に力があるよな。やっぱり去年の体育祭とかの実績は伊達じゃないという事か。


「やったね、優くん」

「ああ、委員長のおすみつきを貰えたしな」

「ちょっと、まだ安心してもらわないでくれる。今のままじゃいいとこ止まりなのよ。あなたたちには決勝、少なくても準決までは出てもらわないといけないんだから。それだけ期待されてるんだから」

「は、はい……」

「あ、あはは……」


 うわぁ、菅原さんって怒ったら怖え……朱音もシュンとしちゃってるし……菅原さんにはうかつな事言わないようにしよ。何を言われるか分かったもんじゃない。

 それにしても、俺と朱音はやっぱり期待されてるのか……


 それは俺の苦手で、嫌いで、怖いものだ。

 他人は勝手に期待し、その成果に対して勝手に一喜一憂する。

 期待に応えれば祝福を、応えなければ失望を、期待する人間に贈ってくる。

 確かに祝福されれば嬉しいがその分次の期待が大きくなる。そして、失望されれば評価が百八十度変わる事だってある。期待が大きいほど失望も大きくなる。

 他人に期待を抱かせた時点でそれは決まっている。

 それがどれほどまでに怖いものか、俺はよく知っている。


 俺にそれを力に変えられればよかったんだけど、出来なかった。そして、逃げた。

 だから、今日までは期待を持たせるような事はしてこなかったのだが……まあ、こうなったら期待を最小限に留めるべきか。それに、これはペアだから一人の精神的な負担も少しは小さくなるだろうし。


「……優くん? どうしたの、いきなり黙り込んじゃって……? もしかして体調悪いの?」


 と俺が自己保身的な事を考えていると朱音が話しかけてきた。


「あ、ああ……ごめんちょっとボーッとしちゃってただけ。体調は悪くないよ」


 体調は悪くないが気分が悪くなりそうだったので、朱音に考えを中断されてよかった。


「それじゃあ、サーブもやっときましょうか。これが入らないんじゃ、ゲームも始まらないし」

「そ、そうだよなぁ……でも、俺にできるかなぁ……」


 森山のメンタルは授業開始当初とは比べ物にならい状態ようで今じゃボロボロだ。

 最初のあの自信満々の森山は消え、今は自信が全くない森山がそこにいる。

 いや、初心者なんだしそこまで落ち込まなくてもいいと思うんだが……


「大丈夫よ。あなたにはその運動神経があるじゃない。練習すればきっとうまくなるわ」

「ほ、本当か……?」


 お、菅原さんナイスフォローだ。


「ええ、本当よ。森山くんは体育の授業だけできっと平凡なテニスプレイヤーくらいになれると思うわ」

「お、おう……」


 ……な、ナイスなのか……?。

 やっぱり菅原さんは現実主義者だが、もう少し良い言い方があったんじゃないかなぁ……まあ、変な誤解されるよりかはマシか。


「さ、やりましょ。どこに入れればいいかは知ってるわよね?」


 俺は当然知っていたが、森山もうなずいた。


「それじゃあ、朱音と雨宮くんはこっちサイドからサーブして。私達はあっちからするから」

「うん、わかった」


 朱音が返事をすると、森山と菅原さんが向こう側に行く。そして、森山が去り際に俺にガンを飛ばしていた。

 さっきまで落ち込んでたくせに、そこまで俺に負けたくないのか? でも、アイツがサーブ終わった後どうなるかはなんとなく予想がつくな……はは。

 俺はそのギャップに心の中で笑ってしまった。


「それじゃあ、打ちますか。とその前に朱音のサーブ見せて」

「え!? 私のサーブを……?」

「うん。久しぶりだし、一回は誰かの見ておこうと思ってね」

「なんかそうやって見られるのは恥ずかしけど……わかった。それじゃあやるからしっかり見ててね」

「もちろん」


 朱音がベースライン中央付近に立ち、二、三回テニスボールをバウンドさせてからトスを上げた。

 頭上斜め上まできれいに上がっていき、最高点に達した時、ゆったりとしたフォームからサーブが打たれた。

 その球はサービスラインの角めがけて飛んでいった。

 俺はその完璧なサーブシーンに見とれてしまっていた。

 綺麗で無駄のないフォームだ。そして、服が一瞬めくれ上がりちらりと見えた脇。

 それらの要素が加わって完璧だ。まあ、朱音には言えないけど。


「すごいなやっぱり。ラインぎりぎりの角だもんな」

「たまたまだよ……でもありがと」

「なんとなく思い出してきたし、とりあえず打ってみるわ」

「うん、優くんのサーブ見てみたい」

「そんな面白いものでもないと思うけど」

「いいの! 私は優くんのが見たいだけだから。それに、さっきは私の見たじゃない。不公平だよ」

「わ、分かったから、見てていいから落ち着いて」

「むぅ」

「はぁ……ちゃんとは打てないと思うから笑うなよ?」


 俺はそう言って朱音と同じ位置に立った。

 意外と遠いような気がするな。届くかな……ってか本当に俺この距離からサーブ決めていたのか?

 そんなふうに思ってしまったがとりあえず打ってみる事にする。

 えっと、中学の時はこんな感じだったか……っと。


「……げ」

「……あ」


 俺の渾身の一発は文字通り空振りに終わった。

 何もない虚空をラケットが通り過ぎ、ボールが後から落ちてきて頭に当たった。


「もういやだ……」

「ふふ」

「……おい、何そこ笑ってるんだ」

「わ、笑ってないよ。大丈夫、久しぶりだったせいだから気にしないで!」

「まぁ、そうゆう事にしておくよ……」


 なんとなく森山の気持ちが分かってしまったような気がした。

 このむなしさは言葉では言い表せない。

 さすがに空振りは自分でも引くわ……


「はぁ……とりあえずもう一度打ってみるわ」

「うん! それが良いと思うよ!」


 朱音も俺を元気づけよとしてくれている。

 その笑顔に少し救われながらもう一度打ってみる。今度は当てること重視だ。


「よっと」


 今度はちゃんと当たってくれ、向こうのサービスコートまで届いてくれた。まあ、へなへなボールだったけど。

 それでも、サーブが届いた事がかなり嬉しい。それも、最初の空振りがあったからか……いや、あんな事はもう忘れよう。


「やったね優くん!!」

「ああ、マジでよかった」


 俺以上に朱音は喜んでくれた。

 俺は少々照れ臭くなる。

 やはり、あの夜から朱音の事は意識しているのでこうなってしまうのも仕方ないのかもしれない。


「それじゃあ、どんどん打つか」


 後はもう反復しかない。その中で自分に合ったフォーム、間を見つけていけばいいだろう。

 それからも俺は疲れるまで打ち続けた。



「それじゃあ、今日はもうやめましょうか。皆も疲れただろうし」

「賛成」

「俺も今日はそれがいい。体力より精神に来てるし……」

「うん、そうしよう」


 あれからももう一度ストロークの練習を一度したがそこで終了となった。

 まだ授業時間も二十分くらい残っているがそんな事を気にするのは生徒はもちろん教師にもいない。


「片付けだけはやっちゃいましょ。後に残すとめんどうだわ」

「わかった」

「そうだね」

「へいへい」


 そして俺たちは菅原んの指示でコートを片付けてからコート上に座って休息をとる。


「どうだった森山くん、初めてのテニスは?」


 まあ、その間も会話と言ったらテニスの事になるのは当然か。


「いや、マジで意外とむずくて驚いたわ。サーブなんて最初入る気するらしなかったし」

「そう。でも、今ではちゃんと入れることが出来るじゃない。それにロブも打てるようになってきてるし。やっぱり運動神経が良いのね」

「そりゃどーも。でも、それは委員長の指導のおかげだな」

「私は当然のことをしただけよ」


 菅原さんは照れ隠しでもなんでもなく言い切った。


「雨宮くんはどうだった?」

「まあ、昔みたいにいかないってのは実感したよ。あの頃はよくできてたなって思っちゃったし」


 体力、技術がどれくらい落ちているかを調べられたという事で納得しておこう。今日はそれ以上でも以下でもないんだ。


「それはしょうがないよ。ブランクもあるし、今も何かスポーツやってるわけじゃないんだから。だけど今の優くんでも十分に戦えるよ?」

「そう? でも、俺としてはもう少し打ち合えるくらいにはなりたいかな」


 いつまでもこのままじゃダメだろう。昔程ではないけどある程度は打ち合えるくらいにはならないといけない。

 だけどそれは俺が後衛をやるならだ。


「そうだ、菅原さん。そっちはどっちをやるか決めたの?」

「それは最初から決めてたわ。私が後衛で森山くんが前衛よ」

「まあ、そうだろうな」


 菅原さんは現役テニス部だから後衛は当然だろう。森山も野球部なので体格はガッシリしていて身長も高い。どう見ても前衛向きだ。


「なら、俺たちもそうしよう。というか、そうじゃないと勝てないし」

「優くんがそう言うならそれでいいけど……私は打ち合ってる優くんも見てみたかったな」

「いやいや、こんなんじゃ無理だから。それに、俺はそもそも前衛をやるつもりだったの」


 中学時代は後衛だったが、まあ、なんとかなるだろう。

 だが一応、保険はかけておくべきか……


「それじゃあ、今日は戻りましょ」


 そして、俺たちは菅原さんのその一言でコートから出た。

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