(6) 伝説の序章
「伝説ですか?」
岡平師が聞き返す。
「そう、伝説。最強馬の伝説のレースは、けっこうGⅠレース以外で作られるものですから。岡平さんと雷帝の日経賞のようにね」
その言葉で、石本の言っている意味を諒解した。フレアと南條はただ単に勝つだけでない。勝つことは当たり前として、観た者全員が唖然とするような勝ち方を狙っているのだ。
岡平悠一はかつてGⅠを7つ獲り、史上最強と言われたライトニングロルフの手綱を取っていた。デビューから14戦すべてに乗り続けた。
ロルフの輝かしい戦績で語られるのは、7冠やクラシック制覇、有馬記念連覇だが、ツウの競馬ファンには古馬になって初戦の日経賞がよく取り上げられた。
その日経賞は、ロルフが初めて逃げた。無敵のロルフに絡むとつぶれてしまうと見た他馬が抑えたので、押し出されての逃げだった。ロルフはまるでジョギングをするように軽快に走り、岡平は直線に入っても鞭を入れず、追うこともなくそのまま中山2500メートルを逃げ切った。2着に6馬身差の圧勝劇だった。
なるほどな、と岡平は思う。たしかに双眼鏡越しに見る南條の様子はそんな感じだ。全身の筋肉が弛緩している。いつものようにフレアが走れる手ごたえを掴んでいるのだろう。
フレアが3コーナーに入る。ぴったりくっ付くシクタン。3番手以降もさほど差がない。この思わぬダンゴ状に、場内がどよめいている。
しかしシクタンのイアンは分かっていた。南條が抑えているだけだと。
ポンと合図すれば、フレアは伸びていくだろう。これはシクタンではとてもかなわない。せいぜい着を拾うしかない。できれば2着だが、うしろも反応がよさそうだ。
イアンは残念に思った。シクタンの手応えだって悪くないのだ。もうちょっと相手が落ちる重賞に出ていたら勝てただろう。もったいなかった。
最後方シルバーソードのマルクが、ここで動いた。コーナーをまわる反動を利用し、外に振ったのだ。タイムシーフの菊花賞を彷彿とさせるコース取り。マルクは2つの壁があると思った時点で、この作戦を採用することを決めていた。素早い決め打ちがマルクの特色でもあった。
―― さぁアルフォンソ、玉砕的にこっちに合わせてこられるか? こっちに合わせたら勝ちにくいぞ。
内側の経済コースを回ったところで、加速する瞬間を見計らってアルフォンソに前をカットされることは分かっていた。だから、極端だがこうした方が、負けたとしても気持ちがすっきりする。
マルクは心の準備をして外に振っている。対してアルフォンソはここで急遽切り替えなければならない。走路的にも精神的にも、マルクの方が有利だった。
シクタンのうしろを走っていたアルフォンソはうしろの気配を察知すると、馬を外に出した。3、4コーナーの中間での動きなので不自然に映る。それでも構わず外へと加速していく。
第4コーナー。フレアが先頭。半馬身差でシクタン。そして馬場の中央をクーレイとシルバーソードが並んで上がってきていた。
「ここまでやるのか?」
マルクは強引に並んできた相手に向かって叫んだ。しかし日本語だったため、短期免許で来ているイタリア人にその意味は伝わらなかった。
モニターで観る弥生は背筋がゾクッとした。ライバルたちが今、有馬でタイムシーフを倒すべく猛烈なデモンストレーションを見せつけようとしているのだ。フレアは内、シルバーソード、クーレイは外。ほぼ並んでいる状態。残すは直線。あと300と8メートル……。
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