第224衝 盛運の鑑連
五月に入ったある日、見たものに驚き、急ぎ陣へ飛び込んで鑑連へ報告をする森下備中。曰く、
「と、殿!正面より敵騎馬隊が迫る気配です!」
「正面からだと?」
「は、はい、間違いありません!」
「備中。敵は吉弘隊や肥前の衆へ向うのでは?」
「いえ!敵騎馬武者が川を越えようとするのが見えました!」
「左右の敵を無視して我らを狙うと?随分と思い切った戦い方だな」
佐嘉勢の意図を図りかねる様子の幹部連。
「それをどこから見た?」
「背後のお、丘の上からです!」
「なるほど。備中貴様、この戦場で呑気に花見をしていたのか」
図星の備中、平伏して曰く、
「と、殿。て、敵が、そ、その」
奮、と鼻を鳴らした鑑連、
「まあいい。迎撃だ。安東、内田」
「ははっ!」
「はっ!敵の大将首、殿の御前に捧げます」
臨戦態勢整ったり、といった風の両将は素早く飛び出していった。二人が指揮する騎馬隊が迎撃に当たるのだろう。
「いや、そ、それにしても佐嘉勢はなんとも好戦的。前の戦いでも激しい衝突が」
「備中」
「はあっ!?」
叱責の恐怖から声が裏返ってしまう。
「その丘に案内しろ」
「しょ、承知いたしました」
「こ、この坂の上になりまして」
「とっとと案内しろ」
「は、はい」
「こ、こちらです」
「貴様が生意気にも堪能していたのはこの桜か」
「あのその」
「なるほど、嘉瀬川の流れがよく見えるな」
佐嘉の景勝を睨む鑑連。振り向けば、鎮西に名高い川上の峡谷がある。
「け、決して怠ける場所を探していたわけでは……情報収集の一環でして……その」
備中の弁解を相手にしていない鑑連は顔を皮肉いっぱいに歪めて、
「しかし貴様に桜を愛でる心はあっても識別眼があるとは思えんな。この桜、誰に教わった」
「あうあう」
「耳がついていないのか貴様。いい加減にしろよ」
「はっ!は、橋爪様より」
「ほう」
備中の人脈に意外な様子の鑑連である。
「昨年の佐嘉攻めでヤツは川を渡ったか?」
「いや!それはどうでしょうか……」
「いよいよ怪しいな。貴様、やはりここが戦場だと思っていないな?」
「め、滅相も」
備中は落ち着きを取り戻し始めた。主人は咎める口調ではあっても、さほど機嫌は悪くない。この見事な桜と景色に心洗われているのかもしれない。
丘からは戦場の動きが見える。
「安東、内田ともに敵を押し返しているぞ」
「よ、よくワカりますでしょ?」
「だが見ろ、川の向こうに敵の足軽が潜んでいる」
「えっ」
「あのあたりの葦不自然に倒れている気がしないか」
「あっ」
「罠かも知れん」
「罠」
「佐嘉勢が引けばこちらは勢い突出する。そこを鉄砲で左右から挟み撃たれれば、騎馬隊は大損害だ」
「い、いかがなさいますか!」
「貴様を処断するしかあるまい」
「え!」
「貴様の通報により出撃した騎馬隊に討ち死にする者が多ければ、致し方あるまい」
「け、け、け!」
「警戒だと?」
「は、はい!内田に伝えてきます!」
「馬鹿者。これは不当にも冷遇されているワシにとって好機だろうが」
「好機、でしょうか。き、き、危機ではなく?」
「佐嘉勢は寡兵、奇策は長く続かん。よって奇策をお返ししてやろう」
「そのようなことが……」
「簡単だ。このまま川を越えて吉弘隊を使い退路を断つのだ」
「……」
備中は主人鑑連の天賦の際に触れた気がした。柔軟な発想、または恐るべき傲慢が無ければ思いつくまい。
「吉弘隊も交戦中ならば、できるかも知れません」
「よし、来い」
「え!」
目ざとく船乗りを見つけた鑑連。近づいて曰く、
「貴様、ワシを知っているか?」
「えっ?お武士様は……」
「豊後の大将軍戸次伯耆守とはワシのことだ」
その台詞だけで船乗りは潰れた蛙のように平伏した。鑑連の武名または悪名はこのように轟いているのか、とその名声の効用に感心する備中をよそに、鑑連は有無を言わさぬ口調で曰く、
「ワシとこの雑兵、二名を向こうへ渡せ」
嘉瀬川の左岸に移るとそのまま吉弘隊の陣地まで走る主従。鑑連は健脚で、人間大鎧を付けたままかくも疾く走れるのか、と備中は舌を巻く。
「こ、これは戸次様!」
陣の前にいた吉弘武士は、鑑連を見て絶句し、背筋を伸ばして頭を下げた。お構い無しの鑑連は続ける。
「吉弘は?」
「う、臼杵様の陣へ行っております」
「鎮信は戦場か?」
「は、はい」
「弟の方は」
「ちょ、ちょうど先ほどお戻りで」
「呼んでこい」
「はっ!」
鑑連の恐ろしさは吉弘武士に知れ渡っているようである。狼狽し焦る武士に連れられて、吉弘次男がやって来た。
「これは戸次様」
「時間がないから要点のみを伝えるぞ。敵騎馬隊とワシの隊が川の辺で交戦している。敵は生意気にも伏兵を配置している。よって貴様の隊を用いて、伏兵を散らす」
いきなりこんな説明だけで吉弘次男が納得するはずがないと思う備中だが、あにはからんや、
「はい」
と素直に肯首する吉弘次男。
「しばしお待ちください。すぐに隊を持ってきます」
「いや、ワシがそちらに行く。鎮理、お前はワシの指示が行き渡るよう、目を光らせているように」
「はい」
「お前が使える鉄砲の数は?」
「五十丁です」
「その連中も連れて行く」
「はい」
どうやら鑑連は本当に吉弘家の隊を用いて伏兵を攻撃するつもりのようだ。発想の飛躍と、それを実現させてしまう強引な行動力に恐れ入る森下備中。
吉弘隊の前に姿を現した鑑連主従。
「え、鎮種様……」
鑑連は鎮理と呼んでいるが、吉弘次男は主家の命令で高橋家を相続した人物。鎮種、と高橋家の伝統に沿った名乗りをしているようだ。
「我が隊は一時的に戸次伯耆守様の指揮下で敵を追う」
「へ、戸次様の」
「そう。戸次様のご指示は私の指示も同じだ。では出発」
その沈着な振る舞いはいつ見ても感心するしかない、と備中は自然頷く。吉弘次男は随分と柔軟な思考の人物なのだろう。一切の圭角が感じられないあたり自由な次男坊の典型のようだが、武将としての能力はどうなのだろう。この温和さで戦争に勝てるのだろうか、とも思えてくる。
吉弘次男が率いる隊は少数で、
「こういう時は都合が良い」
と鑑連は全く意に介していない様子。隊は吉弘次男の静かな指揮ぶりに従い、目立たずに前進、鍋島という地に至る。川を挟んで盛んに合戦が行われている様が見える。
「ここまで来ればさすがに敵も気がつくかもな。奇襲は派手な方が良い」
「鉄砲ですね」
備中は主人の少し楽しげな表情を見た。
「そうだ、あの葦原に向けて連射しろ」
「連射……続けて撃つにも限りはあります」
多々良川の戦いの折に田原武士が言っていたように銃身が熱くなりすぎるのだ。
「限界まで撃ったら引け。その後は騎馬隊で蹴散らせ」
「はい」
その淡々とした作戦交換をぼんやり眺めていた備中だが、鑑連に進言をする。
「川向こうの安東様や内田に、この作戦を伝えましょう。私、行きます」
「やめておけ」
「えっ?」
「もう奇襲が始まる。巻き添えで首打たれるかもしれんぞ」
鑑連の言葉のしばらく後、吉弘次男の合図とともに、鉄砲隊が出た。そして若き武将の手により攻撃指示が下されると、銃声が響き渡り、辺りは煙に包まれた。
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