第191衝 不相の鑑連

「臼杵様です」

「……」

「……」


 岑、とする陣中。脇役である備中は小野甥の言葉をしかと理解できたが、鑑連はそうではなかったようで、問い直す。


「何だと?」

「臼杵様です」

「臼杵。臼杵と言っても色々だ。どの臼杵か」

「臼杵越中守鑑速様です」

「くっくっ、老中の?」

「左様です」

「クックックッ、そいつはここの隣に陣を張っているな?」

「はい」

「思い出した。さっき、ワシはそいつの陣で打ち合わせをして、帰ってきたんだった」

「私も同席いたしました」

「その臼杵が?」

「臼杵様がだいぶ前から佐伯様と連絡を取り合っていたとの未確認情報が」


 弾、と地を踏み蹴る音がした。小野甥の言葉の途中で、鑑連は陣を飛び出す勢いだった。無論、愛刀千鳥を手に。備中は再度摑みかかるしか無い。鑑連の怒りに当てられて、全身の体毛が逆立つのを感じる。


「殿!絶対に、いけません!」

「臼杵め、斬り捨ててくれるわ!」


 備中が縋り付き、小野甥が出入り口前に立った。猛獣を前に、小野甥は片膝ついて冷静に曰く、


「この陣の大将たる戸次様が臼杵様を斬れば、この戦いは終わります。我が方の敗北をもって」

「うぬ」


 鑑連の目から飛んだ火花が、備中の目に滲みる。そんな気がした。


「離せ下郎!」

「お、小野様!もっと!もっと言葉を!」

「この局面での敗北は、国家大友の敗北です。そしてそれは、戸次様が仕えてきたもの。戸次様の敗北でもあります」

「うぬ」

「権謀渦巻く大友の海を越えるには、怒りだけでは足りません。冷静な度胸が必要なのです」

「ぐぐぐぐ」

「ぎぎぎぎ」

「それは覚悟、と言い換えても良いでしょう。果たして戸次様にその覚悟が備わっているか」


 相変わらず鑑連の前で生意気を言う小野甥だが、だんだん鑑連の飛び出そうと言う膂力が落ちてきた。


「武篇は粗忽と言うな。臼杵も、義鎮も、田原民部も、出し抜かねばならん」

「やりましょう」

「勝つ為だ」

「戸次様以外の何者に、安芸の毛利元就の相手が務まりましょうか」

「怠け者ほど言い訳をする。貴様はどうだかな」

「私の弁解はいつも同じで、あなた方の尻拭いは大変だ、それのみです。ねえ?」

「え!」


 急に話を振られて仰天したい気分の備中。小野甥は笑って、いや嗤って続けた。背筋にクル顔付だったが、主人鑑連はどんな顔をしているのだろうか。


「我ら下輩ほど苦労するのです。お察しあれ」


 しばらくの沈黙が陣内を茜色に変えていく。鑑連にしては極めて長い無言。静謐にあって、損得計算を奔らせているのだろう。小野甥も備中も、独裁者の発言を待つ。


「小野」

「はい」

「小野鎮幸」

「はい」

「由布やそこの下郎がよく言っている。貴様はワシにとっての分別に値すると」

「私も同感です」

「田原民部を動かした腕をもって、ワシが望む布陣を整えろ。上手く行けば、大身にしてやる」


 驚きの備中。それが実現すれば戸次家中では由布を超える評価になるだろう。だが、小野甥は首を横に振って曰く、


「田原民部様は私が動かしたのではありません。あの方なりの忠義の心に拠るものです」

「忠義か」

「はい、戸次様が欠片もお持ちでないものです」

「ふん」


 妙に図星だったのだろう。鑑連は目を逸らした。小野甥は続ける。


「いかがですか。慣れないでしょうが、国家大友へ忠義の心を捧げてみては」

「ワシほど国家大友へ忠義を捧げている者はいないぞ。夜須見山での戦いに思いを致せ」

「対外的にはそれで十分でしょうが、私は真心の話をしているのです」

「断固拒否だな」


 備中はハラハラする。如何に親しくても相手は義鎮公の近習なのだ。また、小野甥も、相手を余りに気にしない提案に過ぎやしないか。


「何故ですか?」

「小野、貴様は甘い。これは綺麗事抜きの話なのだ。義鎮はワシを疎み、ワシは義鎮を軽蔑している。運命の行く先は定まっているとは思わんか」

「ですが、最初からそのような関係にあったとは思えません」

「いや、最初からさ。ワシや吉岡は義鎮を利用した。義鎮はワシらを利用した。互いに承知の上さ。そうして今日という日に至っている。今の国家大友はあぶれ者たちの寄合でしかないのだ。物を知らぬ貴様のため、丁寧に要約してやる。ワシらの間に忠義の居場所はない」

「あ……」


 小野甥も流石に黙り込んでしまう。鑑連がそれ以上この話題に触れることを拒絶しているかのようにも、備中には見えた。


「このくだらん話は終わりか」


 片膝をついたまま、頭を下げる小野甥であった。どうやらこの場の軍配は鑑連に上がった。


「では改めて聞く。ワシのために動くか。いや、貴様にはそれ以外の道はない。でなければこの戦場で、延々と幻想を追い続けることになる」


 小野甥は無言のまま、平伏した。この説諭戦の決着はついた。鑑連はといえば、善意の踏みにじりにご満悦の様子である。


「いみじくも貴様が言った通りだ。安芸勢を撃退できるのは、ワシしかおらん。クックックッ!」


 備中は小野甥の横顔を見る。その特質、爽やかさを心配したためだが、鑑連の論理に屈服したその若武者は、悲しいほどに冷たい表情をしていた。鑑連に失望したのだろうか。が、勝利者は全く意に介していない様子で続けて曰く、


「では、早速動いてもらおう!すでに吉弘隊は吉弘倅を通してワシの指揮命令下にある。貴様の役割は、これより戦場に到達する武者どもを確実にワシの前に跪かせる橋渡しをすることだ。宗家一門も近習衆も外様どももだ。大義名分ならあるぞ。貴様が田原民部の忠節についてあれこれほざこうが、あれには人望がない。よって、送り込まれた武士らを統率する受け手が欠かせないのだ。吉弘は病床にあり不可能、臼杵には実力が欠けている。義鎮は、クックックッ、もはや言葉は不要だろう。ワシしかおらんということだ。貴様にはお気の毒なことだ。選択肢が無い、というのは不自由だな。極めて」


 その饒舌なやり口は完全勝利の宣言以外の何物でもなかった。そして小野甥は感情の消えた姿勢で、それを受け入れた。


「ご所望の通りにいたしましょう」

「忘れるな。これから貴様がすることは、国家大友のためではあっても、義鎮の意に沿うものにあらず、だ。必ず成果を出せ。でなければ大友家にあって、貴様の芽は二度と出ない。そしてワシの足を引っ張れば」


 愛刀千鳥に手を掛け、凶悪極まる悪鬼面を示す鑑連。それは脅しではなく、お前を斬るのが楽しみだ、という宣言であるようだった。


 だが備中は安堵していた。それはそれとして、主人が臼杵弟を斬殺するような事態だけは、とりあえず避けられたのだから。そして佐伯紀伊守が復帰するという。数えれば十二年前に道を違えて以来、再会を待ち遠しく思うのであった。

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