休憩 at 眩暈の森の中央広場
「成る程……、これは後から来るわね……」
結局、カンカンロクジラのジュースを4杯飲んだお嬢は、珍しく午後の間食を要求しなかった。さすがに腹がきついらしい。
このままでは夕食も食べ損ねる、と焦りを感じたお嬢はとにかく動いて腹を空かせる作戦に出た。そんなわけで、ラッチャに案内させ、森中をくまなく歩き回っているのだ。
ラッチャの方では、立ち寄った店で何かちょっとしたものを買ってくれれば――例えごくごく安価な木彫り細工などでも――満足らしく、絶えず左目をぱちぱちさせて『笑って』いる。
しかし悔しいのはお嬢である。
歩けど歩けど一向に腹は減らない。それどころか、まだ4杯目が腹の中でむくむくと膨らんでいるのだそうだ。眩暈の森の中央広場で、困ったわ、と頭と腹を抱えている。
「では、消化を促すお酒、消化を促すお酒でも飲みませんか、飲みませんか」
恐らく観光客から学んだのであろう、右の拳で左の手のひらをぽんと打ったラッチャがそんなことを提案すれば、お嬢がその大きな瞳を爛々とさせる。
「飲むわ! 何杯でも!!」
「お嬢、何杯も飲むものでもないと思うぞ」
「大丈夫大丈夫、大丈夫大丈夫。たくさん飲んでも、酔っぱらうだけ、酔っぱらうだけですから、ですから」
「全然大丈夫じゃない!」
酔ったお嬢は面倒なんだぞ。
とはいえ、このまま何も食べられないのも可哀想だ。少しでも何か食べられるようになれば、とそれを承諾する。
日が傾き、太い枝にくくりつけられている『袋ランプ』が淡く光り始めた。
もちろんこれも彼らの加工品で、魔女から使い古した魔石を大量に買い取り、然るべき手順で海水と月の光を交互にくぐらせ、特殊な鉱石と共に砕いて万年蚕の糸で編んだ袋に詰めたものである。こうすると、石に残ったわずかな魔力が鉱石にも移り、そのすべてが微かに光るようになるのだ。
森を焼き尽くすほどの魔力はないものの、半径3メートル程度を淡く照らすことくらいは出来る。効果は約半年。完全に魔力が切れて光らなくなったものは、
その、ポツポツとあちこちに灯がともった森の中で、ふわふわと白い綿毛が漂い始めた。
「綿虫? いや、違うわね、これは――」
「ダンテ=コロナババシの
暖かい季節に山吹色の花を咲かせるダンテ=コロナババシは、気温が落ちてくると花弁を閉じてサナギのような形になり、その中で『羽種』と呼ばれる種を作る。そのサナギ状の花弁は微かな刺激で容易く破け、中から綿毛のような種が飛び出すというわけだ。
羽種は風に乗って遠くに飛ばされ、やがて、
その羽種を獲得した塵虫を『綿虫』と呼んでいる。
「はい、はい。こちらをどうぞ、どうぞ」
とラッチャが小瓶を手渡してきた。口が細くて長い、半透明の瓶である。中に入っているのは微かに青みがかった液体。匂いを嗅いでみると、どうやら酒らしい。
「じゃ、早速……」
お嬢がそれを飲もうとすると、「待って、待ってください、ください」とそれをラッチャが止めた。
「まだこのお酒は、お酒は、未完成なのです、なのです」
「未完成?」
「そうなのか?」
てっきり既に何かしらの『加工』が成されているかと思っていたが、そうではないらしい。
「じゃあ、どうしたら良いのかしら」
お嬢が細長い口を持ち、ちゃぷちゃぷとそれを振る。と、それをラッチャが指先で止めた。
「もう少し、もう少しゆっくり振ってください、振ってください。そう、そうです、そうですよ。ゆっくり、ゆっくり。左右に振るだけではなく、振るだけではなく、こう、ゆる~りと回したり、回したりしてみてください、してみてください」
「ゆる~り、ゆる~り、ね」
「ゆる~り、ゆる~り、だな」
すると、ふよふよと漂っていた羽種が、まるでその動きに吸い寄せられるかのようにして集まってきた。
「そしたら、羽種を、羽種を瓶の口にぐぐっと近付けてください、近付けてください」
「近付ければ良いのね? こう? ――あら?」
「何だ? 吸い込まれていったぞ?」
空中を漂う羽種に瓶の口を近付けると、その中へ、羽種がするりと吸い込まれていったのだ。これが綿虫ならまだわかる。例え自力で飛行する力がなくとも、彼らにだって好む香りくらいはあるはずだ。けれどもこれは綿虫ではなく、ただの種なのだ。種に意思がないとは言わない。彼らも当然生きているわけだから。けれども、酒の香りを好むなんて聞いたことがないぞ。
浮島の植物ならまだしも、ここはしっかりと
そう首を傾げていると、ラッチャが一番上と左の目を2つ同時に瞬きさせた。この組み合わせはさしずめ、『含み笑い』といったところだろうか。
「ふふふ、ふふふ。ふふふ、ふふふ。秘密です、秘密ですよ。例え樹人様でも、樹人様でも」
ということはこの辺一体に漂っているダンテ=コロナババシの羽種――というか、花そのものだろう――はすでに『加工済み』というわけだ。何をどうしたのかはわからないが、わからない方が良いこともある。特に俺みたいな樹人は、『未知』に飢えているのだ。
1つ2つと羽種が入り、それが瓶の中の酒の中で踊るようにふよふよと漂うようになると、やっとラッチャから飲んで良いというオーケーサインが出た。
「何かドキドキするわ。羽種って、飲んでも良いものなの? お腹の中でダンテ=コロナババシが咲いちゃったりしないかしら?」
「大丈夫です、大丈夫です。さすがに、魔女の胃酸には勝てません、勝てません」
「そりゃそうだろうな」
そういや、確かユシュローの中には、体内で植物を栽培するやつがいるんじゃなかっただろうか。まぁ、こいつらは立って歩く植物のような種族だから、そんなことも出来るのだろう。もしかしたら、この羽種はそのようにして育ったダンテ=コロナババシのものなのかもしれない。だったら俺がわからないのも納得がいく。
味はというと、少々薬酒に近い。鼻からふわりと抜けるのは、かなり癖のある薬草のような香りである。ダンテ=コロナババシ自体は観賞用の花だが、食べられないというわけではない。根を乾燥させ煎じて飲む者もいるし、
「ううん、まぁ正直美味しいものではないわね」
「そうだな。でも、これは消化を促すための酒だし、仕方ないだろ」
そんなことを言いながら酒を飲む、そういや俺は別にこれを飲まなくても良かったのではないか、などと思いながら。
しかし、随分と度数の高い酒のようだ。
確かに腹はすっきりしたように感じられるものの、旅の疲れが一気に押し寄せてくる感じというのか、急に身体がずしりと重くなる。
さすがにちょっとおかしいんじゃないのかと思い始めた頃には、もう歩くことさえ出来なくなっていた。足に鉛でも詰め込まれたかのようだ。
次第に強烈な眠気に襲われ、俺はその場に倒れた。意識が完全に途切れる前にお嬢の姿を探すと、彼女もまた、俺のすぐそばに倒れている。眠っているだけだと、そう思いたい。
「お嬢……」
何とか手を伸ばし、お嬢の肩に触れてみるも、彼女はぴくりとも動かない。ただ、かすかに呼吸音は聞こえる。生きている。そのことに安堵する。
しかし……。
もしかして、ガイドなんていうのは嘘で、これもまた彼らの狩りなのではないか。
そんな考えに至ったが、もう、それ以上考えることも出来ず、俺は深い眠りについた。
瞼を閉じるその瞬間、袋ランプの下で、3つの目を爛々とさせたラッチャが無表情で俺達を見下ろしているのが見えた。
そして、全く表情のないその顔で――、
「ははは、ははは」と笑う声が聞こえたような気がした。
【休憩:眩暈の森の中央広場】
ダンテ=コロナババシの羽種酒
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