事件 at ゴーハンザー広場
「……誰、この2人」
じぃ、と睨みつけられた状態で俺達に放たれたのがこの台詞だ。
そりゃいきなりやって来て歓迎してもらおうなんて図々しいことは考えていなかったけれども。でも一応王がOKを出したからこそ俺達はここにいるわけで。
「この者達はイルヴァと食事がしたいらしい。魔女のオリヴィエ殿と、
「魔女はわかるけど、ミキジン? 何それ。表の人?」
まっすぐに俺を指差し、隣にいる夫に尋ねている。王の方では必死に身体を丸めているが、それでも彼の頭は彼女よりもずっと高い位置にあった。
「魔女が箒を使って空を飛ぶのは知っているだろう? 樹人というのはその箒だ。昔はこのように人の形をしていたのだ。イルヴァのようないまの若い者は知らんだろうが」
「ほぇー、そうなん。さすがアレックス、物知りじゃーん」
「うむ。吾輩は魔王だからな」
……何だろう、この会話。何か全然『王と王妃』の会話っぽくない。特に、王妃様の方が。
いや、恰好はちゃんと王妃なのだ。
竜の頭には宝石のちりばめられたティアラが乗せられているし、レースやフリルがふんだんにあしらわれたダークトーンのドレスも纏っている。彼女がわずかに動く度に布地が時折きらりと光るところを見ると、恐らくそれにも宝石を縫い付けてあるのだろう。
そんなやりとりをぼぅっと見ていると、やっと王妃が一歩、また一歩とゆっくり歩いてきた。しっかり食べていないからか、歩みも遅く、全体的に覇気がない。そして歩くたびに竜の頭が不安定にぐらぐらと揺れる。
「……ええと、あたくし、王妃のイルヴァですの。オリヴィエさん、サルメロさん、ご機嫌およろしゅうごじゃいましゅる。ぺこり」
「あら、良いのよそんな畏まらなくて。オリちゃんでもリビちゃんでもオリビちゃんでも。ね、サル?」
「もちろんです」
そう返すと、王妃は「ほんと!?」と言うや否や、かぽ、と竜の被り物を脱いだ。そして、ごしごしと顔を擦り、頭をぼりぼりと掻く。やはり、案の定、中から現れたのはあどけなさの残るノーマンの少女だった。成人したノーマンの女性がするような化粧も何もしていない。唇に紅すら差していなかった。
「あぁ良かった。あたしこういうの苦手なんだよね。これもさ、頭も顔も蒸れちゃってかゆいし。こんな裾を引きずるドレスもさぁ、危ないったらないよね」
「しかしだな、イルヴァよ。王妃であるからにはそれなりの恰好をしてもらわんと……」
「なぁんであたし王妃になったのかなぁ。こんな堅っ苦しいの嫌なん――ぅおっとぉ!?」
とすとすとその場で足踏みをしていた王妃が、ドレスの裾を踏んづけ、前につんのめる。それを王の大きな手が受け止めた。
「ほぉらね? 危ないじゃん! もっと短いのが良いよぉ! この裾、重いし! あと、きらきらきらきらうざいから、宝石とかいらないし! ああもう目がチカチカする!」
「どうどう、イルヴァ、落ち着くのだ。客人の前だぞ、どうどう」
お嬢がちらりとこちらを見る。
……本当に王妃様? 娘さんじゃなくて?
と、彼女の瞳が言っている。だから俺も。
……本当に王妃様なんだろ、娘さんじゃなくて。
と返す。
「だいたいさぁ、こんな恰好しないと王妃と認められないっておかしくない? いや百歩譲ってドレスまでは良いわ。でもさ、何でこんなの被んなきゃいけないわけ? アレックス、この中嗅いだことある? 超くっさいから! ほら!」
「ど……、どれどれ……。くんくん。ううむ、吾輩には全然臭くないというかむしろ……」
「しまった、アレックスって悪臭フェチだった。やっべぇ」
「!!? べ、別に吾輩、そんなフェティシズムを持ち合わせているわけでは……!!」
「またまた~」
「ええと、お2人さん? ちょぉーっと良いかしら?」
見るに見かねたお嬢が、2人の間に割って入った。そして、王妃様の手にある竜の頭の中に顔を突っ込んでくんくんと匂いを嗅ぐと「くっさ!」と言って、のけぞり、こほん、と咳ばらいをした。
「この恰好じゃないと駄目っていうのは……もしかして、王妃様がノーマン……人間だからってこと?」
と、ぺらぺらの竜と、きらきらのドレスを指差す。
竜の頭は本物に似せてあるが、瞳はガラス玉だし、牙は陶器製のようだった。けれども、鱗だけは本物なのだろう、艶が違う。
「ううむ。実はその通りなのだ。それに、ただの人間なのではなく、その……」
もじもじ、と王がその巨体を丸める。何だ何だ。まだ何かあるのか。
「あんね、あたし、勇者なんだよね。元、だけど」
「――んな?!」
「勇者!? が、魔王のお妃様!?」
何で!?
お命頂戴って来たんじゃなかったのか!?
何がどうなってそうなったんだよ?!
「だからさぁ、やっぱりあんまり良い顔されないっていうかさぁ。いや、秘書のドナっちゃんとか、別に良いじゃん? って言ってくれる人もいるんだけどさー」
「むむぅ……。頭の固い連中がいてな、何度説得しても駄目だったのだ。だからもういっそ権力でゴリ押ししたというか……」
「成る程ねぇ」
「だからイルヴァは我が妃で間違いない――のだが、それでも民にはイルヴァは半竜人と伝えている」
「えええ! 嘘ついてんの!? 国民に!?」
「ううむ……。やはり民のほとんどは人間に対して敵意を抱いておるのでな、イルヴァにもしものことがあれば、と」
「大丈夫でしょ、だって、彼女元勇者なんだから。返り討ちよ、ねぇ?」
そうだ。もし襲われたりすることがあっても、返り討ちにすれば良いのだ。だって勇者なんだから。それこそ、魔王を倒そうとこの城に乗り込んできたほどの勇者なんだから。
「いや……それが……」
何だ、まだ何かあるのか?
「いや、ていうか。あたし、レベル1だからさー。あはは」
「――んな?!」
「レベル1の勇者!? が、魔王の城に!?」
有り得ないだろ!! どう考えたって!! 何をどうやればここまでたどり着けるんだ!!
「ま、まぁ良いではないか。とにかくイルヴァはレベル1の元勇者なのだ。そういうわけで少々……どころではなく城内でも風当たりが強くてな」
そりゃそうだろ。
自分を殺しに来た勇者を妻にします、なんて城中大騒ぎだろうし、国民からも反対されるだろう。それでもこの王は、この勇者が良かったのだ。誰にどれだけ反対されようとも。
ていうか、別に良いじゃん? って言う秘書もすごいな。ああ、さっきの蛇の人か。
「てことは、王妃様、このお城から出たことない?」
「うむ。まぁ、基本的には」
「たまに窓から顔を出しているとお聞きしましたが」
「うん。でも、これ被って、だけどね」
そう言って、ぺらぺらの竜を振る。旗のようにパタパタと振られたその竜は、彼女の手が止まると同時にくたりと力なく
「それじゃあ、好都合だわ」
「――は?」
「てことは、その姿で城下町をうろうろしても、騒ぎにはならないってことよね?」
「へ?」
そこでお嬢はにんまりと笑った。
「私達とご飯食べに行きましょう!」
そして、呆気にとられている王の前で、華奢な王妃の手を取り、「そうと決まったらレッツゴー!」と揚々と歩き始めた。ちょちょちょ! ストップ! とドアの前に回り込み、行く手を阻んだのは王である。いや、俺もだけど。あんまりぴったりとタイミングが合ったもんだから驚いたが。
「お嬢いくら何でもそれは!」
「そうだ! その恰好ではさすがに!」
……?
「恰好?」
思わず隣を見る。巨体を丸め、両手を広げてドアを塞いでいる王が、「何かおかしいこと言ったか?」みたいな顔をしてこっちを見た。
「そんな裾の長いドレスで歩けば転んでしまうだろう? 怪我でもしたら大変だ」
「……そうですけど……」
そっちなのか?
「それに陽の光の下でそんなきらきらしていたら、イルヴァの目が眩んで危険だ」
「……そうでしょうけど……」
そっちなのか?
「よって、もっとシンプルな服に着替えてから行くべきだと吾輩は思うのだが」
「……おっしゃる通りで……」
もう何も言うまい、うん。この王様、なんかちょっとズレてる。ちょっとどころじゃないかもしれないけど。
……で。
お嬢と共に衣装部屋から出て来た王妃様は、すとんとした黒のワンピースに、これまた真っ黒いケープを羽織っただけという大層ラフな恰好になっていた。肩よりもわずかに長い黒髪を耳の下で2本の三つ編みにしていて、さっきよりも幼く見える。
「ふむ。これなら良かろう」
と、王の許しが出たところで、いざ出発である。
「それじゃ行きましょ、王妃様! ……いや、『王妃様』はまずいわね。何て呼んだら良いかしら。お名前、イルヴァっていうのよね?」
お嬢がそういうと、王妃は「そうだけど、それは駄目」と考え込んだ。てっきり名前が知れ渡っているからかと思ったが、そういうことではないらしい。
「その名前はアレックスだけに呼んでもらう名前だから」
「あら素敵。専用の名前なのね。でもそれじゃ、どうしたら良いかしら」
「ううん……、それじゃ、『ローラ』で。あたし、昔の名前、『アウロラ』だったから」
「成る程、ローラね、オッケーオッケー」
あっという間に距離を詰めたお嬢は王妃改めローラの手を取って、ぶんぶんと振った。ローラの方でも悪い気はしないのか、何だか嬉しそうに見える。
いや、昔の名前がある辺りには突っ込まなくて良いのだろうか。
勇者になると名前が変わるものなのか、それとも、王妃になった時点で新しい名を付けたのか。
けれども、お嬢にとってはそんなことはどうでも良いのだ。重要なのは、この城に籠りきりの王妃様に美味しいものを食べさせる、ということ、ただそれだけなのである。そしてあわよくば、自分もその美味しいものを腹一杯食べよう、という。
「それじゃ、行ってきます!」
そんな威勢の良い挨拶をして、城の裏口からこっそりと出たわけなのだが――、
「ど、どうしてこんなことになるのかしら」
お嬢が。
あのお嬢が。
ぜえぜえと肩で息をし、ぐったりしている。
「……俺が知るか」
そして俺もまた。
ぜえぜえと肩で息をし、ぐったりしているのだ。
「もっぺん言ってみろ、コラァ!!」
「何度でも言ってやるわ! お
俺達の数メートル先で、ローラが、自分よりも頭2つ分くらい大きな甲冑の男に食って掛かっているのである。
「ねぇ、これで何人目?」
「3人目、だな」
「この子、レベル1なのよね?」
「そうだな。そう聞いてる」
「お前誰に向かってそんな口利いてんだ、この野郎!」
「お前だよ、お前。似っ合わねぇどピンクの鎧着た『おめめガラス玉ノ介』だよ!!」
「誰が『おめめガラス玉ノ介』だ!」
「お前だっつってんだろ!」
「それにこれは伝説の鎧だぞ!」
「伝説でも何でも似合ってねぇんだよ!」
「……ねぇ。私、この子がレベル1って嘘だと思う」
「奇遇だな。いま俺もそう思ってたところだ」
城を出て数分で、立て続けにトラブルが3件発生しているのである。
まず最初は禿頭の中年男性だった。
何やらお高いローブを身に纏った僧侶風の男性が、道の脇に咲いていた花を踏みつけているのを発見して突撃し。
次に、派手なフード付きマントを羽織った女性が火のついた葉巻をポイと投げ捨てたのを見つけて、すかさずそれを拾い上げ、そのフードの中に突っ込み。
そして、いま。
家の前の道路で絵を描いていた単眼巨人の子どもを歩きながら蹴り飛ばした甲冑の男を呼び止めて口論になっている、というわけである。先の2件については、お嬢と俺がどうにか取り成し、がるるとやる気充分のローラを担いでそそくさと逃げた。
「やっぱり元勇者だからこんなに好戦的なのかしら」
「考えられるな。どうしてあの王様はこの子を妃にしようと思ったんだろう……」
とはいえ。
ここで『なぜ彼女が王妃として選ばれたのか』という点について議論をしていても仕方がないのだ。何せいまの彼女はれっきとした王妃なのであって、その肌にかすり傷でも付けてしまった日には、俺とお嬢の首が仲良く並んで広場に飾られることになってしまうだろう。だから何とかしてこの場をおさめなければならない。
「とりあえず、俺が――」
そう言って、一歩進み出る。正直争いごとは苦手、というか、まったく経験なんてないわけだが、俺が行くしかないだろう。
しかし――、
「待って、サル。私に任せて」
俺の右腕をがっしと掴み、お嬢がいつになく真剣な目で見つめてくる。その強いまなざしにどきりと――、いや、違うな、怯んだんだ、俺は。だって、こんなお嬢の顔は見たことがない。
「……もう、いい加減限界なのよ」
「え?」
「私もうお腹ぺこぺこなのよね、あんなお菓子だけじゃ」
「え? お嬢?」
「とっととあの『おめめナントカの介』を追っ払って、ご飯食べに行きましょう!」
「お……、おう……」
うん、いつものお嬢だった。
ただちょっと……、腹が減ってるだけだった。
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