第2話:偽物の果実は猛毒を持つ
僕が大瀑布から真っ逆さまに落下する、その二時間ほど前の話だ。
迷宮跡を出発してから三十分ほど経過していただろうか。
野生の魔物との
ザク、ザク、ザク――
金属製の靴が柔らかく積もった雪を踏み固めていく、爽快な音が白の絨毯に潜ったような大森林に響いていた。
脛当てが全部埋まる程の雪は、人間からしてみれば大したことはないだろうが、身長が三十センチちょっとしかない僕からしてみればとことん苦行だ。早く大きくなりたいものである。
《
そんな森の中でも取り分け目立つのは、厚い雪雲に梯子をかけるような三本の巨木。『禁断の木の実』を実らせると伝承に伝えられる――『
かの有名な『世界樹』の魔力を受けている『子』であるのだと噂される程に、あまりにも巨大なそれらの大樹は目印にするにはぴったりであり、その時は人間界に近い一本を目指して歩いているところだった。
ある程度進んだらさらに進路変更して河を渡るらしい。
「……三本とも同じに見えるけどなぁ」
『むむ、ちょっとばかり違うであろ?』
シェルちゃんが言うには三本とも違いがあるらしいのだけど……、
「はぇー? いや、どの辺がー?」
『ほら、あっちとこっちでは葉の付き方がまるで違うであろ?』
後ろを見て。次に前を見て。
僕は首を傾げた。寒さのせいか、きしきしと軋む音がする。
「同じだけどなぁ」
言われて眼を凝らすも、全く違いがわからない僕であった。
冬になると冠雪の化粧に葉から放出されるカラフルな
む、なんか顔の真ん中あたりがむずむずしてきた。
「ぁ、ふぁ……ふぇ、ふぇっ、ふぇっきしゃんぶるでぃあッ!!」
ブバッ、と
発生源が本当に謎だが、自然、籠手で鼻を啜っているとシェルちゃんが呆れたような声を届けてきた。ちょっと馬鹿にしたような響きだ。
『……其方、それ何じゃ? くしゃみ? くしゃみかえ?』
「ずずず……くしゃみ以外に何があるってんだい。ぅう~ていうかこの身体でもくしゃみ出るってどういうことだよ……
『身体もそうじゃが、色々と不可思議なやつなのじゃ……』
きっと褒められたのだろう。そうなんだろう。うるせーわ!
そういうことにしておいて、僕は再び歩みを進める。
洞窟を歩くのはきつかったが、時を重ねるに連れ増していく精神的なダメージがキツさの専らを占めていた。だから外に出て気分はいいんだけど、獣道も思った以上に体力を消耗する。
雪まで積もっているのだから大変さも四割増しだ。
と、その時。視界の端で何かがきらりと光った気がした。
「お、おおっ! あれは――ぶへぇっ」
と、僕は右手の木の下へと走り寄る――も、雪に足を取られてずっこけたのはご愛嬌。
顔面から冷たい雪に突っ込み、
そして四つん這いになりながら、その正体へと近づいた。
「これ……間違いない。『
それは純白に輝く二房の果実。
白い葉に、白い茎。垂れるように実っているその果実の大きさは、僕の片手に乗る程度が二つ。人間の食べ物で言う、サクランボのような大きさと見た目だ。
震える手で果実をもぎ取る。
水晶のように透き通ってはいないけれど、白銀の
「すごい……これって結構珍しいよね? 《
『其方の喜びようの方がすごいのじゃ……葉も茎も実も全てが白いから、発見しづらいのもレア度に拍車をかけているんじゃろな。よく見つけられたものじゃ――む……』
確かに気持ちはわからんでもない。そりゃ食べたいよね。美味しそうだよね。
「…………(ぷるぷるぷる)」
「……何、ルイ。その目は。そんなにねだってもあげないんだからな!」
じーっと僕の手元を見つめるルイにぷいっと背を向けると、「!?」とショックを受けたように身体を跳ねさせた気配。きっと彼女の眼は波のようにふにゃふにゃだろう。
「…………っっ(ぷるぷるりんっ)」
「……何? シェルちゃんこの子なんて言ってるの?」
そのまま歩き出すも、あまりにもしつこく僕の周りをぼいんぼいんと跳ねているため、シェルちゃんに翻訳をお願いする。
すると驚くべき返答が返ってきた。
『くれるならもうちょっとだけ揉ませてあげる、と言っておるのじゃ。だが……』
な、なななななななんということでしょう。
「な、なななななななんということでしょう」
なんて語呂の卑猥なことでしょう!
「なんて語呂の卑猥なことでしょう!」
あの泣き虫でびびり屋なルイが!
なんと大胆不敵な発言をするようになってしまったのでしょうか!
「エロスッ!!」
あぁ、あぁ。心の声が垂れ流しになってしまったではないか。
いつの間にやら厭らしい子に育ってしまって、
「………………………だが断るッ!!」
「っ!? (ぷるるんっ!?)」
でも考えた末、お断りさせてもらうことにした。凄い揺れたな今。
だってこの果実、滅多に手に入らないんだぜ。
今はどうこうすることができなくとも、僕の
それに、
「だってさ、ルイの許可なんかなくても揉みますもん。揉まさせていただきますもん。ルイの身体は僕のもの! この世の全てのおっぱいは僕のもの! ええ、例えどれだけ拒もうとも揉みしだきますもみもみ」
「~~~~~~~~~~っっ!?」
お、泣くか? また泣くのか? さすがに虐めすぎたか。
ルイの瞳が輪郭をあやふやにし始め、大粒の涙が溜まり始めた。そのため、またあの尋常じゃない大泣きがくる、なんて身構えていたら、
『其方は最低じゃのぅ……まぁまてまて。もしやそれ……『
「――はぇ?」
シェルちゃんがテレパシーのようなもので脳内に直接伝えてきたその言葉に、僕は素で呆けた。
そして度外視していた可能性と向き合い、その存在を思い出す。
『
どこか誇らしげ、というより厭らしい感じで勧めてくるシェルちゃん。
なんだか最近、僕の中に入ったからって不貞不貞しくなってきた気がするのは僕だけだろうか。
そっか。偽物だったか。嬉しさの余り疑うことすら忘れていた。
しかしそれならそれでやるべきことがあるのだ。僕は自分の欲しいものは直球で求めに行く男である。
「……あ、僕はいらないっかなぁ。だってもともとルイにあげるつもりだったからさ。ルイ、すっごい物欲しそうな眼で見てたもんね? ね? 欲しいならちゃんとそう言いなよもう、あげるあげる~」
「!? (ぷるりんっ!?)」
僕は内心優しい笑みを浮かべながらルイの方へ向き直る。
そう、そうだよ。心優しい僕はもともと食いしん坊なルイにあげるつもりだったじゃないか。そうじゃないか。うんうん。優しいは正義。
跳ねるように震えたルイをガシッとひっ掴み、その口元に
「さぁ食べてごらん。さぁ、さぁ、食べなよっ! これ美味しいんだってさぁあ!」
「!? (ぷるぷるぷるぷるっ!?)」
さぁ食べろ! 今すぐ食べろ!!
君が食べてくれないと、僕が
****** ******
結局ルイは頑なに食べようとせず、シェルちゃんごしの「今度ちょっとだけ揉んでいいから食べたくない」という言葉でこの『
「これで合法的に揉めるぞ。むふふ」
「…………(ぷるぷるぷる……)」
僕の隣で雪を固めるルイは、心なしか元気がなさそうだ。
そんなに食べたかったなら食べれば良かったのに。
『ふむ、間違いなく
シェルちゃんが僕の中で言う。
そんな些細な違いだったのか。わかるわけないよ。
ていうか、あれ?
「え、もしかしてシェルちゃん、僕の『
そうだ、何かに使えるかも知れないと、偽物の果実はさっきスキルで収納しておいたのだ。それをさも手に取って見回しているような言い方をするってことは、
『そんな感じじゃ……ふわふわした重力がない灰色の世界に、今まで其方が収納した鉱石やら魔力草やらが不思議な光に包まれて、ふよふよ漂っているのじゃ。萎れた様子もないし、謎の多き異能よな。あと偶に我にぶつかって煩わしいのじゃ」
ということらしい。
それって割れ物とか大丈夫なんだろうか、なんて考えるだけ無駄だろう。
チッ、ほにゃららな本を密かに隠す場所にはもってこいだと思っていたのに。これじゃ早いとこ住居を見つけてベットの下に……ゲフンゲフン。
不思議な光に包まれて……そうだな、多分空間は収納のための『容器』であって、収納した個々の物体の周囲にはそれぞれ時間停止と接触を阻止するための『光の膜』が張られているのかもしれない。
だから草は萎れないし、シェルちゃんは思考を動かせるし、同じ場所に詰め込まれても互いに接触しないのかも。
本当に不思議かつ便利な異能である。
ぶつかってくるのは知りません。我慢して下さい。
そんなことを考えつつ、薬草やら解毒草やら、使えそうな素材は大体収納しながら歩く僕。量が増えればぶつかる頻度も増えるだろうか? なんて酷いこと思っちゃいないさ。
『……にしても、ここに来るまでに魔結晶やら迷夢草やら大量の素材を収納して来たわけじゃが……そのスキルには限界がないのじゃろうか?』
通りすがら目についた物をせっせと収納していく僕を見たシェルちゃんが、しみじみと興味深そうに問うてくる。
容量? さぁどれだけ入るんだろうか。
ていうかそれよりも、驚いた。
洞窟で毟りまくったあの草『迷夢草』って言うんだね。
――
朧気にしか覚えていないが、確かそれは幻の中の植物とされるレア度7の植物だったはずだ。
『レア度』というのは冒険者
とりあえず貴重な毒草かな? なんて思って無心で採取してたけど、これは偏に運が良かった。毒草なら毒草で、濃密な魔素を吸ってるんだからその毒素も強力になってるだろうからって、使い道もいろいろ目星をつけてたんだけどね。
それは
とにかく実物は初めて見た。
その効能は万物を癒やす『
「さあ? わかんないよそんなこと。でも入るもんは入るんだし、いいんじゃない? 容量に限界が来たら厳選していけば良いんだし」
「まぁそうじゃな、それが妥当じゃて」
「ちなみに最初に捨てるのはシェルちゃんだよ」
「何で!? 何でじゃっ!?」
ちなみに『
こんな偽物の毒の果実でも、使い物になればいいんだけど。
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