第3話 折れた聖剣

 まず果敢にも攻撃を仕掛けたのはリアだった。これでもレオ王国の戦士であり、仮にも『勇者』の称号を持つものである。その攻撃は鋭かった。



「おっと、危ない」



 リアの袈裟斬りに男は跳躍して後方に引いた。その跳躍力は人間の限界を超えているように思えた。たった一つの動作で、この男が普通の人間ではないことを認識させる。



「うまく避けたようね。でも、これならどうかしら?」



 何が来るのか、と男は身構えた。だが、リアが繰り出した次なる攻撃とは……、単なる突進だった。



「うりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 ひょいっ、と男は難なくリアの突進からの刺突を避ける。闘牛のように突っ込んできた人間というのは、冷静であればとても避けやすい。たとえそれが光の速さのような刺突であっても、男には関係ないようだった。



「まだまだぁ!」



 さらにリアは突進する。聖剣を前に突き出し、闇雲に刺突を繰り返しているのだ。しかし、それらの攻撃も男はヒラリとかわす。まるであたる気がしなかった。



「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……。い、いい加減に、食らいなさいよ」


「そんな馬鹿正直な攻撃に当たるやつがいるか。確かに一撃一撃は鋭いが、直線的過ぎるんだよ」


「ふ、ふふふ。そんなこと言って、実はあんたも結構苦しんじゃないの? さっきから、避けてばかりで全然攻撃してこないじゃない」


「まあ、攻撃しなかったのは事実だが……」



 別に攻撃ができなかったわけではない。リアの攻撃があまりにも正直すぎたため、このまま素直に倒していいものだろうか、と思ってしまったのだ。



「でも、まあ、確かに情けは禁物だな。そろそろ、俺も本気を出すか」


「まるで今まで本気じゃなかったみたいな言い方ね」


「……いや、実際本気じゃなかったし」


「ははーん。それ、負け犬の遠吠えって言うのよ。私の剣技に酔いしれて、攻撃すらできなかった男が何を言っても空しいだけね。いい加減諦めて、おとなしく私にやられなさい!」


「お前、どんだけ自信家なんだよ」



 リアは権力が上の人には逆らえないが、同等か下とみなした人物には尊大な態度をとることが出来た。今回の相手は敵と認識している〈影の一族〉の男だ。どこまででも尊大な態度をとることが出来るだろう。



「まあ、いい。これが俺の本気だよ」



 男は腰を低くかがめ、左足を少し前に出した。両手はだらりと垂れ下がっているが、どうもその両手が怪しい動きをしているように見える。



「トラマル……」


「な、何?」



 いきなり何の単語か、というものを言われ、リアは混乱する。



「俺の名前だよ。難儀なことだが、この技を使うときは名乗りをあげないといけなくてな。まったく、こんなルールを誰が作ったんだか」


「トラマル……」



 リアは男の名前を復唱する。敵の名前のはずなのだが、あまり嫌な感じはしなかった。



「我が名はトラマル。〈影の一族〉として命ずる。その黒い鎖で絡めとられた呪縛を解き放ち、我の血肉となり踊り狂え!」



 トラマルが名乗りをあげると、そよ風が吹いた。木々がささやきあうように揺れ動く。その雰囲気に、リアは緊張して聖剣を握りしめた。


 数秒の時が流れた。だが、何も起こらない。首を傾げたリアだったが、すぐに緊張を解いてしまった。



「何よ。何も起こらないじゃない。やっぱり、ただのハッタリだったのね」


「それは、どうかな?」



 トラマルの口元がニヤリと笑った。よく見ると、先ほどのトラマルとは違っているところがあった。手だ。その両手に、なにやら黒いものが握られていたのだ。



「な、何、それ」


「影だ」



 トラマルは両手に握られている黒い物体、影をリアに見せつけるように前に出した。その形状は蜃気楼のように揺らめいていたが、どこかナイフに似ていた。まるで、影のナイフだ。



「お前も知っているだろう。なぜ俺たちが〈影の一族〉と呼ばれているのかを。それは、影を自由自在に操ることが出来るからこそ、その名前がついた。影こそが、俺たちの武器なんだよ」



 トラマルがさらに腰を落とした。トラマルの意識が攻撃に移るのは時間の問題だった。



「このナイフは、俺の影をナイフの形にしたものだ。もちろん、軽いし、よく斬れる。試してみるか?」


「……」



 リアは聖剣を握り締めながら、ゴクリ、と喉を鳴らした。リアは〈影の一族〉と戦ったことはない。これが初めてだ。それどころか、実戦の経験は皆無に等しい。先の戦争があったころは、まだ子供でレオ王国の軍隊には入隊していなかった。ようやく入隊できたと思えば、戦争はすでに終結。言ってみれば、初めての実戦がトラマルとの戦闘なのである。



(わ、私には荷が重すぎるんじゃない!? いや、確かに訓縁ではまずまず成績がよかったかもしれないけど、私以外にも成績が優秀な子もいっぱいいたし、別に私じゃなくても……)



 今更心の中で言い訳を始めたリアだったが、もちろんそんなことはトラマルには関係ない。


 トラマルの目が、糸のように細くなった。



「ひっ!」



 ガキンッ、という金属音が鳴り響いた。咄嗟に出した聖剣に、何かがぶつかったのだ。もちろん、その何かとは、トラマルの影のナイフだ。



「運のいいことだ。まさか、偶然俺の攻撃を防ぐとはな」



 後ろから声がした。いつの間にか、トラマルがリアの後ろにいたのだ。あの一瞬で聖剣を斬りつけ、リアの後方に回ったというのか。信じられない速度だ。



「ぐ、偶然?」



 リアは一瞬ほっとしたが、すぐに気を引き締める。今回は偶然トラマルの攻撃を防いだだけだ。次の攻撃も、防げるとは限らない。一撃でもまともに食らえば、死ぬことすらありえるのだ。



「まさか今更逃げたりはしないよな? もちろん、逃がしはしないがな」



 そこから、トラマルの連撃が始まった。目にも止まらない速さで繰り出される攻撃に、リアは聖剣を左右に振るだけで精一杯だった。もはや、大人と子供の喧嘩だった。



「どうした、どうした。このままだと、八つ裂きになるぞ」


「く、くぅ~! 私をもてあそんで~!」



 リアが無理やり攻撃に転じようとした。その瞬間、トラマルはその隙を狙ってリアの懐にもぐりこんだ。



「んなぁ!」


「焦りすぎだ。馬鹿が」



 リアは思わず目を瞑ってしまった。



(殺される!)



 次にやってくる痛みを想像して、リアは身を強張らせた。


 だが、いつまで経ってもリアが想像した痛みはやってこない。恐る恐る閉じていた目を開くと、トラマルはリアに背を向けて歩き出していた。まるで、もうリアへの興味はなくなったとでも言わんばかりだ。



「え? ちょ、ちょっとぉ! どこいくのよぉ!」


「用は済んだ」


「済んでいないわよ! 勝負! ちゃんと勝負しなさいよね!」


「お前は、素手で俺と勝負するつもりか?」


「へ?」



 リアは自分の手許を見てみると、先ほどまで握っていた聖剣がなくなっていた。体を調べてみる。どこにもない。辺りを見渡してみる。どこにも落ちてはいない。上を見てみる。もちろん、浮いているわけはない。



「ま、まさか……」


「こいつは、あると厄介だからな」



 トラマルはニヤリと笑って自分の手許にある聖剣をリアに見せた。



「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 私の聖剣! 王様からもらった大事な聖剣があああああああああああああああああああああ!」



 あまりの大声に、トラマルは空いていた片方の手で右耳を塞ぐ。だが、それでも左耳から入ってくる騒音に顔を歪ませた。小鳥たちがリアの絶叫で一斉に飛び立つほどだ。



「うるさい。ここまで来ると災害レベルだぞ」


「誰が災害よ! そんなことより、私の聖剣、返しなさいよ!」


「いいぞ。ただし……」



 トラマルは近くにあった石に近づくと、その石を聖剣で思いっきり叩いた。ガキンッ、という金属音とともに、聖剣は真っ二つに折れる。



「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 私の聖剣! 王様からもらった大事な聖剣があああああああああああああああああああああ!」



 二度目の絶叫。聖剣とはここまで簡単に折れるものなのか、と今はどうでもいいことを思いつつ、リアは涙を流しながら叫んだ。



「ほらっ。返してやるよ。これに懲りたら、もう〈影の一族〉を襲うことなんて辞めるんだな」


「うぐぐぐぐ……」



 リアは地面に放り捨てられた折れた聖剣を拾い上げ、どうにか修復できないか試みてみる。しかし、二つに分かれてしまったものを一つにしようなど、物理的に不可能なのだ。



「こんなことが知れたら、私、首をはねられちゃう……」


「まあ、聖剣をダメにしたらなぁ。お前の命だけで済んだらまだマシだな。下手したら、見せしめに家族や友人の命も奪われかねないだろうなぁ」


「そんな他人事みたいに!」


「どう考えても他人事だろう」



 トラマルは投げ捨てていた黒い外套を拾い上げ、再び羽織った。旅人の格好に戻ったトラマルは、リアのことは放っておいて先に進もうとする。



「ちょっと待ちなさいよ!」


「何だ、まだ何かあるのか? 勝負はもう着いただろう」


「う、ぐぐぐぐ……」



 何か言ってやりたかったが、何も言えない。完全にリアの負けなのだ。命があっただけでも運がよかったといえる。



「じゃあな。馬鹿女」



 何ごともなかったかのように歩き出すトラマルを、リアはじっと見つめていることしか出来なかった。


 これが、トラマルとリアの不思議な関係の、始まりだった。

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