2 お泊まり2

 退屈ほど辛い事はそうは無いが、退屈でなければ辛くないかというとそうでもない。

 たとえば興味も意味もないことに時間を費やすこともまた、退屈と同等以上に辛いことだ。

 日向にとっての勉強が、まさにそうだった。


 志乃の教え方は中々にスパルタだった。

 容赦なく反復を繰り返すスタイルだ。「覚えてない」と言うと覚えるまで暗唱させられ、「こんなのひらめくはずがない」と言うと勘所が身に付くまで類似問題を解かされる。

 それは身体的なトレーニングにも通じるところがあったが、その気の無い者にとって腕立て伏せが苦しい作業でしかないように、勉強する気のない日向にとっても暗記や問題集は苦痛でしかなかった。

 いつもなら強引に投げ出すところだったが、


 ――やってやろうじゃねえか。


 沙弥香や志乃といった近しい人間の盗撮を決意したばかりである。


 そのためには情報が必要だった。盗撮を行える隙と言い換えてもいい。

 勉強とはいえ一緒に過ごす機会は、まさに絶好のチャンスと言えた。事実、日向は三人の挙動を事細かに観察し、やろうと思えば足下や胸元を盗撮できるという感触を掴むまでに至っていた。


「あー疲れたー」


 祐理が気の抜けた声を上げた。

 時計を見ると、午後八時が迫っている。


「いい時間ね。そろそろご飯にしない?」


 沙弥香が志乃に提案する。

 志乃は日向が解いた回答を読んでいたところだった。間もなく「うん。上出来です」そう呟いて、笑顔で日向にノートを手渡す。


「はい。そういたしましょう」

「でもどうするのよ? 食べに行く?」

「ううん。日向がつくるんだよ」


 女子三人の視線が日向に集まった。

 日向は何ら動じることなく、ノートや問題集を片付けながら、


「四人分か。肉野菜炒めでいいか?」

「よくないよ日向! お客さんがいるんだよ? もっと華がないと!」

「じゃあスーパーで総菜でも買ってこい」

「やだよ。遠いもん」

「走ったら十分もかからん」

「あ、あのー……」


 志乃がおずおずと手を挙げてきた。


「よかったら手伝いましょうか?」

「え? 志乃ちゃんが買ってきてくれるの?」

「ち、違いますよ!? 料理です!」

「あっ、そだったねー」


 志乃は数日前もこの家で二人に料理を振る舞ったらしい。日向は後片付け後のキッチンしか見ていないが、料理と家事に慣れている様子がひしひしと伝わってきた。

 手伝ってもらえれば楽できることは間違いない。


「いや、東雲さんはお客さんだし、勉強の世話にもなったから、ゆっくりしておくといいよ」


 しかし日向はやんわりと断った。

 日向にとって食事とは自らの身体を適切に形成させるための摂取であり、おいそれと他人に委ねることに抵抗がある。

 志乃はというと、露骨に悲しそうな顔を浮かべてきた。


「私がいたら、お邪魔ですか?」

「そんなことないよ。ただ東雲さんにはゆっくりしてもらいたい、という俺なりの配慮であって――」

「配慮よりもご褒美が欲しいです」

「……ご褒美?」


 志乃がこくんと頷く。顔が赤らんでいる。


「渡会くんと一緒に、料理がしたいです」

「それがご褒美? 料理のテクニックとかは東雲さんの方が上だと思うけど……」


 志乃の意図がわからず首を傾げていると、「はぁ」と沙弥香が露骨なため息で横槍よこやりを入れてきた。


「なんだよ」

「別に。いいから一緒につくりなさいよ」

「いいと思うっ! 志乃ちゃんの料理も美味しかったもん!」

「……じゃあ東雲さんに任せようか。褒美というほど料理が好きみたいだし」

「もう日向っ! そうじゃないでしょ!」

「なぜか唐突に怒られた件」


 うんうんと沙弥香が頷いている。志乃はくすくすと笑っていた。


「よくわからないけど……わかった。一緒に作ろうか、東雲さん」

「はい」


 机上の片付けを手伝った後、志乃とキッチンに向かう。


 ふと視線を感じ、日向は振り返る。沙弥香と祐理がこちらを見ていた。

 肘をついた沙弥香が祐理に何かを尋ねている。小声で聞こえない。祐理は頷いていた。口の動きから察するに、「いいの?」「うん」というやりとり。

 さしずめ料理の手伝いを志乃に譲ったというところか。祐理は、出来もしないのに手伝いたがるところがある。


「気になりますか。祐理さんのこと」

「いや別に。しゃしゃり出てこなくて良かったなと思っただけだよ」


 志乃は柔らかく微笑んだ。

 それは温かいものを見るような眼差しで、日向はどうにも居心地が悪かった。






 遅めの夕食はたいそう豪華だった。

 我を曲げない日向の、日向による、日向のためのパワーフード――肉野菜炒めが大皿に盛ってあり、それを囲む形で、志乃のお手製、彩り豊かなおかずが並んでいる。


 大皿は不評――何の味付けも付けていないことが最大の原因だろう――だったが、日向は構わず食事に集中した。もりもり食べる日向を見て沙弥香は呆れ、志乃は感心を示していたが、やがて祐理も交えた三人で雑談に移っていく。


 話題は多岐に渡ったが、沙弥香の兄、新太に関する話が一段と盛り上がっていた。

 といっても熱が入っていたのは主にブラコンの沙弥香だったが、新太と言えばパルクール界隈のトッププレイヤーであり、メディア出演も当たり前のようにこなす、もはや芸能人のような存在である。そんな偉大な人物のエピソードは単純に興味深かったようだ。

 日向はというと、完全に聞き流していた。

 新太とは練習会の時に語り尽くしているし、盗撮対象ターゲットたる二人の観察にしても、既に身体的特徴や言動、傾向や性質はおおよそ把握しているため、真剣になる意味も薄い。


 夕食を食べ終わる頃には完全に手持ち無沙汰になっていた。

 日向はスマホで盗撮動画販売サイト『カミノメ』にログイン。画面を覗き込まれないよう警戒しながら、アップロードした動画の評判をチェックする。


(直近は日常シリーズだな……)


 日常シリーズ。

 JKPJKぺろぺろとしての新たな試みで、教室を日中盗撮することで女子高生の日常を収めるというもの。

 日常系というアニメのジャンルがあるように、日常はそれだけでもコンテンツになる。盗撮動画の場合は、興奮をあおる前菜として機能してくれるはずだ。


 日向はそう目論んでいたが、



 ――ヌキどころがなくてつまらん。


 ――高校生の日常を何時間も見続けるほど暇人じゃねえよ。


 ――俯瞰アングルは見辛すぎる。


 ――タダでも視る価値ない。


 ――JKPどうした? 悩みがあるなら相談に乗るよ?


 ――お前はいつもどおりJKを撮ってればいいんだよJK


 ――こんなの撮るくらいならパンツを撮るべき。


 ――むしろアワビはよ。



 評価は散々だった。こんなに不満を書かれたのは初めてのことだ。

 投票数も低評価が多い。高評価とは桁が二つも違う。


(高評価に入れてる人のコメントは……無いか)


 コメント欄を丁寧に読み返す日向だったが、肯定的な意見は皆無だった。


(だがゼロじゃない。一桁だが高評価のカウント自体はある。方向性は間違っていない)


 日常シリーズのコンセプトは前菜である。胸や尻の拡大アップや、下着や裸の盗撮といったメイン――抜くためのコンテンツではなく、むしろメインを引き立てるための脇役でしかない。

 言うなれば演出だ。女子高生の日常を見せることで興味を、愛着を生ませ、興奮に繋げていくのだ。


 興奮を形成するのは被写体の身体だけではない。どうやってそれを引き立てるかという文脈コンテキストもまた必要だ。

 むしろそれこそが重要と言える。だからこそAVでは数多のジャンルがある。盗撮動画にも多数のジャンルがある。同じ女優や被写体の、異なる作品を求めようとする。

 かく言う日向も、以前見せつけられたビビのセックスシーンにはまるで興奮しなかったのに、祐理の誘惑には負けそうになっている。それは長らく一緒に過ごしてきたことによる愛着という文脈があったから。


 文脈が違えば、作品は変わる。

 文脈をつくることで、作品の価値を上げることができる。

 そして文脈をつくるための、最も確実で普遍的な方法が、愛着を湧かせることである――

 それが日向が出した結論であり、仮説であった。


(たぶんアピールが弱いんだ。日常シリーズはコンテキストの動画だということがまだ伝わってない。なら……)


 日向の目はコメント欄を追う。

 ユーザーの意見をインプットするために。


 日向の耳は女子三人の挙動を聴く。

 カミノメを閲覧していることがバレないよう警戒するために。


 そして日向の頭は、日常シリーズの運用を変更する手順を練り始め――

 間もなく整備された。


「さてと」


 日向はスマホをしまい、急に立ち上がってみせた。


「ちょっと出かけてくる」


 祐理と志乃の口が動きそうなのを眺めつつ、


「いいトレーニングを思いついたんだ。俺は二時間後に戻るから、三人ともそれまでに風呂を済ませておいてくれ。いや、別に済ませなくてもいいが、俺は帰ってきたらすぐに風呂に入るぞ。トレーニングで汗だくだろうからな。我慢する気はない。俺と一緒に入りたいなら、無理にとは言わないけどな」


 矢継ぎ早にそう告げてから、リビングを出た。

 耳で祐理あたりが追いかけてくるのを警戒する。ほどなくして、戦意が無いとわかった。もっとも、あったところで捕まるほどやわではない。


 日向はダッシュで春高を目指した。

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