07 しゃっくり編



 ヒック

 ああ、最悪。










 07 しゃっくり編










 ヒック。

 ひとつすると、目ざとい同居人はにこやかにこちらを見た。


「しゃっくり?」

「訊かなくてもわかるでヒック、しょ」


 私は止まらぬしゃっくりにイライラしながら答えた。

 大野幸人はクラスの女子が見ればきゃーきゃー騒ぐ笑みを貼り付けたまま、口を動かす。


「知ってる?」

「ひっく……何?」

「しゃっくりを百回すると死んじゃうって話あるでしょ?」

「うん」

「あれ、あながち嘘じゃないんだよ」


 え?

 さらりと衝撃的なことを告げてくれた大野は、訊いてもいないのに説明をして下さる。


「しゃっくりが48時間以上続くと、なかなか眠れなかったり、水や食物がつらくて食べれないとかの症状になるときがあるんだ。それからしょっくりは、消化器官や脳神経系、胸部疾患などの病気が原因の場合もあるんだ。ああ、肝臓病や肝臓病とか、あとは睡眠不足なんかも原因だね」


 ぺらぺらぺらぺらとつっかえることなく言い放つ。すごい、アナウンサーにもなれるスマートなしゃべりだったよ、大野。

 それにしても無駄に詳しい。


「ヒック……医者でも目指してんの?」

「いいや、別に何になろうとか決めてないよ。ただ、一時期は興味があったから勉強しただけ」


 にっこりと、天才君は嫌味なぐらい微笑む。

 羨ましい記憶力。一時期勉強したことを今も覚えているなんて。頭をとっかえたい。


「今しゃっくりになってる人にな、ヒック、んで不安になるようなことを言うかな」

「本当のことを教えただけじゃないか」

「それでも不安になるじゃない、ヒック。あー、本当に死んだら大野の所為にしてやるー」


 恨みがましく睨んでやる。

 大野は痛くもかゆくもないらしく、反対にすごく嬉しそうだ。なんだ、マゾか。


「まあ、とにかく止める方法を試してみようか」


 今はそれがいいだろう。

 でもしゃっくりって色々止める方法があるんだよね。


「一般的な『息を止める』をやってみる?」

「ヒック。うん」


 よし、と気合を入れて息を止める。あー、きついきついきつい! でもしゃっくりを止めるため、死なないため。我慢するのよ、華子!

 大野はジーとこちらを観察してる。なんだ、息を止めた赤い顔がそんなにおかしいか。いっそのこと大笑いして。っていうかこいつはなんでここにいるの。

 いやいやいや、大野なんてどうでもいいんだ。気にしない、気にしちゃいけない。そうだ、秒数を数えよう。

 31秒、32秒、33秒、34……


「もう駄目もうムカつく何その余裕な笑みー!!」


 やっぱり大野のにやにや顔が気に障って無理だった。

 私の叫びを大野はどう受け止めたのか、「やだな、華さんそんなに俺のこと気になるの?」とかほざきやがった。あれで気にならない人はいるのか、なあ、いるのならぜひとも私に教えてくれ、大野。

 そう言ったらこんな回答が返ってきた。


「君のお姉さんなら平気じゃない?」


 確かに。

 姉ならたぶん「何見てるの? 気安く見るんじゃないわよ、金払いなさい」と言うだろう。拳で脅しながら。

 美人は一癖二癖あると言うが、まさに我が姉はそうだ。あの容姿がすごくもったいない。


「……ヒック。もういい、次いこう」

「どこに?」


 ここまできてそう言うか。

 無言で拳を握ると、大野は苦笑いしながら弁解した。


「冗談だよ。じゃあ今度は水を飲んでみる?」


 真面目な返事に満足した私は、握りこぶしを下に下ろした。


「そうねえ、ヒック。水はお腹タプタプになるだけなのよねえ」


 他には? と促せば、大野は少し考える仕草をすると、にやりと笑う。

 ……いやな予感。


「キスすれば直るって聞いたことあるよ」


 ないよ!

 自信満々に言った大野は徐々に徐々にと私に迫ってくる。


「おおおお、大野くん落ち着いて!」

「俺は落ち着いてるよ? 落ち着いてないのは華子さんでしょ?」


 この状況で落ち着けるはずがないでしょうが!

 叫びたいが混乱状態の頭ではどうしようもない。どうしようどうしようどうしよう!

 そうこう考えているうちに大野がすでに目の前にいる。そして私を引き寄せると、腰に手を回した。


「華子さん、真っ赤になっちゃって……可愛い」


 そして端正な顔が近づいてきて。


 ちゅっ。


 という音と共に離れていく。

 呆然とする私。




「とりあえず、華子さんのはじめてのほっぺちゅーはもらっちゃったから」





 いいよね、華子さん。

 上機嫌で言う大野。


「あ、あ、あ……」

「華子さん、大丈夫?」

「大丈夫なわけあるか、このたわけがぁぁぁぁ!」


 繰り出した拳を大野は軽やかに避ける。


「たわけって……華子さんって意外と古いよね」

「うっさい! わーん! 変態痴漢ー!」

「否定はしないよ」

「しろよ!」


 こうしてまた大野とわたしの鬼ごっこが始まった。






 そして私には『驚かす』という方法が一番効くようだ。



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