37話
レイニードは愕然としていた。
目の前のマルシュベン令嬢は、役職こそ自分と同じ上級騎士で騎士の誉れとでも言うべき王族付きだろうが、調べた所、ほんの数ヶ月前まで自治領で従士程度の勤めしかしていない、腕前は取るに足らない程の筈。春先のアレスでの大会で入賞したと言っても、上級騎士が上位を占め、後は騎士見習いや上級兵程度の中、隙間の順位を獲得したに過ぎない。
ーそれに比べて、今日の模擬試合は、主要メンバーが抜けているとは言え、隊長クラスも上級騎士も居るなか、自分が勝ち上がったのだ。地方の大会とは比較にならない程、今日の出場者は格上の筈だ。ルーカス・ヘンベルク子爵に劣るとは言え、自分だって十分に力がある。
なのに、何故。
自分は今、何故彼女の前で地に伏して居る?!
彼女の提案で、試合は一対一、彼女が負けたら次はカレイラ嬢と戦う勝ち抜き戦形式にして、彼女よりカレイラ嬢をどう負かすのか、それだけが気掛かりであった。曲がりなりにも、騎馬隊隊長。軍部との接点は別れているものの、彼女は自分よりも役職は格上。しかも、女性騎士初の隊長入りなのだから、その実力は本物だろう、と。
最初こそ、流す程度で打ち合っていた。それは、とても簡単にいなせる事が出来たし、暫く時間を稼いで見せ場を作ってから、負かす事は簡単な筈だった。
特に彼女の剣筋が早かった訳でも無かったし、油断もしていない筈だったのに。
打ち合う最中、少し前に出過ぎてはいるなと感じてはいた。その時、まるで魔法の様に剣の持ち手を叩かれ、腕を後ろに取られ剣を落とされると同時に足を払われ、背中を後ろ手に押さえ付けられたまま、地面へと勢い良く前のめりで落とされた。一瞬の事で、今考えるとそうやられたのだと分かるくらいで、された時は理由が分からず、只、視界が大きく揺れた。としか感じ無かった。
「……勝負あり。それまで!」
団長の狼狽えた声が響く。あんなに動揺したのを、自分は見た事が無い。
何だ?本当に負けたのか?!自分が??周りが騒がしくなって来た。ああ、煩い煩い煩い!!信じられないのは此方の方だ。
「あの、大丈夫ですか?」
つかつかと近付いて、手を差しのべる彼女を見る。止めろ、これ以上恥は掻きたくない。
「……どうも。しかし、自分で立てますから。」
ゆっくりと立ち上がると、今更胸が痛み出した。かなり打ち付けたらしい。受け身も取れなかった自分が恥ずかしい。何て醜態を晒してしまったのか。まだ動揺は治まらずに、呆然と自身の痛む胸を見下ろす。
「……私の勝ち、で宜しいですか?」
「……それ以外に何がありますか?」
気遣わしげなのが、余計にレイニードの苛立ちを増長させた。もっと笑い飛ばすなりすれば良いだろう!これは、これ程とは、思いもしなかった。
「ありがとうございます。カレイラさんも、ありがとうございました。」
「は……いや、私は構わない。見事な試合だったな。」
ほら、カレイラ嬢もぽかんとしているじゃないか、予想外なのは自分だけじゃ無いよな?そうだよな?胸中は慌てふためいているものの、レイニードはおくびにもみせずちろとエレーンの様子を伺って見る。少し汗をかいているだけで、然もこれは当たり前だというように落ち着き払っていた。
「殿下。お忙しい中、お待たせ致しました。後もう少しだけ、お時間を宜しいですか?」
「うん?好きにすると良い。」
ここに来て……何をする気だ?
レイニードは身を固くして身構えた。自分を虚仮にでもするつもりか。走った緊張感に、背中に嫌な汗が滲むのが分かる。しかし、狼狽えるレイニードを無視して、ゆっくりとエレーンは一人一人の視線に目線を合わすかの様に会場を見回した。
「……皆様、今日は合同訓練お疲れ様でございました。」
騒がしかった場内が徐々に静かになる。
「今日は私の噂によってこの模擬試合が開催されたと聞き及んでおります。皆様の意気込み、試合を見学させて頂いて、良く分かりました。しかし……」
「私、一言も強い殿方が好みだなどと申しておりません!」
その叫びとも取れる断言に、会場中が一瞬ざわっとする。それもそうだろう。今日一日の為に参加している者が多いのだから。確かに、これは銘打って開催された訳でも無く、只、『周知の事実』としていつもの様に行われた合同訓練に過ぎない。しかし……
「それで、私の思いも無視して婚約者を決めようなどと、正直迷惑しております。ですので、この場をお借りして、申し上げたいのです。」
皆、固唾を飲んでいるのが分かる。自分の立場から言って、只見ているというのが心から情けない。
「私の好みの男性は、私の意見を尊重してくれる方!そして、ご自身の仕事に真面目に取り組む方でございます!よって、噂話を鵜呑みにし、私の思いを無視する方など論外です。それと……」
結構傷を負っている者が多い中、まだ追い討ちをかけるつもりか?!このお嬢さん、容赦無さすぎないか。
「条件では無く、婚約者は……いえ、好きな方は自分で選びます!他の誰も、私の意見は曲げられません!余計な手出しはなさらないで下さい。」
……言い切ってしまった。
膝から崩れ落ちる者多数。いや、散々カレイラの策略で、この容赦無い宣言を言い放った彼女に惚れている事にされている自分はどうしたら……しかし、周りはもうそれどころでは無いらしい。レイニードは状況に少し置いて行かれ、その状況に肩の力を抜いた。
周囲が騒ぐ中、カレイラが突如大きく笑い出した。
「はははっ!あー……なんと清々しい宣言だろうな。皆、しかと聞いたな?エレーンどのの好みは、噂話なんかしてないで、真面目に職務を全うする者だぞ?しかも、役職階級は関係無いのだ。明日から励めば、エレーンどのの目に止まるかも知れないぞ。」
ウオオオオッと、男達の雄叫びが響く。カレイラはそれを手で制した。
「良い機会だから、私からも一言言っておこう。何年か前に、今日の様に私の好みも強い男だとして、試合を開催したが……」
「私も、自身の伴侶は自分で決める。裏で腕試しをしている者は、即刻諦めて欲しい。何せ、もう意味が無いのだからな?」
その言葉に、別の所からざわざわと驚きとも嘆きとも取れる話し声が上がる。……何の話だろうか。こんな、馬鹿げた訓練が、前にも行われたかと思うと、この騎士達、余程平和ボケしている。いや、嫁探しは出会いの少ないこの部署だからこそ、永遠のテーマなのだが……。
「……最初っからこうすれば良かったわ。」
カレイラはポツリ呟いたが、それはエレーンにしか聞こえず、レイニードは只立ち尽くしていた。
「よし、今日の模擬試合はここまで!お前ら、明日っからの働きは俺も良く見てるからな?いや、楽しみで仕方無い。エレーン嬢、貴女の試合は実に見事だったぞ。」
団長も直ぐに正気を取り戻していたようで、満面の笑顔で此方を見る。ある意味尊敬する。自分はまだ実感が湧かないでいる。何しろ、早く結果が出過ぎだろう。
「ありがとうございます。」
「レイニード。満足したな?」
その言葉にぐっと喉が鳴る。これ以上、何を言葉にする必要があるだろう。
「……はい。我が儘を申しまして、ご迷惑をお掛け致しました。」
男達は阿鼻叫喚で、もう自分が負けた事など関係無い様だった。このやり取りさえ見ていないだろう。
「……殿下。お手間をお取りして申し訳ありませんでした。」
レイニードがアレクシスへ体制を向けると、少し気を抜いていたのか、パッと居住まいを正した。それを受けてレイニードはたじろいだ。呆気にでも取られていたのだろうか?あまり、自分の評価が下がって無ければ良いのだが。
「このぐらいならば、なんとでもなる。また、機会が在れば手合わせすると良い。」
……思いの外早く結果が出たと言われ、ぐうの音も出ない。いや、出せない。
レイニードは恭しく頭を下げて、会場を後にする。誰も、退場する彼を気にも止めない。城へと戻る足取りは、それは重いものだった。
侯爵であり、代々王家に尽くして来たハウエル家ではなく、まさかマルシュベン家から側遣えを見付けて来るなど、レイニードは腸が煮えくり返る思いをしていた。それも、今日まで。訓練はちらと見たこともあったが、体感するのは今日が初めてだ。ここまで痛烈に体感したくは無かったが。相手は女人と思い、どれだけ自分は彼女を侮っていたのか。
マルシュベンでは女人でもあれだけやるのか?
あれで従士扱いなど、自分なら耐えられそうにない。
王城へ迎え入れたのは第二王子殿下の気紛れでは無かったのか。これでは、技量を認めなければならなくなる。いや、もう負けた時点で認めざるを得ないのか……。それとも、本当はもう……。
負かして側近として役不足だと証明する筈が、此方の方が叩きのめされるとは。これは、父からも大目玉だろう。レイニードの口から少し自嘲喜味な乾いた笑いが漏れ出る。
「……仕切り直しか。」
一人呟き、足早に通路をひた進むのだった。
「……どう?あの人様子見ておいた方が良いかな?」
レイニードの大分後ろから彼の背中を眺めながら、リンは隣のロイに問いかける。こっそり潜んで試合の様子を見ていたリンだったが、男達の阿鼻叫喚な事態に試合の監督役をしていたロイを連れだし、相談を持ちかけたのだ。リンの意向は概ね決まってはいるのだが。
「……んー……顔付きはなんか大丈夫そうだったけど……リンの好きにしたら良いと思う。」
マルシュベン家に遣え、オルク家密偵直伝の隠密技法を習得して目が効く特異体質のリンにとって、最早潜んで見張る事など朝飯前である。それを会得するまで、ライルの指導は最早地獄であったが。ロイの返答を受けて、リンは普段の笑顔よりも更ににっこりと、誰に向けるでも無く微笑んだ。
さて、前の御仁をどうしようか?
「あれで懲りてくれてれば良いんだけど。お嬢は優しすぎ~!ついでに言うとロイも!俺は絶対許さないよ〜?」
二人にとって全てでもあるお嬢の敵は自分達の宿敵。レイニードは必然的に王城内要注意人物に認定されたのだった。喧嘩をそっちから売っておいて、負けたからはい、さよならなどある訳が無い。 売った喧嘩の利息はきっちりと返して貰わねば。マルシュベンはレイニードが思うよりも恐ろしい所なのだ。特に、マルシュベンの男達は。
その後、リンの気紛れによって、時たま頭上に大量の毛虫が降ってきたり、整理していた書類がぼらばらになっていたり……と、不可思議な事がレイニードを襲い、微妙に悩まされるのだった。
レイニードが足早に去った後、王子殿下の締めの言葉で、今日の訓練は終わりを告げた。皆、それぞれの持ち場に気もそぞろで戻って行く。
カレイラは、投げ出していた報告書をまとめるため、騎士団執務室へと一人向かっていた。ふと前を見ると、嫌な奴と出くわし、眉を潜める。そう言えば、自分を呼びに来てから、場内に姿が無かった。呼び出し事態に憤慨していたから、大して動向を見てもいなかったが。
「……まだ何か言いたい事でもあるのか?」
ルーカスは壁に寄りかかっていたが、すっと立ち上がると、腕組みしているカレイラへ真っ直ぐと向かう。
「少しお話を」
「断る。」
「……。」
カレイラの無下な断りに、ルーカスは珍しく狼狽えた様だった。その様子に少し意表を突かれて、カレイラはふっと鼻で笑う。
「……何だ。貴様らしくも無い。何か言いたいのなら、はっきり言ってみろ。」
「……。」
周りの様子を伺うルーカスに、カレイラは自身の執務室へと案内した。
執務室は騎馬隊の各隊長のもので、絨毯は見事な織物だが、仕事机や書類棚は丈夫そうではあるが、装飾も無く無骨だ。中央の応接セットも実に無駄が無い無難な様式で、むしろ寂しいくらいなのだが、普段執務室を使う機会は報告書作成程度なので、機能的に考えれば、これで十分である。
「……一体何なのだ、調子が狂うな。用が在るなら早く言え。茶は出さんぞ。」
座ろうともしないルーカスを放って、自分ははお構い無しに中央に鎮座する応接セットのソファに座る。続いて座るかと視線を向ければ、戸口の所からじっと此方を見ているだけで、動こうとしない。しかし、自分から座る様に促す事はしなかった。
「……この度の、エレーンどのへの御助力、誠にありがとうございました。」
暫し沈黙の後、深々頭を下げる男に、カレイラは目をぱちくりさせた。
何だ?この男が頭を下げるなど、公共の場で儀礼的にした所しか見た事が無いぞ?!
言い知れぬ不安が、背筋をゾゾゾと擽りながら一筋走る。
「……いや、私はエレーンどのを好いているからな。当然だ。レイニードは悪い奴では無いのだが、何せ父君に似て頭が硬いからな、良い薬になっただろう。」
「……それを貴女が言いますか」
「何だと?」
「いいえ。」
少し殊勝な事をしたと思えばこれだ。この男は昔っから……会えば口を尖らせる表情か、馬鹿にして笑っているか、嫌な顔するか……思い返してみても録なものでは無いな。
カレイラは思考の海に浸かりそうだったが、直ぐに思い止まった。
「で、それだけならもう用が済んだだろう?これから部下も戻って来るからー」
「もう一つは貴女の事です。」
「……。」
顔を上げて此方を見つめる厳しい視線に、少し体に力が入る。自分とこいつの話など、一つしかない。直ぐまた頭を下げた男をまじまじと見る。珍しいものが二度見られるなんて、明日は雨どころか雪だろうな。異常気象だな、忙しそうだ。うん。
カレイラは一人で混乱に陥っていた。
「……この六年近く、貴女を煩わせて来たかと思いますが、今更ながら……申し訳ありませんでした。弁解させて頂けるなら、あれは……失礼ながら、若気の至りでございました。」
「……。」
……若気の至りと言えば何やっても許されると思うなよ?未だ頭を下げる男に、内心悪態をつく。そうしたって許される程に、酷かったし、今日まで長かったのだから。まあ、もう昔の話しだが。
「今日の様な宣言を、とっくの昔に俺から皆にしておけば良かったと心の底から悔いております。貴女様の貴重な時間を奪ってしまい……俺はー」
「待った。ちょっと待て。」
「はい、?」
カレイラは頭を抱えた。何だか、経験した事も無い悪寒が何度も背中に走り、次いで冷や汗が滲んだ。
珍しいものを見たからあまり深く考えて無かったが、これは……この男、何を言おうとしている?!
咄嗟に額に手を当て、目を瞑る。
「この流れは可笑しい。……私なら気にはしないが、他のご令嬢ならば揚げ足を取られ責任を取らされるぞ?」
「……貴女様は其れが望みですか?」
は?はあ?!何を言っているのだ、この男は!
「は?いや、そんなものは要らん。気色の悪い。」
「気色の……って。俺だってこの先まだ結婚する気は無いんですけど?!」
「ならば、柄でも無い事をするな!見ろこの鳥肌っどうしてくれる!?」
「知りませんー。せっかく人が真摯に謝ってるって言うのに……」
「要らん。さっきも言ったが、伴侶は自分で決める。貴様は、有象無象の者達を勝手に追い払っていただけの話。私達二人の間に恩も義理も無い。後、自分で真摯にとか言うな。全く伝わらん。」
「酷っ!俺はともかく、本気の奴らだって居たのに……」
その言葉に、ジロリと睨む。今度こそ何を言ってるんだ、この男は。お陰で冷静を取り戻したが。
「本気でそう思うのか?直接振られる勇気も無い者が、貴様に勝負を挑んでいただけの事だ。他の者は父に直接伺いを立てていたぞ?まあ、断っているがな。」
「……。」
「……話しは終いだな?私は忙しいんだ。とっとと出て行って貰おう。」
ルーカスは一礼して、部屋を出て行った。
「……馬鹿な男だ。」
もうそこには居ない男の佇んでいた余韻に向けて、カレイラは独りごちた。
律儀に何年も引き摺って。
そりゃあ、あの時の所業は酷いを通り越して、今や思い出すと笑える程だが。大体、試合を挑んで来られても適当に流して、自分や父に言えば済む話だと言うのに。それがまさか、責任を取る様な口振りに柄にも無く焦ったではないか!あいつの考えだけは本当に良く分からん……もしや、そんな事を考えて、今まで露払いをしていたのか……?いや、まさか。
「……。いや、根っからの剣馬鹿なだけかも知れんが。」
あの男の事だ。……多いに有り得る。
カレイラは天井を仰ぎ、脱力するのだった。
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