剣姫と年下殿下はまだ婚約を結べない

芹澤©️

出会いと始まり

1話

大陸のやや南に位置する商都アレスに、長い冬がやっと終わりに近づき、冷たいものの柔らかな日差しが降り注いでいた。


アレスは王都と港街の丁度間に位置するので、大陸中の商人が集まり、日頃から呼び込みの声が行き交う大通りは、様々な人々で賑わいを見せる。商都と呼ばれる様に、この活気の溢れる光景はアレスの名物だ。


しかし、今日は丘の上に聳え立つ城の内外からも、大通りに負けない、威勢の良い掛け声や怒声が響いている。



地面に大雑把に区切られた升目の中、各々得意とする武器で交戦する兵士達を、観客達がぐるりと囲んで怒号にも似た歓声を上げている。

中にはどうやって登ったのか、高い塀の上に座り込んで、文字通り高みの見物を決め込む何とも身軽な面々も見受けられる。



日々細かな小競り合いは有るものの、長らく大戦の無い比較的平和な国ウェリントンでは、剣術大会や模擬戦が催し物として人気を博している。

貴族の支援による大会や、大なり小なり季節を問わず各地で開催されているので、賞金目当てに巡業する猛者も出て来る始末だ。


アレスの春先の大会は、結果によってはこの地に殉ずる兵士達の階級を采配するとあって、対峙する兵士達の面持ちは皆硬く、鋭い。


しかも貴族のみならず、時折王族が視察に訪れるとあって、その御眼鏡に適うべく、兵士達は躍起になる。王族主催の大会は数年に一度しか催されず、指折りの騎士達が出場の中心になるので、中々御目通りは叶わない。


より良い勤務先を勝ち取る為に、少ない可能性に賭けて毎年この大会に挑む者が、大会参加者の割合を大部分を占めていると言っても過言では無い。



兵士達にとっては、力を誇示し出世の足掛かりとして。一般の民にとっては、良い出し物、賭博場ともなっている。

誰が勝つのか。実に単純で参加しやすい賭け事なのだ。近隣では、毎年この大会が開催されると、春の訪れとして大いに盛り上がりお祭り騒ぎになる。決勝までの後2日程は、夜中まで音楽が流れ、笑い声が絶えない。



試合は一対一の真剣勝負だが、命に関わる重症を相手に負わせないで勝つことが技量が有るとして最も評価が高い。それ故惨事も少なく、観客も安心して観られるのだ。それでも、毎度怪我人は続出しているのだが、それすらも賭けの格好のスパイスとなり、人気が衰える事等無い。



武器も防具も各自好きな物を身に付けて良いとされているが、王族主催の大会以外は、貴族ですら重装備で挑む者は居ない。

重装備で有れば有る程、比例して臆病者だと周りから笑われてしまうからだ。参加者は名家出も平民出も関係無く、皆簡素な防具を付けて挑んでいる。




そんな中で会場中の興味を集めている若者が一人。華奢で小柄な体躯に、胸当てと籠手、左肩のみ肩当てを付けている。

他の参加者同様の出で立ちに、これまた細身の剣を握り締めている。


注目の的は、兜から伸びる長く美しい飾り毛だ。合戦での上級騎士か、またはパレードの装飾鎧宜しく、若者が動く度に右へ左へ優雅に靡いているその様は、簡素な防具の中で光を映し輝きが際立って目立ち、人々の感心が自然に集まっていた。


余りに小柄で、少年と言っても過言では無い年頃に見えるが、兜が頬迄覆いその表情は伺えない。影の奥から、鋭い眼光が時折覗く程度だ。



対面する相手は若者より二回りも大きく、誰もが不利だろうと予想していた。しかし、向かって来た相手を紙一重でかわし、一瞬の隙を突いて横腹を柄で打ったかと思うとそのまま足を払い、倒れた相手の喉元にピタリと剣の切っ先を添えた。


僅かな静けさの後に、わっと歓声が上がった。


本日の大穴No.1が、決定した。




会場を見渡せる城の三階の窓際で、飾り毛の若者の戦いぶりを始終観戦していた、こちらも小柄な男が窓から視線を移す事無く口を開いた。


「あの華奢な成りで大した腕だ。自身の戦い方が良く分かっている様だな。あの飾り毛といい、さぞ名の有る貴族の出なのだろう。」


小柄な男のやや後ろに、刺繍が施された豪奢なソファに優雅に腰掛けていた夫人が、微笑しながら立ち上がった。そそと男の横へと並ぶと、豪勢な毛織のドレスが日の光を浴びてキラキラと輝いた。


「名の有る貴族とはありがとうございます。殿下。あれに見えますは、私の可愛い自慢の妹でございます。それと、あれは地毛です。」



男はやっと夫人に視線を合わせた。その表情は長めの黒い前髪からもしっかりと分かる程、青い瞳が大きく見開かれ、驚きを色濃く映し出していた。先程のふてぶてしい態度から一転、年齢に合った少年らしい雰囲気のまま、


「は…?」


体裁を忘れた返答が小さく聞こえたのだった。





今日の試合は全て終えたと言うのに、城の外ではいまだに野次馬で溢れ返り、喧騒が包む。


参加者と関係者で溢れる入り口横の大広間を抜け、本日の大穴No.1と噂された小柄な若者は、城の奥の客間へと戻っていた。

兜を脱ぐと、飾り毛に見えていた毛はそのまま主の頭に付いていて、毛先だけがするりと滑り落ちた。特注で兜の上部に丁度束ねた髪が通る様に穴を開けている。中でゴワゴワしないし、何より見てくれが良い。当の本人はとても気に入っている仕様だ。


装備を外し、おもむろに湯殿へと向かう。土埃を洗い流しながら、一日の試合を思い返していた。今回初めて参加出来たが、流石に数有る大会の中でも一、二を争う規模と人数だ。今日は3人相手に何とか勝てたが、参加者は皆様々な大会で腕を磨いてきた者ばかりで、このままでは明日は一勝上げられるかも危うい。


一人には少し広い部屋に戻り、髪を拭きながら溜め息をつく。


身支度を整え、ゆったりとベッドに腰掛け思いを巡らせていると、ノックの音がした。


「エレーン?私だけど、入って良いかしら? 」


明るい軽やかな声がして、同時に少女は素早くドアへと向かい、鍵を開けた。


「今日ずっと見てたわよ~!良く頑張ったわね、エレーン。」


入って来たのは、試合を三階の窓際から見ていた夫人だった。長い金髪を綺麗に結い上げ、歳は離れているだろうが、エレーンにどこか面差しが似ている。


満面の笑顔でエレーンの頭を力一杯に撫で回す。髪をグシャグシャにされながらも、エレーンは顔を赤く染めてされるがまま。嵐の様な撫で回す手が止むのを待って、夫人に向き合った。


「何とか形になったけれど、アリーシャ姉様の様には行かないと思う。明日は見苦しい所を見せてしまうかも…。」


苦笑しながら、エレーンは肩を竦めた。そんな姿をアリーシャはふっと微笑みながら見つめたが、直ぐに顔を左右に軽く振る。


「エレーン、貴女の謙遜する真面目な姿勢はとても良いのだけれど、時に悪い癖よ~?今日は良くやれたのだもの、自分を褒めてあげなくちゃ可愛そうだわ!と言うか、可愛い妹が嬉しそうじゃないと、姉さんも悲しくなってしまうわ。」


大好きな姉がしょんぼりする姿が、エレーンには大きな痛手だ。慌てて手を大きく振る。


「アリーシャ姉様!今日は今日。明日は明日と切り替えなければいけないわね!姉様が褒めてくれて、私は嬉しいわ!これは本当よ?」


慌てる妹をちらと盗み見て、アリーシャはいたずらっぽく舌を出した。人懐っこいこの姉に、エレーンは何時だって敵わない。

それは姉が心から大好きなせいでも有るし、何よりも八つ上のこの姉が、自分より一枚も二枚も上手だからだ。



アリーシャは十六歳の時にこの大会に初参戦し、女性ながらも大の男達を抑え上位三十名の内、二十五位という快挙を成し遂げた。長さの違う短剣を二刀流で巧みに戦う姿は、さながら死地で祈りの舞を舞う様だと、付いたあだ名が『舞姫』。それが縁で、この地に嫁ぐ事にもなった。


対して、エレーンは今年十七歳。参戦も地元の領地で近衛兵勤務を二年務め、やっと許しが出ての事だった。海賊や山賊相手には小さめのソードブレイカーを駆使し二刀流で戦う事も出来るが、何処を取っても姉どころか、他の兄達にも遅れを取っている。

大会で勝ち進んで行けたら大きな自信になるかとも少しばかり期待していたが、相手はやはりと言うべきか中々手強く、思った様に事が運べない。自信どころか、今日を終えて安堵するばかりだ。



エレーンを椅子に掛けさせ、グシャグシャになった髪をアリーシャは丁寧に櫛で梳かしながら、いつもの調子に戻り話し始めた。


「今日は城内の人間以外には内緒だったのだけど、お忍びで殿下が見えているのよ。久しぶりに畏まっちゃって、姉さん肩凝っちゃったわ~。」


へー……。?!エレーンは驚いて姉を見上げる。見えていた。ではなく、見えている。と確かに姉はそう言い放ったのだ。


「ええ?!姉様、お相手はなさらなくて大丈夫なの?」


余りにさらりと話すものだから、うっかり聞き逃すところだったが、ここで殿下を放っておくなど、アレス商都領主ウィンチェスト伯爵夫人として失礼では無いのか。


「私の事は良いから、直ぐに戻った方が…。」


「大丈夫よ~。妹を紹介しますって言ってあるから、今は主人とお茶飲みながら御待ち下さってるわ。」


畳み掛けて更に明らかになる驚くべき事態に、エレーンは背中に汗が噴き出すのを感じた。実に嫌な感覚だ。試合のそれとも毛色が違う。


「えぇ?!私は確かに姉様の実妹だけれど、ここはアレスだし、地元でだって御会い出来る立場では無いわ!それこそ失礼になってしまう!」


妹の慌てぶりにも動じず、アリーシャは笑った。


「殿下から紹介して欲しいと申し出たのよ?失礼だなんてとんでもない。それに、貴方は私の誇るべき実家ラ・マルシュベン公爵の令嬢なのだから、身分だってバッチリ!胸を張って会いに行けば良いのよ♪」


慣れっこな姉に反して、エレーンは王族に会うなど生まれて初めての体験に、試合の疲れも重なり冷や汗が止まらない。


「もう一度湯浴みした方が良いかしら…。」


呟きも虚しく、姉に軽く支度を整えられ、腕を引かれ(強引に引っ張られ)抗う力も無いエレーンは、しぶしぶ部屋を後にした。

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