第2話

「驚いたよ。この辺りでうちの高校の子と会うことがあるなんてね。宮田さんの家はこの辺なの?」


 当然のように、私の前の空いている席に腰をおろした早見先生。なぜそこに座る、と私がツッコむ間もなく、手を上げて店主に珈琲を頼む。そうして気づいた時には、ニコニコと笑みを浮かべた彼と、珈琲を挟んで向かい合う羽目になっていた。


 なぜこんな現状に……。

 思いっきり顔をしかめたくなるのをこらえながら、早見先生と向き合う。


 見るからに人の好さそうな笑みを浮かべる、早見先生。

 普段、校内で私以外の女子達が騒ぐ笑顔である。

 ただでさえ若いというだけで騒ぐ女子が多いというのに、くわえこの教師は女子に騒がれるタイプの端麗な顔立ちをしている。

 もし今、私がこの教師と二人っきりで居る事が同校の者に知れたら、きっと私はうちの学校の全女子生徒を的に回す羽目になるだろう。それぐらいに厄介な顔立ちなのだ。


 だが、実のところ、私はこの教師の笑みが苦手だった。


 なんとなく嘘くさいのだ。笑っている筈なのにどこか雰囲気が笑っていない。顔が無駄に整っているだけにそう見えるだけなのかもしれないが。


「……いえ、家はここから少し離れたところにあります」


「あれ、そうなの? じゃあ今日はどうしてここに?」


「……落ち着いて勉強が出来るところを探していたら、ここを見つけたんですよ」


 ここにいる事情を説明する。苦手な相手とはいえども、相手は教師だ。さすがに無視はできまい。内申点に響いても困るし。

私の説明を聞き終えた早見先生が、へぇ、と面白がるような声音で相槌を打った。


「宮田さん家って、兄妹多いんだ。何人いるの?」


「下に六人です」


「そんなに? 大家族じゃないか!」


 賑やかそうでいいなと、早見一郎が店内にそぐわぬ笑い声をたてる。アンタの笑い方のが賑やかです、という皮肉をなんとか心の中に押し留めた。


「うちはこの近所でさ、よく利用するんだ、ここ。若いお客が少なくていつも覇気がない店だからさ、宮田さんみたいな人が来てくれるようになるのはちょっと嬉しいよ」


 あぁ、さよなら、私のオアシス。つかの間の幸せをありがとう。それではグッバイ、お元気で。


 ニコニコと笑う教師とは対象的に、暗く重たいため息が口から出そうになるのを、私は寸前のところでどうにかこらえたのだった。


       ******


 以来、私と早見先生は喫茶店で顔を合せるようになった。


 大体は私の方が先に店に来て、その後、しばらくしてから彼がやってきた。店内唯一の明るい席で勉強をしている私を見つけると、当たり前のように私の前に座って珈琲を注文する。そうして珈琲がくると、持っていた鞄から文庫本を取り出し、何を話すでもなく読書を始める。


 本を読むだけなら、別に私の前に座らなくてもよいのではなかろうか。実際、一度そう本人に尋ねてみたが、返ってきたのは「ここが一番明るいから」という、なんとも言葉に窮する答えだった。


 それはまぁ、確かに……。薄暗いところより明るいところの方が本は読みやすいだろう。そう簡単に、厄介払いをする事は叶わないようだ。


 また、時々思い出したかのように、早見先生は私のノートを覗き込んできた。

 そうして、私の書き込みに問題を見つけると、「あぁ、そこ違う違う」と、途端頼んでもいないのに教師らしい事をし始めた。


「その文章、『私は彼女の提案に反対する』は、一見すると『oppose《反対する》』が自動詞に見えるけど、本当は他動詞なんだ。だから、前置詞はいらない。『oppose the her proposal』じゃなくって、正しくは『oppose her proposal』なんだよ」


 シャツの胸ポケットから赤ペンを取り出して、早見先生が勝手にノートに答えを書き込んだ。まるで正しい道を示すかのように。


 というか、なんでそんなとこに赤ペンなんて入れてんだ、アンタは。


 ちなみに、この喫茶店のおかしな店名についても、彼の講釈によって正しい意味を私は知った。『a coffee break』。一見すると一つの文章に見える文面だが、しかし実はこれで一つの名詞なのだという。

 とどのつまり、おかしかったのは店名の方ではなく、知識がなかった私の方だったらしい。


「僕は教師だからね。子供の間違いは、無視できないんだ」


 邪険そうな眼差しを向けてくる生徒にむかって、ニコニコと早見先生は笑い続ける。相変わらず薄っぺらい笑みだ。


 だが学校で見るものと比べると、どこか少しだけ意地の悪さが含まれている気がした。


「でも、これじゃあフェアじゃありません」


「フェア?」


「だって、普通はこんな風に教師から教えて貰えないでしょう。プライベートまで学校の教師に見て貰う生徒なんて、聞いた事がありませんよ」


「なるほど、それは一理あるな」


 早見先生が考え込むように顎をさすった。

 一理どころか、百%そういうものなんですよ、とは言わずに黙って彼の様子を見守る。


 このまま上手い事、私に関わらない方向へ話を持っていけないだろうか。そう思うも、よい策は思い浮かばない。


「じゃあ、こうしよう」


「はい?」


 ふいに、早見先生が言葉を続けた。


「『a coffee break?』 一緒に『休憩』しませんか? お嬢さん」


 教師と生徒。その両方を。


 これならいいだろ? ――早見先生が自身の珈琲が入ったカップを持ち上げた。

 呆れて物が言えない。けど、面白い事を見つけた子供のように笑うそのさまは、なんだかいつもの笑みよりは嫌いじゃなかった。

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