第44話 近づく足音
和泉山脈の稜線から白い光が漏れ出した。初日の出であり、正しい意味での元旦である。陽光は狭い和泉国南部の平野部を照らし、それは一揆勢の足を一層速めた。街道を進む部隊はもちろん、田や畑の真ん中を進む者たちも、ほぼ駆け足で進んだ。必然、足音はより一層大きくなる。
その遠い地鳴りのような音に、忠善は気づき目が覚めた。随分と眠った気がする。惣堂の戸の隙間から、外の光が差し込んでいた。そこに。
「大変だ!」
扉を開き、飛び込んできたのは杉乃助。その声に、眠っていた百姓たちも目を覚ました。
「紀州の一揆がもうそこまで来てる。戦が始まる」
惣堂の中は騒然とした。しかし杉乃助はそれを落ち着かせた。
「待て、心配は要らん、惣堂は大丈夫だ。わしが様子を見てくるから、ここでおとなしく待っていてくれ」
そして忠善の方を見て、「お武家さま、お願い致します」と声をかけ、扉を閉じた。
忠善は床に目をやった。宣教師はまだ眠っている。
「司祭さま」
忠善はその身体を揺り動かした。
「司祭さま、起きてください」
「……オーウ、ちゅーぜん」
宣教師は薄く目を開けた。
「イケマセンネ、マダ酒ヲ飲ミマスカ」
「何を寝ぼけているのです。戦が始まります」
「ソレハ大変、見物ニ行カナイト!」
宣教師は立ち上がるや否や突然走り出し、扉にぶつかってひっくり返った。
「ああもう、何をしているのですか」
忠善は困り顔でため息をついた。しかし。
「ちゅーぜん」
宣教師は倒れたまま、キョトンとした顔を見せている。
「忠善にございます。何ですか今度は」
「コノ扉、オカシイデス」
「何がおかしいと言うのです」
「開キマセンヨ」
そんな事があるはずがない。現にさっき杉乃助が開けたではないか。
「杉乃助、そこにいるのか。杉乃助!」
だが返事はない。地鳴りが近づいてくる。これがもし足音なら、外に出て行くのは自殺行為である。一揆勢に向かって、ここに獲物が居ますよと示すようなものだからだ。もしかして、だから杉乃助は外から扉を封じたのか。だとするなら。
振り返ると、百姓たちが不安げに見つめている。忠善は努めて落ち着いた口調で話した。
「状況はわからん。だが一揆勢が近づいて来ているのは間違いない。今はとにかく、連中が通り過ぎるのを待とう」
他に選択肢はないように思えた。百姓たちは家族で寄り集まり、座り込んで一揆勢の通過を待った。
夜が明けて間もない岸和田城に、甲冑姿の侍を乗せた馬が駆け込んで行く。
「
馬は門番の所で止まる事なく、横を通り抜ける。
「沼間又五郎、通り申ーすっ!」
そう叫びながら本丸に向かった。
本丸で馬から下りた沼間又五郎は、中村一氏の待つ屋敷の広間に走り込んだ。
「斥候ご苦労!」床几に腰を下ろしながら、また先に声をかける一氏である。「して様子は」
「はっ、一揆勢の先頭は貝塚寺内町を抜け、現在小瀬村を移動中。駆け足で進んでおります故、岸和田に至るのは間もなくかと」
もはや
「一揆など恐るるに足りず! たかが三万何するものぞ! 一人四殺! 四人ずつ討ち取ればこちらの勝ちである!」
それが無茶な注文である事は皆わかっていた。相手は単なる百姓の寄り集まった烏合の衆ではない。天下に名高い鉄砲隊を擁する当代最強の一揆勢、根来雑賀軍団である。籠城するならともかく、正面からぶつかれば、この兵力差では足を止める事すらままなるまい。
だがやらねばならぬ。岸和田が落ちれば、いずれ一揆は堺を焼き、大坂城まで攻め込むだろう。奇策を弄する余裕はない。岸和田城は文字通り最後の砦なのだ。正面からぶつかり、たとえ負けても一揆勢の数を削ぎ、大坂を攻められぬようにせねばならない。武将たちは一斉に
羽柴さまのため、天下平定のために、今こそ、この命懸けねばならぬ。一氏は立ち上がった。
「出陣である!」
「バッテリーはどんな感じ」
駆けながら、ナギサはピクシーにたずねた。
「残りは二十パーセント強。電磁障壁を展開させられるのは、どうやりくりしても十五分が限界だと言えるね」
緑色のこびとは不満げに踊った。
「やっぱり太陽電池じゃ充電までは無理か」
ナギサはため息をつく。各種デバイスの稼働に電力を消費するので、こればかりはやむを得ないのだが。
「急速充電器が必要な状態であると言えるね」
「仕方ないよ、無い物ねだりしても」
ナギサはみぞれに目をやった。今みぞれはナギサと手をつないでいない。孫一郎に背負われているのだ。もちろん走るならこの方が速いからである。
「近づいてる?」
ナギサの問いは一揆勢の事。みぞれはうなずいた。
「足音が聞こえる」
ナギサは走りながら耳を澄ませてみた。自分たちの足音が大きいのでよくわからないが、言われてみれば遠くに地鳴りのような音がしている。
「法師殿、雪姫の場所は」
孫一郎がたずねた。ナギサがピクシーに呼びかけると、一瞬間を置いてインターフェースはこう答えた。
「動いているね。この方向……おそらくは岸和田城に向かっていると言えるね」
「岸和田城に向かってる」
ナギサの声の緊迫感に、甚六は思わず振り返る。
「何する気だ、いったい」
「一揆の連中の真ん前に放り出す気ですかね」
海塚の言葉に、ナギサは寒気を覚えた。
「とにかく我らが追いつくしかありません」
孫一郎は自分に言い聞かせるように口にした。もう岸和田城はすぐそこに見えている。あとは時間との勝負であった。
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